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1. 意思疎通がさえぎられていると感じるとき 人は気力が萎え 怒りを超え
憤りをも通り越して 心が凍った状態になりがちです。
 
2. けれども 人びとは勇敢にもこの不仕合わせに耐えている。のではないか?

3. なにか・どこかの陰謀によってそうなっているのではないかと疑われるほ
ど 中には心があさっての方を向いてしまっているという風景に出会います。

4. そうではなく 《世間を渡るには あいまいな応答をし そこにちょっと
は高尚な言葉をもちりばめて のらりくらりと けっきょくは事もなく済むよう
にと 人とはつきあって行きなさい》といったパタンが 勝つのでしょうか?

5. 自然科学では 世界の最先端を行く研究がなされていても 社会や人文の
ことになると 日本人は積極的にバカx阿呆なる状態になって見せる賢い大人に
ならなければダメだよとでも言っているのでしょうか?

6. そのツテでは 《答えを求めてはいけない。正解は出すものではない》と
いうオシヘがすでに刷り込まれているのでしょうか?

7. そのときちょっと元気な向きは 《自己主張をするな》という自己主張を
押し込んで来るようです。

7. あるいは 《そんなものは自己顕示欲の現われに過ぎない》というおのれ
の自己顕示欲は旺盛であって しかもその勢い止まりというあわれな姿すら散見
します。

8. 何のかんばせがあって この哲学カテにつどっているのか?

9. それとも いやいや われわれは魂が去勢などされていない。バカも休み
休み言いたまえという見解になるのでしょうか?

10. 何のために? 何がかなしくて? 何の因果で?

11. たましいの去勢などは このようなちょっと振り返る認識とそれによる
自己到来によって その場で一瞬にして 解けるのではないでしょうか。

12. それとも もう日本人は死んでいるのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • ことばを並べているに過ぎないというのは 分かるはずなのに。やっぱ たましいが・・・。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/01/10 14:38
  • №5つづき1

    ☆☆ 4. そうではなく 《世間を渡るには あいまいな応答をし そこにち
    ょっとは高尚な言葉をもちりばめて のらりくらりと けっきょくは事もなく済
    むようにと 人とはつきあって行きなさい》といったパタンが 勝つのでしょう
    か?
    ★ そう思います。
    ☆ むかしは《事なかれ主義》と言っていました。

    ☆☆ 8. 何のかんばせがあって 
    ★ 不明瞭であっても、何かしら知りたい、聴きたい、伝えたい、また意見交換
    をしたい人(主に質問者)と、
    ★ 暇つぶしに冷やかして回るだけの人〔主に回答者(例外的に瀬里香氏や猪突
    氏のように、回答自体が充分な問いかけ足り得る場合も稀にですがありますね)〕。
    ☆ つまり 哲学カテならば そこであたらしい仮説が提起されたときには み
    んなで寄って集(たか)って検証するのが ふつうに自然の態度ではないか? 
    ――という問いかけではありました。

    つづく

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/01/10 20:17
  • №5つづき2

    ☆☆ 9. それとも いやいや われわれは魂が去勢などされていない。バカ
    も休み休み言いたまえという見解になるのでしょうか?
    ★ 「われわれ」とは哲学のカテゴリーに集っている人のことですか?それとも
    日本人のことでしょうか?
    ☆ そのように回答を寄せる人のことです。

    ☆☆ 11. たましいの去勢などは このようなちょっと振り返る認識とそれ
    による自己到来によって その場で一瞬にして 解けるのではないでしょうか。
    ★ しかし一方で、このような、内省、自己省察が、日常生活に埋没した「健常
    者」「普通の人」にとって、非常に困難なことであって、逆に「魂」など持って
    いたら、生活などできないというのが古来の文学者、思想家のほぼ一致した見解
    ではないでしょうか?
    ☆ 正気中の正気ゆえに狂気を演じていられるという場合には 魂を持っている
    のだと思います。

    つづく

      補足日時:2019/01/10 20:18
  • №5つづき3

    ★ 『オズの魔法使い』でブリキ男は心が欲しいと大魔王に逢いに行きますね
    'If I only had a heart' 結局ハート形のチクタクいう時計をもらいますが、そ
    の時大王は、「心(魂)なんてものは実用には向かんのだがねえ」と言いますね。
    裏を返せば、無意識に送るべき日々の中では邪魔でさえある、ということではな
    いでしょうか。
    ☆ たましいは ムイシキとは別だと思います。非思考なのだと。思考に非ずで
    すから 意識として邪魔になることはないはずなんです。

    ☆☆ 12. それとも もう日本人は死んでいるのでしょうか?
    ★ ほぼ。
    ★ 厳密に言えば、「魂を持っていると生きられない」し、生きることが非常に
    困難でしょうね。
    ☆ 前項(11)でだいたい考え得たように思うのですが。

      補足日時:2019/01/10 20:20
  • №11つづき

    ぜんぶマツリ あるいは すべて巡礼の旅路だと 永遠の現在において思って
    いるならば 世界におけるわれの位置はさだまります。われが世界や相手へと
    向かって行くというよりも 世界のほうからわれにやって来ます。

    ★ 「恨」とか「怨」という感情を通じて(通して)しか、他者と繋がること
    が出来ないのではないか?と。
    ☆ わたしの入院している妹は 或る日こう言いました。《お兄さんに世話を
    して欲しいと頼んだ覚えはない》と。

    つながったからよかった つながらないからよくない・・・でもないのではな
    いか? いつもマツリ ぜんぶマツリ・・・ではないのか? その《全体とし
    て》が問題である・・・らしい。と。

    ★ 「人と人とがわかりあえる」・・・更に言えば、他者同士が接点を持ち得
    るという「自明性」の予めの喪失。それがわたしのようです。
    ☆ さらに問い求めてまいります。

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/01/11 19:32

A 回答 (14件中1~10件)

お付き合いいただきありがとうございました。


最早(人に通じる)マトモな思考ができなくなっていますので、というより(議論するには)あまりに主観に陥り過ぎていますのでこの辺でひとまず終わります。

引き続きの問い求めの経緯を拝見します。
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この回答へのお礼

承りました。ご回答をありがとうございます。


タカマノハラ国の統治者たるアマテラス姉とその弟スサノヲとのあいだ
には うたがわれたスサノヲの心の清きをかけて ウケヒ(賭けのよう
なもの?)が行なわれたと言います。

そこで スサノヲは勝ったとされています。けれども アマテラスの猜
疑心――帝王たる地位の保守――は衰えませんでした。


タカマノハラを追われたスサノヲは イヅモにやって来て ヤマタノヲ
ロチを退治したあと 心がすがすがしくなりました。

八つの(多くの)支流に分かれて氾濫する斐伊川の治水を実現した。
(ヲ(尾)ロ(の)チ(霊)=大蛇)。

そして 古志(越=越前・越中・越後)から海賊がやって来るのを追い
払ったとも。




★ というより(議論するには)あまりに主観に陥り過ぎていますので
☆ どんどん出して行かれるのも 一法であるかと。

哲学の門には 精神のストリップを厭うなかれと書かれていました。と
言いますか おこなっておられるわけですよね。
(わたしは ほとんどそれをやらなくなりましたが)。


でも 働き方改革で 働きすぎはゆるめましょう。

お礼日時:2019/01/13 04:52

相変わらず断片的にかつ狂的に思いつくまま・・・



●そもそもブラジュローヌさんがここで問いかけている、「魂のある状態」「生きている人々」とは具体的にはどのようなイメージなのでしょうか?というのも、一方に、「魂が去勢されていない状態・人たち」の反照がなければそもそもこのような問いが為されるとは思えないからです。
わたしは、一例ですが「不服従」だと言いました。つまり自己の存立・尊厳を踏み躙る者への抵抗・反抗だと。何故なら、それがなければわれわれは奴隷だからです。

●「意思の疎通」ーーこれをわたしは多分もっとパーソナルな次元で把えています。友情とか愛情とか。そして自分の内側にある「相手を想う気持ち」を通じさせる最も有効な方法は、身体的な接触(HUG&KISS)であろうと考えています。一人の友の存在が古今東西万巻の書物に勝ると考えるのもそのためです。
言葉は、思想は、窮極的には、われわれが身体を持つ存在である以上、身体を超えることは出来ないと考えています。
更に言えば、抱き締めてくれる相手が狂人でも、痴呆老人でも構わないのです。
「他者」との「同一性」が単純に「人間の身体」以外に求められない以上、「通じ合う」=「一体感」「同体感」は言葉によっては成立しないだろう、と。

とはいえこれはきわめて個人的な不明確な感情感覚であって、ここで俎上に載せても意味はないだろうと思います。
 
●誰かが言ってましたね。「まったく同一の性質であれば、どれほど人がいても一人だ」と。まことに最もです。では、「通じる」というのは予め「差異」を前提としているのか?
しかし相手に「言葉が届く距離の差異」とは何に因って計られるのか?

●「狂気の相互性」と言われましたが、わたしは「自分以外の狂人」をみたことがありませんよ。
Aren't you?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

今回は 特にむつかしいですね。

その昔 スサノヲなる男は 父から 海原を治めよと言い渡されました。

外(と)つ国または死者の世界です。つまりは そのための司祭のような務めで
す。

スサノヲはこれを嫌い 髭が胸先に伸びるまで泣いてばかりいました。《泣きい
さちる》とあり《いさ》は諌めるの意味にかよい そこには《抵抗》があります。

すでに亡くなっていた母の国に帰って行こうと思い 姉のアマテラスに暇乞いを
しにそのタカマノハラに赴きました。

ところが 姉は弟が 自分の統治を奪いに来ると思ったそうです。(権力者の兄
弟姉妹は そういうものだとも聞きますが)。鎧をつけてその上にふつうの着物
を着て出迎えたとか。

ところが この姉と弟とは 話が合わない。亡き母のところへまいりますと伝え
ても 姉は 猜疑心でいっぱいである。取り付く島がない。

ここでスサノヲは 狂気に見舞われました。神殿の前に糞をしてやったり 田の
溝を壊したり 機を織っている小屋の屋根をやぶって皮を剥いだ馬を投げ入れた
り。

それでも アマテラスは 取り合わない。側近が罰して欲しいと迫っても スサ
ノヲはよき志のもとにそういうことをやっているはずだと言って かばっている。

とうとうそのあと 例の天の岩屋戸に雲隠れをするといった事態になるわけです
が そのアマテラスは けっきょくどこまでも弟の存在なり人格なりからは 心
が離れたところに居続けました。

大臣たちが スサノヲを処罰しタカマノハラから追い払ってしまいました。

その後の話としては イヅモの地に流れ来てスサノヲは やっと《わが心すがす
がし》と言えるようになったとさ。


● 「魂のある状態」「生きている人々」
● 「魂が去勢されていない状態・人たち」
● 「不服従」

● 「意思の疎通」

● 「狂気の相互性」


☆ 次のお話は ピンと来ていません。
● 自分の内側にある「相手を想う気持ち」を通じさせる最も有効な方法は、身
体的な接触(HUG&KISS)であろうと考えています。
● とはいえこれはきわめて個人的な不明確な感情感覚であって、ここで俎上に
載せても意味はないだろうと思います。
 
● 誰かが言ってましたね。「まったく同一の性質であれば、どれほど人がいて
も一人だ」と。

お礼日時:2019/01/12 20:03

問い求めてまいるはいいんですが、本来の質問はどうするんですか?



他の質問での回答で猪突さんが、「言葉なんかより抱き締める方がずっと気持ちが通じる」(だったかな?)
と答えていましたが、結局はここに帰着するんです。
(猪突さんも「楷書」ですね)

「言葉で愛情を伝えることは可能か?」ということです。

「ハグ&キス」以上にです。無理だということになれば、「気持ちが通じ合う」「心が通い合う」という「魂の領域」に於いて、言葉の果たしうることって身体性に劣りますね。

とつおいつ、Fragmentalに考えを綴っています。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 問い求めてまいるはいいんですが、本来の質問はどうするんですか?
☆ 回答者どうしでもやり取りはあり得ますし いまの場合は コミュ
ニケーション論としてほとんど質問と同じ問い求めだと思います。よ。


★ 他の質問での回答で猪突さんが、「言葉なんかより抱き締める方が
ずっと気持ちが通じる」(だったかな?)
と答えていましたが、結局はここに帰着するんです。
(猪突さんも「楷書」ですね)
☆ ええっとですね。その着地点には 注意書きが必要です。

ふたつあると思うのですが ひとつは 《単純にスキンシップがよいし
最終策だ》と取り違えられます。そういうことは〔わたしの場合は〕言
っていません。

人格の全体としてのマジハリと言っています。

もう一つには 日本語で《抱きしめる》と言うと ナラハシまたは〔演
歌ふうの〕クウキの影響でいわゆる《無限抱擁〔のさらに悪しき無限〕》
といった感じに受け取られると思うからです。

それは 一面ではやはりいわゆる母の愛にたとえられて 無償の愛であ
るとかよい倫理としてたたえられますが 問題は つねに寄り添ってい
る共依存とでもいうような関係に落ち入りやすく またそれでよいのだ
と見られやすいと思うからです。



★ 「言葉で愛情を伝えることは可能か?」ということです。
☆ これについては わたしの立ち位置ははっきりしていますよ。
その問いの立て方は 愛にはなじまないと。

(ああ でも《愛情》とあるから男女間の問題でしょうか。それならそ
れとしてのコミュニケーション論があるかも知れませんが)。



★ 「ハグ&キス」以上にです。無理だということになれば、「気持ち
が通じ合う」「心が通い合う」という「魂の領域」に於いて、言葉の果
たしうることって身体性に劣りますね。
☆ 表現が複雑だと思います。

1. 《魂の〔もとにある身と心とのマジハリの〕領域》に《ハグ&キス》
は中軸を成しません。

2. 人間は時間的存在ですから――かなしいかな いかんせん――《心
の通い合い》にも うつろいゆく側面はあります。美の感覚が十人十色
であるように 経巡る寺院または神殿が 自分に合ったものであるかど
うかを人はうたがうときがあります。

★ とつおいつ、Fragmentalに考えを綴っています。
☆ はい。

お礼日時:2019/01/12 05:33

わたしもピンポイントでのお返事を。



hakobuluさん亡き・・・じゃない。無き後、このように枝葉を広げて話せる場所って、古い人くらいしかいませんね。瀬里香さん、猪突さんも横道にそれることができるでしょう。そのくらいでしょうか。

本来の質問からどんどんズレて行ってしまって申し訳ありません。

あ、それと、hakobuluさんの文体が「楷書」だとすると、ブラジュローヌさんの文体は「草書」で、わたしには結構難解です。

>《通じないとして通じ合っている( agree to disagree )》ことです。

これはよくわかるようで、わかっていないのかもしれません。

昔フリッパーズ・ギターというバンドがあって、彼らの歌の歌詞に

「わかりあえやしないってことを、わかりあうのさ」という一節がありました。

両者は同じ意味でしょうか?

私事ですが、25年間精神科にかかり続けて、それとほぼ同じ人数の精神科医と話をしてきて、未だに「診断名不明」ただ、一貫した主訴は「他者との(良好な)関係を築くことができない」またそれを維持することが困難ということです。

多分脳(?)の障害であろうと思いますが、「通じ合う」ということが、理屈でも、また感覚的にもわからないのです。

またこう言えるかもしれません。

「恨」とか「怨」という感情を通じて(通して)しか、他者と繋がることが出来ないのではないか?と。

「人と人とがわかりあえる」「言葉(気持ちが通じる)」(無論誰とでもということではなく、特定の「誰か」となら、ということ)更に言えば、他者同士が接点を持ち得るという「自明性」の予めの喪失。それがわたしのようです。

失礼しました。本来の質問に戻ってください。

瀬里香さん、ありがとう。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。なかなかたのしい時間がつづきます。

★ あ、それと、hakobuluさんの文体が「楷書」だとすると、ブラジュローヌ
さんの文体は「草書」で、わたしには結構難解です。
☆ 登山の装備をしっかりとしてガイドに従って登って行きますね はこぶる
氏は。

わたしの場合は 自分がまったくあたらしいガイドに成ったという勝手な発見
と自負があります。ただし ほぼ同じ地図で話をしているつもりではあります。
肝心のところは あたらしいデザインになっています。

☆☆ >《通じないとして通じ合っている( agree to disagree )》
★ これはよくわかるようで、わかっていないのかもしれません。
☆ 時間を置いてまた話し合おう――ですけれど。

★ 「わかりあえやしないってことを、わかりあうのさ」
☆ これは 《さとり切った》場合のセリフですね。



★ 私事ですが、25年間精神科にかかり続けて、それとほぼ同じ人数の精神
科医と話をしてきて、未だに「診断名不明」ただ、一貫した主訴は「他者との
(良好な)関係を築くことができない」またそれを維持することが困難という
ことです。
☆ 《維持》は分かりませんが 《話し合い》は OK なのではないでしょうか。


★ 多分脳(?)の障害であろうと思いますが、「通じ合う」ということが、
理屈でも、また感覚的にもわからないのです。
☆ むかしわたしも木村敏を読みました。

▲(ヰキぺ:木村敏) ~~~~~~~~~~~
§ 2 人物

人間の心理的時間感覚を「祭りの前(アンテ・フェストゥム)」「祭りの後
(ポスト・フェストゥム)」「祭りの最中(イントラ・フェストゥム)」の三
つに分類し、現代思想界から注目された。

~~~~~~~
☆ 祭りのずっと前に待ち遠しく思ったり あとでは振り返ったりします。
ぜんぶ 《マツリの過程》なのではないですか? 分ける必要がないと思いま
す。

過去は現在の記憶に 未来は現在の期待にあるとすれば すべては 現在時の
問題です。このゆえに 《永遠の現在》と言いました。そしてこれゆえに 人
は通じ合うものとわたしは思っています。必ずしも個々の考えについてではな
くまた全体を隅々までではなく 存在ないし人格の全体としてです。

(サイコパスは むつかしいようですね)。

つづく

お礼日時:2019/01/11 19:27

Blueさんへ。



9番は、【Blueさんにとっての事実】が分からないままの回答になつてしまい、申し訳ない。
一方的に、【わたしにとっての事実】を書きました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


№9からのつづきです。

☆☆ >《保険のような》というのは 一階にも二階にもどちらに転んでも 
身の安全については保障が備えてあるということですかね。
★: 八百万方角美人な人たちは、狭いアジトから、できるだけ広くを捜査で
きるように、そうしてできるだけどんな状況でも誰が相手でも対応できるよう
に、神経を研ぎ澄ませていると思います。支払う【保険金】は、神経を研ぎ澄
ませているゆえの疲労・苛立ちとも云います。
☆ ということは お二階からも援助はしてもらっていないのですね。

なんかとてもきびしい生活をしているような感じに見えます。





BLUEさんへのコメントについては わたしの出る必要はないと思います。

お礼日時:2019/01/11 18:23

こんにちは、ぶらじゅろ~ぬさん・Blueさん。


今回もピンポイントでの感想文です。
わたしの力不足で反応できない部分が多いと思います。


>《恨(ハン)》という思想(?)は むしろおのれのチカラの無さに自分の不甲斐無さの原因を捉えいつまでも長くおのが奥底なる潜在的なチカラの湧き出るのをじっと俟つというようなイメージ
:そうでしたか。わたしが思ってゐた【恨み】というのは、もともと空中を漂ってゐた【怒り】だとか【嫌悪】という感情が、あるときある場所に根っこを這わせ、地中深く、それはそれは地球の裏側まで届いてしまうのではないかというほど根っこ長くして、そうしているうちに、その根っこが腐っている、というような状態のことです。解釈が違ってゐたようですね。たぶん、わたしの無知です。

ところで【恨(ハン)】というのは、【未来】にだけ向かっているのですか。【現在】や【過去】ではなくてですか。将来、現在の負がゼロやプラスになるのを俟つというイメージですか。


>もし《死んだ感情》だとすると すべてを相手の所為にしてその相手はもうヒトデナシだと裁き おのれをも死に神のもとにおもむかせヒトデナシの衣裳を着るといった振る舞いのことを言うのでしょうか。
:【恨み】をぶつける対象を、場違いなところに探すようになるでしょうね。はい。どこかの誰か、とにかく人の所為。自分の感情の処理を自分ですることもなく、自分の感情に責任を持つこともなく。

>☆ 《自己到来(自己還帰)》は ヒラメキのごとく《一瞬》なんです。刺さった矢は 一ぺんで抜きます。
:毎日24時間、それは起こりうるというのですね。一瞬で矢が抜けるとなると、痛みと出血がそうとう激しいように思います。いっそのこと刺さったままにしておいた方がラクだと思われるほどに。


>《保険のような》というのは 一階にも二階にもどちらに転んでも 身の安全については保障が備えてあるということですかね。
:八百万方角美人な人たちは、狭いアジトから、できるだけ広くを捜査できるように、そうしてできるだけどんな状況でも誰が相手でも対応できるように、神経を研ぎ澄ませていると思います。支払う【保険金】は、神経を研ぎ澄ませているゆえの疲労・苛立ちとも云います。

___________


Blueさん。

今現在、わたしの思うこととBlueさんの思うことの間には、ずいぶん隔たりがあるようですね。Blueさんの云う通りどちらが正しいわけでもなく。でもわたしはそのことを悲しいことだとは思いませんよ。今現在、思うことがちがう、というだけですし、「ちがうね。うんそうだね。」という話がお互いできると思うからです。
「思い」は固定的ではなくて流動的だから、お互い「ちがう」と感じることがあっても、それがいつでもどこでも永遠にそうなのかというと、たぶんそれもちがうと思います。今までもこれからも、ときどき宇宙のみなしご同士が接点を持つように、ときどき納得し合える場合もあるような気がします。

ぶらじゅろ~ぬさんは、
>意思疎通がさえぎられていると感じるとき
:について話をしているのですが、「ちがうね。うんそうだね。」と云いあえる状態なら、意思疎通がさえぎられている、とは云わないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

☆☆ >《恨(ハン)》という思想(?)は むしろおのれのチカラの無さに自
分の不甲斐無さの原因を捉えいつまでも長くおのが奥底なる潜在的なチカラの湧
き出るのをじっと俟つというようなイメージ
☆ つまり ヱクトルの向きは 誰か相手に対してではなく むしろ自分自身に
対して向けられているのだとそのハングル講師は 解説していました。

★: そうでしたか。わたしが思ってゐた【恨み】というのは、もともと空中を
漂ってゐた【怒り】だとか【嫌悪】という感情が、あるときある場所に根っこを
這わせ、地中深く、それはそれは地球の裏側まで届いてしまうのではないかとい
うほど根っこ長くして、そうしているうちに、その根っこが腐っている、という
ような状態のことです。解釈が違ってゐたようですね。たぶん、わたしの無知で
す。
☆ それは 内容としてあり得る解釈ですね。

☆☆ >もし《死んだ感情》だとすると・・・
★: 【恨み】をぶつける対象を、場違いなところに探すようになるでしょうね。
はい。どこかの誰か、とにかく人の所為。自分の感情の処理を自分ですることも
なく、自分の感情に責任を持つこともなく。



☆ わたしの覚えていた定義が どこまで普遍性があるのかは 分かりませんよ。
その後 本格的にはしらべていません。 


★ ところで【恨(ハン)】というのは、【未来】にだけ向かっているのですか。
☆ それは もちろん過去からのものです。

★ 将来、現在の負がゼロやプラスになるのを俟つというイメージですか。
☆ ええ。そうでした。そして 現実性がとぼしいものの場合には 信仰のよう
になるのかも分かりません。




☆☆ > 《自己到来(自己還帰)》は ヒラメキのごとく《一瞬》なんです。
刺さった矢は 一ぺんで抜きます。
★: 毎日24時間、それは起こりうるというのですね。
☆ はい。

★ 一瞬で矢が抜けるとなると、痛みと出血がそうとう激しいように思います。
いっそのこと刺さったままにしておいた方がラクだと思われるほどに。
☆ それは 総論のあとに各論として 具体的にしかるべく対処されて行くで
しょう。


№10へつづきます。

お礼日時:2019/01/11 18:20

五月蠅くて澄みません。



そうそう。「恨(ハン)」これ好きです。もう一度『風の丘を越えて』(西施行)を観たくなりました。

「恨(ハン)」これがないとダメだなぁと時に思います。ある意味これは人間を人間たらしめている重要な情念だと。

「怨(オン)」も必要でしょうね。

わたしはこういう「恨」「怨」という言葉に観念に惹かれます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

№7お礼欄からのつづきです。

☆ 《黄色いベスト》運動は 発言としてはふつうの民主的な自己表現だと
思います。


★ 人と話が通じない=狂気と考えられます。
☆ 《見解の相違》というのは わたしの表現からはこぶる氏が採用したも
のです。対話が進行中ならば《話が通じない》のは 《通じないとして通じ
合っている( agree to disagree )》ことです。

★ 相互の狂気と仰るけれど、狂っているのは「わたし」であって、わたし
の相手は誰も狂ってはいません。
☆ 論証が俟たれます。

★ 誰某は心を病んでいるイコール狂っているという等式は成立しません。
☆ それは すでに周知だと思います。

ということは 次の問い求めにすすむはずです。

☆☆ >そもそも:
★★ 狂気
☆☆ とは何か? 

★ そう。フーコーが生涯のテーマとした「狂気」「狂人」とはなにか?
☆ ひと言コメントとしては ここでこそ《不服従》がのぞまれるのでは?


     *


★(№8) そうそう。「恨(ハン)」これ好きです。もう一度『風の丘を
越えて』(西施行)を観たくなりました。
☆ ヰキぺを見ました。パンソリは やはりハングル講座で見ています。

『春香伝』のチュニャンには 《不服従の生きている姿》を見ます。


★ 「恨(ハン)」これがないとダメだなぁと時に思います。ある意味これ
は人間を人間たらしめている重要な情念だと。

★ 「怨(オン)」も必要でしょうね。

★ わたしはこういう「恨」「怨」という言葉に観念に惹かれます。

☆ ええっとですね。
◆ ( №2 neutraling 氏) 【恨み(死んだ感情)】
☆ という意味での《恨(ハン)》とは違うと受け取ったのですが 《怨
(オン)》をそこに並べると 同じような恨みつらみの意味になりませんか?


なっても それはそれで 生きた感情であるということですか?

と言いますか このコメントから理論へとすすめることが出来るといいでし
ょうね。

お礼日時:2019/01/11 06:44

長いお礼をありがとうございます。



「魂」あるいはもっと単純に「考えること」「疑問を持つこと」「異議を唱えること」そのようなことはせわしない日常生活の中では、手枷足枷にしかならない。という意味です。

「意思の疎通」ということは、それが困難なわたしにとって年来のテーマです。だから繰り返し、「言葉」についての問いを発しています。
そもそも「気持ちが通じ合う(合っている)」とか「意思」が「言葉」がスムースに相手の心に届くということはどういう状態を言うのか、わたしにはよくわかりません。
例えば、設問12に対して、回答No.2で瀬里香さんは
>12.生きてゐます。

と簡単に言い切っています。(「簡単」がいいとか悪いとかいうことではありません)

けれども、わたしには、

12.もう日本人は死んでいるのでしょうか?

ととわれて、「いいえ!」とは絶対に言えません。生きているか死んでいるかと訊かれれば、せいぜい「生きているとは言えない」としか答えられません。

すると、ここにわたしと瀬里香さんとの「相違」「齟齬」「乖離」「隔絶」「背馳」「距離」が生じます。
わたしはこの状態を「話が通じていない状態」であると考えます。
これはわたしの正しさ、或いは瀬里香さんの正しさを意味しません。ただ、「ちがう」という事実があるだけです。

ついでにじゃあキミの言う「生きている」というのはどういう状態を指すのかね?と問われれば、
ごく大まかに言えば「不服従」です。近いところでわたしたちが見た「生きている人間」は、例えば国家元首を引き摺り下ろして「有罪」にした韓国人民であり、マクロンに唾を吐きかけるフランス市民です。



人と話が通じない=狂気と考えられます。相互の狂気と仰るけれど、狂っているのは「わたし」であって、
わたしの相手は誰も狂ってはいません。誰某は心を病んでいるイコール狂っているという等式は成立しません。

>あるいは 自分だけについて言っているとしたら そもそも:
★ 狂気
☆ とは何か? から問い求めなくてはなりません。

そう。フーコーが生涯のテーマとした「狂気」「狂人」とはなにか?
まだまだ勉強不足ですが、なかなか気力も体力も・・・またそもそも知能がないので。

質問から逸れたひとり語り、失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 「魂」あるいはもっと単純に「考えること」「疑問を持つこと」「異議
を唱えること」そのようなことはせわしない日常生活の中では、手枷足枷に
しかならない。という意味です。
☆ 哲学は 異端児です。天邪鬼です。

★ 「意思の疎通」ということは、それが困難なわたしにとって年来のテー
マです。だから繰り返し、「言葉」についての問いを発しています。
☆ はい。観念論に片寄りがちな人間論(存在論)の真骨頂は コミュニケ
ーションの理論と実践にあると考えます。

★ そもそも「気持ちが通じ合う(合っている)」とか「意思」が「言葉」
がスムースに相手の心に届くということはどういう状態を言うのか、わたし
にはよくわかりません。
☆ それは 事実認識(これにもけっきょく主観が入ります)とその解釈や
次のステップへの〔主観的〕展開という段階があるかと。

ですが 事実認識を共有し得たなら あとはそれをめぐっては 人それぞれ
だという前提を置いて 対話は進められると見ます。

★ ~~~
瀬里香さんは

>12.生きてゐます。

と簡単に言い切っています。
~~~~~
☆ これは それにつづく反論があるという意味に採ります。

★ ~~~~
けれども、わたしには、

12.もう日本人は死んでいるのでしょうか?

ととわれて、「いいえ!」とは絶対に言えません。生きているか死んでいる
かと訊かれれば、せいぜい「生きているとは言えない」としか答えられませ
ん。
~~~~~
☆ 大きく民主制としての対話を成していると思います。
つまり:
★ わたしはこの状態を「話が通じていない状態」であると考えます。
☆ という歴史における一齣を成しているはずです。人間は 時間的存在で
す。

★ これは・・・ただ、「ちがう」という事実があるだけです。
☆ そういうひとコマだと見ます。

★ 「生きている」というのは・・・「不服従」です。近いところでわたし
たちが見た「生きている人間」は、例えば国家元首を引き摺り下ろして「有
罪」にした韓国人民であり、マクロンに唾を吐きかけるフランス市民です。
☆ 韓国については 特殊だと見ています。不案内になりますが 次を参照
ねがいます。
【Q:《ウリナラ》は 《アフリカ的段階》である。】

№8につづきます。

お礼日時:2019/01/11 05:59

ご質問とは関係ないかもしれませんが、おもしろい記事が目に入り、混乱してゐます。



https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190107-0001 …
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

▲ 「敵は、嘘。」「嘘つきは、戦争の始まり。」宝島社の新聞広告に反響
1/7(月) 13:05配信 BuzzFeed Japan
☆ ですね。

▲ 「敵は、嘘。」
☆ の意味は 《わたしにとっても 誰にとっても 敵は――よく考えてみ
たら ほんとうの敵は―― ウソである》ですね。

ウソについては 差し詰めふたつの条件付けのような議論があると思います。

ひとつは ウソも方便という場合。ほんとうのことを言うことは 憚られる。
ホワイト・ライとして 特には相手のことを思って ウソを―― 一時的にで
も――言っておくというもの。

もうひとつは 家族の生活のためには どうしても真実を明かすわけには行
かないという場合。


基本としては ウソは 悪であり 存在や心なる善を傷つけるからには そ
こから自由な立ち場に立って 表現を工夫し 憚られる真実は直接に明かさ
ないが 虚偽を言うことにはならないようにすることが のぞまれます。

もしくは 普段から何ごとでも ほんとうのことを言うという人間関係を築
くことが よいと思われます。


(ちょっときれいごとに終始したようですが)。

お礼日時:2019/01/10 20:39

こんばんは。



わたしも瀬里香方式に倣って自分の気持ちを。(答えではありません)

1. 意思疎通がさえぎられていると感じるとき 心が凍った状態になりがちです。

そうですね。ではその相互の意思の疎通を妨げているものはなにか?わたしに関していえば、自己の狂気、ではないかと思っています。

2. けれども 人びとは勇敢にもこの不仕合わせに耐えている。のではないか?

いえ、死ぬのが簡単ではないという理由がほとんどでしょう。その一線で、逡巡しています。

3. なにか・どこかの陰謀によってそうなっているのではないかと疑われるほ
ど 中には心があさっての方を向いてしまっているという風景に出会います。

そういう人はわたしは知りません。よほど重症の精神疾患のような場合を除き。

4. そうではなく 《世間を渡るには あいまいな応答をし そこにちょっと
は高尚な言葉をもちりばめて のらりくらりと けっきょくは事もなく済むよう
にと 人とはつきあって行きなさい》といったパタンが 勝つのでしょうか?

そう思います。


8. 何のかんばせがあって この哲学カテにつどっているのか?

「何のかんばせがあって」項羽の言葉でしたっけ?=「どのツラさげて」
不明瞭であっても、何かしら知りたい、聴きたい、伝えたい、また意見交換をしたい人と、
暇つぶしに冷やかして回るだけの人。この二種類だと思います。
前者は主に質問者、後者は主に回答者(例外的に瀬里香氏や猪突氏のように、回答自体が充分な問いかけ足り得る場合も稀にですがありますね)

9. それとも いやいや われわれは魂が去勢などされていない。バカも休み
休み言いたまえという見解になるのでしょうか?

「われわれ」とは哲学のカテゴリーに集っている人のことですか?それとも日本人のことでしょうか?


11. たましいの去勢などは このようなちょっと振り返る認識とそれによる
自己到来によって その場で一瞬にして 解けるのではないでしょうか。

しかし一方で、このような、内省、自己省察が、日常生活に埋没した「健常者」「普通の人」にとって、非常に困難なことであって、逆に「魂」など持っていたら、生活などできないというのが古来の文学者、思想家のほぼ一致した見解ではないでしょうか?

『オズの魔法使い』でブリキ男は心が欲しいと大魔王に逢いに行きますね
'If I only had a heart' 結局ハート形のチクタクいう時計をもらいますが、その時大王は、「心(魂)なんてものは実用には向かんのだがねえ」と言いますね。裏を返せば、無意識に送るべき日々の中では邪魔でさえある、ということではないでしょうか。

12. それとも もう日本人は死んでいるのでしょうか?

ほぼ。

厳密に言えば、「魂を持っていると生きられない」し、生きることが非常に困難でしょうね。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

こんばんは。ご回答をありがとうございます。

★ わたしも瀬里香方式に倣って自分の気持ちを。(答えではありません)
☆ はい。

☆☆ 1. 意思疎通がさえぎられていると感じるとき 心が凍った状態になり
がちです。
★ そうですね。ではその相互の意思の疎通を妨げているものはなにか? わた
しに関していえば、自己の狂気、ではないかと思っています。
☆ いやあ これだけでは コメントはむつかしいですね。

《互いにそれぞれの》:
★ 自己の狂気
☆ なのでしょうか? 自分だけのことではない・・・と思いますが。

あるいは 自分だけについて言っているとしたら そもそも:
★ 狂気
☆ とは何か? から問い求めなくてはなりません。

人間の世の中すべて相対的なものごとから成っていますから 《相互主観性》の
問題として捉えなくてはならないという思想的視点が やはり ありますし。

世界の外交において《ユヅリアヒの精神》を推し出したら それでは生きて行け
ない 狂気の沙汰だとお叱りを受けました。そのとき 日本人は正気中の正気ゆ
えに 狂気を演じていられるのだと応えました。

煮詰まりませんが。


☆☆ 2. けれども 人びとは勇敢にもこの不仕合わせに耐えている。のでは
ないか?
★ いえ、死ぬのが簡単ではないという理由がほとんどでしょう。その一線で、
逡巡しています。
☆ なるほど。つまり おそらくそれが現実的だと思われます。思われますが
未練によって振り返ると 世の中に出て初々しいときには 《勇敢にも(これは 
皮肉なのですが)耐えている》かも分かりません。

☆☆ 3. なにか・どこかの陰謀によってそうなっているのではないかと疑わ
れるほど 中には心があさっての方を向いてしまっているという風景に出会いま
す。
★ そういう人はわたしは知りません。よほど重症の精神疾患のような場合を除
き。
☆ これは 《陰謀説》を出しておきたいと思ってのことですが やはり若い時
に 信念がつよい場合には 話し合いが成り立たなくても 平気でいる場合があ
るかと。(信念がつよいというのは 出世街道をまっしぐらに進んでいるときや
あるいはシュウキョウに凝り固まった場合です)。

つづく

お礼日時:2019/01/10 20:13

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