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人の不幸は密の味といいますが、言いえていると思います。
一歩考えを進めて、人類究極の総体的な幸福状態は、例外なく、全員が幸福であると言うことだと思います。そうすると、蜜の味はなくなりますが、そんなことは、大きな充実した幸福が全員に与えられ享受され維持されていると言うことの前にはどうでもいいことです。この状態が最もすばらしいでしょう?
では、現実の、幸福な人もいれば不幸な人もいるというこの現状(密の味が可能)と、全員不幸でこれまた蜜の味がないという世界とは、どっちか総体的あるいは個々にとってよいのでしょうか?とりあえず思いつくのは、全員が不幸だと言う客観的にも主観的にも確証があるので(つまりどう考えても、どちらを向いても幸福なやつまともな人生のやつがいない)、自分への惨めさや嫉妬心に悩むと言うことは無くなります。しかし、世の中には何の幸福もない。それよりも、現状のうらみつらみ妬みがある世界のほうがいいのでしょうか?

A 回答 (5件)

>人類究極の総体的な幸福状態は、例外なく、全員が幸福であると言うことだと思います



ただ、全員 何を持って幸福とするか、尺度が違うので、統一した幸福など無いですよね。

例えば、両親がそろって有名人で、おこずかい毎月10万。
両親から愛されている。
うらやましい限りですが、麻薬に手を出し、執行猶予がついたが、また手を出し実刑をくらった人。

結局 例えば +1を望んでいた人が、それを手に入れたら、その状態が+1ではなく0になるんじゃないかと。
で、またさらに上を望む。 そしてマンネリ化すると、刺激を感じられなくなり、マンネリから脱出するため、マンネリ状態を0に置き換え、もっと刺激を と望む。

きりないです。


>では、現実の、幸福な人もいれば不幸な人もいるというこの現状(密の味が可能)と、全員不幸でこれまた蜜の味がないという世界とは、どっちか総体的あるいは個々にとってよいのでしょうか?

うーーん 見渡す限り自分と同レベルの生活水準の人ばかりの方が平和じゃないかと。
だって、もっと って焦らないから。

周りより生活水準が低いと、周りにおいつこうと焦るじゃないですか。
で、どうしても手に入らないと、嫉妬とかグレたりとか、捻じ曲がりやすうなるかも。


ある方が崩壊前のロシアに行ったとき、そこの棲む人が「この国は楽園」だと言ったそうです。
日本人からしてみれば、ボロ屋で、寒くて、なんもない平原の家。
「どこが楽園?」と思ったが、比較するものが無い以上、穏やかに暮らせていれば楽園なんですよね。
比較するものが目につくと、自分と比較して不幸感が生まれるんじゃないか と。


で、世の中 仕事がある人が幸福で、仕事が無い人が不幸だとされますが、考えてみれば、働かなくても生活できる人は、わざわざ働く必要はなく、財閥の家に生まれながら、仕事につきたいと言った娘に対して、「下品なことをするな」と言ったそうです。
何も困っていないのに、働くことは下品なのだそうです。


考えてみれば、生活をするために、働くわけですが、自然界になっているものを集めて暮らす人にとってみれば、手を伸ばせば食べ物があるわけで、働く必要が無いわけです。

例えば広大な領土を持っている人は、その土地を他の人に貸して、貸し代で生活しているので、働かない。
畑を耕すことなく、使用人を雇って豪華な食事、豪華な衣装、同じ境遇の人たちと集まってサロンでお茶。

たまたま広大な領土を持つ領主の家に生まれたため、一生働かなくても、食べるものも着るものも困らず、狩や旅行を楽しんだりできる。

イギリスの女王もそのはずなのですが、、、忙しいみたいですね。
女王という仕事についていなければ、、、、

で、前はイギリスは女王の領土を国民に賃貸しているので、女王は税金を払わなくてよかったそうですが、今じゃ不平等だかなんだかとクレームがつき、税金納めているらしいです。
地主の女王といえど、農奴のご機嫌を損ねると、王室存続の危機になる時代なんですねぇ。
人のねたみは怖い 怖い。
が、カリスマ性を高めれば、イギリスのシンボルとして王室が敬愛されたりできる。


日本の皇室も「税金の無駄」という意見もあるが、日本の象徴として、残したいという気持ちが強いので、税金で暮らしているが、ねたまれない。
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この回答へのお礼

相対主義的幸福に安住する限り、おっしゃるような幸福状態の錯覚の中に暮らすと言うことになるのでしょう。そして、時として、客観的には不幸かもしれないが、主観的には幸福状態である、安定的定常的な社会(例のような)というものが実現している。どっちの幸福がいいかですね。結局進歩があったほうがいい焦りがあったほうがいいということになって今まで来た、あるいは必要性からそっちへ流れてきたと言うことらしいですね。

お礼日時:2009/01/21 12:07

ひとつ思い違いをしていますね。


「他人の不幸は蜜の味」と思える人は自分自身が「不幸な人」です。
だって自分が満足して幸福ならばわざわざ他人の事など気にかけないのでないですか?
「自分が不幸」「自分に不満」があるからもっと下の人間を見つけて自分の幸福感を演出しようとしているのです。

ですから個人個人が幸福で満足しているなら相対的にも個々にもよい事です。
まあ、普通に考えて子供でもわかることだと思いますが。
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この回答へのお礼

もちろんそうですね。相対主義的な考えに支配されている状態がもっとも陰惨極まりないことじゃないでしょうか。

お礼日時:2009/01/21 12:04

私は、#2さんの考えにかなり近いですね



残念ながら人間というものは欲深いもので、ある時はその状態が幸福であったとしても、しばらくするとその状態を幸福と感じられなくなってしまいます。

つまり、すべての人が幸福であり続けるためには、ある意味幸福インフレーション(経済のインフレーションのような)になる必要があり、結局のところ、それは破綻します(そして、逆に不幸を導きます)
逆は不幸スパイラル(経済のデフレスパイラルのような)になって、これはおそらくそのまま行けば破綻する前に人類が破綻します。

よって、人類にとっては不幸な人もいれば幸福な人もいるのが理想だと思います(現実社会がいいかどうかは別にして)


あるいは、もう幸福とか不幸とかいう概念を捨てて(私有財産とかを認めずに)生きるのがもしかしたら人類にとって一番幸福なのかもしれません
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この回答へのお礼

幸福不幸があることで人類社会が安定的であるということは、確かに言えそうですね。しかし、それでは結局幸せではないという諦念につながるのではないでしょうか。人間社会を安定に保つそのような動機が、幸福不幸からはなれられたとき、初めて人類は幸せになれます。

お礼日時:2009/01/21 12:03

全員が等しく幸福な状態が最もすばらしいかというとここに大きな疑問がわきます。

全員がすばらしい状態に近いづくことやより幸せになることは良いことだと考えますが、全員が等しく幸せになってしまった状態は、地獄だと思います。

これと同じ考え方で下記のような言葉があります。 すべて同じ発想です。
1) 無限は地獄の一形態
2) ユートピアは地獄
3)有終(終わりがあることが幸せなこと。)

今議論しているようなことにについては、本当の意味で100%は存在しないです。
100%と 99.999999%は本質的な意味の違いがあります。それは例外の存在の有無です。

それと物事は必ず変化します。 変化することが本質です。 変化しないもとのありません。 先ほどの1),2),3)はすべてこの変化を否定しています。 これが地獄を作り出します。

全員がすべて幸福であろうが、全員がすべて不幸であろうが、どちらも地獄です。どちらの世界も地獄です。 みなが幸福を目出して努力という変化を作り出している状態が、もっともすばらしい状態であると考えます。
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この回答へのお礼

変化しないと言うことはありますね。ただ、その変化の内燃機関燃料が、幸福不幸ではないほうがよいのではないかと思います。

お礼日時:2009/01/21 12:01

同義的な解釈しかできませんが、興味があったので書き込ませていただきます。



他人の不幸は蜜の味とも言いますが、今の社会は「自分の不幸は他人の幸せ」「自分の幸福は他人の不幸」という、この考えがどうも捩れてしまってるように思います。
確かに精神的欲求も物的欲求も誰かが不幸に成り得ているからこそ、自分が幸福になれるというのは言うまでもありませんし、学生時代の受験競争もそうですが、誰かが不合格になって不幸になっているからこそ、自分が合格して幸福になっているということは、誰もが若い頃から感じていることだと思います。欲求が満たされてそこで様々なものが享受できるというのも言うまでもありません。

ただし今の世の中は激変しており、ある種ゼロサムゲーム的な考え方から、プラスサムゲーム的な考えを持てるような社会になれば、幸福感一つにしても絶対的幸福感として捉えることも可能だと思います。

いずれにしても今の世の中で「あなたは幸福ですか?」「あなたは他人の不幸を蜜の味にできますか?」の問いに「はい」と答えられた人は、今の社会情勢を知る上で、知性の部分でどこかに欠落している部分があるように思います。
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この回答へのお礼

結局、人間はたいしたものではなかった、という物質文明の現時点の査証だったのではないでしょうか。欠落していることが普通だと言う、なんともやりきれない状況が支配的です。

お礼日時:2009/01/21 12:00

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