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こんにちは。

このサイトでは、よく幽霊がいるかいないかが議論されていますよね。

『実際に幽霊を見た』と様々な体験談を書いている方や、それに対して『きっと光の屈折や影の効果などによる誤認だ』と頑なに否定している方もいらっしゃいます。

よく持ち出されるのは『幽霊は未だ科学で証明されていない』という意見なのですが、ここからが質問です。

幽霊(霊魂)が科学で証明されていないという理由でその存在を否定するならば、では未だ科学で証明されていないけれども確かに存在する私達自身(私達の肉体に宿っているもの)、その『生命』というものはどう説明すればよいのでしょうか。

生命あるもの『死亡』すれば肉体だけが残り、生命力を失ったそれは同時に体内の全器官の機能が停止し、身体状態の保持能力の消滅、肉体の腐敗が始まるのですよね。(=土に還るということ??)


では『生命力(精神?)』とは一体何なのでしょうか?科学によって定義づけられているわけでもなく数値や数式で表されているわけでもない。しかし、しっかりとここに存在している。


僕は幽霊を信じているわけではないですが、そう考えたとき、じゃあこの肉体に宿っているのは何なのか?と疑問に思ったので質問させていただきました。

A 回答 (7件)

すいません


今酔っぱらってるので、質問者さんとNo1さんの難しい議論にはあまりついて行けません(単なる知能の低さ?)

で、No1の方に似てる意見なのですおかがが、参考までに投稿します。
参考意見なんで、ポイントへの期待は全然無しです。

いつもの悪いクセで長い回答になりそうなので私が霊や超能力、宗教などのいわゆる「超自然的」な存在を信じなくなった経緯は省略します。

ただ私が
「あ。じゃあやっぱり霊なんて存在有り得ないじゃん・・・」
と思った決定的なことだけ回答します。

それは人間に「『死ぬ』という瞬間は自然学的に存在しない」って事実を知ったことです。

私はそれまで人間には当然、死の瞬間ってのがあると思っていました。
しかし人間には死の瞬間って無いんですよね。

刑法199条殺人罪の成立には人を死に至らしめることが要件となります。
もし自分が刺した相手が、刺した時点ですでに死んでいたらそれは単に死体損壊罪にしかならないのですね。

では厳密にどの時点で、刺された相手は「死んでいる」と判断するのか?

実はそれは法律や判例等によって人為的に「こうなったら『死んだ』ってことにしようね」とあらかじめ決めておくだけの話なんですよ。
国会や裁判所によって。
いわば各国が勝手に、自分達の価値観や宗教観、社会状況などの都合により任意の一時点を「死んだ」と決めているだけなんですね。

そもそも人間ってのは段々と、部分的に少しづつ死んでいくものなのです。

例えば髪の毛なんてのは、毛根から先はもうすでに死んでいてなんら代謝活動をしません。
ひどい凍傷になったりすると、手の指先は死んでしまったりします。

病気になってご臨終なんて状況になっても、まずある臓器が機能を失って、そして呼吸が止まったり、瞳孔反応が止まったり、脈が止まったりと段々と死んでいくんですね。

そしていわゆる死んだ状態になっても、毛根とかは生き続けて髪や爪はしばらく伸び続けるなんて言われてますね。

そのどの段階で「死」の瞬間とするかってのは、ひとえに立法政策によって決まるんですよ。
有る国では、呼吸・瞳孔・脈の3つが不可逆的に停止した状態で死と判断します(三徴候説)。
またある国ではこの3つ以外に、脳の機能を失ってるかで死を判断したりします(いわゆる「脳死」問題)。
もしかしたら山の上の鳥祭場で死体が鳥によって食べつくされ魂が神の下に参るまでは死んだとは言わない、なんて国も世界にはあるのかもしれません。

こういう風に、人間に「死」という瞬間が存在しないなら・・・・

ん?
じゃあ、死んで霊界に行くとか、死んで霊が出るとか
いったいどの段階で霊になるの?
肝機能不全で、肝臓が死んだ段階では、病室の上あたりに肝臓の霊だけがプカプカ浮いてるわけ?
毛根が生きていたら、新しい新人の霊なんてのは全員ボウズ?

そもそも命があるものが霊になるなら、ミジンコの霊とかミトコンドリアの霊もあるの?
意思がある生物に限るなんてもっともらしく語る霊能者も居るけど、意思のある・なしの基準ってどこ??

こんなことを考えて結局、霊なんてのは「理屈に無理があるな」と思ったのが、私が霊を否定する理由です。

なお余談ですが、私は早稲田の大槻教授がよく言うセリフ
「で、それがなんであんたに分かるの?」
これが大好きです。

科学的に実証されていないものを、なぜ「これは霊です」とか、「これはUFOです」とかもっともらしく語るオカルト専門家。
なんであの人たちは断言できるのでしょう。

たしかに大槻先生のように現代物理学で実証できないものを全て頭から否定する姿勢も問題あると思います。
(まあ大槻先生は物理学者ですから、物理の公理に当てはまらないものは否定して当然ですが)
しかし分からないものを「UFOだ」「超能力だ」と断定するような姿勢は絶対にいけないと思います。

大昔は雷さんも、これは雷神の仕業でした。
しかし多くの科学者の血と、時には命をもかけた研究によって雷は電気だとわかり、そしてその恩恵を現代の我々は受けて生きているのです。

このように「分からないこと」を霊や超能力のしわざと決め付けるような姿勢は、多くの偉大な先人への冒涜です。

ましてや日本は資源も少ない、技術科学立国です。
これからの将来を担う子どもたちに、科学で考察するという姿勢を学ばせ、いたづらにオカルト思考を持たないように教育するのは、我々大人の義務だと思います。
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実を言うと、私も子供の頃に同じような事を考えた事があります。



それは、人間の体を構成する細胞などをすべてそろえて組み立てた時、はたしてそれは人間として、生命体として、生きるのか、と言う疑問でした。
肉体が構成されても、何かが足りないような気がして、それは「生きない」と子供の頃の私は結論を出しました。
死亡ではなく、生み出す方向での考察でしたが、この足りない何かが、宿っている何かではないのか、と言う事です。

私は、ほどなく、フランケンシュタイン博士に出会いました。
確か、彼は、どのようにかして構成した肉体に、カミナリの電気を通して、生命体にしようとしたかと思います。

そう言うわけで、一説には、電気が宿っていると考えられます。
「電気=おそば」の式はすでに書いてありますので、ご理解いただけると思いますが、やっぱりおそばのような気がします。

私は今夜の晩ご飯に焼き飯を食べました。
明日の私には焼き飯が宿っているのです。
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私は、質問者様のように、肉体に何かが宿っている、とは思っていないので、何が宿っているとは言いかねます。



もともと精神(仮に精神としたまでで、他の言葉でもかまいません)なるものがあって、そこへ肉体が宿っている、と言う考え方もできます。
精神だけの世界があって、そちらは私たちの目にする事のできない世界なのでどうなっているのかもわかりません。
例えば、赤外線カメラの映像みたいなものかも知れません。
もし、ある生命体が死亡した時、向こうの世界ではどうなっているのかわかりませんが、情けない事に、肉体の方は完全にダウンしてしまっています。
でも、精神の方は、肉体の事などおかまいなしに、存在し続けています。
肉体の方で、精神から抜け出てダウンしているのです。
こうした場合、この精神の存在を、幽霊、霊、などとみなす事ができそうな気がすると、今、書いていて、思いました。

一方、質問者様の言われる、肉体に宿りしモノについて、人間をロボットに例えて考えて見ました。
私がロボットと言っただけで、人型のロボットを想像していただけたのなら幸いです。
言わずもがな、人型ロボットです。
このロボットは電気で動きます。
頭部にはコンピューターが内蔵されており、人間の脳さながらの処理を行っています。
生物としての筋肉や骨や血管や神経はありませんが、金属製の骨格や回路や配線などが施されています。
このロボットは、電気がなくなるとまったく動かなくなります。
見た目、人間の死亡と同様ですが、電気を与えると再び動きます。
でも、それでは面白くないので、一度でも電気がなくなると、もう二度と電気を与える事はできないシロモノと言う事にしておきましょう。
このロボットはたえず電気がなくならないよう、おそばを食べなければなりません。
おそばを食べると、電気が補充され動き続ける事ができます。
おそば以外を食べても、電気は補充されません。
「食べる」と言う、機能と部品についてはブラックボックスです。
補充できる最大電気量は決められていて、食べ過ぎても無駄になるだけです。
蓄えられている電気が、頭部のコンピューターや他の回路や配線をかけめぐっています。
人間の、血、や、神経信号のようなものです。
そう言えば、確か、人間の体にも、電気が流れているとか聞いたような記憶がありますが、まあ、それはおいておきましょう。
こうしたロボットは、頭部の損傷などでも動かなくなります。
壊れた、と言う事で、これも人間の死亡と同様です。
一旦なくなった電気同様、修理はできない事にします。
このロボットは、電気がある間は動き、故障もなければ動き続けます。
人間と同じです。
ロボットながらに体があり、考えたり体をコントロールする脳であるコンピューターもあり、まったくの人間と言ってもいいでしょう。
このロボットが動かなくなった時を、人間の死亡と考えて、何がどうなったのかを調べてみます。
故障により死亡、なにもどうもなっていません。
宿っているようなものは何もありません。
あるとしたら、回路をかけめぐる電気がかけめぐらなくなっただけです。
蓄えていた電気がなくなった場合。
おそばを食べずにいたせいで、電気がなくなりました。
おそば不足のせいです。
回路をかけめぐっていたものは電気ですが、電気はおそばから得られていたのですから、かけめぐっていたものはおそばとも言えます。
宿っていたのはおそばです。
人間の体に宿っているのはおそばなのです。

はて。
仮に、人間に宿っているものを何かだとして、それはどこから得られるのか。
肉体は、母親が生み出したものだと思いますが、宿っているものも、母親が生み出すのか、と言う疑問。
そのもととなるものは何なのか。
母親に宿っているものがそのままその子に宿るのか。
それとも肉体同様、宿るものも別に生み出して宿らせているのか。
それとも、肉体が生み出されて以降、ある日突然に宿るのか。
それは、いつ、どのようにして。
などと考えると、やはり、何かが宿っていると考えるのは、少々無理がある。
無論、この無理を承知で考えていけば、何かしらの解が得られると思うが、私はその時間を持たないので私は考えない。
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素人で、質問の意図をよく理解していないことが原因かもしれないのですが…質問内容に矛盾を感じます。



物事を定義することから科学は始まります。しっかりとした定義づけがされていない限り、それは科学で扱う問題にはなり得ないと思います。

>未だ科学で証明されていないけれども確かに存在する私達自身

「私達自身」とは何を指しているのでしょうか?科学で「私達自身」の何を証明したいのでしょうか?
科学で証明されていないのではなく、科学で扱えるような定義づけができていないだけではないでしょうか。

>では『生命力(精神?)』とは一体何なのでしょうか?科学によって定義づけられているわけでもなく数値や数式で表されているわけでもない。しかし、しっかりとここに存在している。

これも上記と同じで良くわからないのですが、「生命力」が何かがわからない(定義づけされていない)のに、何故、「しっかりとここに存在している」ということができるのでしょうか。

ところで、何故、肉体に何かが宿っている、と思うのですか?私は、「肉体に宿っているものは何もない」と思うのですが…
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幽霊もそうですが、その前に死という物がどういう感覚のものであるかが、生きてる人間には分からないわけですね、残念なことに・・・そして分かりもしないのに何で死ぬってのはこんなに恐ろしいのでしょうねぇ。


自分は霊だ何だよりそこが気になってしょうがないです。

死ぬって感覚は死んだ人じゃないと分からない。
人生においてたった一回キリの大きな大きなイベントなんですよね。
いくらホラー映画を見ようともその感覚だけは死の瞬間しか味わえない。
本当に苦しいんだろうか?
もしかするとそのとき限りの何か身体が分泌してくれるものによっていい夢が見れるのかも知れない。
でもやっぱり死ぬのは怖いです。
何でかな?
初めて知らないことに挑戦するのと同じ恐怖・・・それどころじゃないですよね。
この感覚は・・・
変だと思いませんか?

それを思えば見えもしない幽霊など何のこともないですね。
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生命についてですが、最近、以下の実験によって、隕石が海に衝突した熱や衝撃で、無機物から有機物が生まれる事が証明されたようです。



http://www.nims.go.jp/jpn/news/press/press258.html

>窒素ガスで満たした金属筒に水と炭素、鉄などを封入。
>超高速でプラスチック製弾丸を衝突させて筒の内部を瞬間的に約6万気圧に上げ、
>隕石の海洋衝突を再現した。
>その結果、アミノ酸の一種のグリシンや、脂肪酸、アミンといった、
>生物の体を構成する基本分子が生成した。
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>『生命力(精神?)』とは一体何なのでしょうか?科学によって定義づけられているわけでもなく数値や数式で表されているわけでもない



これは確かなことなのですか?
科学が生命という概念について厳密な定義をしているかどうか、私は知りませんが、それは単に私が知らないだけだと思っていました。
なんとなく、「遺伝子に書き込まれた細胞の再生産活動の限度」を生命として科学は扱っているのだと思っていました。

というわけで、生命なんてものが身体に宿っていたりするわけではなく単に各器官の相互作用がそれなりに順調な状態を「生きている」と言っているだけだと考えています。


>生命力を失ったそれは同時に体内の全器官の機能が停止し、身体状態の保持能力の消滅、肉体の腐敗が始まるのですよね

他の器官の活動にとってにとって重要な器官(心臓とか肺とか脳幹とか呼吸器とか)の機能の低下や停止がおきると他の器官にも連鎖的に影響が広まり、総体的な死に至る、んじゃないでしょうか。

だからこそ脳死問題なんてものが起こるわけですよね?

脳が活動をほぼ停止して他の器官を動かすことができなくなっても外的な機械の力で心臓やら心肺を動かして他の器官の腐敗(死)を遅らせることもできるわけです。
そういう状態の場合、「生命」とやらはいつ抜け出すんでしょう。もう抜け出してしまったんでしょうか?


「死」というものをどのように定義するか、また受け入れるかという問題については科学は今のところ手助けはできても決定権は持っていません。
人間は感情深い生き物ですからね。理屈とは別の判断が必要なこともあるからです。
ただ、そういう問題と科学が生命について定義し切れていないのだとしても、それとこれとは別々の事柄として考えるべきでしょうね。


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とりあえず私は
科学が定義できていないんだから何か他のもの(命とか魂とか)があるに違いない、みたいには考えません。
素直に、そこんとこはわからん、と判断するだけです。
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この回答へのお礼

なるほど。それでは、『肉体』の対義語が『精神』であると一概に容易に述べるのも難があるということですね?

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/12/25 21:17

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