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戦前・戦中の書物を見ていると、日本語を横書きする際、アラビア語と同じく右から左に読むように表記されていました。

「表知通」(通知表)・「トンネマーパ」(パーマネント)・「ハデマツ勝ンセマリガシ欲」(欲しがりません勝つまでは)といった感じです。

なぜ、昔は日本語の横書きはこういうふうだったのですか?

A 回答 (7件)

主に印刷物のはなしですよね?



明治大正から敗戦までは右からが多いですが右から左も左から右もあったようです。
1925年の印刷見本で左から仮名文字を組んであるのを見た事があります。
特に欧文混じりの物は左からが多いのではないでしょうか。
欧文のみを左から普通に組み、和文を縦書きのまま横倒しにして平行に組んであるものもあります(江戸時代など、和文はたぶん木版)。

記憶だけで今出典をみつけることができませんでしたが、戦時中に左からに統一しようという動きがあったけれども全く普及しなかったという話を聞いた事があります。
戦時中の紙芝居に書かれた横書きを分析した研究がありました。
http://www1.gifu-u.ac.jp/~satopy/kini075.htm
これによると特に公式な統一は無いということのようです。
なおこの記事によると横組みの場合音引き「ー」は横に組んであるのでやはりこれは一文字で改行してある縦書きではないのではという考察があります。
なお横組用の音引きは当初は作られておらず、縦の音引きを横倒しにして使っていたそうです。

戦後はほぼ左からに統一されましたがこれは欧文やアラビヤ数字との混合に都合が良いからという理由が最も合理的と思います。
敗戦後のある日から一斉に左から組むようになったというわけでもないのです。
戦後世代の感覚としては何か古くさいものと一緒に右書きが一掃されたような印象はありますね。そういう時代の気分は追い風としてあったのかもしれませんが政治主導というわけではなかったようです。
新聞の見出しについてはまた話が違うかもしれないので調査が必要と思いますが。

http://shibuken.seesaa.net/article/105486668.html
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0 …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
左→右のほうが読みやすいのですが、当時は左→右では読みにくいという感覚もあったのかもしれませんね。

お礼日時:2008/11/25 19:05

6です。


手元に1925,1922年発行の当時の広告印刷物から書体を採集した本があるんですが22年の物は1:5 ぐらいの率で右からが多く、25年の物はおそらく著者の考えでほとんど全て左からの物でした。

http://www.asahi.com/information/cd/ad.html
これを見ると横組みのある広告8社(ヘチマコロンのと資生堂の重複を抜きました)中1社(仁丹)だけが左からになっています。

おおまかに言えば

横書きのほとんど存在しない時代
 ↓ 欧文活字、アラビア数字、活版印刷術の興隆による横組み誕生
横書き使用開始、 右左混在
 ↓
公文書にも採用 
       左行頭主流化
手書き横書き一般化  

こういう流れと思います。
コンピューターの事情でこの傾向(手書きの横書き化、公文書の横書き化)は強くなっていると思います。
右行頭の方が当時は読みやすかったから多いのだと思われますし大新聞では統一していたのだと思います。
実際見慣れると右行頭でも欧文がなければなにも不自由はありません。

なお右行頭のアラビア語で使っている数字はアラビア語数字と言ってアラビア数字(日本語では「算用数字」と言うのが正式らしいです)とは違う字だそうです。
でアラビア語でも算用数字だけは左から書くんだそうです。
http://www.gicas.jp/a-moji/suuzi.html
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私も横書きのように見えるが実は縦書きで、1行に 1文字ずつ書いてあると思っていたのですが、最近そうともいえない例をいくつか発見しました。



http://www.center.wakayama-u.ac.jp/~pleasure/kis …

これは「新宮浮島の森の風景(大正後期~昭和初期)」という絵葉書ですが、その右上に 3行の説明文があります。最初の行は「新宮浮島」というタイトルでその後 2行に渡ってその説明が書かれています。その説明文が完全にアラビア語スタイルです。

当時は横書きの場合日本語は右から左に書くという意識があったものと考えられます。もちろん当時でも英文は左から右です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
日本語とアラビア語は関連は薄いようですが、こういうところだけは共通点ですね。

お礼日時:2008/11/25 19:03

先ず、江戸時代迄は特殊の場合を除いて、縦書きだけしか存在しませんでした。

扁額なども1行1文字と云う変則であって決して横書きではなかったのです。最後に小さな文字が縦書きで書いてあるものもあります。
明治になってから、西欧文化が流入し、縦書きが主流で横書きが必要となったときもそれぞれでした。甚だしいのはあるシーリズの表紙で巻によって右書き、左書きが混在していると云うのがあります。(大正期の金剛社のシリーズ)
今迄ルールがなかったので、扁額を横書きと勘違いして右書きにするもの、独逸語や英語などの如く左書きにするものなどです。(数学や物理
などの書物は数式の関係上左書きのほうが便利)
戦時中国策で大和魂、鬼畜米英を唱えるなか西欧風を一掃すべく右書きとせよされました。戦時中の書物の標題は右書きか縦書きが多い所以です。(当時の岩波文庫や岩波新書の表紙の変遷をみるとわかります)
戦後改めて国語政策の中で横書きは左からとなったのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
となれば、日本語が縦書き文化であることと、縦書きの際に右から左へ書いていることについては、何か理由でもあるのでしょうか?

お礼日時:2008/11/25 19:03

例に挙げたものは、すべて 1行だけでしょう。


2行も 3行も続いているものはありませんね。

古い日本語でも、横書きする場合はアルファベット等と同じ左から右です。
ただ、横書きはあまり使われてきませんでした。

例示されたのは横書きではなく、1行 1字で改行した「縦書き」なのです。
縦書きの頭 1文字が並んでいるだけだから、右から左なのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
そう言われればなんとなくわかるような…(^_^;)

お礼日時:2008/11/25 19:01

日本語は本来縦書き文化です


横書きの西洋文化が入ってきたときに右から左に書く縦書きの習慣のまま横書きにしたことが原因です
横書きは左から右へと統一されるまで両方が存在しました
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
とはいうものの、縦書きで右→左と書いているのには、何か理由でもあるのですか?

お礼日時:2008/11/25 19:00

 


現在でも縦書きの文は右から左へ書くでしょ、それと同じく右から書いてたのです。

 
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
縦書きに影響されたのですね。

お礼日時:2008/11/25 18:59

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