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現在はアメリカ在住の日本人の女です。

日本のニュース番組でインタビューを受けている側の日本人の方が、スタジオで脚を組んで椅子に座り受け答えをしているのを見た事があります。バラエティ番組等とは違い、ニュース番組でそのような態度をした事や言動に謙虚さがない事からか、その方にはバッシングがあった事を覚えています。

しかしアメリカに来てみると、アメリカでニュース進行者がみな脚を組んでいるのを初めて見た時は少しショックを受けました。なんて偉そうでくだけた態度なんだろう!視聴者を見下しているみたい!と自分一人で悲しい気分になりましたが、今は慣れて、ここはアメリカで彼らは日本人と違って感覚が違うしリラックスしてるんだな楽に座りたいんだろうな、と思う程度になりました。(日本のように敬語を使いこなし、デパートでは「お客様」が立場が上、テレビでは「視聴者」が立場が上でなく、アメリカではみな"平等"なので怠惰で失礼な店員やスタッフもいます。)

日本では特に真面目な場で『脚を組む』『両腕を組む』『手を腰にあてる』等の態度は、謙虚さがない=(他人が不快であると知っているのに)わざと正さない=他人をばかにしている、ように私は素直に感じます。(TPOにもよりますが。)
それをアメリカ人の夫に話してみたところ、「なんて複雑なんだ!欧米ではそれを不快に思う人はいないし、そこまで細かい事に気を遣っていない。」と私が想像していた事を言いました。それにTPOの事を彼は知りませんでした。(TPOは和製英語だったのですね。)
逆に考えると、日本はそれだけ細かい事やこんな態度や言動をすれば他人がそれをどう思うかを考慮する事ができる、良い意味で繊細だという事を知り、アメリカに長く居住して初めて様々な(かなり多くの)場面で日本と日本人が誇らしく思いました。


話がそれましたが、世界ではそれぞれ文化や考え方や感覚の違いはありますが、少しは日本の考えも理解してほしいと思います。そのような事(日本人は態度や言動によって他人や自分に及ぼす影響が大きい風潮がある等)を誤解なく分かり易く外国人に伝えるにはどのように言うべきでしょうか? またそれに関連した書籍やサイトをご存知の方がいらっしゃいましたらご回答お願い致します。

A 回答 (8件)

私なら、宗教的な側面を中心に話を展開すると思います。



両者における最大の違いは、「神」の存在ではないかと思うのです。

欧米人は、「神の元に置いて人は平等」という意識が浸透してますので、敬愛の念を示す対象として人間同士というのは成立し難いと思います。

一方、日本人には欧米的な神の対象が無く、場合によっては神も人間と対等に扱う側面がありますので、そのような関係性の中では人同士の立ち位置というのが非常に重要となってくると思われます。

日本の場合、自分たちの行動規範と宗教との関連性を教育の中で”論理的”に説明する機会が皆無だと思いますので、他国の人々に対して規範を論理的に説明しようとすると難しい面が多いとも感じてます。

以下に、参考になると思われるページをご紹介しますのでお読みになってみてください。
(↓「英国(個人主義)と日本(集団主義)の近代化」参照)
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~m-itazu/alacarte. …
http://php-p.com/webmagazine/kusaka/dokusou/05.h …
http://pcsoft.okwave.jp/qa4566373.html
http://pcsoft.okwave.jp/qa4419172.html?ans_count …
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この回答へのお礼

t78abyrf9cさん、アドバイス頂きありがとうございます!

なるほど、神や宗教ですか。確かにそこは日本とは大きく異なりますね。夫は無神論者なのでこの国が宗教と深く関わっている事をすっかり忘れておりました。
そういえばアメリカドル札にも「In God We Trust」と真ん中にかいてあります。それほど神の存在が大きいのですね。一度、夫の母(キリスト教徒。家族では彼女のみが宗教を持っている)に誘われて日曜の礼拝について行った時は、感じた事のない異様な雰囲気と神を信じていない自分は、しどろもどろになったのを覚えています。小さい子を連れた家族もたくさん礼拝に来ていたので、特に白人家庭では小さい頃から神に対する意識が芽生えるのかもしれないと思いました。

たくさんサイトを添付して頂きありがとうございます。私の知りたかった事柄や初めて知る事が多く記されており、何だか自分の頭の中にパッと新しい世界が広がってきたようで嬉しいです。

ありがとうございました!

お礼日時:2008/12/24 05:56

こんにちは。

水と油ほど自己表現の違う2つの社会にまたがって、少数派で孤軍奮闘しているようですね。外に出てみてしみじみ日本を思う気持ち、よ~くご理解いたします。
ご質問の主旨からは外れるのですが、、、
昔、北米の人と話していた時に、俳句の話をした時から急に彼女の目線が変わったなぁ、と感じた事があります。どんな国にも言葉の美学はあるようで、詩などの文芸というものの位置づけが(日本もそうなのでしょうが日本よりも?)高いように感じました。引き算に引き算を重ねて極大の演出をねらう俳句の手法、簡単に始められて奥行きも深い、、、日本にはこんなデリケートで力強い文芸もあるんだぞということで、如何でしょう?
(英語版もあるのですよ)
http://haiku.cc.ehime-u.ac.jp/~shiki/
http://www.cyberoz.net/city/dhugal/haikuhome.html
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この回答へのお礼

noel2さん、ご回答頂きましてありがとうございます。

そうですね。少数派だから奮闘したいと思えるのだと思います。分かり易い世界の一般的な常識とは全く違う、日本のレアで複雑で難しい方を自分が既に知っているラッキーな感覚、しかもそれが偶然にも自分の生まれ育った国だった....という感じでしょうか。アメリカではテレビキャスターがハロウィンで着物の仮装をしていながら胸の前で合掌して「こんにちは」なんて言っていたり、日本特集のテレビ番組なのに明らかに中国のビデオが流れていたり...。このような事もあったせいか、もどかしくて余計に、日本について考えるようになりました。

俳句に着目してみるのも良いですね。英語版もあるとは知りませんでした。このような美学もある、と紹介してみるのも手ですね。サイトを添付して頂きましてありがとうございました。

お礼日時:2008/12/31 03:30

#1ですが、あまりにも「文化の違い」というご意見が多いので一言言いたくなりました(笑)。



私は、少なくとも日本とアメリカとのあいだでの脚を組む組まないの習慣の違いに、宗教も歴史も平等もまったくないと思っていますし、私と同意見の人が世界には多いのが、#1欄のリンクをご覧いただければ、だいたいおわかりいただけるはずです。

脚を組むことに関しては単に、どこの国や地域でも、美しく見せることが礼儀だと考えられてきて、アメリカではたまたま組むのが美しいと考えられ、日本ではたまたま組まないのが美しいと考えられてきただけだと思います。現に、アメリカには、いつも決まった組み方をする有名人がかなりいて、それは、その組み方が最も“効果的”だと考えているからでしょうし、日本でだって、正座が浸透したのはかなり最近の話で、日本人は和服の下でかなりいい加減な座り方をしてきたようだ、という研究報告を新聞で見ました。その記事には、日本では韓国のように立膝を礼儀としていた、ともありましたね。

さて、話しは戻って、ご質問はもともとご夫婦のコミュニケイションについてのお悩みから発していますよね。思うに質問者さんのご主人は、無神論者であるうえに外国人と結婚するくらいですから、あまりそういう「違い」だの「文化」だのということにこだわりたくないと感じている(男の人によくいる)タイプなのではないでしょうか。「なんて複雑なんだ!欧米ではそれを不快に思う人はいないし、そこまで細かい事に気を遣っていない。」という言葉も、真意は「うざっ。めんどい。どーでもいーじゃん」ではないかという気がするんです。つまり、あまり込み入った理屈をこねると、かえって拒否反応を示すタイプでいらっしゃるのではないでしょうか。それがまた、あなたにとってもどかしいのかもしれません。そういうご夫婦間では、習慣の違いについての話し合いは、“小出し”になさるのがいいと思います。
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この回答へのお礼

ucokさん、再びご回答頂きありがとうございます。

脚を組むのはレディーとしての礼儀だというのもマナーの本で読んだ事があります。でもどちらかというと真面目な場面の日本のテレビ番組で日本人がそのような態度と言動をとった事でバッシングがあった事は事実ですし、それは『それを不愉快に思う人もいた』、という事だと思います。

ucokさんが夫婦間のアドバイスまでして頂きましたが、質問とはずれますが私の日本語訳が悪かったせいで誤解させてしまったようなので書かせて頂きます。
夫曰く、MBA取得のため大学院に行っていた時はアパートと学校との往き来で精一杯の毎日だったので女性と付き合うなんて事はできなかったそうです。今なお夫が言ってくれる、「世界中でたった一人の僕の妻(私)」だったから(私にとってもたった一人の夫だから)結婚したのです。夫は私にとって最高の夫ですし、日本人の私以上に教科書で学べるような日本の事は知っています。
なので、夫だけに伝えたいというのではなく、もっと広い意味で、世界にはまだまだたくさんいるであろう、日本に関して知らないまたは誤解を持っている人たちに、せめて今の日本人が持つ傾向や知識は、私が日本人の一人として堂々とあらゆる人に伝えられる人間になりたい、という思いからこの質問を、夫とのひょんな会話という例えを出して投稿させて頂きました。

長々と書いてしまい申し訳御座いません。ucokさん、ご回答頂きましてありがとうございました。

お礼日時:2008/12/31 02:59

アメリカ在住ですが、確かに西洋的考えでは、神の下では皆平等という意識が強い影響もあるでしょうね。



日本人の場合、やはり儒教や武士道の影響が未だに残っているので、行儀や振る舞いには、人一倍気を使う民族でしょうが、それは日本人の素晴らしさだと思います。

自分をへりくだって表現する、例えば贈り物でも、つまらない物ですがと言って、貴方のような立派な方には、この贈り物もつまらない物になってしまいますという意味合いがありますが、これが外国人に言ったら、つまらない物をよこすなと激怒するでしょうね。

誰であろうと人様は、年配の方により一層、自分より尊敬に値する価値を持っている人間であるという前提があるように思いますし、言葉の表現や行為がストレートではなく、ワンクッション置いた表現にも現れていると思います。

身の丈を知るとか、日本人としての生き方とか振る舞いといった物は、段々廃れながらも、まだ脈々と受け継がれていると思います。

質問者さんと同じように、日本人の思想や宗教や文化を、アメリカ人に説明しようと、新渡戸稲造が武士道を書いています。
元々オリジナルは英語で、世界中で翻訳され、日本語にも翻訳されていますから、一番の良書だと思います。
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この回答へのお礼

iwateさん、ご回答頂きありがとうございます。

「自分をへりくだる」というのも外国人にはストレートには理解できないでしょうね。誤解をされないためにも儒教や歴史、宗教を例にして背景を説明をする必要がありそうですね。iwateさんが例として書いて下さった、贈り物をする時の言い方を私は日本で知り、アメリカでは気を付けていますが、自慢気にプレゼントをする事に慣れるのにまだ時間がかかりそうです。

ご紹介頂いた、新渡戸稲造の本を探して読んでみたいと思います。

ありがとうございました!

お礼日時:2008/12/31 02:19

同じような事を思い、外国人の友人達と議論した時期があります。


結論は、宗教と歴史でした。
キリストはいなくても「物一つに魂が宿っている」といるのが仏教で、物を大切にする民族?らしいです。
そして、「儒教の教え」。
この辺で私自身、納得させています。
神については、いつもあなたを見守っているけれども、日本には神という意識が薄いので、「誰も見ていなければ…」と、いう気持ちになる人も少なくないという悪い例もありました。

関連したサイトは存じ上げませんが、「last samurai」の映画を観たときに、「honor」という日本語で表現しづらい、日本の良い文化と心が、外国人の友人達には伝わったようで理解されました。
日本や日本の文化や人が映画に出演することは少なくないですが、見事に間違いなく、日本の心を伝えてくれた映画だと思います。
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この回答へのお礼

hornbyさん、ご回答頂きありがとうございます。

同じような事を議論されたことがあるのですね、貴重なご意見ありがとうございます。私もいずれ様々な方たちと議論する時が来るような気がします。

物を大切にする、一つ一つに魂が宿っている...そうですね、私もいつのまにかそういう考えを持っていてモノを粗末に扱う事はできないところがあります。「誰も見ていなければ...」という悪い例も、確かに人が見ている見ていないでは緊張感があるなしでなのか行動も変わりやすいというのはありますね。
その点、神がずっと見ているぞ、という考えの方たちにとっては、他人がどうしようとどう自分を見ようと、人と神の差がハッキリしているというのはよくわかります。宗教と歴史からですね。

Last samuraiの映画は1度見た事があったのですが、「honor」に関しての部分には気づきませんでした。もう一度しっかり見てみたいと思います。

ありがとうございました!

お礼日時:2008/12/31 01:53

日本で所作が大切にされるのは、文化的な影響が大きいと思います。



日本は江戸時代、すでに貨幣経済が発達しており、江戸の中期になると「読み書きそろばん」が出来ないと、「商店に入っても番頭になれず、船に乗っても船頭になれない」つまりいい役職につくことができないと言われていました。ですので日本の識字率は世界的に見て高く、躾けもそれなりにきちんと行われていました。
特に商店に入店した場合、奉公人はとても厳しく躾けられたようで、結局、身元保証が難しい庶民が生きていくのに、読み書きそろばんと作法の丁寧さは、それだけでいい生活につながるパスポートでもあったのです。

もう少しこの流れを遡ってみると、やはり武士の文化に行き当たります。現在でも残っている作法を例に取ると
・畳の縁を歩かない→下にいる刺客が畳の隙間から刀を刺してくることがある。
・お辞儀をするときに、手は左手をかぶせるように両手を握る→お互いの刀の間合いに入っても、左腰にある刀を左手が邪魔して抜けない(つまり貴方を傷つけるつもりはありません、というジェスチャーになる)
こう言うものが積み重なって、戦国時代には所作で人を見定めるということが自然に行われていたように思います。
戦国時代には、味噌汁は1杯までが作法だったのですが、ある大名の息子が、おなかがすいていた為ご飯を2杯、味噌汁も2杯食べました。大名は、おなかがすいてご飯を2杯食べたいなら、味噌汁は半分にして置けばよいものを、、と考え、後先を考えられない息子の行く先を心配したそうです。案の定、先代が亡くなった後、その息子は他国に滅ぼされてしまいました。
なんていう話もあります。

よくアメリカは平等だといいますが、私は日本のほうが平等だと思います。確かにヨーロッパの階級社会に比べてアメリカは平等だとはいえますが、ブルーカラーとホワイトカラーの待遇を分けたり、役員は社員食堂で食事をしないなどの例があります。
それに対して、日本はJALの社長でも電車通勤・社員食堂で昼食を取る(最近話題になりましたね)ように、役職での区別があまりつかないものです。
首相だってエリートがなるわけではないのが日本です。中卒の首相もかつていたぐらいです。
分かりやすい階級差がない分、人を見極めるのに躾と作法が出来ている人を見極める文化ができたのだと思います。
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この回答へのお礼

phjさん、ご回答頂きありがとうございます。

江戸時代では生活のために所作や読み書きの修得は必要不可欠だったのですね。例として書いて頂いた中の、『お辞儀では左手をかぶせる』というのは私も教えられた事がありましたがその理由は初めて知りました。

日本では作法やしつけがなっていない子供を見ると「親の顔が見てみたい」と言うのを聞いた事があります。phjさんのおっしゃる通り、日本は識字率が高く教育も殆どみなが同じように受けられるので、しつけと作法で人を見極める文化ができたというのは納得してしまいます。

ありがとうございました!

お礼日時:2008/12/28 06:44

訂正を兼ねて補足させて頂きます。



「神の元において」と書きましたが、「神の下において」の誤りでした。

その、「神の下では対等」というのを分かり易く説明していると思うページを見付けましたのでご紹介します。
http://indianaky.blog45.fc2.com/blog-entry-278.h …

このブログは、在米日本人の方が書いてらっしゃいます。
日本人と米国人の感覚的な違いを分かり易く説明してらっしゃると思いますので、関連すると思われる他のエントリーも幾つかご紹介します。
http://indianaky.blog45.fc2.com/blog-entry-187.h …
http://indianaky.blog45.fc2.com/blog-entry-290.h …
http://indianaky.blog45.fc2.com/blog-entry-137.h …
http://indianaky.blog45.fc2.com/blog-entry-141.h …
http://indianaky.blog45.fc2.com/blog-entry-178.h …

こうして見ていきますと、どちらが良い悪いではなく、それぞれの風土を形成する過程において、宗教的な背景を見落としてはならないという事になるかと思います。
http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2008 …
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この回答へのお礼

t78abyrf9cさん、更にたくさんの興味深いページを添付して頂きましてありがとうございます。

私だけでなく、他にも私と同じような疑問や質問を持ってこの『教えて!goo』のサイトを見た方にもとても参考になると思います。

ありがとうございました!

お礼日時:2008/12/28 06:28

例えば脚を組むことに関しては、このようなスレッドがあります。


http://www.japan-guide.com/forum/quereadisplay.h …

基本的には、

(1)君んとこの国の価値観が欧米すべてを代表してるわけじゃないのよ、と説明。
(2)あたしらは、これを不快と思うけど、君らは、あれを不快と思うでしょ。おたがいさま。

という論法でいいと思います。
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この回答へのお礼

ucokさん、アドバイス頂きありがとうございます!

サイトを添付して頂き、私の初めて知ったサイトでしたので嬉しく思います。後でじっくり読みたいと思います。

『価値観』や『お互い様』ですか、そうですね!それぞれ違って当たり前ですし、アメリカ人は自国に対して優越感にしたっている(←夫が以前言っていた言葉)ようですが、それも価値観の違いでしょうね。私はこんな国で環境やリサイクルに対する罪悪感もなく優越感にしたれるなんて何て単純な人たちなんだろうと思ってしまいました。

ありがとうございました!

お礼日時:2008/12/24 05:01

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