最近はやってるよねえ、話し合。ここが、ヘンだよ日本人とか、朝まで生テレビみたいの、NHK教育でも、なんか生理的にあいません。今まで話し合できめたことで、ろくなことがありません。二人だったらいいけど、大勢になると、でてくることが、良くて正しいことばかりで、みんなで、きめたから守れよみたいな事言われたら、なんか窮屈で、前のほうが仕事やりやすかったのに、みたいな事がよくあります。反論されるたびに私は、『ご説ごもっとも別の話題に』と言いたくなります。ぬけ出すこと、質問からぬけ出すこと、それだけです。みなさん、話し合いできめた事大事だとおもいますか?会議の多い会社ほどろくな会社じゃないと、いいますし

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A 回答 (20件中11~20件)

自分が率直に感じることだから自信有です。


話し合い、私も嫌いなときがあります。二人きりのときですら。
特に何度自分の私的意見だからと言っても私がその主張を全員に押しつけていると言い張る相手がいるときとか、同じ事を同じような言葉で何度も何度も説明してくる人がいたり、常識人なら分かり切ってることなのに懇切丁寧に説明してきたり、善行を良いことだからと強要してくるような人がいたりすると嫌で嫌でたまりません。
保育園の頃からそういう自分の性質を薄々感じてはいたのですが、中学生の頃「話し合い」をほとんど毎週学校側に強制されて無意味な話し合いがどれだけ時間と言葉の無駄かを思い知らされました。幸い(?)にも私は年々口が達者になっていったので場合によっては相手以上の理屈でもってやりこめるという方法をとっていましたが(でも後で呼び出し)。
それにpassagenさんがおっしゃるように大勢になると「良くて正しいこと」しか言わなくなる人が増えるのも事実。正論だから大衆の目の前では反論も出来ない。結果、決定事項とされ"しなければならなく"なる。「良くて正しいこと」を目標にするのはもちろんいいこととは思うのですが、それは自主性にまかされるべきではないかと思うのです。
それにテレビ番組、私もああいったものはあまり好きではありません。その場だけの実にならない話し合いが多いこともありますが、第一は自分が参加できないから。マスコミではないので傍聴席にいてもつまらないんです。
―――とつらつらと嫌いな側の意見を述べてみましたが、全ての話し合いが嫌なわけではありません。逆にちゃんと有意義だったり互いの好奇心や探求心が満たされる話し合いや集会などは好きです。
この教えてgooでも時々「貴方はどう感じますか?」といった感じの質問がありますよね(貴方の質問も近いと思うのですが?)。教えてgooは質問者も回答者も自主的に集まり自分も意見があれば参加できます。例え自分が参加しなかった質問でもそれは自分が参加しないと決めたのだから気分よく読めます。

余計なお世話かもしれませんが、passagenさんは話し合いで決まったことで不自由を感じていらっしゃる様子。では反論されたとき無気力にならずさらに反論することをお勧めします。その場しのぎではたとえその話し合いは終わってもpassagenさんが不満を感じる決定が変わるわけではありませんから。
理論武装したり、相手の粗をついたり、逆説的に考えたり、その議題に対し別の方面からの意見を提示したり、とにかく嫌と思ったらひとりになっても退かないことです。ろくでもない話し合いになるかどうかは議題にもよりますが、話し合いに参加する人間にもよると思います。「前のほうが仕事やりやすかったのに」と感じられたなら次の話し合いでそれを言ってみればいいんですよ。職場の他の人も同じように感じているかもしれません。そして失敗した決まりことの前例を1つでも多くつくる。そしたら話し合いの場でも「~~は悪影響だったじゃありませんか!」と反論できますからね。やや攻撃的でしょうか?
とりあえず全ての話し合いが無駄、というわけではありませんよ、と言っておきましょうか。逆に自分の意見を発言することだってできるんですから。どんなに馬鹿馬鹿しい話し合いだろうと、腹の立つ意見しか出てこなくても、話し合いという場である限り発言放棄は相手の意見を全面に受け入れることと同じですよ。

それと、話し合いで決められて職場環境がよくなることだってありますよ。少なくともうちの会社はそうです。話し合うことは少ないし嫌な気分にさせられることも多々ありますけどね。その辺は社会人として我慢です。
でも時折無性に胸がムカムカして嫌になるのは……人間ですもの、仕方ありません。八つ当たりとかせず、感じているだけなら本人の自由。
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この回答へのお礼

友達から、人生の迷子だねと言われたんだ。迷子になったことある?小さい時、恐かったよね、大阪の梅田駅で、人いっぱいいて、それで、お母さん、に見つけられた時ホットした。そこで、良くて、正しくて、美しい、美人な女優さんに、見つけられても、うれしくないし、ほっとしない。こんな感じで、自分にあう波長しか信じないようにしてます。小さい時、お母さんに、見つけられて、うれしかったみたいに、今から考えると、自分の親なんて、ろくなもんじゃないけど、良くて、正しいから、程遠いけど、ニーチェていう、哲学者がいたんだ、ツアラトウストラと言う本のなかで、大地に忠実であれ、そして地上を超えた希望などを説く者に信用を置くな、ていうのが、あります。地上を超えた希望が、良くて正しいことが、しばしばあるよね。人間、良くて正しい中では、生きていけないような、気がします。僕は、高校の時、みんな、いい人ばかりで、けんかもなく、そんな、すばらしい空間で、二人自殺しました。良くて正しいことが、窮屈な空間にします。小学生のときに、いつも遊んでた、はらっぱがありました。そこで、毎日、プラスチックのバットと、ボールで遊んでました。そこに、PTAのおばさんがきて、この公園、女の子も遊べて、小さな子も遊べるように、花壇なんて、作ったり、砂場作ったりして、良くて正しいと思う、花壇と砂場。でもしばらくしたら、だれも遊ばない公園になってた。これが、いまなら、前の方が、仕事やりやすかった。ていうふうになるのかな。デズニーランドってあるでしょ、あれって、アヘン中毒の妄想っていうのが、最新の学説らしい。自分の波長に合うことしかしたくありません
 

お礼日時:2001/02/26 02:38

テレビの討論番組と会社での会議は主旨が全然違います。



テレビの討論は、一種バラエティというか、アドリブオンリーのドラマみたいなもので、そこはかとなくテーマみたいなものが視聴者に伝わればそれで良いのです。出演者は俳優なのです。

で会社はというと。会社での会議も話し合うことそのものが目的化してしまうようなこともありますが、それだけでも充分の目的を果たしている場合もあります。コミュニケーションの場だったり、状況の確認であったり、話し合いの内容そのものは仕事に直接寄与しなくても、間接的に関わっていくことになります。
もちろん何か方針や決定を下す必要があるときは、そっちを優先するべきでしょうけども。

ま最近では人間関係がおっくうな人も増えたようですから、もっとドライに表面的な付き合いだけでさらりと仕事をこなしていくタイプの会社が増えていくのではないでしょうか。自宅通勤とかも増えるでしょうし。
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賛成です でも、ここが、へんだよ日本人面白いしな~


人数が多ければ物事の決定はむづかしくなりやすいんだと思います。 多数決とかもとても嫌いです。
自分の一生懸命の反論が まわりに合わしとけ~ 見たいな人に消されるのが嫌です。 それに選択肢も決まってしまってるみたいだから それにいろんな意見があっても求められてるのは結果だけって感じで
どんな意見にも穴があってそれを埋めるのが話し合いの重要課題のだと私は思う次第でありまする(^^v
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この回答へのお礼

固有名詞がない、論理は基本的には、ちぐはぐな、印象になるとおもいます。例えば、外人に、日本人に、だまされた。だから、日本人は、ひどい奴だ。と言われた時、誰と、聞いて、日本人の田中さんが、だました。といいかえすようにしたほうが、いいです。最近の若者は、平気で人を殺す。と言われた時に、誰?最近の若者じゃなくて、固有名詞の、A君。B君が、人を殺しました。A君、B君は、若者でした、これの方が正しいと思います。

お礼日時:2001/02/27 10:47

話し合い番組ですか、僕も嫌いです。

だから、見てません(笑)。ああいう場では、自説に閉じこもった言説的ひきこもりの皆さんが非建設的な会話をしてらっしゃるので、まぁ、彼らの自慰的な行為としては役に立っているのかなと思っています。あと、ある方向について感受性が豊かな人のお笑いの素として、活躍しているんじゃないでしょうか? 僕も、純粋に話し合いとして観ると虫唾が走ることが多々あるので、ギャグとして観ることはあります。

ただ、それを本来の「話し合い」と一緒にされるのは、やめたほうがいいと思います。本来、話し合いとは、もっと有意義で建設的なもののはずです。テレビで展開されているモノは、自分の価値観の押し付け合い的な、「口喧嘩」あるいは「罵りあい」です。「話し合い」などではありません。

ちなみに、passagenさんが「ご説、ごもっとも」と言って、自分の中に閉じこもる行為は、話し合い番組で、自分の意見を押し付ける行為と大した差はありません。自分の言説にひきこもるという点において、同じ事をやっていると言っていいでしょう。自分の疑問を投げかけたり、建設的な話し合いをするのも、時には必要かなと思います。そのためには、相手の話を聞いたり、自分の意見をまとめたりすることが重要になってきます。小学校の朝礼で「相手の話をキチンと聞きなさい」とか「話す人の目を見て聞きなさい」などと、校長先生などが、よく話していましたが、あれは別に道徳的な理由(相手に失礼だ、など)などという低レベルの問題なのではなくて、他人とよりよくコミュニケーションを果たす、また建設的に話し合うという、実に哲学的な意味をもっていたんですね。(朝礼台の上から一方的に話しつづける校長先生がどれだけ、そのことを認知していたかは甚だ疑問ですが)。

とにかく、話し合いに対して、あまり悲観的になることはないでしょう。こちらが誠実に話し合いを求めているのに、相手の事を根っこから否定する話し合い番組のような対応をしてきたら、その人を軽蔑しても、僕は構わないと思います。ただ、そのためにはこちらにも資格が必要だということでしょう。
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僕も以前はああいう番組、場合が嫌いでした。


「結論も出ないし、責任の擦り付け合いじゃないか、くだらない。」位に思っていました。
でもやっぱりそれって、自分の殻に籠もっているのでは?
視野が狭いのでは?と思いもっと気楽にこうした番組もみて見ました。
するとやはり自分の未熟さを感じました。くだらない意見の人もいるけど意見、考えは100人居たら100通りです。自分の考えに自信を持つのも結構ですが、視野はいつも広くしておきたいものです。

今passagenさんが生活しているこの国も民主主義です。民主主義の前提はやはり話し合いではないでしょうか?
結果的には多数決の場合が多いですが、小数の意見も聞くのが民主主義だと僕は思います。そうした話し合いで秩序を作っているのではないでしょうか。そうして自分にとって良い環境を作っていくと思います。
別にそうした話し合いにも参加しなくても良いとは思いますが、それではロボットと変わらないですね。他人の決めたルールにしか乗っていけないなんて、、、悲しいですね。

もっと気楽に話し合いに参加してみてはどうでしょうか?
腹もたつ時もあるけどそんなのは当たり前。きっと得るものはあると思います。
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 Sassyさんの言われるとおり、時と場合によりけりですね。

例えば外科手術中だったら、執刀医は絶対権力者でなければいけないでしょう。いちいち話し合っていると…
「執刀医として発言する。腹壁を中型リチャードソンで寄せて、胃を中に収めながら脾臓を持ち上げ、間膜を止めよう」
「助手の立場から発言します。ここは扁桃鉗子ではなくてケリー鉗子を用いましょう」
「ナースとして発言します。血圧が降下しています。ぺペロンチーノを15ミリ投与すべきです」
「いや、ここは20ミリだろう。執刀医としての見解だが」
とか話し合っているうちに、
「患者として発言します。早く済ませてほしいのですが…血、けっこう出てるし…」
……
「麻酔医としての立場から発言します。…麻酔が…切れたようです…」
と…、なかなか楽しい世界になってしまいます。
 どれほど民主的な国であっても、手術室では執刀医は「独裁者」であるはずです。

 この他にもスポーツなどでは選手が指導者に従うことは必要でしょうし、会社運営も話し合いばかりではなくて経営センスに優れた人の決断が求められる場合もあるでしょう。そして政治レベルでも、緊急時や非常事態の時は強いリーダーシップを発揮できる人間に判断を委ねた方が事を効率的に処理できる場合もありそうです。
 でも「超人による専制政治」を常態にしてしまうのはどうでしょうね。本当にその人が「完璧な叡智を備えた超人」であればよいのですが、それをどのように決定し、どのように検証するのかに問題が残ります。半世紀前のドイツでは、その決定のプロセスが「民主的に」行われました。スターリン時代のソ連や北朝鮮では「党」が決めているようです(北朝鮮では「血筋」もアリですね)。そして個人崇拝へ。
 どうもここは、「誰が真に超人であるかは決定・検証できない」と推定して、たとえ衆愚政治のボロクソ民主主義であっても、これを耐えていくほうがよいように思います。でないと、「人民の鳴り止まぬ拍手」型の全体主義になってしまう。…眼を輝かせながら「偉大な指導者ホニャララ閣下」を熱烈に賛美する自分の姿、想像したくないです。

 「話し合い」…たしかに、かったるいですね。ときどき対立もある。苦しかったり、つらかったりします。逃げたっていいと思いますよ、時には。
 でも、誰も彼もが話し合いから逃げてしまうということに、むしろ衆愚政治の病根があるように思うのです。つらくたって、苦しくったって、逃げちゃいけない時というのは、ある。
 E・フロムの『自由からの逃走』をお勧めします。
eut
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dragon-2さんのご意見はプラトンの哲人政治ということですね。

これもこれで一法であり、それが場になじむこともあります。この手段を使うべきところで話し合いをやったことのある私は、場を混乱させてしまいました。
cricketさんのテレビについてのご意見は、テレビのプロデューサーが望むところであり、むしろ結論が出てしまったらテレビなんて全く面白くないものです。

ご質問ですが、その場その場に応じた対応が必要かと存じます。会社の話し合いでしょうか。ゼミやサークルの話し合いでしょうか。人数はいかがでしょうか。それら諸条件によって、話し合いの内容や適切なやり方も変わってくると思います。

>今まで話し合できめたことで、ろくなことがありません。
全部が全部、そうでしたか? 小学校の学級会まで溯って、そうでしかなければ、passagenさんのことが悲しくもなってきます。

>大勢になると、でてくることが、良くて正しいことばかりで、
とありますが、ならば守ればいいだけの話。passagenさんが悪くて間違ったことをしているともとれますよ。

反論が怖いのでしょうか。
それはそれで恐怖から抜け出す必要があると思います。

それから、
>『ご説ごもっとも別の話題に』
と言っても抜け出せるわけがないでしょう。また降りかかるは別の話し合い事項です。

私は話し合いで皆の意見を尊重し、時には自説を曲げてコンセンサスを見つけることこそ肝要と考えます。おかしいなと思ったら、また話し合えばよいのです。
もし、「ろくなことがない」のであれば、ご自身で代替プランをお持ちのはずですから、それを会議の場で主張してみてはいかがでしょうか。それぐらいの気持ちはおありではありませんか?
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この回答へのお礼

私は、販売の仕事をしてます。例えば店できめたことありますよね。いくらで売るとか、でも客に値切られたら、もし安くしたら、売れるなら、売りたいです。たとえ、みんなで決めた売価でも、なし崩しにしても、売りたいです。これは、一例です。店の中でしか、通用しない正義は、小さい正義でしかないのでしょうか。客と共有できない正義は、話し合いは、いつも、この小さい正義を決めているような気がします。プラトンは、商売人が、嫌いなのは、有名な話しです。クラスの話し合いは、クラスの中でしか通用しないし、会社の会議は、会社の中でしか通用しない。もし、営業の仕事で、相手の立場に立ちつつ、会社の立場に立たないと、営業の仕事は、つとまらないとすれば、会社の中でしか役にたたないこと、話し合いで決めてもしょうがないと、思います。

お礼日時:2001/02/26 03:05

dragon-2さんと同感です。


怒られるかもしれませんが、passagenさんはB型ですか?
確かにTVから発せられるご意見は一方的で、側面的で素直に受け止められないものも多数ありますよね。
会議が多い、長い会社はろくなもんじゃない、というのも事実?でしょう。「普通」の人々がいくら頭を振り絞っても普通以上の答えなど出ないでしょうし、その時の雰囲気やハヤリで挙手が流れたり、一部の声高の人の意見が通りやすいのも事実ですが、会議で自分の意見を通すのも「能力」なのでしょう。
口数が少ない事は昔の日本では美徳とされましたが、昨今の特にビジネス界では「有言実行」です。
話し合いにアレルゲンが出るのは、即時的に「言語」をタイミングよく発せられない、いわばボキャボラリーの欠如タイプの人が多いと思います。例外は有るのでしょうけど、頭の中では「なんか違うんじゃないかなぁ」と思いつつもその瞬間にそれを明瞭な「言語」で説明できずに口をつぐんでしまう場面が人生のなかに多い人は、当然、話し合い、という行為に嫌悪感を抱くでしょう。
脳の中で、感じてる「何か」と自分の口から発せられる「言葉、意見、考え」のギャップがストレスとなってる様に感じます。
ネタマズ、ヒガマズ、バカな人間のご意見も聞いてあげてください。
「話し合いで決めた事は大事か」
とありましたが、大事じゃありません。単なる手段なんです。
人間の気持ちや、意見を正確に表現できるほど「言語」は万能ではありません。英語でも中国語でもね。
その不自由さを補う為に、いっぱい「話し合いましょう」
あなたが「話し合い」が好きか嫌いかなど、会社や社会には関係ありません。手段なんだと思います。
やさしく言えなくてすみませんでした。
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 現在の日本社会は俗に言われる「民主主義」なんていうことが一番大切であるとされています。

この俗なる「民主主義」は会議の合意が最重要なんです。ところが、ものの本質は、一般人には理解し難く、一部有能な人のみが理解しうることがある。(差別的発言と取られるかもしれません。)
 これ以降は、人権感覚無視で発言しますから、ダメだという方は批判して下さい。
 そもそも、英知が最高に備わった指導者についていけばいいのです。そんな人がいればですけど。ちょっと、突飛な発言ですが、この世の中にどれだけの人がアインシュタインの「相対性理論」を理解しているのですか。いる方の人数が少ない。でも真実は「相対性理論」に近い。理解できなくても、その人の言うことを信じ行動すればいい。テレビの仕組みを理解して使っていますか?理解しなくても「見る」ことは出来ますね。
 だから、愚衆政治より、超人の専制政治が優れています。
 「超人」=全ての英知を持った人
と、考えます。
 今の日本はひどいですね。・・・・・
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テレビ番組での、そんな討論ってのは、ただ面白ければいい訳で、大騒ぎになったらしめた物です。


別に結論なんて誰も求めちゃいないだろうし、出す気もないでしょう。

実生活の中では人それぞれに意見も価値観も常識も違いますから、平和的に解決しようと思えば、まず話し合うことですね。
この場合はいかなる形であろうとも結論を出さなくてはいけません。
折衷案でも妥協点でも鶴の一声でもごり押しでも、
問題を解決しない限り前に進めませんから。
そして更に問題が発生すれば又話し合うわけです。
それが社会の進歩に繋がるのです。
まぁ、信じがたいかも知れませんが、本来はそうなんです。

ご質問の文を読んでいると、ただ議論することから逃げていらっしゃるご様子。
確かにうっとうしい事ではあります。
が、議論から逃げて「御説ごもっとも」としているならば
他人の言いなりになることを承諾しているわけで、
こんな場所であってでも、文句を言う筋合いの物ではありません。

もっと大きくなるとわかると思います。
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