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名言といわれてますが、何を言いたいのか分からないです。
ていうか無知の知とかそれ言ったら無知の知の無知(笑)とか批判されたりしないですか?
たしかな何もかも鵜呑みにして信じてはいけない気がするけど何かを信じなければ生きていけない気もする。「自分は今は不幸だけど幸せになれる気がするから生きている」
信じている。いつか楽になることを。自分に都合のいいことを。

そういう自分に都合のいい妄想や思い込みにいかされてるってことない?
ていうかそういう人がほとんどなんじゃないかな、それに賢明だからなんなんだ!だからソクラテスはすごい人なんだぞ!とでも言いてーのかよ!
と思うのですが解釈としてはおかしいですか?
皆さんの意見がききたいです。

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A 回答 (11件中1~10件)

んと、「無知の知」を完全に誤解されてますね。


取り合えず、出典の原点に戻ってみましょ~、ってことで以下はプラトン著『ソクラテスの弁明』からの引用です。

===以下引用===

私の智慧に関する―もしそれが実際智慧と言えるものならば―またその性質に関する証人として、私はデルフォイの神をたてる。思うに諸君はカレイフォンを知っておられるに違いない。(中略(以下「…」で示す)
彼はかつてデルフォイに赴き、次の如き問いに対して神託を求むるの大胆を敢てした。「…」
即ち彼は、私(ソクラテスの事)以上の賢者があるか、と伺いをたてたのである。ところがそこの巫女は、私以上の賢者は一人もいないと答えた。「…」
その神託を聞いたとき、私も自問したのであった。神は一体、何を意味し、また、何事を暗示するであろうか、と。私が大事においても小事においても賢明でないということはよく自覚しているところであるから。「…」
私は賢者の世評のある人々の一人をたずねた(政治家)。そこにおいて「…」神託において反証をあげ、そしてこれにむかい「見よ、この人こそ私より賢明である、しかるに汝は私に至賢であるといった」と、主張することができるであろうと考えながら。「…」彼と対談中に私は、なるほどこの人は多くの人々には賢者と見え、なかんずく彼自身はそう思い込んでいるが、しかしその実彼はそうではないとの印象をうけた。それから私は、彼は自ら賢者だと信じているけれども実はそうではないということを、説明しようと努めた。その結果私は彼ならびに同席者の多数から憎悪を受けることになったのである。しかし私自身は、そこを立ち去りながら独りこう考えた。とにかく俺の方があの男より賢明である、なぜといえば、私たち二人とも、善についても美についても何も知っていまいとおもわれるが、しかし、彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、これに反して私は、何も知りはしないが、知っているとも思っていないからである。されば私は、すくなくとも自ら知らぬことを知っているとは思わないかぎりにおいて、あの男よりも智慧の上で優っているらしく思われる。それから私は、前者以上に賢者の称あるもう一人を訪ねたが、まったく同様の結論を得た。
「…」
諸君、真に賢明なのは独り神のみでありまた彼がこの神託でいわんとするところは、人智の価値は僅少もしくは空無であるということにすぎないように思われる。そうして神はこのソクラテスについて語りまた私の名を用いてはいるが、それは私を一例に引いたに過ぎぬように思われる。それはあたかも「人間達よ、汝らのうち最大の賢者は、例えばソクラテスの如く、自分の智慧は、実際なんの価値もないものと悟ったものである」とでもいったかのようである。

『ソクラテスの弁明』久保 勉・訳 岩波文庫
※()は私が付け足しました。
====以上===

これが、プラトン君によるソクラテスの「無知の知」の記録です。
つまり、「自分の智慧が真実でありすばらしいものだ」などと思い込まず、常に「自分は何も知りはしないのだ」という「謙虚さ」を持ちましょう~という事です。
そして、これは「哲学」をはじめとしたあらゆる「学問」の入り口なのです。
なぜなら、「自分は知らない」ことを「知る」と「知りたい」という「欲求」が生まれます。
そこから、学問が発展していきます。
しかし、「自分は知っている」と思い込むと、そこで思考が停止してしまいます。
すると、ソクラテスが反駁してみせたソフィストの愚を犯すことに繋がるのです。
まぁ、思いこみによる愚を犯すことを戒めると同時に、学問(哲学)の基本姿勢を示した言葉なんですよね。
なので、別に「無知の知」を知ってる人・理解している人が正しいとか偉いって事は無いですね。
まぁ、「思いこみ」によって「思考停止」してるひとよりはマシってとこでしょうか。

長文、しつれいしました。
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チョット貴方が何を求めているのか理解できていないのですが・・・。



“無知の知の無知”
についてですが・・・。ようするに生まれたばかりの赤ちゃんの状況ですよね。
自分が無知であることを判っているという考え方すら知らないということですから。
物事について“なんでだろう?”と思うことさえ出来ない状態です。

ソクラテスについてですが・・・。
別に何もかもを知ってると思い込む世界を知らなかったわけじゃないと思いますよ。
その世界にいた人間だからこそ,そもそも自分は何を知っているんだ?という見失いがちな原点・疑問を持ったんだと思います。

ただ“無知の知”を持ち出して自分はすごいんだぞ!というような人間がいるのであればその人が無知であると自分は思いますが・・・。

思い込むということですが,それが覆った経験はないのですか?
何かを信じ,それを糧に生きていることは否定しません。
自分自身もそうですし,誰しもそうであるだろうと思います。
思い込み(知らなかったこと)を思い込んでいた(知らなかった)と気づいたその考えが“無知の知”です。
ただチョット人生の糧と“無知の知”について同時に考えるのは違うように思います。

そして一言貴方にこれとハッキリ言えることがあるとすれば,
ソクラテスの“無知の知”を全然納得できる自分から見ると,
貴方も私もソクラテスについて何一つ知らないのに何を理解しているつもりでいるんですか?
ということです。

別に,貴方に対して攻撃的な感情も蔑むような感情もこれっぽっちも持ち合わせてはいませんが・・・。

やっぱり貴方が何をどう求めているのかよくわからないです。

“無知の知”については自分は結構常に念頭においている人間なのでもしよかったらどういうことを言いたいのか補足していただくと嬉しいです。
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無知の知なんてのは一つの画期的な認識であってそれ自体が正しいとか間違ってるとかそういうもんじゃないですね。



そもそも人間にとって認識してないものって存在してないものとおんなじになっちゃいます。グラスか向かい合ってる人かって絵がありますがあんなのも絵が変化したわけじゃないのに気がつくまではないもおんなじですよね。
みぞれって言葉を知らない子供にとってみぞれは雪でしかないです。
(雨混じりなんて認識も消えうせます)

ゼロをないって数字があるとする発想。
ドーナツの穴をないじゃなくドーナツの穴があるって発想。
知らないを知ってるって発想。

新しい認識ってそれはそれですごいことだと思います。
言われればわかるけど自分ではきがつけないことって結構あります。
で、言われないときがつけなかったことに気がついてないことも。

その認識をそのまんま使うかって問題がありますよね。
一つの道具として使用するのがいい使い方なんじゃないかと思います。
判断材料の一つですよね。


この言葉を同使うかだけの話だと思います。だからなんだって使い方をするならそれはそれでいいんじゃないでしょうか。間違いなんてないわけですから。
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こんにちは。


はい、この解釈は明らかにおかしいです。
この定義はもう何千年も前から改訂されていませんから、質問者さんが幾ら反論しても絶対に無理だと思います。
無理ということは、世の中広しといえどもできたひとは一人もいないということです。では、質問者さんは「自分には無理だ」ここが理解できていないということになります。
ですから、ここでこのような反論を行うことができるということは、質問者さんはその事実を知らないということです。質問者さんはご自分が知らないという事実を知らないので間違った判断を下してしまいます。
このように「無知の知」とは定義が正しい正しくないといった次元の問題ではありません。理解できないこと事態が間違いなんです。このため、今まで誰にも反論することができませんでした。
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何を言いたいのか分からない。

分からないですか。
その一行目ですでに無知の知が実践されてるような気がしますね。

知識を球状のものだと考えて下さい。この際泥団子なのかなんなのかということは考えないで。
知識が増えるということは、その球が大きくなることです。
球が大きくなればなるほど、表面積は増えます。
表面積とは何か。未知のものと接する面の広さです。
とすれば、「知れば知るほど未知のものと多く接することになる」わけです。

ものを知っている人ほど、知らないものが多い。
半可通ほどかえって知ったかぶる。
だから私はこの「無知の知」をもって「謙虚であれ」という意味にとっています。

なお、知ると信じるとは全く別な話です。
信じようが信じまいが真実は真実であり虚偽は虚偽ですから。

>全て知ってると思いこむことで見える世界というものをソクラテスは知らないんじゃないかと。

多分、ソクラテスに言わせれば、そういう思い込みによって見える世界など、知らなくていいものかもしれませんよ。
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ソクラテス自身が、半分、伝説上の人物で、本人の書いた著作が残っているわけでもありませんから、専門家でもない限り、彼の言動を正確に論評するのは困難だと思います。

あまり建設的な議論になりそうな気はしません。

ただ、個人的見解としていえば、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」に対して、「だが我とは何であるか?」という蒸し返しをしたいと思う時はあります。仏陀の無我論というのがありますからね。ソクラテスについても、同じような突っ込みを入れたくなる時はあります。「悪法もまた法なり」に対しては、ヘーゲル流に「倫理的に生きる最善の道は、良き法をもった国の市民になることである」という反論がありえます。「良い人と結婚すれば、幸せになれる。悪い人と結婚すれば、哲学者になれる」はある意味、深いせりふだとは思いますが、これには王道で反論し、「哲学とは、そもそも語源的には『考えることが好き』という程度のものであり、自分の脳を駆使している人は誰だって哲学者なのであって、良い人と結婚しても哲学者になることは可能である」と言えるでしょう。
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文章下手だねえ。

。。
矛盾しているし。
妄想や思いこみだと知っているなら、無知の知そのままの謙虚な立ち位置をすでにとっているのだが。
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この回答へのお礼

自分が正しいと思ってることでも他の人から見れば単なる思いこみや幻想に過ぎないってことです。
全て知ってると思いこむことで見える世界というものをソクラテスは知らないんじゃないかと。

お礼日時:2008/04/04 00:49

>いつか楽になることを。

自分に都合のいいことを。

ないでしょうね。
修行僧的に言えば、日々勉強でしょう。
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ニュートンは近代物理学の壮大な体系を作り出して、それはアインシュタインが出るまでの300年の間、完璧だと思われていました。


そんな壮大な体系を作り出したのですが、ニュートン自身は、自分のしたことは、大海を前にして子供がきれいな貝殻を見つけて喜んでいるぐらいのものだ、と言いました。
自分のしたこと(知)の外側に、とてつもない広い世界(無知)があることを、ニュートンは感じ取っていました。
ニュートン物理学がすべてだ、と思うのは簡単なことですが、そうではない、と見える人には見えるものです。
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この回答へのお礼

きれいな貝殻を見ながら、この貝殻はどうやってできてるんだろう、なんで美しいんだろうかとかその貝殻の世界の大きさに気付かずに大きそうに見える海のほうをみてたって考え方もできませんか?屁理屈ですかね。

お礼日時:2008/04/03 23:31

信条とか思い込みとかは別の話。


今、してるのは人が何を知っているかということ。
論点がズレてる。


世の中には色んな知識がある。その中で何でも知っていると
言い張る人間は、その広さを知らない。

ソクラテスは、自分はその広大な知識からみて私はなんて無知
なんだ、ということで他の人よりも考えが優れていた。

言葉を言葉のままに判断して、非難するのではなく、
きちんと意味を考えてください。

見た感じ、難しそうな言葉を否定して、自分はスゴイだろ、と虚勢
を張っているようにしか思えません。
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この回答へのお礼

まさに何もかも知ってるぞ、人より優れてる的な発言でしたね。(笑)でも自分が何でも知ってるという魅惑的な世界をソクラテスは知っていたのか、ということです。

お礼日時:2008/04/03 23:23

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Qソクラテスの無知の知は矛盾していませんか?

ソクラテスの無知の知についてです。
高校の倫理でソクラテスのことを学び、
その中でソクラテスの思想に「無知の知」というものがありました。

ソクラテスは、
「あなたは自分の無知を知らないが、私は自分の無知を知っている(=無知の知)」
と習いました。

しかしここで思うのが、
ソクラテスは自分が無知であると言うことを知っていると言いましたが、
これを同じく返されたらどうなるのでしょうか?

ソクラテスは無知について知っているとは言えないのではないでしょうか?
ソクラテスに対して、
「あなたは実は無知であることを知らない」
と返した場合無知の知は無くなってしまうのでないでしょうか?

Aベストアンサー

有名な『ソクラテスの弁明』に出てくる「無知の知」ですね。


おそらく、本来の意味とは少し異なった意味を教えられたのではないのかと思います。

無知の知はソクラテスの哲学を表す重要な言葉で一文節を取り出して、そこだけで解釈すると誤解が生じてしまうので『弁明』の全体を見て解釈するのが大事だと思います。

お粗末ですが、軽く無知の知に至るまでを説明しますね。


ソクラテスは神からある言葉を授かります。その言葉とは
「ソクラテスより知者はいない」
というものです。

ソクラテスは考えます。
俺が一番賢いわけがない。


ソクラテスは、この神の言葉は間違いであることを証明しようと試み、自分より知者であると思われる、評判高い人々を訪れるわけです。その人達の職業は詩人であったり大工であったり様々です。


ソクラテスは彼らが自分よりも知者であることを期待して訪ねたのですが、話をしてみるとどうも勝手がちがいました。


といのも、彼らは確かに専門的な知識はソクラテスよりも優れていました。しかしそれに奢って
「徳であったり、本当に善いものに関する知識」
を持っていないにも関わらず知ったかぶりをして話をしていたのです。


その一方で自分は、徳とか善きものについて知らないということを自覚している。
その点で彼らよりも自分は賢い。
ソクラテスはそう考えました。


ここでソクラテスに初めて「無知の知」が自覚されます。


「無知の知」は「不知の知」とも表記されていて、私は後者の方がしっくりきます。

といのも、
「知っているものが何も無い」
という状態ではなく
「知らない(不知)ということを知っている」


と解釈しているからです。

ですから、質問者さんが問うように
「ソクラテス、あなたは無知(不知)を知らない」
と言われれば、きっとソクラテスは
「いや知っている、自分は善とか徳については何も知らないことを知って(自覚して)いるよ」
と答えると思います。


付け加えるなら
「ぜひ教えてくれないか、君も知らないならば一緒に探求しようではないか」
とも言いそうです(笑)



気になるようでしたらぜひ『ソクラテスの弁明』を実際に読んでみてください。文量は多くないので気軽に読むことができると思いますよ。


長文失礼しましたm(__)m

有名な『ソクラテスの弁明』に出てくる「無知の知」ですね。


おそらく、本来の意味とは少し異なった意味を教えられたのではないのかと思います。

無知の知はソクラテスの哲学を表す重要な言葉で一文節を取り出して、そこだけで解釈すると誤解が生じてしまうので『弁明』の全体を見て解釈するのが大事だと思います。

お粗末ですが、軽く無知の知に至るまでを説明しますね。


ソクラテスは神からある言葉を授かります。その言葉とは
「ソクラテスより知者はいない」
というものです。

ソクラテ...続きを読む

Q学校のレポートで出された課題なのですが

学校のレポートで出された課題なのですが

ソクラテスの訴えられた真の理由

ソクラテスが知を愛するものの生き方

ソクラテスのしについて

というこの3つを合計2000字でだされてしましました・・・
お手伝いお願いします><

Aベストアンサー

知識人に対して「教えてください」とソクラテスは下手に出て質問をしたわけです。
知識人は質問されて常識とされることを答えた。
するとソクラテスは例えを出して「じゃあ これはどうですか」と問答を繰返しているうち、最初の答えとは違う答えを知識人に導かせることになった。

深く考えることで常識が正しく無いと、知識人に悟らせたわけです。

つまり知識人は実は深く考えていないおバカな人って暴いてしまう結果になった。

ソクラテスは暴くつもりはなく、もうちょっと深く物事を考えましょう、 考えることを愛しましょう という活動をしただけなのですが、知識人はバカを暴かれたと思って恥をかかされたと思ったわけです。


<ライラの冒険 黄金の羅針盤>って映画をみたことがあるでしょうか?
ライラはソクラテス。
ライラだけが真理を示す黄金の羅針盤を読める少女なのですが、教権は彼女を自分たちの地位を脅かす存在だとして、恐れたわけです。

ライラの冒険では、ダイモンが登場します。
ダイモンは誰にもくっついている。
その人の本性を表す動物のような形をしている。

ソクラテスはダイモンが自分についていて、間違えたことをしそうになるとダイモンが自分を止めてくれていると思っていた。
知識人に問答をふっかけることをダイモンは止めなったことから、それが間違えたことだとソクラテスは思っていなかった。
ダイモンはまったくの真理からやってくるものだと信じていたので、ダイモンが止めないってことは正しいことだと思っていたわけです。

そのように真理を探究したソクラテスを見て、若者はソクラテスに注目したわけです。
知識人よりソクラテスの方を重要視したわけです。

すると面白くないのは若者たちに尊敬されるはずの知識人です。

教権 すなわち アテナイの知識人は、ダイモンの存在を信じるソクラテスを「アテナイの神とは異なる神を信じ、若者を堕落させたと告訴した。

知識人たちは懲らしめのつもり程度で、ソクラテスを殺すつもりなんて無かったんです。
「ごめんなさい あなたがたに恥をかかせてしまった」ってソクラテスが非を認めたら、それでよかった。

だけどソクラテスは、ダイモンが止めなかったってことは自分が知を探求する姿勢は正しことであり、謝る必用な無いんですって非を認めなかったし、知識人をバカにするつもりなどさらさらなく、もっと深く物事を考えましょうって運動だったって主張したことで、知識人はムカついてだんだん本気になっていったわけです。


裁判でちょっと懲らしめる程度のはずが シリアスな状況になっていき、それでも脱獄は容易だったのですが、脱獄することは不正をするということであり、不正は自分の理に反するとして、多数決で決まったものは例え悪法であっても、法を守るためにはその判決に従うのが正しい人である として、自ら毒を煽って自殺したんです。

これが後にキリスト教のイエスが苦いブドウを飲むってエピソードに繁栄されたんだと思う。

プラトンの国家に義人の証明ってのがあります。
本当にその人が義人なのか、評判を得て得をするために義人のふりをしているのか、どうやって確かめられるかって理論をもって書いたもので、その人が義人ならたとえ名誉を奪われ十字架にはりつけになり槍で疲れても、最後まで義人であり続けたら、その人は得を得るために義人のふりをしていたのではなく、根っからの義人だったということが証明できる ってしていた。

つまり、プラトンの義人の証明がソクラテスの死なんです。
ソクラテスのことについては、プラトンの書いた書籍からしかほとんどわかっていません。
実在の人物だったとは思いますが、死亡は本当に死刑になったのかどうかわかりません。

知識人に対して「教えてください」とソクラテスは下手に出て質問をしたわけです。
知識人は質問されて常識とされることを答えた。
するとソクラテスは例えを出して「じゃあ これはどうですか」と問答を繰返しているうち、最初の答えとは違う答えを知識人に導かせることになった。

深く考えることで常識が正しく無いと、知識人に悟らせたわけです。

つまり知識人は実は深く考えていないおバカな人って暴いてしまう結果になった。

ソクラテスは暴くつもりはなく、もうちょっと深く物事を考えましょう、 考える...続きを読む


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