
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
個別の対話にとらわれず、大きく筋道をつかんでいってください。
反論の筋道はこうなっています。
1.まずソクラテスは
・快楽と善は別物である
というところから反論していきます。(494C-499B)
494C-Eで、ソクラテスはふたつの反証をあげていますね。
疥癬にかかっていて痒いところを掻いている人は幸福であるのか
男娼の生活が理想的なものであるのか。
→ここから言えるのは、快楽と善は同じものではない、ということです。
2.つぎに、ソクラテスは「善い人」の考察に移っていきます。(497E)
・善い人とはその人に「善いこと」(徳)が備わっている人である。
道具でも、身体でも、魂でも、生き方でも、それぞれのものがもつ「善さ」が最高に発揮できる状態というのがある。(503E-504A)
たとえば、規律正しい、また秩序正しい状態に置かれているとき、高度な技術によって引き出されるとき、そのものの「善さ」は十全に発揮される。
→そのものがもつ「善さ」は、規律によって整えられ、秩序づけられていることが必要
→魂においても同じことがいえる(思慮節制のある魂は「善い」魂といえる)
ここから「道徳的な生き方が最も幸福である」ということが導かれます。
多少補足しておきます。
ここに「アレテー(徳)」という言葉が出てきます。
日本語で「徳を積んだ人」というと、立派なお坊さんのような人を想像してしまうんですが、そもそもギリシャ語の「アレテー」というのは、「よさ、すぐれていること、卓越性」ぐらいの意味でした。
たとえばいい音楽も、よく走る馬も、卓越したスポーツ選手も、この「アレテー」を備えている、ということです。そうしてこのとき、この「アレテー」の中身も、それぞれの事物の発揮する機能のちがいによって多様だったわけです。
ところがソクラテスは、人間固有の働きに着目し、「魂がすぐれてあること」こそが人間のほんとうの卓越性である、と考えます。「徳」の意味がソクラテスによって変わったことをおさえておいてください。
この回答へのお礼
お礼日時:2009/03/07 11:36
回答ありがとうございます。
「徳」の説明は納得いきました。
自分でも読み込んでいってだんだん解ってきました。
やはり、一読しただけでは見えないですね。。。
さらに勉強してみます。
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