
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
前にニュースで見たことあるな…と思い、探してみました。
タンクで培養して作られる人工培養食肉の記事です。
http://wiredvision.jp/news/200805/2008051522.html
我々の口に入るのはもう少し先の話みたいですが、技術面でもコスト面でも実現可能のようです。
ただ、培養して作られた肉には「命」は無いのかと言うと・・・
難しい問題な気はしますね。
この回答への補足
しばらく経って気になったのが、どんな原材料をどのくらいタンクに投入するのだろうかということです。
それと、もし工業化が実現したら、世界各地の農村風景が激変してしまう可能性もありますね。魚肉も作れるようになれば漁村風景も。技術が社会に与える影響の大きさを考えさせられます。
ご回答ありがとうございます。
まさに私が考えていたイメージどおりの記事です。もう実用段階に近いんですね。「生体組織工学」がキーワードっぽいですね。
>家畜に比べて生産コストが安く環境への悪影響も小さい
>食肉生産による二酸化炭素排出量の削減をもたらす
>最終的に食べる部分だけを作ることになる
>今ある技術でも、ハンバーガーやソーセージに使われるひき肉であれば、毎年数千トンというレベルで工業生産することは可能
細胞レベルであれば動物だけでなく植物も命を持っているものに含まれるでしょうし、命をどう位置づけるかは難しいです。勝手ながら、自分の主観の中で罪悪感が減ってくれればひとまずは満足です。
No.6
- 回答日時:
殺さずに肉を得る方法は、ありますが、条件があります。
四足動物や鳥の首や胴体を残し、切り落とすのです。人間が得られる肉の部位は限られますが、動物の寿命を縮めるかもしれないけども 少なくとも息の根を止めなくてすみます。
ただ この方法は殺さないというだけで、全く効率は度外視ですし、動物を苦しめているようにしか見えません。
この方法に心が痛んだり 耐えられないのなら、現在の食生活を継続するか 菜食になるしかないでしょう。
所詮 人間は何かを殺生しないと生きていられません。
もしも、植物が切られたり、かじられる度に悲鳴をあげるとしたら、あなたは植物を食べることにも心が痛むことになりませんか?
この回答への補足
肉に関しては、生産~料理~食事にいたるまでのさまざまな文化があるわけで、それを全否定するつもりはありません。焼肉とかおいしいですし。
ただ、肉を食べたいのであって、殺したり苦しめたくはない、ということです。人口肉の生産技術が確立すれば、少なくともその分の殺生が減ると期待します。
ご回答ありがとうございます。
牛のお尻の部分を数cmずつスライスして食べ、しばらく回復を待ってまたスライスして食べる、というような話をどこかで聞いた覚えがあります。牛は痛いでしょうね、痛がっているのを想像するのもつらいです。
どうしようもないからと諦めたり開き直ってしまうのではなく、現実的な代替方法はないものかと思います。

No.5
- 回答日時:
農家にホームステイして鶏しめたことがあります。
パック売りで店頭に並んでるお肉のその前にあることを考えました。魚釣りで釣った魚を〆るより、厳粛な気分になりました。食肉工場も見学したことあるけど、自分で息の根を止めて、お肉をいただくのとは雲泥の差です。卵を食べるならもっと気分は簡単、殺してる感覚はないでしょう。
牛乳だって、それを奪われて、母牛の乳房のぬくもりを知らず人工乳で育つ子牛の気持ちは?
大豆だっておコメだって、しかる状態で蒔けば芽がはえてきます。まさに命そのもの。
殺さずに食べたいというのは、なんだかエゴに感じます。
ほかの命をいただいて生きているしかないのが、生き物です。
ほかの命を食べて生かしてもらってるのだから、今日のこの一日を感謝して過ごそう、そういう気持ちになれば、それで良いのではないでしょうか。
この回答への補足
***残酷に思われる内容が含まれますのでご注意ください***
に関しては以下の質問が詳しかったです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
読むのさえつらいです。ある程度の隠蔽は仕方ないと思います。感謝という言葉で足りるのだろうかと思いました。
>室で逃げ回り、最後まで抵抗するが、こうして機械にかけられたブタは恐怖のクライマックスで死を迎える。痛みや苦しみの際、動きや行動が人間と似ているだけに、他人事とはおもえない恐怖を感じる。
ご回答ありがとうございます。
の現場は知りませんし、釣りもしないし自分で料理もしないので、やや極端に例えると、その料理がいきなり現れる感覚でした。たしかに卵はまるごと命そのものですね。
食物連鎖において、人間は最上位ではなく、その外にいるような気がします。人間に上位の捕食者がいれば、今とは違う感覚になりそうな気がします。
No.4
- 回答日時:
ちょっとご質問の趣旨からは外れるのかもしれませんが・・・。
食肉を
>化学的に合成したり、植物のように栽培したり
するのは、
>人間に食べられるために産ませられ育てられる
ことと大して違わない、というか、わたしにはむしろ残酷に感じます。
「命」として存在できないわけですから。もはや「モノ」ですよね。
さて、食用のためにつくられたのではない「肉」ならば、例えば魚肉でしたら天然物が手に入りやすいんじゃないでしょうか。
あるいは、考えようによっては、既に殺されて物流・消費のルートに乗ってしまった肉ならば、むしろ食べてあげるべきとも思えます。
反対に、各地の先住民のように、自分で食べるためのみに最低限を殺すほうが自然の摂理にかなっているとも考えられます。
いずれにしても、他の肉を殺して摂取するのは人間に限ったことではありませんし、生理学的には人間は雑食なので、肉もある程度食べたほうが自然で健康です。
そもそも、植物や調味料だって「命」には違いありませんしね。
要は、食卓に並んで、自分の身となり骨となる数々の「命」を、いかにありがたく摂取できるか、ってことが大事なんだと思います。日常の中ではそんなんことを真剣に考える機会って、実際にはあまりないですよね。でも、たまにはじっくり向き合って感謝を思い起こしてみたいとは思います。
ご回答ありがとうございます。
>「命」として存在できないわけですから
私としては、命でないから気が楽になるような気がします。とはいえ、それで食への感謝がなくなるわけではありません。
倫理的な意味と、生産性や地球の持続性の意味で、よりよい方法があればと願う次第です。
No.3
- 回答日時:
質問者さんの望む回答ではないかもしれませんが、大豆は成分が肉にとても近いみたいですよ。
「大豆は畑のお肉」とか聞いたことありませんか。
大豆を使った疑似肉料理も結構あるみたいで、本物と味がほとんど同じみたいです。
http://www.kenko.com/product/seibun/sei_832180.h …
ご回答ありがとうございます。
食物から摂取する栄養分という観点から見ると、たんぱく質としては大豆が肉の代替になりえるんですね。
「擬似肉」っていうのがあるんですね!ぐぐったらいろいろ出てきました。
No.2
- 回答日時:
合成プロテインは販売しています。
大豆で間に合わせるベジタリアンもたくさんいます。
あなたがそうしたいのであれば殺生を口にしなければいいと思います。
でも人類全体は、他の生き物を殺生することによって生存し、種を発展させてきた、罪深き生き物なのです。これまでも、これからも。
ご回答ありがとうございます。
だったら食べなければいいとか罪深いから仕方ないとかいうのではなく、現実的な代替方法はないのだろうかという疑問です。
なるべく罪悪感を感じないですむような、産業としてもエネルギーやコストが少なく、しかも地球環境へのダメージが少なくてすむような方法があればいいのになぁということです。
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