dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

フロイトやエリクソンの発達心理学では
人間の成長段階において、
たとえば、乳児期の基本的信頼と不信
2歳前後の自律と恥・疑い
3から6歳のイニシアティブと罪悪感
などと、成長する上で必要なものがあるとしていますが、
これらが獲得できているのかはどのように判断するのでしょうか?
自分の生い立ちなどから、これかが正しく獲得できていない時期が
あったように感じ、もしそうなら、自分を見つめなおして、
成長するきっかけにしたいと考えています。
発達心理学について知識も浅いので、参考になる文献なども
合わせて教えていただけたら助かります。

A 回答 (3件)

お節介と思いますが、お礼の内容で気になることがあったので再び回答します。

その前にエリクソンをご存知というのは、勉強しているのかなと思います。エリクソンは、フロイトのようにメジャーではありません。しかし、発達課題をそれまでの思春期までから死ぬまでの一生と考えたところに功績があります。知っている人は知っているという存在です。私の好きな心理学者の一人です。「好きな」というと語弊がありますが、彼の考えで私の人生を解釈するとピッタリです。

前置きが長くなってしまいましたが、本題に入ります。「被害妄想」とありましたが、それが今悩んでいる事でしょうか。私も「被害妄想」まで行きませんが、「他人の目」が気になります。「あの人はどう思っているだろう。」「気を悪くしただろうか。」と気になってしまいます。大学時代にそんな自分が嫌で自分を変えようとして、丸坊主にしたことがあります。悪友は「外見が変わっても中身は変わらない。」と言いました。そのときは自己受容出来ていなかったと思います。自我が確立していなくて、いつも他人の物差しに左右されていたのだと思います。
何でそうなるかというと自分がないと思います。言い換えれば「自分は~」という自信がなかったわけです。「自信」というのは、それまで私は「過去の成功事例に基づくもの」と考えていました。そのときに前述の悪友が「自信は自分を信じる事だ」と言いました。確かに漢字では「自信」は「自分」を「信じる」と書きます。それからは、「他人の目」が気になるときは自分が不安定なときなので、「自分を信じる」と言い聞かせています。
私のそういう性格は生まれつきなので、なかなか変えることが出来ません。しかし、性格は相手との相対的な関係ではないでしょうか。「他人がどう思っているか気になる」というのは、自分からすればマイナスですが相手からすれば「気遣いしてくれる人」「相手のの心を心を思いやる人」「優しい人」と映るのではないでしょうか。自分の性格をマイナス思考するのでなく、プラス思考してはどうでしょうか。

2つめは爪かみです。エリクソンからすれば基本的信頼の欠如となるかもしれません。また違う見方をすればウィニコットという小児科医の移行対象になると思います。移行対象を何であるか一言で言うとスヌーピーに出てくるライナスという子どもがいつも毛布を持っているものです。ウィニコットによれば2~3歳の幼児が母親がいなくなって不安になったときに、子どもはその不安を解消するために自分の体の一部や毛布などを触ります。それを移行対象と呼んでいます。移行対象は言語などが発達すると消滅すると言われています。それが何らかの原因で大人まで消滅しない場合があります。
私の大学生の娘は、ライナスと同じように2~3歳のときのタオルケットが「大好きタオル」と言って、離すことが出来ません。その当時ものはもうボロボロになっているので、そのタオルを新しいタオルに包んで二代目、三代目・・・と呼んで持っています。その娘は中学・高校と不登校傾向で、超低空の出席率で高校を卒業し大学に入学しました。その娘に「何で定期テストが近づくとお腹が痛くなるの」と聞くと「何でだか自分でも分からない」と言ってました。ただ最後に「甘えたいときに甘えられなかった」と言ってました。基本的信頼というのは、こんなところにも出てくるのかなと思いました。いろいろ私自身のことを書きましたが、質問者さんにも何か思い当たるところがあるのかなと思い書きました。

3つめは質問者さん自身が子育て最中ということで気になると書いてありました。子育てしながらも、自分の思いが子どもに投影されるのではと心配なされているのでしょうか。それについては、結構関連があると思います。バウムテストというテストがあります。これは、「1本の実のなる木を描いてください。」と指示されて描かれた絵からいろいろ解釈するものです。あるカウンセリングの研修会で、娘の絵を見てその講師は幼少期に何かのトラウマがあると言いました。私も描いてみると、娘の絵と似ていました。私自身も振り返ってみるとエリクソンの基本的信頼に問題があるのかなと思いました。
しかし、それに気付いているのと気付いていないのでは、大きな差が出てくると思います。娘が不登校傾向になったときにも、私自身がカウンセリングについて勉強していてその知識があったためにその時々に適切に対処出来たと思います。気付いていない場合には、目の前に起こっていることが何が原因かさっぱり分かりません。領域外の専門家に診てもらっても、「原因が分かりません。」と言われて途方にくれてしまうと思います。それに気付いていれば、心理的要因と思いその領域の専門家に診てもらうことができます。
また、悩みもそれに気付いたり意識化されるようになったりしたら、80%は解決できたと思います。気付かない場合は鳴門海峡のように渦を巻いて堂々巡りをしているばかりです。意識化することによりその渦から脱出できます。

4つめは再び基本的信頼に戻って、子育ての中では母親というのはもっとも重要なキーパーソンです。娘が「甘えたいときに・・・」と言っていたのは母親にでした。質問者さんが女性であるならば、それを与えるならば、いつでも、どこでも、すぐに黙って一言「いい子だね」と言って抱きしめてやることです。男性であるならば配偶者が心が安定していてすぐに子供を抱きしめてやることができるようにサポートしてあげることです。

2回目の回答は長くなってすみません。エリクソンのことと似ている部分があったので、だらだらと書いてしまいました。お許しください。

この回答への補足

お節介だなんてとんでもない。
実体験を含めて丁寧にご回答しただいてありがとうございます。

私自身のことを詳しく話していないので、わかりにくい部分もあったのですよね。

心理学者について知ったのは、短大のときで、幼児教育学科のある学校で、幼稚園教諭と保育士の資格をとる学校でした。
その資格をとるために発達心理という単位が必要で、そこで初めて心理学について学びました。
そのときは主にフロイトがメインで、乳児期・幼児期における発達課題についてや、それらを獲得することの重要性を学び、そこにひっかけて
保育士などの子供にかかわる仕事の重要さを教えようとする授業でした。

その授業では、発達課題を正しく獲得できずに成長すると、なんらかの影響があるので、正しく獲得していけるように導いていけるような保育士になるようにということを何度も教えられ、ものすごく違和感を覚えました。

特に乳児期は母親の役割が大きく、何らかの事情で母子分離があった場合、課題の獲得が困難になる場合が多く、施設などで勤務する場合は気をつけなければならないという話をきいたとき、自分のことがとても不
安になったのです。
私は3歳のときに父親が、母のほかに女の人ができて家をでてしまい、
父方の祖母と母と弟の4人で暮らしていました。が、母が水商売を始めたので、昼間は寝てばかりで夜になると出勤する生活が続き、8歳のとき母親も男の人ができて出て行ってしまいました。
祖母が若かったので、その後は祖母と弟の3人暮らしになり、自営業でバリバリ働く祖母のおかげで不自由なく暮らしましたが、10歳のころ、20歳の彼女を連れて父が帰ってきて、父が事業に失敗したりととても不安定な思春期を過ごしました。父が若いお母さんを連れてきたことで学校でいじめにもあいました。
不登校になったり、夜遊びを覚えたり、男の人に癒しを求めるような高校時代を過ごしてきて、高校3年生の進路を決める時期に、自分のルーツを知りたくなり、母を探しました。
あっさり神戸にすんでることがわかり、再開しましたが、母も精神的に不安定で・・・・
とにかく複雑な環境で育ち、友達や職場の人との人間関係でも、距離感がうまくつかめずにトラブルになったり、つねにさみしくて、周りの人を試すようなことをしたり、自分自身、どうしてこんなにうまくできないのかと悩むことばかりでした。
今現在は主人と子供二人に囲まれ、とても幸せに暮らしていますが、やはり、人間関係でうまくいかないことが多く、悩んでいます。
保育士の仕事をしていたり、結婚・出産とめまぐるしい20代を過ごしてきたので、深く自分と向き合うことがなかなかできずにきましが、勉強することは元々すきだったので、独学などで心理学については勉強してきました。
バウムテストなどでは特に異常がないのですが、どの発達課題をみても獲得できていないように思います。
母親になる前にきちんと自分のことを知るべきでしたが、まだ子供が小さいうちに、なにが自分の課題なのかをはっきりさせて、いつも子供にとって太陽のような存在でいられるように、成長していきたいので、その指針をしりたのです。

とても個人的な話を長々とすみません・・・
またよかったらお返事ください。

補足日時:2009/02/05 22:59
    • good
    • 0

またまた、お節介で申し訳ありません。

「また、良かったらお返事ください。」と書かれていましたので、それに甘えて書いてしまいました。

エリクソンをご存知なのは、教育系かなと思ってました。個人的内容については、重い内容なのでなんとコメントしたらよいか分かりません。しかし、全体を読んで感じた印象は質問者自身の精神状態は健全ではないかということです。確かに家庭的不和で、不登校、夜遊び、男の人に癒しなど、ちょっと脇道にそれたようですが短大を出て結婚しお子様がいられるという幸福の道を歩まれています。脇道にそれてずっと脇道でなく、本道に戻ってらっしゃいます。その健全さはどこからと思いましたが、そのキーパーソンはお祖母様ではないでしょうか。お祖母様がしっかり質問者さんを受け止め、支援してくれたと思います。お母様からは基本的信頼を受けることはできませんでしたが、お祖母様からしっかり受けられたのではないでしょうか。

不登校の親子カウンセリングをしたことがあります。家庭の不和などの問題はなく、また両親の養育態度も教育熱心で問題はなく、環境的に問題点を見つけることはできませんでした。子供のカウンセリングの中で、「甘えたいときに甘えられなかった」と言いました。それで、母親に子供が「抱っこ」と言ったときどうしましたか、と聞きました。その答えは忙しい時にはそれをしてから抱っこしたと言いました。次に両親から抱っこしてもらった記憶がありますかと聞くと、「ない」と答えました。もっとカウンセリングを続けると母親は「子供が嫌いだ」と言いました。その母親は質問者さんと同じく保育士、幼稚園教諭の取れる短大を出ました。しかし、それがあったためかどうかは分かりませんが、一般企業に就職しました。環境的に恵まれていても、人の深層心理によって子供は変わるのかなと思いました。

質問者さんは過去にいろいろありましたが、今は立派なお母さんだと思います。それと、ドジで間抜けがいいでしょう。「お母さん、またドジ踏んじゃったよ。」と言えば、子供は「大丈夫」と慰めてくれます。また、今回も長くなってしまいました。お許しください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

この場をかりてカウンセリングをしていただいてるような丁寧なお返事、本当にありがとうございました。

おっしゃる通り、おばあちゃんからもらったものは私にとってとても大切なものばかりで、そのおかげで今の幸せがあるように思います。

辛かった時のことが時々思い出されて不安になるのも確かですが、自分の生まれつきの性格が原因でおこった問題も、過去のことを原因にして逃げていたところもあったのかと反省しています。
それは、おばあちゃんや、主人・娘たち・友人など、今の私のまわりにいてくれる人たちにとても失礼なことだと思いました。

環境が恵まれているいないに関わらず、目の前にある大切なものを守るために一生けんめいがんばっていくしかないですもんね。

完璧な母親には程遠いですが、それでいいんだと少し肩の力が抜けたように感じます。きっと私の娘たちも、私の力が及ばない分、悩んだり苦しんだりすることがあるかもしれないけれど、そのときに一緒に乗り越えたり、見守ったりしていくことでしか人間は成長できない・・・

改めてそう思うことができたように感じています。

本当にありがとうございました。
ついついたくさんのことをお聞きしてしまい、失礼しました。

お礼日時:2009/02/16 14:39

ものすごいアバウトな回答で恐縮ですが、獲得できないと思った時期がそうだと思います。

発達課題が獲得できているかどうか、客観的に判断するチェックリストようなものはないと思います。その発達課題が達成できなくて、いろいろな問題を発生させると思います。その問題についていろいろな解釈がつきますが、その解釈のひとつとしてエリクソンの発達課題に求める場合があります。専門家がその問題行動の原因として、発達課題が獲得されていないと判断するのではないでしょうか。

「獲得できないと思った時期がそうだ」と書きましたが、私自身振り返ってみると、そのようなことで悩んだ時期が2回あります。はじめは大学の時で、繊細なところがあると思えば鈍重なところがあり、自分自身は二重人格と悩みました。その答えは自分自身を円と考えると悩むので、楕円と考えれば悩まないということです。円には中心が1つしかありません。楕円には焦点という点が2つないと書けません。繊細と鈍重が同居する楕円、すなわち自分が存在すると思いました。自己受容することができました。後から考えるとそれが自我同一性かなと思いました。

2回目は定年まであと10年というときに、「これから10年どう生きようか」悩み黄昏症候群ぎみになりました。ある時、文章を書くのにもう一度エリクソンのことを調べました。すると、晩年期に「今までの自分の生き方を振り返り、新たな自我の発見や統合を図る」と書かれていて、それを自我再統一と呼ぶそうです。自分自身に振り返ってみると、若いときに夢がありました。それは日常の多忙に忙殺されていました。それが蘇ってきて、あと10年それができたならばいいなと思いました。前述の黄昏症候群や空の巣症候群、初老性鬱病などは、この自我再統一がうまく解決できないために起きるのかなと自分自身の体験から思いました。

質問者さん自身も「自分を見つめなおして、成長するきっかけにしたいと考えています。」と書いていますが、竹が強いのは節があるからです。人生もそのような節が必要かなと思います。参考文献ですが、専門書は読むと眠くなるので解説書ばかりで雑学です。それで、お奨めできる文献は見あたりません。あしからず。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「竹が強いのは節があるからです。人生もそのような節が必要かなと思 います」
私にとって、とても救われる言葉です。
獲得できていないことが問題なのではなくて、
獲得できていないかもしれないと感じることで
悩んだり考えたりするきっかけとなって、
それが節になっていくとしたら、
問題があっても、少し受け入れることができそうです。

今、私が感じている問題は
人とかかわるときに被害妄想が強く、
嫌われたくないと必要以上に思うために
とりいろうとしたり、合わせすぎたり
距離間もつかめず、他人に執着してしまいます。

子育てもしているので
子供のためにもまずは自分がきちんと成長したいと考えています。

また、つめをかむくせも小さいころからなおりません。

自分と向き合うきっかけになりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/02 21:08

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!