1. 《信じる》とは 経験事象としての《感じる や 考える》といった概念で規定し得ない・人間の意志行為を言います。
2. 《〈人知を超えたところ〉すなわち〈感性や知性で捉えられるか捉えられないかが分からない何か〉を受け容れるのですが それは したがって当然のごとく 無条件で無根拠にてわが心に受け容れるということ》になります。これが 《信じる》です。
3. 《受け容れる》というなら 意志行為であり むろん経験事象です。
ただし その信じる相手 これは 経験事象を超えている何か・つまり《人知を超えた超自然であり超経験なるもの(まとめて 非経験の場ないしチカラ)》だとなります。
したがって 《〈非経験なるナゾの何ものか〉を相手にして これを人知のおよぶ経験行為として受け容れる》 です。
4. さらに同じことを言いかえます。
5. 受け容れると言っても 《何か分からないもの いえ 精確には 分かるか分からないかが分からないナゾの何ものかであり――これを 〈非知 incomprehensible incomprehensibility 〉と言いますが―― そのナゾの何ものか》をなのですから それは 雲をつかむような話です。
6. それで そのとき わづかにこの《非知なる何ものか》について じんるいは シルシをつけました。一般に《かみ》とよばれるその言葉です。
また オホモノヌシとかブラフマンとかブッダとかヤハヱ―とかいくつかの言語にしたがった代名詞も 自由に用いられます。
さらには 個人ごとに自由にその名をえらんでつけてもかまわないわけです。(その《わけ》とは 信教・良心の自由》とよばれています)。
7. これで雲をつかんだことになっています。もっとも 《雲をつかむ》というからには じつは実際には この非知を受け容れないという場合も 大きく《受け容れる=信じる》ことにふくまれます。
8. 言いかえると 《非知なる神》と――われとの――カカハリが出来たということが 《信じる》ことになるわけです。
それが《雲》のようだということは 《神が有る》というかたちであっても また自由にそして同等に《神が無い》であってもよいということです。
9. 広義の《信じる》には 《神を――有るとして――受け容れる》場合も《神を――無いとして――受け容れる》場合も 互いに自由に同等にあり得ます。
言いかえると 前者は 狭義の《信じる》であり 後者は《受け容れない=信じない》です。
10. 人間が信じる・信じないにかかわらず 依然として 非知は非知です。(概念として 絶対性ということになります)。
11. 未知のものが感性や知性により認識されて既知になるものごとは 可知です。
未知のもので どうしても認識し得ないと証明されたものごとは 不可知です。
非知は これら可知や不可知ではない。可知や不可知は いづれも人知のおよぶ経験事象の範囲に入る。非経験の非知は それらを超えたところの何ものかです。
12. この非知なるナゾを受け容れる(それとのカカハリをみとめる)ことが 《信じる》であり その持続する動態を信仰と言います。
13. 信仰は 《有る神》派と《無い神》派とに自由に分かれて じっさいには成り立っています。一方から他方に移り変わることも 自由です。ブッダ派とシューニャター(空)派とは 信仰の類型として実質的な差はありません。
14. また 南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経とのあいだに差があると説くのは モグリの信仰者です。偽(にせ)の信仰としての実は宗教〔という偶像崇拝〕を説くものです。
15. 《じんるいは 天使とエワとが不倫をするというその淫行によって堕落した よってその救世主の到来が必須だ》と説くのは勝手だが そのことをオシへとししかも神のごとく絶対視するのは――オシへという経験思想であり経験事象であるものを受け容れ信じるといった可笑しな話ゆえ―― 信仰でも何でもない。ただのアホンダラ教なり。
☆ 人びとは どうして哲学しないのか?
A 回答 (2件)
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No.2
- 回答日時:
《信じる》を、
そんなに難しく語る事ではないと思う
火事で取り残された時
「おーい、窓から飛び降りろ、大丈夫だ、受け止めてやる」
貴方は・・・・信じますか、疑いますか。
その程度に分かり易く考えましょう
宗教を信心する、と言います
どんな宗教でも、信じる事が基本なのです
教育の、人材育成の第一歩は「信じる」ことなのです
「この子には無限の可能性がある」と教育者は信じ、
子供は、先生を信ずれば勉学は進みます
人間の営みの全ては、信じて行ずるの反復堆積なのです
この「信」がないと人と人、国と国は争いになります
疑えば、対話が成立せず、信ずれば争いはなくなります
疑いは分裂、信ずるは平和なのです、
「信」は分からない事が分かるようになります
それは「信」が知恵に変化するからです
「疑い」は簡単な事でも分からないくなります
信は 結合 善 勇気 幸福 平和 不可能を可能にします
不信は 分断 悪 臆病 不幸 戦争 可能を不可能にします
南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経とのあいだには
天地程の差がありますが
モグリの信仰者には分からないでしょうが
注・・・・質問者:bragelloneさんを
モグリの信仰者とは言っていません
ご回答をありがとうございます。
★ 《信じる》を、
そんなに難しく語る事ではないと思う
☆ 基本となる要素をすべて入れなくてはなりません。
《非知なるナゾの何ものかを 無条件で無根拠にて わが心に受け容れること》が 信じるである。と一行で言えますが では《非知》とは何か? について説明しなければならない。
その《神》について ひととおり説明せずにはおけない。
といった事情です。
神が 有る神と無い神とに分かれるといった事項は はぶけたかも知れませんが。
★ 火事で取り残された時
「おーい、窓から飛び降りろ、大丈夫だ、受け止めてやる」
貴方は・・・・信じますか、疑いますか。
その程度に分かり易く考えましょう
☆ ちょっと 特殊なことがらが入っていませんか? だって 《飛び降りた人を抱きかかえる》って言うんですよ?
★ 宗教を信心する、と言います
☆ あり得ません。オシへは 人間の言葉で表現された経験思想です。(いかに神秘な部分をふくむと言っても 言葉が 神であることは無しです)。
★ どんな宗教でも、信じる事が基本なのです
☆ ですから その《信じる》を定義しないでは 哲学になりません。
★ 教育の、人材育成の第一歩は「信じる」ことなのです
☆ その場合は 《信じる》という概念の派生用法です。本来の・信じる相手である《非知=神》から 経験的な事物にも類推的に当てはめた事例です。
信頼する・信用するといった意味をつよめている用例です。
神以外は みな派生用法です。
★ 先生 子 国 平和・・・
☆ みな 相対的なものごとであり 《無条件で心に受け容れる》わけではなく つよく信頼関係を前提にするといった派生的な意味を帯びます。
★ 南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経とのあいだには・・・
☆ 保留せざるを得ません。
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№1では お礼を書き終えてクリックすると:
◆ お礼ができなくなっています。
☆ という文字が出てきます。
よく分かりません。ここに載せます。:
*
ご回答をありがとうございます。
うむ。日和見しないってことかな。
誰かに・また何かに頼ることなく 神について自分の立ち場を決めるってこと?
意思決定は 神についてだけではなく ふつう生活日常の一般的なものごとについてもおこなうんだけれど。