この人頭いいなと思ったエピソード

私は2児の母親であり、子供たちの行く末について案じている一日本人です。自分の子供を産み落としたからには、子供たちが平和で豊かなこの国で繁栄してくれれば何よりです。多くの親にとってこれが子供に対しての願いのすべてではないでしょうか。
 ですが、これから先の未来について楽観的というべきか、無頓着というべきか定かではないのですが、自分さえよければいい、全体でのことを考えない人が多すぎます。
たとえば何かの行事を行う際にも、個人的理由を優先し、子供を参加させなかったり、当番制ですることになっている地域の仕事をしなかったり、まじめに取り組んでいる方々にとってはそれで許されることは不公平極まりないと思います。
 こうした親が増えてしまっては、この国の未来も暗澹たるものだなあと感じます。モンスターペアレントなるのもが増えた理由も必然だと思われます。
 少なくともこの現状に危機的な保護者も私の周りに大勢います。ですが、非常識的な親に具体的に意見すれば開き直ったり、個人の自由を主張するばかりで、まったく正直者が損をする次第です。個人的には社会の風潮そのものがもう少し公共の観点で見る心を養えば、少しずつでも変わっていく気はするのですが、こうした状況を変えていくにはどうしたらよいと思いますか?

A 回答 (9件)

本当に悲しい現状ですね。

いい加減な親に育てられた子はいい加減な大人になってしまうわけですから、この先の日本が心配になってしまいますよね。対策としては、たとえ嫌な思いをしてでも、行事などに協力しない保護者にはちゃんとやってくれるようにはっきりと訴え続けるのはもちろんですが、そうした親の態度は変わらないと思うので、学校の道徳教育の一環として、あるいは各地域の子ども会などで、子供たちにボランティア活動をやらせるのがいいと思います。老人ホームや子供病院を訪れたり、盲導犬のトレーニングを手伝ったり、公園の樹林や草花の手入れを手伝うなどして、命あるものの大切さや、お年寄りを敬う気持ち、自分たちが健康でいられることのありがたさ、そして、kaichan124さんがおっしゃるような公共の観点で物を見る心を、子供たちはこうした活動から学ぶことができるのではないでしょうか。私は前にこのような提案を文部科学省、教育委員会などにメールで提案したことがあります。お役所ですからどこまで意見を聞いてくれるかわからないけど、意見しないことには相手に伝わりませんから、私はこれからも一社会人として、こうした意見をどんどん周りの人や官庁、各委員会、メディアなどに訴えていくつもりです。一人一人の気持ち次第で、現状は少しずつでも変わっていくと思います。何もしないであきらめていたのでは、現状は悪化するだけですから。
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この回答へのお礼

そんなんです!なんだか簡単なことなのに大人がきちんと対策をせず他人事になってしまうことが、この問題を助長している気がします。
 私自身も、公共の場で自分勝手に振舞う人に文句を言いたいのですが・・小心者で言うことができません。自分だけですめばいいが家族をまき添えにしたりしないかと心配で・・・。

こうしたフラストレーションを抱えている人は私の周りにも多くいます。

公共概念を植え付けることは早急なような気がします。
 

お礼日時:2008/11/12 00:12

私も2児の父親なのであなたのご意見はよくわかります。


他の方々の日教組への批判等は私はよくわかりませんが、(専門学校ですが)で教えてられる方々と最近意見を交わしていて、学生も同じように自らの意見のみ訴え、他者の意見に耳を貸さないかた、また、その保護者(両親)が難癖をつけてくることを聞き及び、深いため息をつく先生方を見ていて悲しくなります。
意見交換のなかで思うことは、憲法にも書かれていますが「権利」と「義務」とではないでしょうか。戦後、権利意識が高まり職場や地域、個人への権利の獲得がなされ、そのおかげで今、我々の周りにある「権利」があると思います。
しかし、反面、親や学校での教育、報道を含め「権利意識」があまりにも強調され、「義務」がおざなりなっていると思います。
例えば、給食費を払わない、相手に何かしてもらっても感謝するしない、お金を払ったから当然、などなど、必要な義務に関して非常に軽薄になってきていると思います。
親が同じようにしていると子どもが真似をしますが、学校を含めた地域で「それは違う」ことを着実に教えていければ負のサイクルは止まると思いますし、結局のところ相手にされなくなってしまいます。(アホらしくて付き合いきれないので)
危機感を持った保護者がこのようにいてくれるのはうれしいですし、そのような非常識な親に対していつも悩まされるのは学校などなので、もっと、先生方を応援して欲しいです。(先生が折れるからいい気になる)
子どもに対して親は「ダメなものはダメ」と普通教えますが全体で「ダメなものはダメ」と言い切れるように連携を図りましょう。
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この回答へのお礼

私も子供たちに対しては、どちらかといえば公共概念を念頭にした教育をしているつもりです。ですが近年、正直者が損をする風潮がまかり通る時代だけに、自分の教育が子供にとって本当に役に立つのか悩むところでもあります。先生も個人的な事情に介入できて家庭に意見できる世の中ではなくなってきていますよね。よってその場しのぎの教育で終わってしまうような気がします。





 

お礼日時:2008/11/15 23:03

まず、日教組批判について。



私自身が日教組の役員を輩出するような左派系の学校で少年期を過ごした者ですが、生徒に自己主張だけをさせて公共性を学ばせなかった、というのは誤解です。ただ、「戦前的滅私奉公や無批判な付和雷同に陥らないように自分で考える」ことを禁止せず、受容し励ましたにすぎません。(もちろん、ガキの言うことですから未熟なものでしたが)

しかし、そこに学校だけでは教えきれないものがありました。
それは基本的な生活態度に属するもので、意見表明を「目立とう精神」、疑問を「そんなに深く考えなくても」などと批判ばかりする後ろ向きの心でした。
たしかにサラリーマンにとって意見は会社、疑問は無用でなければ勤まりません。

おっと、ここは日教組問題のスレッドではなかったので、軌道修正します。

>こうした状況を変えていくにはどうしたらよいと思いますか?

「勇気」と「知性」を持つことですね。
「勇気」は正しいことをするために必要です。そして、「知性」はそれが本当に正しいか、考えるために必要です。

世の中が難しくなって、小理屈はいくらでもあります。また、人目を引くために奇矯な言辞で単なる思い付きを吹聴する輩もいます。それらを見分けて本当に正しいことはなにか、を見極めなくてはなりません。
そのためには、色々な場面を想定して常に正しい選択が出来るような準備が必要です。また、その機がきたら恐れず行動に移す勇気も必要です。

お子さんが貴女を見ています。たとえ報われなくても、勇気と知性をもって生きることの必要性を背中で見せてあげてください。

さて、質問にあった具体例として当番制などに参加してこない方のことが上げられています。その方たちの側からの視点で問題を考えていますか?たとえば、よく参加する方々が仲良しになっていて入りにくい、とか、実は全然別のボランティアをやっているとか…。
仮に、なにもやっていなくて非協力的だとしても、その方の考え方はその方にとっては正しいわけですから、そこに踏み込んではいけませんね。もし、貴女の方がより高次な正しさを持っているなら、貴女がその方の分をカバーしてあげればいいじゃないですか。「不公平」だなんてケチ臭いこと言わないで。

いろいろな物事の必要性の優先順位はほんとうに個々別々です。たとえば家の掃除にしても「もーうやらなきゃ!」と思う限度が違う場合、より敏感な人が先にやりたくなるわけです。より鈍感な人は限度になる前に敏感な人がキレイにしてくれるからやりたくならない、ということがあるわけです。

貴女が“敏感”な事柄もあれば“鈍感”な事柄もあると思います。貴女が必要と感じたならやればいいんです。他の優先事項があれば、それで充分なのですよ。
その参加してこない方も同じです。

それでも、参加してもらいたければ…。
その人が「あぁ、この人がいうならやらなきゃ」と思ってもらえるほどに自分に徳を積む、という手段もあります。
(先日引退した王監督は選手にそういう気持ちを起こさせることができたそうですね)

がんばりましょう。
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この回答へのお礼

私は日教組という団体をあまり知らないので、ここでの意見でこの団体をどうとか言う考えはないです。
 私の質問で言う、自治会のやるべきことをしない方というのはけして変な人種ではないのです。普通に子育てに熱心で、普通にあまったものを近所におすそ分けしたり、会えば世間話をしたりといった普通の人です。だからこそ公共概念の希薄さが問題だと感じています。
 おそらく悪気がないのだと感じています、言えば分かるのだろうけど、なんとなく角が立つので言いにくいというのが正直なところです。
 要はお互いの価値観、公共概念に差が出てきているのも問題だと思います。
 いくら手本を見せても相容れないのであれば根本の教育を見直すしかないのではないでしょうか?
 

お礼日時:2008/11/15 22:30

相互援助の意識が希薄な社会状況を変えたい。



以下、ドライ、かつ断定的な書き方で恐縮ですが、参考になりますでしょうか。

一般的な方法論を考えるのか、それともあなた自身の行為が、例え微細なるものであっても、自身の努力をもって「状況」を変えることなのか。

「~が悪い」、「~のせいだ」と批判する方は多いですが、そんな話に終止しても何も状況はかわりません。こういうことを声高に言う人は、具体的行動に出ない人間です。負け犬の遠吠えです。

先ずは、あなた自身が何らかの活動を行うのか、意思決定しなければなりません。社会状況を悲観しても、あなたを取り巻く状況はかわりません。
悲観することで不幸の渦にまきこまれて、健全な思考も妨げられます。

もし我々が社会を説得する方法を持っていれば、その方法を有効に使い、正邪の区別を説くことができます。タレント、著名人は、自己の著名性を軸に社会を説得することができます。我々一般人は、周囲の人間との接触範囲で、何が正しくて、何が間違っているかを伝えることができます。

自分の周囲の人間とコミュニケーションをもつことで、人間関係を正常化させること意外に、個々レベルで行えることはありません。

このような掲示板などに、建設的な意見を発表して、同じような問題に悩む方たちに参考意見を与えることができます。

職場の人間、家族との会話で、意見交換をすることで、物事の正悪を伝えることができます。

自分の時間、労力の対価として、なんらかの活動をおこなうことが出来ます。不特定多数の人に意見を紹介し、賛同者を増やすことができます。

正しい意見を持っている方をサポートすることで、正しい意見を安定させることができます。

年少の者に、正邪の区別を教えることで、健全な未来へ導く事ができます。

社会に有害な要素を排除してくれる(可能性の高い)政党を支持することも方法の一つです。甘い言葉で票を獲得する政党などありますから、シビアに見極めなくてはいけません。また特定の対象を攻撃する発言の多い政党、政治家は信用できません。

上記はすべて、忍耐と努力なしでは全うすることはできません。
冷静に考え、具体的な行動に出ることが唯一の方法ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

まったく無力というほかない状況ですが、回答者様の提言されるように少しずつでも・・・という方法しかないのでしょうか?この国の方向性に疑問を持つひとは私の周りに大勢います。声を大にしていえないだけだと思います。こうした意見を聞ける土壌を作ることも大切だと思います。

お礼日時:2008/11/12 01:13

これは地域社会を解体して、都市化を推し進めて来た結果であり、今後も続くことでしょう。


人と人の交流が少なくなると、人は小さな事でも腹を立てるようになりもめ事が増えます。その為コミュニケーションが円滑に進まず、挙げ句の果てが極論から極論へ展開されるクレームであったり、いじめや嫌がらせなどが頻繁に起きるようになります。
こういった問題は、いろいろな調査結果からも確認されています。例えば、マンション住人への調査などでは、コミュニケーションのない人が一つ上の階に住み、子供などがドタドタと足音などをたてていると、下の住人は大きなストレスを感じトラブルなどにまで発展する事が多い一方で、コミュニケーション関係が成立している人が一つ上の階に住んでいる場合、子供の足音などがしてもほとんどストレスを感じていないなどの調査結果が出ています。
モンスターペアレント問題に関しても、窓口側の対応者の心ない一言が切っ掛けで、相手が切れて支離滅裂なとんでもない事を言い出したりしてしまうというのが大半のようです。人間頭に血が上ると第三者からは笑ってしまうほどのむちゃくちゃを言ったりするものです。おまけに間に入ってくれるような人がいないと問題がどんどん拡大してしまう。
また企業はクレームに対してしたたかな企業対応を模索し、クレームをも上手く取り込んできました。一方で、学校組織や公務員というのはごく最近まで全く何もしてきませんでした。そういう意味では企業の過保護なまでのお客様一辺倒主義がその手の人を作り出し、公務員はそんな社会への対応が完全に遅れたうえに目の前の出来事の理解すら出来なかったとも言えるでしょう。

何にしても昔のように地域社会が生きていて、知人が多くをしめて交流もさかんな社会と、隣の住人の顔もしらなければ声も聞いたことがない人がとても増え個人主義が広まった社会では、なすべき対応、メリットデメリットが全く違うという事なのでしょう。

(他の回答を読んでいると、教育と洗脳の区別も出来ないような人からすると、教育の結果が、、、という話になってしまうみたいですが。)
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この回答へのお礼

確かに一理ありますが、他人の顔を知ろうが知らまいが、礼儀を知っていたり、公共心を持つ人が社会に増えれば自分勝手な人は減るんじゃないでしょうか?私は行き過ぎた個人主義が問題だと思います。

それと教育と洗脳って何がどう違うのでしょうか?それぞれの言葉のイメージはまったく違いますが要は一緒のことだとおもいませんか?

子供が自分で分別できるようになるまでは刷り込んでやらなくてはならない基本的道徳観念があると思います。それを洗脳だというのなら何をもって教育と言い換えれるのでしょうか?

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/24 09:43

日教組は戦後をピークにずっと減り続けており右肩下がりです。

それに対しモンスターペアレントに代表されるような言いたい放題の親、無理難題を教師に迫る親というのは、それらに全く関連してません。また先日の中山議員による「日教組率が高い県は学力が低い」などの発言がありましたが、組織率の高い都道府県がいくつも学力上位に位置していたり、日教組との関連性はなく単なる妄想大臣でしかありませんでした(1位の秋田県、日教組組合員率 約34%、2位の福井県 日教組組合員率 約81%、3位の富山県 日教組組合員率 約50%、といった具合)
日教組組合員率が高かろうが低かろうが、子供には何の影響もしてないということ。要するに自民党員などが熱心にやってる日教組を使ったデマゴーグをやって、教育論議を破壊し続けて来た結果、教育行政が等閑にされてゆがみ続けてきたと言うことでしかありませんね。

この回答への補足

 

補足日時:2008/11/11 08:41
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この回答へのお礼

私は、回答頂いた方に偏見を持つ気はありません。物事には一人間が見る方向とは逆の視点があり、私の持つ意見が正しいとも言い切れないし、私の見解にだって間違いがあるかもしれない。ここでは単に教育の現状に疑問を呈しただけです。

お礼日時:2008/11/12 00:52

質問者の方のご心配は、よーーくわかります。



ですが、これも個人の自由ばかりを主張し、公の尊重をないがしろにしてきた日教組教育の結果です。

対策は教育で何とかするしかありませんが、もう教育課程が終わった大人には効果がなく、これからの子供たちに公を尊重する教育をしながら彼らが大人になるのを待つしかありません。

もし、大人を教育できるとしたら、それは企業教育です。
ただし、そういう教育に積極的に取り組む企業は少なく、これも普及に時間がかかります。

現状を憂える人たちが協力して、この住みにくい世の中を少しはましにできるよう頑張っていきましょう。
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この回答へのお礼

日教組については勉強不足でよく分からないのですが、とにかく個人主義を徹底するあまり、公共の理念を教えないなんて、国の主権を投げ出したいのでしょうか?自分たちの住む日本という国は日教組にとってそんなに価値のないものですか?  
 教育は次世代の国民を育てる、国の根幹に関わる問題です。教育機関にこのような団体がはびこっているようでは国を大切にする親にとって大問題です。正直義務教育と言えども子供を預けるには不安です。
 政府はなぜこの問題を野放しにするのでしょうね?

お礼日時:2008/11/12 00:01

日本が贅沢に成り過ぎでしたからです。


今の子供の両親は30から40才位ですね。 この両親は子供時代、何不充しない生活を送り、回りの協力なしに生活できる環境で育ったためです。 
昔は、近所協力し合わなければ生きていけない環境でしたので、協調性があったのです。
これから、社会の経済が右肩下がりになれば、いやでも昔のような協力し合って生きなければならない環境に入ります。  大変ですが、人生です。
お子様には、小さい時から協調性を育てる教育をしましよう。 学校任せでは無く、人間性の教育は親の責任でする事です。
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この回答へのお礼

確かに教育機関だけに頼って子育てをするのが間違いです。
いつからか公共観念がない大人が増えていきました。大人がこんなだから子供も然りという気がします。

状況が変わって、意識が好転すればよいのですが、輪をかけて自己中心的な人が増える可能性もありますね。

私個人的意見は学校教育での道徳の時間に公共の概念を植え付けつける、仕事は単に自分の生活の糧である以前に社会に貢献するものとして子供たちに認識させるべきだと思います。

大人が自己中心である以上子供にそうした考え以上のものは教えられない気がします。ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/11 23:38

簡単です。


日教組による左傾化教育を止めれば解決するでしょう。
しかし、60数年かかってメチャメチャにしてきましたから、是正には100年以上かかるでしょう。

左傾化教育は、学校だけに留まらず、いまや大学、法曹界、官僚まで蝕んだ状態です。
その原点は、義務教育で権利ばかり教え、相対する義務については放置してきた報いです。
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この回答へのお礼

100年だなんて!是正する前に日本が末期になってしまうのが先だと思われます。ですが私の年代も十分左翼行き過ぎの教育を受けてきた人が多数います。なんかおかしいな?自分が教わった教育が正しいのかな?それにしても・・・と疑問に思う人たちも実は多くいると思います。日本が本当にだめになってしまう前に、自分の国を守るために正しい歴史を踏まえるべきだと思います。

お礼日時:2008/11/11 23:18

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