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王と皇帝の違いって何ですか。

先日フランス革命とナポレオンについてのテレビ番組を見ていて、何でナポレオンは王でなく皇帝になったのだろうと考えました。ナポレオンだけなら、王政がつぶされたばかりで自分を王に仕上げるのは抵抗があったのかなぁと思うくらいですが、歴史上、王・皇帝とそれぞれ違う呼び名を付けているのでとても不思議に思いました。

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A 回答 (6件)

「王」と「皇帝」は、ほぼ英語の「king」と「emperor」に該当しますが、洋の東西で若干意味合いが異なりますので、以下に纏めてみます。



ヨーロッパの場合

・皇帝
ヨーロッパの皇帝の概念は、ローマ帝国時代にまで遡ります。
帝政ローマになっての初代の皇帝はガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス(アウグストゥス)とされています。
しかし、ローマは王政を打倒して共和制になったという経緯があります。
そのため、ローマ共和国時代に「王政アレルギー」と言って良いほど、政体が共和制から君主制に移行することに敏感になっていました。
でも、アウグストゥスが生きた時代には共和制では対応出来ない時代になっていました。
そこで、彼は「王」という称号を使わず、「インペラトール(羅・imperator)」という称号を使いました。
これは、共和制ローマ時代には軍事権を中心にした最高指揮官の称号でした。
(※そのほかに「アウグストゥス(称号)」「カエサル」という呼称も皇帝の称号として利用されるようになっていきます)

ローマ帝国崩壊後は、この「インペラトール」は「ローマ皇帝の後継者」の称号となっていきます。
ローマ崩壊で一端途絶えた皇帝ですが、A.C.800年にフランク王国国王カールがローマ教皇レオン3世によってローマ皇帝に戴冠されます。
この後、フランク王が皇帝も兼ねるようになりました。
フランク王国崩壊後に、またもや皇帝は途絶えますがドイツ王オットー1世がローマ教皇ヨハネス12世によって戴冠されます。
これが、神聖ローマ帝国の始まりとなります。
その後、ローマ皇帝>ドイツ皇帝>ロシア皇帝>ナポレオンへと引き継がれていきます。
ただし、ロシア皇帝とナポレオンは「皇帝を僭称」したのに近い感じです。
ロシア皇帝というか、東欧諸国には日本語で「皇帝」と訳される「ツァーリー」というのが出てきますが、これは「ローマ帝国の後継者=皇帝」を周辺国が僭称し始めたのが始まりとされています。
ナポレオンは、飛ぶ取り落とす勢いでフランスはおろか大陸中を席捲していた絶頂期に、勢いにのって皇帝を名乗っちゃったって感じです。
称号も「フランス人民の皇帝」ですので、ローマ帝国の後継者という意味合いは薄れていると言えます。
ただ、「教会は皇帝の下だ!」と言わんばかりに、ローマ教皇ピウス7世から帝冠を取り上げて、自分で被っちゃいました。(800年のシャルルマーニュの戴冠以来、皇帝冠は教皇が被せるのが慣わし)

もうお気づきかと思いますが、この「インペラトール」の英語が「エンペラー(emperor)」です。

一方、「キング(king)」というのはもう少し曖昧な称号です。
「KING」は、血族を示すキン「KIN-」から派生した言葉といわれています。
つまり、「血統」を強く意識した称号であり、政治的に作られた「エンペラー」とは概念が全く異なります。
で、この「王権」の正統性には幾つかの理由があり、政治的につかいわけられてきました。
まず大前提は、語源からも分かるように血統です。
その後に、一つは封建制度による家臣群から認められた「王権」。 (封建制)
もう一つは、ローマ教皇から「王」として認められること。(王権神授説)
という二つの論理がありました。
この二つを、政治力学的に使い分けて様々な歴史を形作ってきました。

このように、エンペラーはローマ皇帝の後継者という意味合いが強く、キングは一勢力の統治権を示す意味合いが強いと言えます。
そこに、キリスト教カトリックの「教皇権」との兼ね合いが加わってきます。


・東洋の場合

東洋の皇帝はの概念は、中国は秦の始皇帝にその源を発します。
秦が中国を統一するまでは、様々な国が乱立していました。
そして、各国の君主は「王」という称号を用いていました。
そのため、「王」という称号にありがたみを感じなかった秦の王様は、「皇帝」という称号を作り名乗りました。(これが秦の始皇帝)
「皇」の字は「自(はじめ)」と「王」の合わせ文字だと言われています。
そこに「帝(みかど)」を合わせました。
「帝(みかど)」には「天子」という意味が込められています。
「天子」とは、「天の命によって天下を収めるモノ」という意味です。
こうした理由があり、秦の始皇帝移行は「天の命によって天下を収めるモノ」として「皇帝」が中国を統治していくことになります。

一方、「王」は周の時代に「天子」の意味で用いたのが最初だと言われています。
最初は、封建制の関係から周以外の国は周王に配慮して「王」という称号はつかいませんでしたが、周の権威が落ちるとともに各君主が「王」を名乗り始めます。
で、「天子」であるはずの「王」が乱立することになりました。
それに終止符を打ったのが、秦の始皇帝です。

・・・と、話が前後しましたが、「帝」も「王」も「天子」を示す称号でしたが、それにありがたみがないとして「秦の始皇帝」が統一を記念して(?)「皇帝」を名乗り始めたのが、皇帝のはじまりです。
その後は、「王」は「皇帝」の下の位となってしまいました。

・日本の天皇

日本の「天皇」が「皇帝」にあたるのか「王」にあたるのかは、様々な議論が分かれるところです。
一応、「天皇」は中国の「皇帝」の別名です。
それを日本が導入したのは、天武天皇の時代という説が有力なようです。
その後、明治期に欧米に天皇の立場を説明するのに「エンペラー」を訳語として与えました。
それが慣例化して、欧米では「天皇=エンペラー」となります。

と、まぁ大雑把にはこんな感じですね。
参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。確かに、西洋と東洋では起源が少々違うのですね。始皇帝は「始めての皇帝」という意味なのですね。今までまったく気づきませんでした。

お礼日時:2009/01/09 13:56

 


 「この世で一番偉い人」が皇帝です。
 「大きな国で一番偉い人」が王です。

 ほんとうは皇帝は世界で一人なんですが、かつては人の行動範囲が狭く、どこでも「うちの文明の皇帝だけが皇帝で、あとはどこかの野蛮人が勝手になのっているだけ」という感じでした。なので、実際にはあちこちに皇帝がいたわけです。
 遠すぎて戦争すら出来なかったので、これで問題ありませんでした。

 中国では秦の王が、他の王たちを破って王よりえらい位につき、「皇帝」となのりました。最初につけたので始皇帝とよばれます。皇、帝というのは、神話上の称号2つをつなぎ合わせた、ほとんどモンスターのものです。 
 しかし三国時代になると、曹否や劉備や孫権が各地で皇帝を名乗り(当然戦争です)、その後、中国では王とかわらなくなります。しかし、アジア世界で朝鮮半島やベトナムが皇帝を名乗ることはゆるされませんでした。中国の長が皇帝であり、アジアの長であったのです。
 これがアジアの秩序だったので、清の時代、皇帝を冠する中国の長は、ヨーロッパ人に対して王の国の待遇を行おうとして問題になりました。
 
 日本も、皇帝から皇帝にという形で隋の時代に中国に親書をおくったところ、煬帝が怒ったという話があります。日本では、天皇=皇帝で将軍=王、天皇=教皇で将軍=皇帝、大大名=王など、さまざまな図式があてはめられますが、外国語訳では天皇は皇帝とするのが慣例です。

 ヨーロッパでは、王は、公爵、伯爵といった貴族のカテゴリに入ります。
 今でもいくつかの大きな王国と、小さな公国があるように、それぞれ大きさは違えど一領土の長です。
 王は血統を重視しますが、皇帝は世襲の意識が薄いのが特徴です。
 中世になると、皇帝(=ローマ皇帝)は、どこかのドイツ圏の君主が持つ称号になります。たとえばオーストリアの大公が、神聖ローマ帝国の皇帝を名乗りました。彼は大公であって皇帝ではあるけれども王ではありません。
 この皇帝は、選帝侯とよばれるドイツ人の公国、王国などの投票で選ばれていました。権力はあまりありません。教皇もいるので世俗人の長といったところでしょうか。

 ヨーロッパでは異民族の皇帝の称号には寛容で、インド皇帝ビクトリア女王や、メキシコ皇帝マクシミリアン(Kaiser von Mexiko)なんてのもいます。スラブ人社会のロシアもヨーロッパの秩序からはずれていたので、皇帝を名乗っていました。

 しかし、ナポレオンの場合、彼が名乗ったフランス皇帝というのは、突然湧いた称号でした。
 欧州におけるフランスの覇権が目的であったならば、ドイツ人に渡ったフランク王国の帝位を継承すればよいので、彼が目指していたのは、新しい秩序のようなものであったかもしれません。
 とにかく王でなく、大統領でもなく、国際的な皇帝を名乗ったことには大きな意味があります。

 「天に二日なし」であった当時、あえて2人目の皇帝を名乗ったナポレオンは、すでに神聖ローマ帝国の領土の一部を領有していました。すぐにナポレオンに破れ神聖ローマ帝国は消滅します。
 しかし、神聖ローマ皇帝を退位したオーストリア大公フランツ2世も、同時にオーストリア皇帝の称号を名乗りました(この際、ナポレオンは寛容でした)。
 ここでヨーロッパのローマの系譜は途切れ、皇帝がほとんど王と同義語になりました。また、ロシアがヨーロッパの強国として認められだし、ドイツも帝国をなのるなど、複数あらわれることになります。
 これらの経緯には、パワーバランスや外交政策が絡んでいました。しかし以上のことから、ナポレオンは皇帝の地位を使ったのは、新しい国際社会をもくろんでのことと思われます。
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この回答へのお礼

いろいろな情報をありがとうございます。「血統」と「世襲」て違うのですか?血筋(すなわち「血統」)で跡取りを決めるのが「世襲」だと思ってました。

お礼日時:2009/01/09 13:52

英語に a kind of とかいう表現がある。


一種の とか ・・・のような とかいう意味だが、ここにおけるkind は 親切なの kind と語源が違いまして、king と同じ語源です。部族とか、似たようなモノたちという語源です。
Kingは歴史的に「おれたちゃ○○部族でそのヘッドがKingだよん」
という意味合いがあります。
それに対して、emperor ってのは、軍隊を指揮するという意味が元々で、古代ローマで、軍隊をつれて一次的に外征したり、外敵と戦うときに、いちいち元老院で細かい話をしていられないので「戦場では、指揮者の権限で全部判断しろ、していいよん」というのが語源で、戦争でないときでも、ずーーーと国家の指揮をしてもいいんでないか?となったときに、emperor が現在の皇帝という意味になりました。
※ 中国では、王より偉いという意味で皇帝が定義されており、西欧の王や皇帝の定義とはちょっと違う。中国では王であり且つ皇帝であるというのはあり得ない、なぜって王と皇帝は上下関係にあるから。
西欧では、王であり且つ皇帝というのがあり得る、ハプスブルク家がそうですね。オーストリアという地域の王でありつつ、神聖ローマ皇帝という理念上、西欧のキリスト教徒の世俗の貴族たちを指揮する権利がある存在ですので。

で、ナポレオンですが
フランス革命というのが、部族社会とかそういった血縁関係で成り立つ社会を否定して、世界中が素敵な革命社会になるべきだというものであったこと。○○部族は○○な社会で暮らし、■■部族は■■な社会で暮らすってのは、あっちゃいかん!というのがフランス革命の大義です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。A kind of の Kind や King は Kin の流れの単語なのですね。確かに辞書には親切のKindとA kind of のKindは違う単語として載ってます。

お礼日時:2009/01/09 14:02

国王:国の王


皇帝:他国を支配する国の王

皇帝がいない帝国もあります
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この回答へのお礼

簡潔な答えをありがとうございます。でも、大英帝国(British Empire)は植民地時代も王・女王でしたよね。もともとEnglandの王だったので名前が変わらなかっただけでしょうか。今ではUnited Kingdom だからQueenで統一してるように思えますが。日本の天皇はEmperorだから「皇帝」と同意語だと思っているのですが、明治前はどこの他国を支配してたのでしょうか。

お礼日時:2009/01/09 14:13

国王:ある一つの国の君主を「王」と呼びます。

英語の「King(キング)」の訳語としても使われます。
その領土は「王国」と呼ばれ、国王の妻は「王妃」、兄弟や息子は「王子」、姉妹や娘は「王女」、跡継ぎを「王太子」といいます。王が女性の場合は「女王」と呼ばれます。
皇帝:複数の国家と、そこに住む複数の民族の支配者を「皇帝」といいます。その領域を「帝国」といいます。「帝王」は「皇帝」の別名です。
「emperor(エンペラー)」の訳語としても使われます。
皇帝が女性の場合は「女帝」、配偶者は「皇后」、跡継ぎは「皇太子(こうたいし)」、そのほかの子は「皇子(おうじ)」「皇女(おうじょ)」などと呼ばれます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。かなで書いてしまえば「おうじ」「おうじょ」で一緒ですが漢字が違うなんて、今までまったく気がつきませんでした。

お礼日時:2009/01/09 14:17

Wikipediaの「皇帝」と「国王」の項目をご覧になるとわかりやすいと思います。



参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%B8%9D, …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/09 13:47

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Q「王」と「皇帝」の違い

 「王」と「皇帝」の違いについて、疑問をもちました。
 取り敢えず、国語辞典で調べてみたのですが、

王 → 国王
国王 → 国の君主
王国 → 王が治める国

皇帝 → 帝国の君主
帝国 → 皇帝が治める国

 というふうに、たらい回しにされてしまいました。
 歴史的に見ると、ヨーロッパにおける封建時代には「王」が多かったと思います。でも、ローマ帝国は「帝国」ですから、代々「皇帝」です。中国では、今までいくつもの国が生まれては消えていきましたが、殆ど「皇帝」だったと思います。
 いったいどうゆう基準で王と皇帝、王国と帝国は分けられるのでしょうか?

Aベストアンサー

参考URLがわかりやすい説明をしていると思います。

参考URL:http://blog.goo.ne.jp/yappi27/e/c56dbc94a16040b9a40093bb96cf099f

Q天皇と皇帝と王の違いって??

タイトルのとおりなのですがこれらは何が違うのでしょう?
英語においても
EmperorとKingと分けているようですが
立場上の違いがあるのでしょうか?

Aベストアンサー

天皇は「天の子」です。
「天」は「神」と同義だと考えて(日本では)間違いないでしょう(実際、この辺はかなり乱暴な解釈ですが)。
「子」ですから、血筋がつながっていることを意味します。ですから天皇は代々血統でつながるわけです。

皇帝は「帝国empireを治める男」を意味します。
empireとは「ただ一人の権力者によって統治される領土」と定義されますが、これは、ヨーロッパが小さな国に一人ずつ王がいて、争っていた中で、強い権力者が小さな国の王をまとめて、一番トップにたった、というところから、理解できる定義でしょうね。

たとえていいかどうか分かりませんが、戦国時代に次々と武将を倒して将軍になったのと同じかもしれませんね。もし日本にもともと天皇がいなければ、皇帝と名乗った可能性もあります(あるか?)。

また、皇帝は、中国にもいます(こっちが元祖?)が、中国の場合も「天の子」であることは同様ですが、「天」の概念が日本に入った時点で変質していることからいっても、日本の天皇と中国の皇帝は別のものです。中国の皇帝は血統でつながりません。

さて、そうすると中国の皇帝とヨーロッパの皇帝の違いは、ということになります(ここからは推測になりますが)。

中国の皇帝も、ヨーロッパの皇帝同様、次々と倒してトップに上るつめた人、ですが、「天の子だから、この地位に就いた」とするのが、中国の皇帝概念だといいます。
一方ヨーロッパの皇帝は、「自分は神の子である」とは名乗らない(ですよね?)ので、ここが中国の皇帝との違いでしょう。他にもっと違うところはあるでしょうが、質問から離れてしまいますね。

なお、王はひとつの国のトップ、皇帝はその小さな属国をまとめたときのトップ、ということになります。これは、中国でもヨーロッパでも同じですね。

天皇は「天の子」です。
「天」は「神」と同義だと考えて(日本では)間違いないでしょう(実際、この辺はかなり乱暴な解釈ですが)。
「子」ですから、血筋がつながっていることを意味します。ですから天皇は代々血統でつながるわけです。

皇帝は「帝国empireを治める男」を意味します。
empireとは「ただ一人の権力者によって統治される領土」と定義されますが、これは、ヨーロッパが小さな国に一人ずつ王がいて、争っていた中で、強い権力者が小さな国の王をまとめて、一番トップにたった、というところ...続きを読む

Q教皇と皇帝

こんにちは。
今、歴史を勉強しているのです疑問点があるので質問させてください。
教皇と皇帝の違いがわかりません。できるだけ簡単に教えてください。お願いします。

Aベストアンサー

教皇は宗教的なリーダーで、皇帝は軍事的なリーダーです。
非常に大まかに例えてしまうと、日本における天皇(宗教的)と将軍(軍事的)のようなものです。(もちろんこの例えには反論がある方もいるでしょうが)
ですから、この教皇と皇帝のどちらが大きな権力を持っているかは、時代によって異なります。
十字軍の派遣が失敗する以前は教皇のほうが権力を持っていました。ですがその後没落し、皇帝のほうが権力を持つようになりました。

なお、皇帝が教皇の権力の前に屈してしまった事件を「カノッサの屈辱事件」、そしてそれからだいぶ後のことですが、教皇が皇帝の前に屈してしまった事件を「アナーニ事件」といいます。

Q世界史:「皇帝」と「王」のちがいは?

「皇帝」と「王」のちがいはなんですか?

あと、神聖ローマ帝国のオットー1世は『王』ということで良いのですよね。そうすると、皇帝は誰だったのですか?

Aベストアンサー

王の上位者が皇帝。

神聖ローマ帝国の場合は帝国を構成する各国を支配する王などから選挙で選ばれて帝国全体の統治者となったのが皇帝。

>あと、神聖ローマ帝国のオットー1世は『王』ということで良いのですよね。そうすると、皇帝は誰だったのですか?
オットー1世が東フランク王国の王でドイツ帝国の皇帝。

日本で言えば殿様(王)と徳川将軍(皇帝)の様な関係。

Q王と公の違いは何でしょう?

モナコやルクセンブルクは「公国」で、君主に「公」なるものが居ます(アルベール2世公とか)

王は 何となくどういう者か分かりますが
公は よく分かりません

王と公の違いは何でしょうか?

Aベストアンサー

Wikiには以下のように記載されています。
 ヨーロッパの君主には皇帝、国王、大公/公(プリンス)の
 3つの概念がある。元々は各地域ごとに君主の名称があった訳
 だが、ローマ帝国以降のヨーロッパの秩序においては、皇帝や
 教皇から王として承認を受けた存在のみが王であり、そのよう
 な承認を受けない小君主が総称的にプリンスと呼ばれた。

詳しくは以下のリンクの『西洋の王』の項目を見てください。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%8E%8B

Q皇帝(天皇も含む?)、国王の意味合いの違い

皇帝の方が国王よりも軍事色が強いような気がしますが、皇帝と国王の違いは何でしょうか?

Aベストアンサー

 日本語の「皇帝」という言葉の語源は、もちろん始皇帝の「皇帝」です。始皇帝は、三皇五帝と呼ばれる古代の君主より偉いということをアピールするために「皇帝」という呼称を作ったという説が、概ね主流ですね。三皇五帝は、8人ではなく十何人いたりするので、この辺が古代史のアバウトな所ではありますが。
 ともあれ、中国ですから中華思想の下にあり、天が認めた地上の支配者という意味がこめられています。だから、皇帝は「封禅の儀」という天に自分の就任を知らせる儀式を執り行うのです。

 そのツテで続けると、王は No.1 でも述べられているように、皇帝に任命された人です。従って、その人がなぜ王なのかという権威の源は皇帝になります。他方で皇帝の権威の源は、上述のように、天です。「天が認めたから皇帝」という立場だからです。皇帝と国王の関係は、天と皇帝の関係と同じです。
 というわけで、軍事色は全く同等ですね。軍事は政治の一部ですから。

 なお、ナポレオンも含めたローマ皇帝の系譜について言えば、中国の皇帝とは全く違うものです。初代エンペラーのアウグストゥスは、ある意味エンペラーではありません。独裁官(インペラトール)という役職に終身で付くという法改正を行なったので、それが彼の立場の別名になっていったのです。
 つまり、エンペラーの権威の源は、ローマ法です。この点の中国皇帝との違いはかなり大きかったのですが、ローマ帝国の国教がキリスト教になって、ローマ皇帝自身がローマ法王となってしまってからは、いわば“皇権神授説”になってしまいました。権威を授ける主体が「天」なのか「(キリスト教の)GOD」なのかの違いだけで、構造は同じになってしまったということです。

 これに対し、日本の「天皇」は、やはり中華思想の「天上皇帝」から取ったという説があり、「あめのしたしろしめすすめらみこと」の漢訳という説もあり、なかなか不明確です。
 皇帝と名乗ると煬帝の怒りが直接日本に向きそうだから、ちょっと変えようと、聖徳太子は思ったのかもしれません。当時、煬帝は内乱に気を取られていたので、少々のことでは玄界灘の荒海を越えてまで膺懲の軍は起こさないだろうと、聖徳太子は踏んだから「東の天皇、西の皇帝に」なんて書いたと考えたい。
 そして、その呼称の成立意図はともかく、天皇の権威の源は、記紀神話に基づきます。具体的には、天照大神が孫の神武天皇に対して、日本を治めろと託宣を下したことです。つまり、神々の子孫であることに、天皇が権威を持つ理由があるということです。
 つまり、日本の天皇は、中国の皇帝とも、ヨーロッパのエンペラーとも、全く違う伝統を持っているわけです。

 あなたは「時代錯誤」という言葉を使いましたが、時代なんてものは一瞬で過ぎていくものです。それに対して2600年(ということになっている)の伝統は、望んでも得られるものではありません。たかだか一瞬の「時代の雰囲気」で、世界が敬意を払う財産となっている伝統を、「時代錯誤」などと言って切り捨てるのを見聞するのは、とても残念なことです。

 日本語の「皇帝」という言葉の語源は、もちろん始皇帝の「皇帝」です。始皇帝は、三皇五帝と呼ばれる古代の君主より偉いということをアピールするために「皇帝」という呼称を作ったという説が、概ね主流ですね。三皇五帝は、8人ではなく十何人いたりするので、この辺が古代史のアバウトな所ではありますが。
 ともあれ、中国ですから中華思想の下にあり、天が認めた地上の支配者という意味がこめられています。だから、皇帝は「封禅の儀」という天に自分の就任を知らせる儀式を執り行うのです。

 そのツ...続きを読む


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