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ソクラテスは、仲間が脱獄させようとしたのに脱獄をしなかったですよね・・
私には、あまり理解できません。。
そこで、何故脱獄しなかったのか、教えて下さいませんか?
よろしくお願いします。

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A 回答 (14件中1~10件)

死ぬことが恐ろしいことだという根拠はないが、脱獄に関しては良くないことだという根拠はある、などと本人は言ってるようです。


不当な死刑の判決を受けましたが、たとえ他人に悪いことをされたとしても、自分はしてはならない(ただし、この意見に賛成する人はごく少数であるとも言ってます・・・だから質問者様が理解できなくとも普通ですね)、その他その他理由が述べられてます。

しかし、本質的な理由は、ソクラテスが、思想と言うことと行動と感情が一致していたことでしょう。

普通の人は、普段は死ぬことなど怖くないと言っていても、いざ本当に命が危ない場合はうろたえるものです。しかし、ソクラテスは死刑判決後の牢屋の中でも気持ち良さそうに熟睡していたそうですから、本当に怖くなかったようです。

そもそも、「私の知らないことはただ一つ、『自分は何も知らない』ということだ」と、言っているだけ(まあ、それで本でも書いてれば)なら無事に済んだでしょうに、わざわざ権力のある政治家や劇作家(今でいうとマスコミ関係者でしょうか)のところまで出向いて、議論をして「結局、あんたは何も知らないのだ」と人前で暴露してしまう、なんてことをしてます。裁判だって友達の力などを借りれば(?)どうも裁判に持ち込むことを防げたようです。裁判でも、慈悲を願うどころかお説教してますね。だから、最初から命の危険は無視していたようです。
むしろ、なぜ70歳まで生き延びたのか、の方が問題なような・・・。
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もしかしたら、もしかしたらですよ


ソクラテスも仏陀も奥様から逃げる自分を正当化したかっただけかも・・・
んな事はないか?

(* ̄ro ̄)ヒソヒソ・・・いやあるかもしんない
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大量の水が腐るってことはありえなくないが、一滴の水が腐るよりはるかに起こりにくい。



従って多数決で決めたことは、一人の独裁者が決めた法律よりうんとマシである。


1人の独裁者が決めた法律ではなく、多数決によって決められた法律なら、その法律で決められたことに従うのが、法の守護者の当然の行いである。


例え不正で判決されたことであっても、それを不正で報いたら、自分は不正者になってしまう。
そうなると法の守護者とは言えなくなってしまう。



「不正だ」と思い、法で決まったことを守らない人々ばかりになれば、法の存在は無視され、世の中は規則などない無秩序な社会になる。


ソクラテスは民主主義で決まった法が守られるべきだと思った人。
(民主主義で決まった法律を守護すべきという考え。)
従い、ソクラテスは、知識人が他の知識人を庇うためにソクラテスに罪があるとしたとわかっていても、その不正に対して脱獄という不正で報いなかった。


プラトンは「でもさ 損だよ」と思ったのかどうか。
ソクラテスは神の子(義の象徴)と思ったとしても、それ以外の人は神尾子じゃない。
それで、聖書では、使徒に脱獄させている。
看守を説き伏せて鍵を開けさせたか、地震でドアが開いて脱獄したんだったか忘れましたが、使徒の誰かは脱獄という不正をして不正に報いている。


民主主義による法律ではなく、独裁者が決めた法律を守るべきってのが、キリスト教の主張。
だから使徒は脱獄という不正をしたことがさらっと書かれていても、信者は誰も疑問を持たなかったわけです。


ちなみにキリスト教は脱獄を進めたプラトンの思想が骨格。
イエスの磔刑のエピソードは、プラトンの国家に既に書かれている。
プラトンはソクラテスを神格化したんでしょうね。
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ポリシー。

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 イエスもソクラテスもラムサも真理を把持し、天命を全うしたのです。

やるべきことをやっただけのことです。

 生きにくかったわけではなく、ほかの人よりも もっと生き生きと生きていたでしょう。

 イエスやソクラテスのような人は今までの歴史を見てもほとんどおらず、少なくとも私はいままで一人として会ったことがありません。途中までは良いところまで行ったという人は多いでしょうが。

 欺瞞の中に、まだ居られるようです。
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ギリシアでは「真・善・美」が最大の価値観とされました


ソクラテスには真を貫いてきた自負があり、善く生きようと努めてきました、しかし、その自分の行動がポリス内で否定されました。
ここで、仮に逃亡したとしたらソクラテスは今まで行って来たことを自分で否定することになります。「ただ生きるのではなく、善く生きること」という言葉に表れていますがソクラテスは信念を曲げてまで「ただ生きる」だけということは意味がないと考えたといえるでしょう。言いかえれば命のために信念を曲げて生きる事は、死んだも同然だと考えたのではないでしょうか。

また、現代のイジメ自殺でしばしば挙げられる「攻撃的自殺」とも言えるのではないかと考えます。ソクラテスは真を貫いた自分が罪人となる不条理に対し自分を殺させるということでポリスを悪者にし、無言の抵抗を行ったのかもしれません。
問答法で相手の欠点を気付かせていた超皮肉屋のソクラテスらしい結論だったのではないでしょうか。
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ソクラテスは、おじいさんだったからです。

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>>そこで、何故脱獄しなかったのか、教えて下さいませんか?



ソクラテスのような人は割りと多いんですね。イエスも同じように逃げないで処刑されましたね。処刑ではなく自殺というのもありますね。
その理由はといえば、地上が住みにくい場所だと考えてしまうのですね。ソクラテスはイデアと呼ぶ世界が自身の本来の場所で地上は仮の場所と考えていたのでしょう。仮とは言え、思想家として出ているのですから思想家として人生を全うすべきですがあまりの価値観の違い(無知の知といいますね。)に嫌気がさしてくるのでしょうね。
価値観の違いに負けるか負けないかですね。負けるもの多しですね。ソクラテスもどのように言い訳しても嫌気がさしただけのことでしょう。芸術家(作家、画家、音楽家)も同じですね。人生を全うしたものは少ないですね。
天才肌のひとはこの世を嫌がらずに(悪法や社会の不条理のせいにしないで)人生全うすべきですね。
釈迦は、この世はどぶのようなものだといってますが、人生全うしてますね。どぶのようなところでそれぞれが一輪の蓮華の花を咲しなさいということですね。ソクラテスはつぼみで摘み取られたということですかね。
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 文献を全く無視して、仮に自分がそうなったと想定して考えると



 逃げるということは、自分が導き出した理念、真理を汚すことになり、結果として自分の魂と、容姿も含めた 美 を損なうことにつながるからと考えます。

 美 にこだわったからだと思います。

 それから、卑怯、恥の概念をまだ持っている時代の人だったからだと思います。
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太平洋戦争敗戦直後に多くの日本の国民は食糧難で餓死寸前の状態になりました。

そこで、人々は国の法律を破って、米を直接農家から買い始めました。その当時は米を国家の手続きを経ないで買うことは違法とされておりました。そこで、この違法で売買されていた米はヤミ米と呼ばれていました。違法なヤミ米を食べなくては人々は死んでしまう危険にさらされていたのです。ところがそんな状況で山口良忠という裁判所の判事は、

「自分はソクラテスならねど食糧統制法の下、喜んで餓死するつもりだ、敢然ヤミと闘って餓死するのだ、自分の日々の生活は全く死の行進であった、判検事の中にもひそかにヤミ買いして何知らぬ顔で役所に出ているのに、自分だけは今かくして清い死の行進を続けていることを思うと全く病苦を忘れていい気持ちだ」

という言葉を残して、ヤミ米を一切食べずに餓死しました。ソクラテスと山口良忠判事は法に関して同じ認識に立っていたのでしょう。

ソクラテスはいざ知らず、私は山口良忠判事を支持しません。もっとはっきり言って、烏滸だと思いまいした。

人類の歴史を振り返ってみると、混乱した時期に必要なのは言葉や理屈や論理ではないことを教えてくれております。良きにつけ悪しきにつけ、断固たる意思に基づいた強権を行使して新しい秩序を導入することで人々の生活の安定を保証することが、人々の幸福に繋がって来たことを人類の歴史は繰り返し実証してきました。そんな緊急時に「悪法も法なり」なんて言っていると、山口良忠判事の悲劇を繰り返すことになってしまいます。

きっとソクラテスはそんな緊急時に生を受けた方ではなく、法に従っていた方が人々が安心して暮らせるような恵まれた時代に生を受けた方なのでしょう。
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Qソクラテスの死の意味について教えてください。ソクラテスが自ら死を選んだ理由です、

ソクラテスの死の意味について
教えてください。
ソクラテスが自ら死を選んだ理由です、

Aベストアンサー

無知を自覚していない人は無知だ等という自説を説いたソクラテスは、政治家達の反感をかい、異分子として排除するため裁判にかけられ、死刑判決を受けます。が、もし、ソクラテスが自分の考えを説かずに、今後一切黙れば、死刑を見逃し生かしてあげよう、という条件を言い渡されます。が、ソクラテスは、自説を曲げ、お上に従って生きても、それは生きているとは言えない、植物人間と同じだ、それならば、死刑を受け入れる事を自ら望んだのです。つまり、ソクラテスは魂を売り渡し、飼い慣らされた豚になるよりも、自分の信念を貫き通す事を選んだのです、死を持って。そこにソクラテスの意思の強さ、ソクラテスの死の尊さがあるのです。支配に屈しない、元祖パンクロッカーと言えます。かっこいいですね。私も踏襲しています。自分が正しいと信じた事を貫き通します。それにより多少石が飛んで来る事があっても。でも、本当の強さと自信があれば、そんな小石はものともしません。ソクラテスのように、命を落とす事に比べたら。。

Qソクラテスの『善く生きる』

ソクラテスの『善く生きる』という言葉の意味をできるだけ簡潔にまとめたいのですが、どのようにしたらよいでしょうか。私は専門が理学系なので哲学は未履修です。高校の倫理の教科書を借りて読んでみてはいるのですが、いまいち内容に合点がいきません。

Aベストアンサー

ソクラテスの『善く生きる』ですか。
ソクラテスやプラトンが用いる「善く」という意味がわからないと答えようがないですね。
かれらの意味する「善く」というのは単なる道徳や慣例・知識ではないのですね。神の目から見て「正しいこと」を「善く」といっているのですね。
ソクラテスの時代も現代も同じですよ。殆どの慣例や知識が神の目から見て「正しいこと」ではないので、『善く生きる』ということは「ラクダが針の穴を通るほど」難しいことですね。
とはいえ、回答としては「あなたの良心に従い生きること」が『善く生きる』に一番近いと思いますよ。
知識や道徳ではなく「良心」というのがみそですね。
とはいえ何か例がいりますかね。例えば、葬式の後の塩なんかは慣例ですが、だれが始めたのかも不明、効果も不明、単なる迷信ですが多くの人が信じて実行していますね。正しくないのでこんなのまねても『善く生きる』にはならないということですね。多くの知識や道徳・慣例などもあなたの良心に従い見直しながら生きるということですね。

Qソクラテスの無知の知は矛盾していませんか?

ソクラテスの無知の知についてです。
高校の倫理でソクラテスのことを学び、
その中でソクラテスの思想に「無知の知」というものがありました。

ソクラテスは、
「あなたは自分の無知を知らないが、私は自分の無知を知っている(=無知の知)」
と習いました。

しかしここで思うのが、
ソクラテスは自分が無知であると言うことを知っていると言いましたが、
これを同じく返されたらどうなるのでしょうか?

ソクラテスは無知について知っているとは言えないのではないでしょうか?
ソクラテスに対して、
「あなたは実は無知であることを知らない」
と返した場合無知の知は無くなってしまうのでないでしょうか?

Aベストアンサー

有名な『ソクラテスの弁明』に出てくる「無知の知」ですね。


おそらく、本来の意味とは少し異なった意味を教えられたのではないのかと思います。

無知の知はソクラテスの哲学を表す重要な言葉で一文節を取り出して、そこだけで解釈すると誤解が生じてしまうので『弁明』の全体を見て解釈するのが大事だと思います。

お粗末ですが、軽く無知の知に至るまでを説明しますね。


ソクラテスは神からある言葉を授かります。その言葉とは
「ソクラテスより知者はいない」
というものです。

ソクラテスは考えます。
俺が一番賢いわけがない。


ソクラテスは、この神の言葉は間違いであることを証明しようと試み、自分より知者であると思われる、評判高い人々を訪れるわけです。その人達の職業は詩人であったり大工であったり様々です。


ソクラテスは彼らが自分よりも知者であることを期待して訪ねたのですが、話をしてみるとどうも勝手がちがいました。


といのも、彼らは確かに専門的な知識はソクラテスよりも優れていました。しかしそれに奢って
「徳であったり、本当に善いものに関する知識」
を持っていないにも関わらず知ったかぶりをして話をしていたのです。


その一方で自分は、徳とか善きものについて知らないということを自覚している。
その点で彼らよりも自分は賢い。
ソクラテスはそう考えました。


ここでソクラテスに初めて「無知の知」が自覚されます。


「無知の知」は「不知の知」とも表記されていて、私は後者の方がしっくりきます。

といのも、
「知っているものが何も無い」
という状態ではなく
「知らない(不知)ということを知っている」


と解釈しているからです。

ですから、質問者さんが問うように
「ソクラテス、あなたは無知(不知)を知らない」
と言われれば、きっとソクラテスは
「いや知っている、自分は善とか徳については何も知らないことを知って(自覚して)いるよ」
と答えると思います。


付け加えるなら
「ぜひ教えてくれないか、君も知らないならば一緒に探求しようではないか」
とも言いそうです(笑)



気になるようでしたらぜひ『ソクラテスの弁明』を実際に読んでみてください。文量は多くないので気軽に読むことができると思いますよ。


長文失礼しましたm(__)m

有名な『ソクラテスの弁明』に出てくる「無知の知」ですね。


おそらく、本来の意味とは少し異なった意味を教えられたのではないのかと思います。

無知の知はソクラテスの哲学を表す重要な言葉で一文節を取り出して、そこだけで解釈すると誤解が生じてしまうので『弁明』の全体を見て解釈するのが大事だと思います。

お粗末ですが、軽く無知の知に至るまでを説明しますね。


ソクラテスは神からある言葉を授かります。その言葉とは
「ソクラテスより知者はいない」
というものです。

ソクラテ...続きを読む

Q悪法も法なりってなんですか

悪法も法なりっていうのは、格言なのですか
だれか有名な人がいったのでしょうか?
悪法は法の名に値しないとおもうのですが・・・
いみわかってなくてすみません。よろしくおねがいします

Aベストアンサー

>悪法も法なりっていうのは、格言なのですか

 法諺(ほうげん。法律がらみの格言・ことわざ)といわれるものですね。ラテン語で "Dura lex, sed lex"("The law is harsh, but it is the law":「法は過酷であるが、それも法である」)と言います。

>だれか有名な人がいったのでしょうか?

 分かりません。一般にはソクラテスが言ったとされていますが、ソクラテスの言行を記録したとされる文献には直接の記載がないようです(ただし似た内容の話は『クリトン』中に記述があります)。この格言の説明としてソクラテスの逸話がよく引き合いに出される、というのが実際のところかも知れません。

 表題の質問「悪法も法なりってなんですか」ですが、一見して分かるようにさまざまな解釈ができますので、持ち出される場面によっていろいろ意味が変わるようです。

 ただ、もともとは前述のような意味なので、「法が自分に都合の悪い答えを出したとしても、それを受け入れるなければならない」ということではないでしょうか。
 ほかに有名な解釈としては、
・「悪法も法である」→「法が常に正義であるとは限らない」→「間違った法は正していかなければならない」
・民主主義国家においては、法を適用される国民自らが立法に関与しています(日本では選挙という形ですね)。いわば自分たちで定めた法律なのだから、たとえ問題があっても現在有効な法律には従わなくてはならない。
・悪法といえども法なのだから、勝手に破られては法の整合性、安定性が保てない。
 などがあります。

 ちなみに『クリトン』中では、「アテナの法に不満があるならいつでも国外へ出ていって構わないと、アテナの法自体が認めていた」にもかかわらず、あえて国内に留まり続けたのだから、それはつまり「法が自分に都合の良い時だけはそれを享受し、都合が悪くなったら無視する」ということであり、それは不正義かつ不名誉なこととして、ソクラテスは無実の罪による判決を受け入れた旨の記述があります。(#7さんの参考URL中に一部引用があります)
 「消極的にとはいえ国家の法律を受け入れているのだから、美味しいところだけつまみ食いするようなマネは無しだぞ」というのがここでの論旨のようです。

>悪法も法なりっていうのは、格言なのですか

 法諺(ほうげん。法律がらみの格言・ことわざ)といわれるものですね。ラテン語で "Dura lex, sed lex"("The law is harsh, but it is the law":「法は過酷であるが、それも法である」)と言います。

>だれか有名な人がいったのでしょうか?

 分かりません。一般にはソクラテスが言ったとされていますが、ソクラテスの言行を記録したとされる文献には直接の記載がないようです(ただし似た内容の話は『クリトン』中に記述があります)。この格言の説明と...続きを読む

Q学校のレポートで出された課題なのですが

学校のレポートで出された課題なのですが

ソクラテスの訴えられた真の理由

ソクラテスが知を愛するものの生き方

ソクラテスのしについて

というこの3つを合計2000字でだされてしましました・・・
お手伝いお願いします><

Aベストアンサー

知識人に対して「教えてください」とソクラテスは下手に出て質問をしたわけです。
知識人は質問されて常識とされることを答えた。
するとソクラテスは例えを出して「じゃあ これはどうですか」と問答を繰返しているうち、最初の答えとは違う答えを知識人に導かせることになった。

深く考えることで常識が正しく無いと、知識人に悟らせたわけです。

つまり知識人は実は深く考えていないおバカな人って暴いてしまう結果になった。

ソクラテスは暴くつもりはなく、もうちょっと深く物事を考えましょう、 考えることを愛しましょう という活動をしただけなのですが、知識人はバカを暴かれたと思って恥をかかされたと思ったわけです。


<ライラの冒険 黄金の羅針盤>って映画をみたことがあるでしょうか?
ライラはソクラテス。
ライラだけが真理を示す黄金の羅針盤を読める少女なのですが、教権は彼女を自分たちの地位を脅かす存在だとして、恐れたわけです。

ライラの冒険では、ダイモンが登場します。
ダイモンは誰にもくっついている。
その人の本性を表す動物のような形をしている。

ソクラテスはダイモンが自分についていて、間違えたことをしそうになるとダイモンが自分を止めてくれていると思っていた。
知識人に問答をふっかけることをダイモンは止めなったことから、それが間違えたことだとソクラテスは思っていなかった。
ダイモンはまったくの真理からやってくるものだと信じていたので、ダイモンが止めないってことは正しいことだと思っていたわけです。

そのように真理を探究したソクラテスを見て、若者はソクラテスに注目したわけです。
知識人よりソクラテスの方を重要視したわけです。

すると面白くないのは若者たちに尊敬されるはずの知識人です。

教権 すなわち アテナイの知識人は、ダイモンの存在を信じるソクラテスを「アテナイの神とは異なる神を信じ、若者を堕落させたと告訴した。

知識人たちは懲らしめのつもり程度で、ソクラテスを殺すつもりなんて無かったんです。
「ごめんなさい あなたがたに恥をかかせてしまった」ってソクラテスが非を認めたら、それでよかった。

だけどソクラテスは、ダイモンが止めなかったってことは自分が知を探求する姿勢は正しことであり、謝る必用な無いんですって非を認めなかったし、知識人をバカにするつもりなどさらさらなく、もっと深く物事を考えましょうって運動だったって主張したことで、知識人はムカついてだんだん本気になっていったわけです。


裁判でちょっと懲らしめる程度のはずが シリアスな状況になっていき、それでも脱獄は容易だったのですが、脱獄することは不正をするということであり、不正は自分の理に反するとして、多数決で決まったものは例え悪法であっても、法を守るためにはその判決に従うのが正しい人である として、自ら毒を煽って自殺したんです。

これが後にキリスト教のイエスが苦いブドウを飲むってエピソードに繁栄されたんだと思う。

プラトンの国家に義人の証明ってのがあります。
本当にその人が義人なのか、評判を得て得をするために義人のふりをしているのか、どうやって確かめられるかって理論をもって書いたもので、その人が義人ならたとえ名誉を奪われ十字架にはりつけになり槍で疲れても、最後まで義人であり続けたら、その人は得を得るために義人のふりをしていたのではなく、根っからの義人だったということが証明できる ってしていた。

つまり、プラトンの義人の証明がソクラテスの死なんです。
ソクラテスのことについては、プラトンの書いた書籍からしかほとんどわかっていません。
実在の人物だったとは思いますが、死亡は本当に死刑になったのかどうかわかりません。

知識人に対して「教えてください」とソクラテスは下手に出て質問をしたわけです。
知識人は質問されて常識とされることを答えた。
するとソクラテスは例えを出して「じゃあ これはどうですか」と問答を繰返しているうち、最初の答えとは違う答えを知識人に導かせることになった。

深く考えることで常識が正しく無いと、知識人に悟らせたわけです。

つまり知識人は実は深く考えていないおバカな人って暴いてしまう結果になった。

ソクラテスは暴くつもりはなく、もうちょっと深く物事を考えましょう、 考える...続きを読む

Qソクラテスの死

ソクラテスが毒を飲んで死んだのは事実ですが、誰が飲ませたのですか?昔ソクラテスの妻だと聞きました。確認が取れません。ご存知の方、教えてください。

Aベストアンサー

たぶん、クサンチッペが悪妻で有名だったので、混同されたのだと思います。

毒ニンジンは、死刑のために用意されたものです。
弟子や知人たちが脱獄の手はずを整えていたので、逃げようと思えば逃げられたものを、あえて、自ら毒ニンジンを飲んだと書かれています。

つまり、死刑でもあり自殺でもあるといえます。そのとき、たとえば妻クサンチッペが手をそえてソクラテスに飲ませたというようなこともないようです。

参考URL:http://www5b.biglobe.ne.jp/~mizuta/mizutasekaisi/7sokrates.htm

Qソクラテスの罪とは

その罪について 罪であるかどうかも含めて 論じてください。自由な見解をおしえていただきたいという趣旨です。

ウィキペディアには こうあります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ソクラテスは当時賢人と呼ばれていた人々を次々にたずね、「アポロンの宣託の通り自分が最も知恵があるのかどうか」、を知るために対話を行った。しかし、ソクラテスのこの行動は、相手の考えを向上させることができる対話であったが、当時の賢人たちは「常識」に執着したため、結局「知っていると言っていることを、実は知らないのだ」、ということを暴くことになった。相手は論破され恥をかかされたとしてソクラテスを憎むようになった。このため、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」等で公開裁判にかけられることになった。
・・・・・
無知の知
ソクラテスはアポロンの宣託を通じてもっとも知恵のある者とされた。ソクラテスはこれを、自分だけが「自分は何も知らない」ということを自覚しており、その自覚のために他の無自覚な人々に比べて優れているのだと考えたとされる。 また一般に、ソクラテスは対話を通じて相手の持つ考え方に疑問を投げかける問答法により哲学を展開する。その方法は、自分ではなく相手が知識を作り出すことを助けるということで、「産婆術」と呼ばれている。 但し、ソクラテスは対話の中でしばしば様々な事柄に関する知識を持っており、その知識に自信を持っているように思える節もある。また、ソクラテスは、部分的には無知を装っているとする見方もある。
・・・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その罪について 罪であるかどうかも含めて 論じてください。自由な見解をおしえていただきたいという趣旨です。

ウィキペディアには こうあります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ソクラテスは当時賢人と呼ばれていた人々を次々にたずね、「アポロンの宣託の通り自分が最も知恵があるのかどうか」、を知るために対話を行った。しかし、ソクラテスのこの行動は、相手の考えを向上させることができる対話であったが、当時の賢人たちは「常識」に執着したため、結局「知っていると言ってい...続きを読む

Aベストアンサー

他の方が顛末を述べているので、私は他の部分を。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/xenophon/apol.html

10 あたりから。

「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」に対するソクラテスの反論が載ってます。


多数決で決まったことは真理とは限らない。
それでもソクラテスはそれが最善だと考えた。

何故なら独裁者が腐ってしまったら、どんな悪法もまかり通り、人は独裁者の顔色を見て暮らさなければならない。

しかし、大勢が全員が腐るということは、大量の水が腐りにくいのと一緒で、なかなか起こらない。

では一人の独裁者が決めたことよりは、多数決で決めた方がまだマシってことで、民主主義 つまり多数決で決めたことに従うべきで、自分もそれに従うのが、正義を希求するものにとっての取るべき態度だってわけです。


つまり正義を擁護する立場であれば、多数決で決まったことに従って、正義の擁護者たることを示さなければならない ってわけです。

自分が正しいとかどうかじゃなく、たとえ処刑されようと正義を擁護した者であることに変わりはない ってわけです。


でもそこには寛容さが極端に欠如した状態が如実に現れている。

そこが彼の罪。

自分が間違うように人も間違う。
自分が他者から寛容ゆえに許され生きるためには、他者に対しても寛容でなければならない。
そうしなえれば、いつか自分の不寛容さで自らに死を招く。


ってのが、後に生まれる思想になる。


妥協と譲歩は違うんですよね。
プラトンは潔癖主義者だったのか、妥協を許さなかった。
でも、もう一つある、譲歩。
道を譲るってこと。
道を譲るのは負けを認めたから譲るんじゃない。

「どうぞ お先に」という余裕の表れでもある。

プラトン 余裕無かったんでしょうかね。
彼は知らないということを知っていると言っていたが、自慢できるもんじゃない。
譲歩を知らない無知者。

あ、、、プラトン先生ににらまれそう。 笑

他の方が顛末を述べているので、私は他の部分を。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/xenophon/apol.html

10 あたりから。

「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」に対するソクラテスの反論が載ってます。


多数決で決まったことは真理とは限らない。
それでもソクラテスはそれが最善だと考えた。

何故なら独裁者が腐ってしまったら、どんな悪法もまかり通り、人は独裁者の顔色を見て暮らさなければならない。

しかし、大勢が全員が腐るというこ...続きを読む

Q善く生きる とは

こんにちは。
ソクラテスの有名な言葉、善く生きる、とは、一体どういうことでしょうか。
個々人のお考えもあるかと思いますが、ここでは哲学的な解答を募集いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>ソクラテスの有名な言葉、善く生きる、とは、一体どういうことでしょうか。

○「善く生きる」とは「正しく生きる」という意味ですね。
哲学的に言えば、正しく生きることは正しい知識に従って生きるということですね。
ここでいうところの「正しい知識」が問題なのですね。ソクラテスの「正しい知識」の説明は不立文字ですが、当時の常識を「無知の知」といってますから並みの話ではないことは理解されるでしょう。
例えば、孔子は「心の欲する所に従えども矩を踰えず」といってますが、これがソクラテスの「善く生きる」と同じ意味ですね。これは、人間は摩訶不思議な世界の住人であることを知り、その住人として今を生きるということですが、説明は摩訶不思議観になるので割愛となるわけです。
ソクラテスは、肉体を通して見聞きした知識の世界は全体のごく一部でしかないと知っていたということですね。
一部の世界のルールでなく、全体の世界のルールに従って生きるのが「善く生きる」つまり、「正しく生きる」ということですね。

Q『善く生きる』?

「プラトン・ソクラテス・アリストテレスにとって『善く生きる』とはどういうことか?」という問題が学校で出ました。さっぱり解りません。
誰か解る方がいらっしゃいましたら回答をお願いします。

Aベストアンサー

うわ……大学ですよね。これは結構大きい問題で、真剣にやると
卒業論文クラスのものが3,4本書けそうなのですが…^^;;
ので最初に長くなりそうなことと、一定以上知識のある方から見ると
穴だらけになるであろうことをお断りします。

哲学史はタレスから始まるのが一般ですが、ソクラテス以前の哲学者は
多くが自然哲学的なことがらを主題として残っており、人間に目を向けるように
なったのはソクラテス以降、その影響が強いと言われています。
ソクラテスはただのらくらと生きる人々を捕まえて、「善とは何か」「美とは何か」などを問い、ただ生きるのではなく善く生きよ、と主張しました。
「善く生きよ」とは古代ギリシアを流れるテーマの一つであり、「善」論であり、
倫理学の根っこでもあります。

まずソクラテスからいきましょう。はっきり言って自信がないです。これには理由があるのですが…(苦笑)
ソクラテスは著作がありませんが、プラトンの書いたものののうち「弁明」と「クリトン」はソクラテス自身の主張を表しているとされます。
「善く生きよ」という言葉は「クリトン」の中のものです。
「クリトン」は死刑判決をくらったソクラテスのところに友人が来て脱獄を勧めるのをソクラテスが断るというお話です。
クリトンにおいてソクラテスはまず、「善」を「美」や「正」と同じであるとします。
ソクラテスは不正をされたからといって不正をし返すのは正しいことではない。
たとえ不正な仕方によって死刑になったとしても、アテナイが好きでアテナイに残ることを選んできたのだから
今更脱獄するのは不正であり、脱獄して法破りの人間として他国に亡命しても法を破ったものとして生きていくのは本意じゃないとソクラテスは言うのです。
ここでソクラテスのいう「善く生きる」がちょっと見えてくるのですが、「正しい(善い)」ことをすべきである、というような感じです。
ただその「善」とは「みんなは本当に知っている? すごく大事な何かが確かにあるんだ」と「無知の知」において問われてきたものなので、おそらくは普遍的なものでしょうがいまいちはっきりしません。議論があると思うので倫理学の論文とか読むといいかもしれません。

これが案外はっきりしてくるのはプラトンです。プラトンは「国家」第6巻において
これを善のイデアとしてずずずいっと挙げています。
イデアというのはご存知でしょうか、まあ美のイデアだったら色んな美しいものに
美を分け与えている普遍的絶対的な美そのもの、という感じです。
で「善」のイデアは一番すごいイデアで他のイデアをイデアとして存在させると同時に全ての善いものの大ボスなわけです。
ただこの善のイデア論は色々問題があって議論されてますし、プラトンも国家以降取り上げてません。
あとは知によって正しいことを知り、それを行うこと、つまり哲学することがよい、とかあります。
まあイデアに代表されるような絶対的価値があり、それに向かって生きていくべきだ、という姿勢が基本です。
でソクラテスとプラトンの違いの一つは、プラトンは一生の観点でものごとを見て善く生きようと思ってます。なので善いことのために「死んでしまう」のは考慮外なのです。生きてナンボです。

アリストテレスは上の二人とは違って個物を大事にする人です。
イデアより目の前にある個体だよっていうかイデアなんか無いよって人です。
彼の生き方に対する思想は倫理学の中に見られます。
アリストテレスは倫理学って善、それも人間が手に入れられる最高の善(人間的善)
を探すものだ、とします。それは何かというと幸福です。
幸福は幸福自体が目的で、お金や、徳や快楽は幸福のための手段なわけです。
でなおかつそれは一番善い徳に沿った(魂の)活動でであるとしました。
で具体的にどんな生き方、というと哲学者の生き方です(笑)もしくは観照的生活といいます。
実践的な生活、つまり生きるために働いたり、政治をやったりすることもいいことですが、それより理性を使って思索することの方がもっといい、とアリストテレスはします。
それは神の生活がそういう生活だからで、できるだけそれに近づこう、という理由からでもあります。

以上が三人の善論についてのかなり雑なまとめです。
まとめると哲学者バンザイになってしまうような気もして頭が痛いのですが・・・。
無理に三人の目指したものを一つにまとめるなら「善を目的として生きる」でしょうか。うーん・・・・。

まあ軽く参考程度に流してください(笑)
テクストはプラトン著作が「クリトン」「弁明」「国家」アリストテレスが「ニコマコス」を使ってます。
高校倫理レベルでしたら、まとめたページを探してみました。

参考URL:http://kobe.cool.ne.jp/sincos/phylo/hs/contents/greece.html

うわ……大学ですよね。これは結構大きい問題で、真剣にやると
卒業論文クラスのものが3,4本書けそうなのですが…^^;;
ので最初に長くなりそうなことと、一定以上知識のある方から見ると
穴だらけになるであろうことをお断りします。

哲学史はタレスから始まるのが一般ですが、ソクラテス以前の哲学者は
多くが自然哲学的なことがらを主題として残っており、人間に目を向けるように
なったのはソクラテス以降、その影響が強いと言われています。
ソクラテスはただのらくらと生きる人々を捕まえて、「...続きを読む

Q「第二の誕生」とは??

ルソーの「エミール」で書かれている「第二の誕生」の意味が、よくわかりません。また、辞書などを引いてみても載っていません・・・。私なりに解釈してみますと、「青年期に、女性あるいは男性に性別が位置づけられること」なのですが、なんだかこの言葉の意味を、あまり表せていないような気がします・・・。どなたか、わかりやすい言葉で、「第二の誕生」の意味を説明してください。お願いします。

Aベストアンサー

sorensenさんはおいくつぐらいのお方でしょうか。もし20歳過ぎの方でしたら、「人は二度生まれる。一度は存在するために、二度目は生きるために」というルソーの言葉の意味は、ご自分の青年期を振り返ってみて頂ければ充分に理解できると思います(もし、まだ14~5歳程度あるいはそれ以下でしたら、もう少したてば自我が意識されることで自ずから判ります)。

つまり、「第2の誕生」というのは、自我が芽生えてきて「自分の内側にあるもう一人の自分」を意識するようになることから始まります。自我ができてくると、ただ単に、生物として生きてきただけのそれまでの自分とは異なり、自分を見る自分が存在することで自分についての認識が深まるとともに自分の外の世界をもあらたな視点で見ることができるようになっていきます。

そうなると、自分をとりまく世界=社会 の存在が判り、その社会の中の一員として自分が存在していることが判ります。そして「その社会の中で自分は生きている」「自分はその社会の新たな一員である」ということが自覚されるようになり、社会と自分との位置関係を理解しようとします。こうして「第2の誕生」となります。

sorensenさんの考える「青年期に、女性あるいは男性に性別が位置づけられること」というのは社会の一員として自分を位置づける第2の誕生の一側面にしかあたりません。ですから、充分に意味を表せていないように感じるのです。

念のために書きますと、「第2の誕生」を狭い意味で捉えればそれは「自我の誕生」を意味しますし、広く捉えれば「社会を構成する一員としての自覚を持ち、積極的に社会に参加するようになる」ことを「生まれる」という言葉で表しています。

sorensenさんはおいくつぐらいのお方でしょうか。もし20歳過ぎの方でしたら、「人は二度生まれる。一度は存在するために、二度目は生きるために」というルソーの言葉の意味は、ご自分の青年期を振り返ってみて頂ければ充分に理解できると思います(もし、まだ14~5歳程度あるいはそれ以下でしたら、もう少したてば自我が意識されることで自ずから判ります)。

つまり、「第2の誕生」というのは、自我が芽生えてきて「自分の内側にあるもう一人の自分」を意識するようになることから始まります。自我がで...続きを読む


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