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親と家庭によって、子供の人間観や生き易さ生きにくさ、幸不幸、いろいろと「本人のせいじゃない」要因で人間が偏ってきてしまうことが多いです。
これを解決するために、地域共同体、あるいは学校共同体的に、家庭ローテーション、親ローテーションというのを強制したらどうでしょうか。

たとえば、アル中の親に悩まされている子供は、ある期間ほっとすることができる、いい親なのに文句ばっかり言っている甲斐性のない子供は、ひどい親を目の当たりにして、自分の親を心底愛せるようになるなど、いろいろと益が多いと思います。

実現性はほとんどありませんが、もしこういう制度を作って、50人の親を2年出回るなどという大権をできたら、人間的にすごく発展できるのではないでしょうか?これこそ、「友達はみな兄弟」そのものです。
本当の理解が、クラスメートと、地域の人たちと、そして家族と分かち合えるのではないでしょうか。

A 回答 (12件中1~10件)

NO5です。


私は、小学生のころ、クラスメイトの父親が働いていることを知り、大変驚くと同時に、自分の親の職業が言えなくなりました。私の父親はぷーだったのです。
高学年に入り、だんだんと色々分かってくると、父親が働いていないのはおかしいことなのだ、恥ずかしいことなのだと思うようになりました。私は母親の職業でずっとごまかしてきましたよ。胸が痛かったですよ。
クラスメイトがマクドナルドに出かけた、映画を見に行ったなんて話しているのを聞いて、私とは住む世界が違う人たちばかりだと自分の家がどんなに貧しいか思い知らされて、辛かったですよ。
質問文にあるようなアル中の親に悩んでいる子がいい親の子どもを体験したら、余計に辛くなることは想像できますよ。私が質問文にあるようなことをその時分に体験したら、今の家族をもっと恨むでしょうね。
家族と分かち合えるなんてありえないでしょうね。
そんなに甘いものではないと思いますよ。
私は中学生までは、晩御飯はおかわりできませんでした。
大人になった今、親戚のおばさんちに行って、そのおばさんの孫が、晩御飯を食べているのを見ていると、
自分家と比べてしまって、とてもみじめに感じましたもの。私は体験したくないですわ。
他人が裕福なのは知ると余計に苦しくなりますよ。
分かち合えるなんてとんでもない。そんなプラスな考えは頭にも浮かびませんよ。
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この回答へのお礼

これは実に真実に近いお話なのかもしれません。致し方ない現実、しかし、容易には動かしがたいもの。ひとそれぞれ、開放できない人生があり、また開放するべきでもない事実もあるのでしょう。空想的理想論と現実的なダークサイト、あるいはあまりに世間融合性が厳しいようなもの、そういう面をどうしようもないもの、という認識にいたって、呻吟し努力していくのが人間なのかもしれません。

お礼日時:2008/09/26 09:13

書き損じました。


他人が裕福なのは、ではなく他人が幸せなのはでした。
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カンボジア ほんの30年ほど前の話です。


http://www.asaho.com/jpn/bkno/2001/0416.html

映画「キリングフィールド」なんかはお勧めです。
http://www.actv.ne.jp/~yappi/eiga/EE-01killing%2 …

社会で恵まれない子供を支えるという意図は賛成できます。
あとは方法論ですね。間違えるとこうなるという、ちょっと
想像しがたい現実です。
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この回答へのお礼

こういう問題の認識を頭においておくべきでしょうね。

お礼日時:2008/09/26 09:11

最後にします。



>クラスメート40人か位の世帯を2年くらいかけて回れば十分と思います

こんなことをすれば、子供は「○○君のお父さんとお母さんの方が優しい。」「○○ちゃんの家の方が家が広くていい。」「○○君のお父さんの方がかっこいい」と自分の親を尊敬できなくなります。

本来親と子の愛情は、相対的な比較ではなく、別の感情から生まれるものです。横と比較してしまうと、よりいい方へ流れてしまうのは当然で、自分の親を愛せなくなるでしょう。
食べるには何とか困らないが大学には進めないかもしれないような家に住んでいる子供が、裕福な家を何件かめぐれば「なんでうちの親はあんなにダメなんだ。僕は酷い親の下に産まれてしまった。」と思うようになり、家に帰ってから親を尊敬できなくなるのは自然の流れです。

この回答への補足

残念ながら回答者さんは私の質問の意図を汲んでいただけなかったようですね。+もあるし-もある。ご回答のような事態はマイナスです。しかしプラスもある(親のよさの再発見)全体としてみた場合、攪拌作業をした場合、しなかった場合、どちらがトータルで意義深いかです。

補足日時:2008/09/23 13:59
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この回答へのお礼

その逆もあると言うことです。
「○○君のお父さんはアル中で人格破綻者だ」⇒「うちのお父さんはうだつは上がらないけどずっといい」
と自分の家庭の「よさ」の再発見につながります。

お礼日時:2008/09/23 13:58

>これだけ経験させるだけでも、しないよりえらい差だと思いますよ。



確かにえらい差ですが、それは親を愛せなくなると言う意味ででしょう。
いろいろ経験させるとなると少なくとも1週間ごとに20年間親を代えるくらいの必要がありそうなのです。地域差も大きいので地域ローテも必要ですから全都道府県で25パターンほどやると20年くらいかかります。
そうなるとほとんど自分の親に会わないわけですし、全く自分の親を愛せなくなると思います。下手すると生まれてからの1週間だけ親元にいてそれから20年間一度も会わずにいたりして親を知らない可能性があります。

この回答への補足

私の頭の中では、クラスメート40人か位の世帯を2年くらいかけて回れば十分と思います。人家庭2週間くらいでしょうか。もちろん、休暇中は(あるいは週末)自分の家庭に帰るというような息継ぎもいいのではないでしょうか。

補足日時:2008/09/23 09:24
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この回答へのお礼

親を愛せなくなる場合もある、しかし、逆もあるのです。「比較」で自分の持っているものを再認識するということはあります。

お礼日時:2008/09/26 09:24

結局、運不運だらけだと思うのですが・・・



本当に平等にするなら

アル中の親
ヤク中の親
公務員の親
シングルマザー
若い母親
若い父親
両親が再婚
おじいちゃんがいない家庭
ひいおばあちゃんのいる家庭
残業の多い親
短気な親
我慢強い親
・・・

と全ての要素を万全に共通にしなければいけません。
また、家庭内でも親がどの子供をかわいがるかという差で生き易さ生きにくさ、幸不幸などが異なってきてしまいますので、そのあたりの調整も必要ですね。全員、一人っ子、弟あり、妹あり、兄あり、姉あり、3兄弟、4兄弟・・・といろいろな条件を経験しなくてはいけません。

そんな中途半端なローテーションでは、日本海に砂糖を入れて「これで甘くなるはず」という程度のものです。
その代償として、いろいろな親を体験する分だけ実際の親と過ごす時間は減るし、中途半端なことをする分だけ家族の絆は弱くなりますね。


本気でやるなら、子供没収で国家が再分配が一番です。
生まれた子供は国家が没収。そして、国がその子を育てるにふさわしいと思える両親の元へ子供を分配。全ての家庭で血のつながりがない子供を育てる。そして、国家が両親としての資格があるかを全部管理しており、両親検定みたいなことをして画一的な両親を大量生産するので家庭間の差がほとんどなくなります。身長や体重なども全部適性範囲を設けて、この範囲外の人は親になれません。また、収入格差があってもまずいのでこのあたりも全員同じ給与に調整します。
こうすることでかなり家庭による運不運はなくなると思います。

この回答への補足

後にお礼を書きます。
とりあえず、
>アル中の親
ヤク中の親
公務員の親
シングルマザー
若い母親
若い父親
両親が再婚
おじいちゃんがいない家庭
ひいおばあちゃんのいる家庭
残業の多い親
短気な親
我慢強い親
・・・
これだけ経験させるだけでも、しないよりえらい差だと思いますよ。

補足日時:2008/09/22 23:37
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この回答へのお礼

国家による、親適正審査!この考えは非常に根本的で理想的です。もちろんその試験の適正性が大いに疑問だとしても、子殺しやら非情な親というのはかなり消滅するでしょう。しかし「人間性」を審査するということはついに地球上でなしえないのかもしれません。なぜなら、その「人間性」の基準でついに一致点には達しない。もし達するとすれば独裁国家で、長寿ではないでしょう。

でも、理想的なことは確かです。

お礼日時:2008/09/26 09:22

あまり意味がないと思います。


そもそも、それだけ問題のある親がいる、問題のある子供がいる、というのであれば、そういう親や子供を何とかする方策を考える方が、良いのではないでしょうか?
問題のある親にしろ、子供にしろ、割合としては極めて少数でしょう。そういう少数の問題を、グループ全体に無理矢理広げてしまうメリットが思いつきません。

そもそも、良い親、良い子供、なんていうような定義そのものが、極めて曖昧なものです。
私にとって「良い子供」と思われる子供が、万人にとって「良い子供」であるとは限りません。逆もまたしかりです。
ただでさえ同調圧力の強い日本で、そういうグループを作った場合、没個性、というよりも、極めて不自由な、非常に偏った集団になってしまう危険性が高いです。
また、人間は集団になれば、必ずその中で力関係などが発生します。狭い集団の中で、力関係ができあがった場合、一部の人間が楽をし、反対に一部の人間が損をするような歪な状況もできやすくなります。
そのようなことを考えれば、却って「運不運」を高めることにならないでしょうか?

「本人のせいではない要因」で問題が発生するのならば、その要因を取り除くようなシステムを作る方が、はるかに効率的で、また、安全だと思います。

この回答への補足

後にお礼を書きます。
とりあえず、違った課程をローテーションすると言う体験は、なにか固定して癒着してしまったものを拡販し再生する、という役割は果たせると思います。

補足日時:2008/09/22 23:39
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この回答へのお礼

行政的に問題のある家庭を何とかする、というひとつの手ではありますが、あまりに微力ではないでしょうか。もっと子供の心に直接的に訴えるような方策、それがこういうことではと感じました。そもそも人間というのは「比較」によってはじめて認識にいたれるという程度の頭脳しか持っていませんからね。

お礼日時:2008/09/26 09:19

分かち合えるなんて無理でしょう。

子どもにはそこまで理解する能力はないと思いますよ。
心の傷を持った子どもがわんさか出来るでしょうね。
日本はだめになると推測します。
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この回答へのお礼

分かち合えますよ。同じ親を体験するわけですから。「話」だけ聞くのと違うのです。理解というよりも体験ですね。それに、「傷」を持った子供も増えるが逆に「傷が癒える」子供も増えます。

お礼日時:2008/09/22 23:41

人間の最小限のコミュニティは家族です。


そういう家族を崩壊させることは人間を人間らしく生きさせないことに繋がります。
被害にあっている子供を救い出すことは必要ですが、そのために加害者でもない親や、被害者でもない子供に何かを強いることは間違っていますよ。

人間が人間らしく生きられなければ人間としての発展はできません。
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この回答へのお礼

「人類兄弟」ということを本気でやってみてもいいんじゃないでしょうか。被害云々はさておいて。だいたい、問題ある家族は救われないからこそ、外からの風が必要なのです。問題のない家庭は問題のある家庭を救う役割を果たす力があります。

お礼日時:2008/09/22 23:43

興味深いご提案だと思います。

資本主義と社会(共産)主義の優劣の問題にも似ているように思いました。義務教育などもご提案の線に沿ったものに含まれるとも思います。すでに学童保育はそれをさらに進めたものになっていると思います。ただ歴史的にみるとナチ帝国におけるヒトラー・ユーゲントというのはご提案が極端にゆがんだ姿とも言えそうです。ある意思を持った独裁者が出現したときこのような制度はどのような破壊的結果をもたらすかは予想できないとも思います。しかしご提案の制度は常識的に考える限り多くの人が賛成するだろうとも思います。

この回答への補足

後にお礼します。
ナチもそういう要素がありましたか。極端な全体主義というのは傷も大きいが何か根本的な社会改革も期待できるのではないでしょうか。

補足日時:2008/09/22 23:44
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この回答へのお礼

多くの賛同を得る、というご意見、私には貴重です。やはり、価値なしとか犠牲が多すぎるというお考えが多いようですから。社会主義思想といってもいいかもしれません。

お礼日時:2008/09/26 09:17

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