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「鎌倉時代は比較的女性の地位が高かった」と高校の日本史の先生が授業で言っていました。
証拠物件も残っています。
鎌倉時代には守護・地頭という役職が置かれていましたが、
守護もしくは地頭であることの証明書に「○○の母」などと、
女性の名前が記録されている物が歴史資料集に写真で載っていました。
女性の守護・地頭も存在したということです。
ですから、女性の地位はおそらく高めであったと判断できます。
しかし、時代が下るにつれて女性の地位は下がっていった。
ではどの辺の年代から下がり始めたんでしょうか?
歴史(女性史)に詳しい方、教えて下さい。

A 回答 (3件)

鎌倉幕府自体、ご存知のように一人の女性が作ったようなものです。

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下がり始めたのはいつからか?という質問に対しては、江戸時代の比較的早い時期と言って良いと思います。


つまり社会が安定し固定してきた時代ということです。
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あまり詳しく無いのですが、おそらく本格的になったのは「明治時代以降」だと考えます。



江戸時代は「士農工商」などの「階級制度」があったのに、男性、女性の性差による「階級わけ」は行われていません。
一般庶民は言うに及ばず、武家社会でも「役職として不可」と言われていたものもありますが、地位としては「奥様」だったわけで、家来よりは上、ということになりますから。
ただ江戸時代には「儒教」が武士の学要として入ってきたこともあり、その結果から「男尊女卑」の傾向が見られる部分もあると思います。

明治時代になると「思想」としての儒教が政府の一部によって推し進められた結果、一般民衆にも広く思想が浸透する結果になり、男尊女卑の傾向が高まっていったと思われます。

「女性ならでは」という役割が欠如し、西洋文明で言うところの「男女平等」の深い理解が得られないままに、男女の役割に対する「意義」が薄れていきました。
そして「二次世界戦」を戦っていく中で、時の政府による政策「銃後の守り」により、男性の優先性はよりクローズアップされる結果になりました。
現在でも「男女平等」というスローガンがうたわれている割には、真剣な論議が尽くされることは少なく、うやむやのままになってしまっている、というのが現状だと考えています。
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