最近はやってるよねえ、話し合。ここが、ヘンだよ日本人とか、朝まで生テレビみたいの、NHK教育でも、なんか生理的にあいません。今まで話し合できめたことで、ろくなことがありません。二人だったらいいけど、大勢になると、でてくることが、良くて正しいことばかりで、みんなで、きめたから守れよみたいな事言われたら、なんか窮屈で、前のほうが仕事やりやすかったのに、みたいな事がよくあります。反論されるたびに私は、『ご説ごもっとも別の話題に』と言いたくなります。ぬけ出すこと、質問からぬけ出すこと、それだけです。みなさん、話し合いできめた事大事だとおもいますか?会議の多い会社ほどろくな会社じゃないと、いいますし

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A 回答 (20件中1~10件)

 Passageはね、フランス語のpassage(パッサージュ)から入った単語で、ドイツ語でPassagenと表記すると「道路・街路・水路」の複数形になる。

だから意味はそのとおり。
 ギリシア神話で道路の神様、知ってる? ヘルメスなんだ。浅田彰読んでるから知ってるか…。ヘルメスはね、翻訳と解釈の神であり、商業の神でもある。「別々のものを結びつける」神様なんだね。別々のものの間に、道を通じる神なんだ。

 たくさんの他者がいる。それは時として暴力にも似る。個に内蔵された暴力が少数者に集中されることで社会が形成されるという話もある(ルネ・ジラール)。
 でも君は「道を通じる者」だ。「圧倒する他」の中を駆け巡り、商売をしている。友達だっている。「圧倒する他」の中に道を通じることができると信じる。「正当な目的」を果たすことができると信じる。君の腕力で「他」に協力させながら。少しずつでいいから。

 君の言葉には「詩」を感じる。また書いてくれ。
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圧倒的の物事に出会うと、人は手をあわせる事しかできない。

広島の原爆の直後では、言葉さえ無力である。

ある、おじいさんいわく、昔はね、一生懸命働けば、店がもて、今はだめだねー、こー、ふくらんじゃ

ふくらんじゃたいま、店なんてもてないし、倦怠と気晴らしの連続

どうして近代になるにしたがって、個人が、正当な目的を自分の腕力で実現することの許される分野が減らされるのか?

相互に思いやりと配慮をしあいながら、教養豊かに無為のうちに生きる自由な人々が、法がはらんでる神話的暴力をいかに助長し、いかにそれに無抵抗であり、結局はその暴力の祭壇に犠牲になっていく

この不自由さに、大袈裟に驚くべきである。

passagenより

passagenって、ドイツ語だと思います。道という意味なのかな。
道路の上で、接客してました。
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事務局の方へ不具合がなおり次第、littlekissのこの文は削除してください。



Passagenさんへ
いま、事務局へアクシデント発生!!と、メ-ル流しときまし。
早ければ、金曜日中に質問者として書き込みつづけられるようになると思います。
ここを気にしながら読ませてもらってる読者としては、このまま話がとまってしまうのはとても残念に思います。oni_ocさんやSerpent-owlさんへPassagenさんはなんて言葉を返されるのかな?と、とても興味のあるところです。お話しつづけてくださいね。Passagenさんが書き込みできるように早くなおれ~チチィンプイプイ~♪
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最悪です。

ログアウトって何。ログアウトしたら、元に戻らなくなりました。覆水盆にかえらず。元passagen
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 東京で一番売る店員なんですか! すごいじゃないですか。

少なくともこれは言える。あなたは「客」という「自分を高めるための敵」と堂々と渡り合って、そして勝っている。
 客なんて、しょせん札束じゃないですか。金出してくれりゃいいんです。まごころ? お役様への感謝? そんなもの、「仮面」でいい。あなたはこの仮面を愛しながら憎悪しつつ客と戦えばいい。必要なのは「買う客か、ただの冷やかしか」見破る冷静な人間観察力と、相手の欲望と恐れを冷徹に解剖しえぐり出す眼と耳です。それで相手をズタズタにすればいい。そうすれば客は、あなたの手の中でしわくちゃになって死にます。何だか顔が福沢諭吉に似てます。レジに葬りましょう。そしてちょっと感謝しましょう。自分を高めてくれたことに。

 それに、本をたくさん読んでるんだね。『構造と力』…なつかしいなぁ。それじゃ、「脱コード化」の話は覚えていますか? クラインの壷みたいな図で説明されていたやつ。循環し回転する貨幣が、差異を片っ端からミンチのようにすり潰していくという話。
 職場のつまらない決まり事なんてね、超高速で回転する福沢諭吉の顔を書いた紙切れにズタズタに切り裂かれますよ。放っておいてもね。資本主義ってのは人間が御しきれる馬じゃない。テンチョーさんの思惑とか、ミナサンのハナシアイなんて、あっと言う間に粉砕される。
 それがもし現場に非効率をもたらして、店の営業にもマイナスになると思うなら、それを堂々と主張すればいい。「これだけ売ってるオレが言うんだ、コレは、ジャマだ!」ってね。
 ブチ壊せ! 叩きつづけろ! 自分を高めるために!

 passagen
 君は貨幣舞い散る空を飛べ。高く、高く。
 そして秋葉原の覇者となれ。
 私はここで、そんな君の夢を見るから。
ik@
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>生産と交通は、違います。

ここを、ハッキリしないから、的をはずします。
>例えば、メーカーなどの、生産をしてる会社は、全員が独断専攻したら、
>物は作れません。全員が、歯車になることによって、
>すばらしい製品が作れます。これは、すばらしいことだと思います。
>でも、交通、あちらと、こちらを結びつける機能の仕事、
>例えば、販売などは、約束事は、なし崩しにしないと、うまくいきません。
>生産とは、交通を制約しないと、成り立ちません。その、交通の仕事まで、
>生産の論理でおおいつくそうとしてるのが、窮屈にしたり、
>人を悩ますような気がします。

何を隠そう僕も販売業をしていたことがあります。某大手量販店で。
正直、思うのはここで、僕が言いたいのは、「歯車だとあきらめろ」
ではないのです。(serpent-owlさんが援護してくれてるようなので、
中略)つまり、仕事っていうのは「苦労を売って、お金をもらう」こと、
だと僕は思うので、割り切りましょうということです。
(え?同じに聞こえるって?違うんだなぁ、これ。)
「あきらめる」のはマイナス思考ですが、「割り切る」のはプラス思考。
結果は同じに見えても、その先が違います。
「あきらめ」てクヨクヨするより、ポジティブに行きましょうって言いたかったんです。

だから、
「話し合いを面白くないモノにしているのはあなたの考え方だし、
面白くするのはあなたの考え方なのです。」
と前回は終わったわけです。
否定から生まれるものは、そのさらに否定なわけで、先はありません。
一度、肯定まではしなくとも、受け入れなきゃ変わりません。
その上で、どう変えてきゃいいのか考えることが必要なんです。
(これserpent-owlさんの言われる「守・離・破」と同じです)
ただ、イヤというのでなく、相手に受け入れられる方法で、
イヤな理由を説明するようにしましょう。話のわかる人なら
聞いてくれるはずです。これ、コミュニケーション。
で、自分を発見する

「あ、話し合いできるじゃん...」
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 さっそくですが、ちょっと厳しく。

(^^;
 「奴隷の哲学を説く人の方が現実的には強いが、その考え方に巻き込まれたくない」…とのこと。でも、passagenさん、もう巻き込まれていませんか? 現実生活の中で。職場での決まりごとに、いやいやながら従っていませんか。
 それってニーチェの言う「弱者の弱々しいja(yes)」でしょう。決めたやつらに対する怨恨と嫉妬の念を、綿にくるんだように隠し持ちつつ、「はい」と言う。ニーチェが見たら、笑うかもしれませんよ。
 ニーチェの「火のような言葉」。これを不用意に引用すると誤解を招きやすいのですが、ここは敢えて引用しましょう。ニーチェは、自分以外の他者を「自分を高めるための敵、ないし道具」と捉えています。「超人」へ向けて自己超越していくための。(ただ、超人には決してなれないのですが。ツァラトストラ自身も超人ではありませんし。)
 そして彼は、この「敵ないし道具」に対しては、憎悪を向けると同時に感謝の念も持たねばならないとしています。
 Passagenさんは、自分の「敵ないし道具」と戦っていますか? どうですか?
 そうです。結局「話し合う」しかないのです。

 ちょっと話が飛びますが、能などの芸道思想に「守・離・破」というのがあります。
 「守」は師範の教えを忠実に守ること
 「離」はその教えを客観的に見つめること
 「破」はその教えを乗り越えていくこと
を意味します。
 これらはすべて、「敵ないし道具」を憎悪し、戦い、そして感謝する形式だと思います。この順番で、いいですか、「この順番で」、対応するものだと思います。
 ここでの前の方の意見を、「社会人で世の中の歯車なんだから、逆らうより乗っちゃった方がいいよ」というふうに捉えておいでですね。
 それは違います。あてはめてみれば、上記の「守」にあたる態度を述べておられるのです。そして、それで終われとは言っておられません。ニーチェの考えに従えば、あなたはあなた以外の人間から見て「歯車」「道具」でありえます。ですが、あなた自身にとっては、あなたは決して「歯車」「道具」ではありえないはずです。ならば逆に自分以外の他者を「歯車」「道具」として「離れ・破る」ことができるはずです。
 あなたは、「これからの人」ですよ。

 意味のない人生! ならばもう一度!
her
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この回答へのお礼

なんか、すごい文章。感動しました。世の中すごい人いるもんだ。芸道思想の『守、離、破』は、駱駝、獅子、幼子に、対応するのですか?三段階変化、人間は、言語に頼らないと、生きていけないから、守、離、破を、信じないと。とても参考になりました。さて、高校卒業して、ほんと誰とも喋りたくなかった。2年間、親とも友達ともしゃべれなかったです。毎日、自転車で図書館にいって、本を読んでました。ただ、それだけです。暗い青春、ちゅらい青春。とにかく、手当たり次第読みました。この本を読んだら人生が変わるように、そんな気持ちで本を読んでました。最初にこれは、すごいと思ったのは、岸田秀の『ものぐさ精神分析』です。人間の本能が、壊れてるから、幻想を持たないと、生きていけない、そんな内ようだったと、思います。なにか、取りつかれたように、本を読んでました。今だったら、引きこもりっていう言葉があるから、いいけど、なかったし、引きこもりだった。かな?浅田彰の、構造と力にも、影響うけました。あと、橋本治にも、影響うけました。でも、自分の考えの基になってるのは、商売だと思います。図書館がよいは、やめて、秋葉原で働くことに、なりました。たまたま、あるメーカが人を募集していて、秋葉原で働くことになりました。2年間誰とも、口を聞いてなかったし、最初は、不安だったけど、だんだん馴れてきて、商売の可能性の中心は、無邪気で命知らずで、数うちゃ当たるを、ラジカルに実践してました。そしたら、東京で一番売る店員に、なりました。僕にとって、商売は、大事です。商売から、出てくる考えが、大事です。でも、最近の商売の仕組みが、変わってきて、それを、乗り越えたいです。break through on the other side
なんか、よくわからなくなってきたので、ここでやめます。

お礼日時:2001/02/28 00:26

 YUMKさん宛ての「お礼」、拝見しました。


 あなたが人生の迷子なら、どうでしょう、この場に居場所を見つけては。この質問をしばらく閉じずに、いろいろな意見を聞いてみては? そして時々言葉を返せばいいです。
   時間があるとき
   そして気が向いたとき
   自分に「波長が合う」発言に対してだけ
 それでいいですから。続けましょう。1年でも2年でも。

 YUMKさん宛てのお礼、とても筋が通っていますよ。「お母さん」と「女優さん」の対比、それに「公園」の話、説得力があります。あなたは他人と話し合えない人ではない。
 それに、挙げておられるニーチェ。私も大好きです。深く尊敬しています。でも…実は…ニーチェは「哲学者」ではなかったのです。というか、「あんた、哲学者?」とか聞いたら、ニーチェさんはあのおヒゲをぷるぷるさせて「フン!」と言ったかもしれません。
 ニーチェは「反・哲学者」だったのです。
 にもかかわらず、しかしやはり、彼は哲学者なのです。
 おわかりですか?

 「良くて正しいこと」とは何かを問い、創造するのも哲学の仕事ですが、それを疑い、問い直し、批判して、ブチ壊すのも哲学の仕事なのです。だから「良くて正しいこと」に警戒の気持ちを持つことは、間違っていません。ただpassagenさんの立場と違うのは、「学問の世界では、言葉が唯一の武器だ」という点です。「波長が合う・合わない」ではなく、コトバで問い直し、コトバで批判して、コトバでブチ壊すのです(ニーチェの火のような言葉も、そのためにありました)。「話し合う」ことだけが唯一の方法なのです。そしてその点では、この場所も同じです。ここにはコトバしか書けません。コトバを書けばそれが「意味」を生み出します。「沈黙」には「沈黙」というその言葉そのものの意味しかありません。この場では。
 だから言葉を返して下さい。
   時間があるとき
   気が向いたとき
   波長が合う発言に対してだけ
でいいですから。

 それから、私のこの発言の意図、どうせすぐバレますから言っちゃいますが、passagenさんに「いつの間にか話し合ってる自分」を発見していただきたいということにあります。でもそれ以上に、passagenさんに「魂の居場所」を見つけてほしいという願いがあります。
 …これから先、厳しい意見もあるかもしれません(私が言うかもしれません)。その時は「うわっ」と眼をつぶりましょう。でも、そのあと恐る恐る薄目を開けて、その意見を見てみましょう。言葉は噛み付きゃしませんから。
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この回答へのお礼

夏目漱石の草枕って知ってる?山を登りながら、考えた。智に働けば、角がたち、情にさおさせば、流される、意地をとうせば、窮屈だ、とかくこの世は、生きにくい。あってるか、自信ありませんが、こんな書き出しだったと思います。この本読んだ時、自分と同じ事考えてる人がいて、それも有名人で、とてもうれしかったです。僕の文章に反応してくれてありがとう。友達から、人生の迷子だねって言われて、迷子のこと考えました。生きるのは、難しいよ、永遠の問題だね、最近ショックだったのは、商品には、ライフサイクルがあるって話しを読んだんだ、市場の中の商品は、ライフサイクルが、あって、新製品でも、時間がたつにしたがって、商品の価値が低くなる。これって、日々体験してることで、あたりまえの事だけど、今自分の信じてることが、不偏的なことじゃなくて、真理さえ、古びてしまうと、考えると、驚きです。ニーチェ流に言えば、永劫回帰、真理さえ、カオス化して、もう一度あらわれる。そんな感じです。良くて、正しいことは、永遠に、正しくない。人の心を、窮屈にするのは、正しくないと、思います。あなたの前に書いてくれたのを、ざーと読んだけど、社会人で、世の中の、歯車なんだから、逆らうより、乗っちゃった方が、いいよ。そんな、意見でした。それって、奴隷の哲学のような気がします。今が楽しければいい、そんな、奴隷の哲学を説く人の方が、現実的には、強いけど、そんな、考えには、巻き込まれたくありません なんだかまとまらないけど、そんな、こんな感じです

お礼日時:2001/02/26 23:53

『みんなで、きめたから守れよみたいな事言われたら、なんか窮屈で、前のほうが仕事やりやすかったのに、みたいなことよくあります。

・・・・云々』と、かかれておられましたね。

『決めたからまもれ!』確かに窮屈に感じることもしばしば、、、ただ、ここで気持ちくさらせて投げ出してしまうのも上手くないですね。一度、みんなで決めたことをおしすすめていってその中で、『こりゃぁ~上手くないぞ?』って思える感じることが生じた場合、一度決めたことであっても不具合を調整するごとく再び『話し合う』ことやめちゃ進歩ナシです―☆それとは別にあなたが感じられた、『前のほうが仕事やりやすかった』という率直な感想をもつこと大事です!!ある意味問題意識がそこで芽生えています。何も考えず、ただ決まったことを着実に機械のように守りつづけるのもいただけません。新たなものを生み出す場合、そのときはチンケな意見にみえてもそれをきっかけに物事が発展していくことあるんじゃないのかなぁ~?前のほうが仕事やりやすかったというなら・・・・今の現状と対比させてお話されれば、話をする相手にあなたの考えを上手く伝えることができるんじゃないでしょうか―。どうも、ご自分の意とするところが、相手に上手く伝えきれず、そのせいであなたの意見を無視されたようにお感じのご様子?そんなことが続くと『もういいや~』と投げ出したような気持ちになられたのではないですか?『?』疑問に思う気持ちなくさないでください。疑問を解決するべくいろいろてさぐりしながら始めてくださいね。自分の疑問を解き明かす為には、より多くの人と話をすること(いろんな意見・考えに触れる)きっと、あなたのためになるはずです。言葉を発することやめないでくださいね。(投げやりにならないこと)

ここでのわたしの回答は、話し合いは、話し合う互いの(相手の)考えを理解しあえた場合には、とても有益にことがなす。よい結果をうむとおもいます。
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話し合いってはやるとかはやらないってモノでもないと思いますが。


単に必要だからするんですよ。
テレビの場合は違うかもしれないけど。
で、生理的に合わないとまで、おっしゃるのなら、見なければよい。
テレビの場合はね。

会社の会議は他の方も言われている通り、必要だからするんです。
で、そこで、「でてくることが、良くて正しいことばかり」などと
言っても仕方ありません。これ社会のルールだから。
(これも「良くて正しいこと」でしょうか?)
で、ここで、少し視点をずらしてみましょう。
あなたは会社から給料をもらっている社会の歯車です。もちろん僕も。
ここでは、自分の意見など通りません。第一とされるのは会社の利益です。
これはあなたの快・不快はなんら問題にされません。これ当たり前。
で、これはよいことでも正しいことでもありません。単なる仕組みです。
これは事実として受け止めましょう。話し合わないで全員が独断専行
してたら、会社自体が崩壊しますからね。
そしたら、あなたは職を失います。

で、これを理解してもらったと仮定した上で、もう一言。
話し合いは面白いものではありません。でもそれが人付き合いってやつです。
で、話し合いを面白くないモノにしているのはあなたの考え方だし、
面白くするのはあなたの考え方なのです。
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この回答へのお礼

答えてくれてありがとう。でもね、会社、歯車、の比喩で説得するのは、理解できません。

生産と交通は、違います。ここを、ハッキリしないから、的をはずします。例えば、メーカーなどの、生産をしてる会社は、全員が独断専攻したら、物は作れません。全員が、歯車になることによって、すばらしい製品が作れます。これは、すばらしいことだと思います。でも、交通、あちらと、こちらを結びつける機能の仕事、例えば、販売などは、約束事は、なし崩しにしないと、うまくいきません。生産とは、交通を制約しないと、成り立ちません。その、交通の仕事まで、生産の論理でおおいつくそうとしてるのが、窮屈にしたり、人を悩ますような気がします。

お礼日時:2001/02/27 00:51

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Q正論を言って何が悪いの?

正論を言って何が悪いの? 森元首相の「浅田真央は大事なところでいつも転んでいる、」やNHK会長の「従軍慰安婦は戦争地域にはどこにもあった」という言葉のどこが失言なんでしょうか。 事実を言っているだけですよね。間違ったことでもなければ嘘でもない、正論です。 これを失言だ、暴言だと批判するのはおかしいと思うのですが。

Aベストアンサー

正論の正確な解釈はなんでしょうね、
多くに流されずに、
良いことは良い、悪い事は悪いというという事であれば、

今回の件、
真央ちゃんは、実際は毎回大事な所でこけている訳ではないので、
結果、軽はずみに いたずらに中傷になって しまっています。

森元首相のこの吐露に対して、
本意をかばうフォローする意見が TVでいくつか 見かけましたが、
事実と違うという事すら かばえる知識も皆さん ないようなので、
逆にそうだったのか、とすら思わせるような、名誉棄損にもなっていますね。

森元首相の言葉事態が、ご本人の 伝えたい本意に沿う言葉の選択で 誤ったにしろ
かばいようもない言葉の羅列であるには違いないにも 関わらず、

まるで知ってるかの様に言っているのも 、明らか 間違っています。

事実にもとづくのが 正論では、ないのでしょうか?。

Q理論的に説明してみると全く逆のことを言ってしまったときなどのことをなんと言うのでしょうか?

こんにちは。

例えば、そうですねえ…
適当に思いついたのですけど理論的に「食べ物は美味しくなければならない」と「食べ物は美味しくてはけない」という結論を出してしまったときのことを言い表す言葉って無いでしょうか?

それとこれはまるっきり国語の問題ですが、この質問のタイトルに「全く逆の~」と書きましたがなんか違いますよね。なんと言えばよいのでしょうか……?

教えてください。

Aベストアンサー

論理学ではmkstさんのご指摘のように「矛盾」ですね。その逆は「無矛盾」となります。前提と違った答えが導かれることを「矛盾」、前提と同じ答えが導かれることを「無矛盾」といいます。
面白いことに前提はいたるところ体系内で「無矛盾」であるが、その「無矛盾性」を証明できないというゲーデルの不完全性定理というのもあります。論理学で調べられるともっと詳しくわかると思います。

Q正論の使い方

始めに カテの選択が適切でないかもしれません。

私は正義感が強い方です。
もちろん 責任感もしっかり心得ているつもりです。
そして 正論に添って考え 行動をしてきました。
友人知人にも恵まれ 相談もよく持ちかけられ
その都度 正論に添って 対応してきました。
でも 世間では正論のつかう人を 
こころよく思われていないように感じます。

つまり 正論の使い方?が問題かと思います。

【正論は正しい】
【しかし正論を振りかざしてはいけない】
【正論を言う人は嫌われる。】

だれもが正しいと思っていることが正論なのに
これは評論家(コメンテイター)のように
言葉だけ(発言だけ)で行動が伴わないという解釈でしょうか?
正論はどのように使われるべきなのでしょうか?
どのように つかうものなのですか?
教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

No.1です。
補足をありがとうございます。
感情移入は避け、偏りが無くて中立である・・・
確かにそうあるべきが、一般論かも知れません。
ですが、それを実際に言動するならば
「非人情的」であるように受け取られます。
そして、実際のケースには当てはまらないような場合も多いです。
感情的で、同調や共感などがあってこそが「持論」であり
それが「世間」にとってではなく、「自分」にとっての正論と成り得る・・・
そういうモノではないでしょうか?
人は神や仏ではありません。
聖人君子をまざすのならば、それもまた修行であるのかも知れませんが。。。

Q「ソ連の崩壊=社会主義の夢の崩壊」に対する反論とは

「ソ連の崩壊が共産主義のみならず、社会主義者の夢=非階級社会の実現をもうち砕いた。だから今フランスの社会主義者達はアイデンティティを失って困ってる」ってフランスのテレビで言ってました。

 日本は勝ち組負け組みなんて言っているけれど、フランス、イギリスに比べると、まだまだ一億総中流な気がするのでこういう意見はぴんと来ないなあ、と思って聞いていました。

 でもよく考えたら、私は日本ではソ連が崩壊して十年以上たった今、この問題についてどんな論点が出ているのかはっきりと把握しておりません(ソ連崩壊時にはまだ物心ついていませんでしたし)。

 この問題に関して、日本ではどんな議論が行われていたのか、誰か教えていただけませんか。比較的中立の立場から、論点を整理してくださるととてもありがたいです。

 素人の想像ですが、「ソ連の崩壊=社会主義の原理的な失敗」派と、「ソ連の崩壊=社会主義の局地的失敗」派と2派があって、前者の方が多数派である、という風に思い込んでいるのですが、正しいですか?
もし正しければ、そういう風になっちゃった経緯なども教えていただけると助かります。

「ソ連の崩壊が共産主義のみならず、社会主義者の夢=非階級社会の実現をもうち砕いた。だから今フランスの社会主義者達はアイデンティティを失って困ってる」ってフランスのテレビで言ってました。

 日本は勝ち組負け組みなんて言っているけれど、フランス、イギリスに比べると、まだまだ一億総中流な気がするのでこういう意見はぴんと来ないなあ、と思って聞いていました。

 でもよく考えたら、私は日本ではソ連が崩壊して十年以上たった今、この問題についてどんな論点が出ているのかはっきりと把握し...続きを読む

Aベストアンサー

共産主義(ここでは社会主義も含んでのものだと考えてください)は
 20世紀最大の(政治的)実験と呼ばれていました。
 
 その前にイギリスから始まった産業革命によって、世界はいわゆる
 「産業資本主義」の時代に入るのですが、これは「金=資本」を持ったものが
 世の中を支配し、「金=資本」を持たないものは、資本家から搾取される一方の
 プロレタリアート(労働者階級)としてますます没落していくという
 側面を持っていました。
 その社会的な矛盾を、著書「資本論」の中で指摘したのがごぞんじマルクスで、
 その結果、1917年ロシア革命を経て世界初の共産主義(社会主義)国家が成立します。
 
 共産主義理論は、ひとつの国が
 原始共産主義 → 封建主義(土地を持った者が支配する農業経済体制)
 → 資本主義 → 国家独占資本主義 
 → 社会主義 → 共産主義
 へと、理論どおりに政治経済体制(構造)が、一直線に進化していくことを予言し
 また事実、多くの国では初期の資本主義における構造矛盾を抱えていましたので
 その社会矛盾に苦しむ多くの無産階級(金=資本を持たない階級=労働者)
 の支持と共感を得ました。
 そして事実、多くの国で共産革命が成功し、そうした国では計画経済により不況もない
 失業者もいない、労働者のユートピアが実現されたとされたのです。
 
 今から考えると、信じられないことかもしれませんが、たとえば
 あの北朝鮮にしても、金日成氏は救国(人民開放)の大英雄であり、 多くの日本人(特に在日朝鮮人)が、
 あの国に行けばユートピアがあると信じて、日本海を越えて、再移住したのです。
 あるいは、ほとんどの日本の大学の経済学部では、ソ連崩壊までは
 マルクス理論が必須単位でした。それほどマルクス主義(共産主義)
 ユートピア論は根強かったのです。
 
 つぎに、ソ連が「原理的な失敗」か「局地的な失敗」かどうか?
 それを多くの人がどう考えているかですが、これははっきりしたデータがあるわけでは
 ありませんし、「共産主義」を真正面から論ずる人もごく少数になっています。
 したがって、マスコミ(言論界も含めて)の風潮や、共産党の退潮などの政治的流れで
 主観的に判断する以外にありませんがずばり言って
 声には出さないが「原理的失敗派」が95パーセント
 「局地的失敗派」が5パーセントの割合になっていると思います。

 

共産主義(ここでは社会主義も含んでのものだと考えてください)は
 20世紀最大の(政治的)実験と呼ばれていました。
 
 その前にイギリスから始まった産業革命によって、世界はいわゆる
 「産業資本主義」の時代に入るのですが、これは「金=資本」を持ったものが
 世の中を支配し、「金=資本」を持たないものは、資本家から搾取される一方の
 プロレタリアート(労働者階級)としてますます没落していくという
 側面を持っていました。
 その社会的な矛盾を、著書「資本論」の中で指摘した...続きを読む

Q正論は何故通じないのか

高校生です。

なぜ正論は他人に受け入れられることがないのでしょうか?

正論は他人に押し付けるべきではないとよく聞きますが、
そもそも正論に押し付けるも何もないような気がするのですが。

Aベストアンサー

人間弱いもので良くないとわかっていても
利己的な行動をとってしまう人たちもいます。
あるいは利己的な行動は当然だと考えている人もいるでしょう。

そこで正論ですが、正論である以上理屈だった反論ができないですよね。
なので正論を言う人に不快感だけが残ったりすることもあります。

具体的にどういった正論かはわかりませんが、
例えば「身障者の駐車スペースに駐車する健常者」がいたとしますね
それを正論で注意するのは簡単です。
でも、それで「ああっ、俺は間違っていたっ」ってなる人がいるでしょうか。
おそらく、うざったく思われるだけでしょう。
理解したうえでやっている人に言ってもしょうがない、あきらめでしょうかね。

本質的には理解してやっている人にも言い続けることは価値ある事だとは思います。
でも、他人に対して正論(ルールを守るように)を言う人は少なくなってきました。
結果、昔だったら皆から注意されることが面倒だからしぶしぶルールを守る人もいたんでしょうけど、
注意する人が少数になって我侭をおさえることが難しい社会になってきました。

論点がそれてたらごめんなさい。

人間弱いもので良くないとわかっていても
利己的な行動をとってしまう人たちもいます。
あるいは利己的な行動は当然だと考えている人もいるでしょう。

そこで正論ですが、正論である以上理屈だった反論ができないですよね。
なので正論を言う人に不快感だけが残ったりすることもあります。

具体的にどういった正論かはわかりませんが、
例えば「身障者の駐車スペースに駐車する健常者」がいたとしますね
それを正論で注意するのは簡単です。
でも、それで「ああっ、俺は間違っていたっ」ってなる人がいるでしょ...続きを読む

Q運命はきめられているのですか? それとも自分できりひらくものなのですか?

運命はきめられているのですか?
それとも自分できりひらくものなのですか?

Aベストアンサー

自分の生きざまは自分で切り開いて行くものです。出だしのスタートラインは不公平で、親の七光りがない者が大勢を占めています。でも、結局自分で切り開いて行く他に方法はありません。

運命の女神は、それに従う者の手を取って導き、それに従わない者の前髪を掴んで引きずって行きます。ですから、どんな境遇でも与えられた運命を受け入れて、その中で精一杯努力して生き抜いて行く。その中にだけ貴方は幸福を見出すこが出来ますが、それ以外の生き方は確実に貴方を不幸にしてしまいます。

運命の女神に従いつつ、運命の女神も想定外だったと喜んでくれるような幸せを手に入れるように、精一杯生きてください。

Q正論による反論とは何ですか?

正論による反論とは何でしょうか?

皆さんの「正論による反論の定義」を
具体的で簡単に教えて下さい。

それでは回答、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

正論や反論の定義は
『事実に基づく根拠』です。空想や直感ではなく経験から来る事実や、間違いの無い資料等が反論の根拠です。
全回答とあんまり変わってないか?……寝ます、
お休み、、

Q我思う、故に我ありに対する反論

この前デカルトの我思う、故に我ありについて話していたのですが、
「僕は自我は真実だし疑うことはできない」といったのですが「自我、つまり意志は言葉を使う。言葉なしでは意志できない。言葉が嘘なら自我も嘘だ」といわれました。
僕もその通りかなと思ってしまいました。
これはデカルトの反論になりえるでしょうか?

Aベストアンサー

なりえません

『方法序説』をお読みになれば理解できると思うのですが、
デカルトの「我思う、故に我あり」は

 ~仮に全能のデモンが私を(世界があるかのように)欺いているとしても、欺かれている私(の意思)は存在する~

と言う意味です。

言葉云々と言う反論をデカルト風に返すならば
「言葉と言う概念は嘘でも、その嘘を認識している私は存在している」

また、「言葉なしでは意志できない」の根拠は何でしょうか?
言葉を持っている人間の傲慢のようにも感じられます。

Q『正論』ってつまり何?

よく「それは正論だけど」とか「あの人は正論を言うんだよね」など,否定的な意味で使われますよね?
「ただしい論」なんだから正しいんでしょうよ。っと思うけど,一般的に違うように使われますよね。
「よのなかセオリー通りには行かない」とか「正義感振りまいて!」みたいなニュアンスで…。
つまり皆さんにとって「正論」って何ですか?
ネガティブ・幼稚なものなのですか?
教えてください。

Aベストアンサー

「正論」は、割とネガティブな感じで使いますね。提示してある例の通りと言うんでしょうか。

「そりゃあ、分かってるよ。じゃあ、その正論を実現する為の方法を言ってよ。じゃないと、意味ないじゃん。」みたいな感じですかね。「言ってることは正しいけど」の「けど」が言いたいことなんですよね。「けどできない」とか「けど分からない」とか。。。

そういう意味では、人を納得させるだけのことを提示できなくて分かり切った事を言う「だけ」の時に私なんかは使うので、その言った相手を幼稚とも捕らえてしまうかもしれないですね。

Qなんで「五時八教の教判」なんかを多くの人が信じているのか?

 自民党は、相変らず公明党と連立政権を組んでいます。
 この民主主義国家のはずの日本で、カルト宗教政党が日本の「与党」となって政治を動かしている現状に、実に寒々しいものを感じます。
 さて、創価学会についてですが、彼等は自分達の宗教だけが唯一絶対の正しい教えで、他の宗教は、仏教系他宗派は「邪宗」,キリスト教などの他宗教は「外道」などと呼び、滅ぶべき宗教だと主張しています。
 どこからそんな誇大妄想のような思想が出てくるかですが、大元を探ると、「五時八教の教判」という思想に行き着きます。仏教の開祖・釈尊(いわゆるお釈迦様)は、一生の間に5つの段階を経て教えを説いた、というものです。世の中に経典の数は多く、内容的に矛盾したものが多い。それは実はいきなり真実の教えを説いても人々が理解できないので、段階を追って説いたのだ、そして最後に説いた「法華経」こそ真実の経典である。その法華経の正しさを説いた“日蓮聖人(などと私は呼びたくないが)”こそ真実の仏だ。…というのが創価学会の主張であり、学会員はみんなこれを唯一絶対の事実として信じ込まされています。
 しかし、自分達が何を信じようが勝手ですが、現在は「大乗非仏説」すなわち大乗仏教経典は、釈迦が説いた教えではなく、釈迦の死後数百年後にさまざまなグループによって各々創作された“フィクション”の産物だということが、学問上,歴史学上の定説になっています。作者がそれぞれ異なるのですから、内容に矛盾があって当然です。一方「五時八教の教判」が歴史的事実だなどという主張には、何の学問上の根拠もありません。まことに馬鹿馬鹿しい限りです。
 何で、世の中の仏教学者・歴史学者はこのことをもっと世間に訴えないのでしょうか? 真実を知れば、現在の創価学会員の半分は脱会してしまうかも知れません。公明党だってなくなってしまうかもしれないのに…。

 自民党は、相変らず公明党と連立政権を組んでいます。
 この民主主義国家のはずの日本で、カルト宗教政党が日本の「与党」となって政治を動かしている現状に、実に寒々しいものを感じます。
 さて、創価学会についてですが、彼等は自分達の宗教だけが唯一絶対の正しい教えで、他の宗教は、仏教系他宗派は「邪宗」,キリスト教などの他宗教は「外道」などと呼び、滅ぶべき宗教だと主張しています。
 どこからそんな誇大妄想のような思想が出てくるかですが、大元を探ると、「五時八教の教判」という思想に...続きを読む

Aベストアンサー

> 狂気じみたことを主張するのでしょうか

それが、論理ではない、『教義』、『信仰』というものだと思います
信じてしまえば、どんな無茶苦茶なことでも、肯定しうるし、どんな信仰も、それを信じない者から見れば、狂気と看做しうるのです
他の宗派がそれほど独善的でないとしたら、それは単に教義が独善的に振舞うことを要求しないというだけであって、信仰に確信が無いとか、自派の教義が他派のそれより劣っていると思っているわけではないでしょう

> どうしてそんな馬鹿なことが許されるのでしょ
> うか

日本国憲法では信仰の自由、表現の自由が保障されています
また、政府は戦前の教訓から宗教の規制には非常に及び腰です
従って、許す許さないの問題にはなりえないのだと思います

> どうして日本の「与党」になって政治を牛耳っ
> ているのでしょうか

キャスティング・ボートを握れるタイミングで、それだけの勢力を持っていたからでしょうね
仏教宗派の中では例外的に攻撃的な折伏活動を展開したのが功を奏したとは言えるかもしれません

> 仏教学者,歴史学者は立ち上がって警鐘を鳴ら
> さないのでしょうか

『信仰』の問題で論争を仕掛けても水掛け論にしかならないのがわかっているからでしょう
『学説』を駆使して論破しようとしても、その『学説』を信じないといわれれば、それまでです
同じレベルで非難し合っていると見られたくなければ、口をつぐんでいるのが一番です
もし誰かの『信仰』を曲げることが出来るとしても、それはその誰かが折伏された時と同等以上のエネルギーを費やして、反対方向へ折伏し直すときでしょうから、折伏のプロが相手では分が悪いでしょう

> 狂気じみたことを主張するのでしょうか

それが、論理ではない、『教義』、『信仰』というものだと思います
信じてしまえば、どんな無茶苦茶なことでも、肯定しうるし、どんな信仰も、それを信じない者から見れば、狂気と看做しうるのです
他の宗派がそれほど独善的でないとしたら、それは単に教義が独善的に振舞うことを要求しないというだけであって、信仰に確信が無いとか、自派の教義が他派のそれより劣っていると思っているわけではないでしょう

> どうしてそんな馬鹿なことが許されるのでしょ
> ...続きを読む


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