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神と仏の違いを教えて下さい。
専門家のご意見を期待しています。

将棋の神様とか野球の神様は省いて下さい。

よろしくお願いします。。

質問者からの補足コメント

  • さまざまなご意見とても参考になっています。
    ありがとうございます。

    仏は人間が悟りを拓くことで達成することは明快でわかりやすいと思っています。ところで、仏になるとは神域に踏み込むことでしょうか?
    詳しいかた教えて下さい。

    また神についてはいろいろな立場、(神道、キリスト教、イスラム教などなど)で考え方が異なることもわかりました。

    そこで改めて教えていただきたいのですが、

    神道の立場からみて仏とは?
    仏教者の立場から神とは?

    尚、キリスト者の方から仏とはどうお考えなのかも併せてお尋ねします。

    よろしくお願いします。。

      補足日時:2022/02/05 10:16
  • ShowMeHowさんの
    「仏は人間が悟りを開き、神格化したものです。
    キリストは、神が人間化したといわれています。
    神はもともと人間を超越した存在とされています。」
    はシンプルで気に入っています。

    ベストアンサーに出来ませんでしたが感謝します。

      補足日時:2022/02/09 18:23

A 回答 (14件中1~10件)

#7・#13です。

お礼ありがとうございます。

>大日=カミはさらに大きい大宇宙をイメージしています。(宇宙の根源)
それは近代的な宇宙論を知っている現代人の我々のイメージにすぎません。

戦国時代の人々は「地球が丸い」ということを知っていたとしても、太陽以上の存在が宇宙にあることを知るはずもないし、空の星々が太陽と同じものである、ということを知っていたはずもないからです。

当時の人々の認識は「太陽」に象徴される季節の巡り合わせが「宇宙」でした。
 農耕民族なら「春がきて、種をまき、収穫すると冬になってまた春が来る」ことが理解の基礎であり、放牧民族なら「あの場所はこの時期、あの丘はこの時期、家畜は基本的に春に出産する、というのが理解の基礎になっていました。

だから太陽の運行はどの民族でもとても重要で、日本の天照も中国の天帝も仏教国の大日も基本は同じ、ギリシャ神話やエジプト文明・マヤ文明なども太陽神を祀ったのは同じ理由です。

 ただし、天文学が発展した文化は「日食や月食は計算できる。だから太陽神が宇宙=自然を作り出した創造主ではない」という理解まで行きつくので、たとえばギリシャ神話ではゼウスという創造主がいて、太陽神であるアポロンはゼウスの息子にすぎない、わけです。

この点において、ユダヤ人以外に一神教が普及するのが今から2000年前ぐらいなったのはある意味当然で、それはギリシャ文明が「太陽神は創造主ではない」という理解が地中海世界に広がったからです。

「では創造主は誰なんだ?」という設問と同時にユダヤ教の唯一神がクローズアップされ、救世主であるキリストが誕生するというのが地中海世界の宗教学的な流れで、アジアはその前に釈迦=仏陀という救済の方法を編み出しているので、アジアだけは一神教が普及しにくかったのです。

>神道の立場からみて仏とは?仏教者の立場から神とは?

私はどちらでもないので、どちらも「人々の悩みや苦しみを昇華する救済者」だと認識しています。

日本人は一つの神や仏に救済を求めるわけではなく「斎物」には力があってその力にすがる、そして斎物はそれぞれ得意分野があって「学問なら菅原道真公の力を借りる」というようなことになるわけです。

日本以外の社会でもそれぞれの文化や価値観を決める歴史的な出来事などから、それぞれの「神・仏・カミ・道徳」を生み出しているわけですが、共通しているのは「人々の救済、救済するための道徳規範」という部分です。
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この回答へのお礼

#7・#13さん
ありがとうございます。

昔の人は太陽系の外まで意識がいかなかったといわれると成る程なあと思いました。

一方、仏陀ぐらいのレベルになると太陽系の外まで見抜く力があったのではと妄想も膨らみます。

また仏教の三千世界の宇宙観は呆れる程のスケールですよね。

そういえば仏教では創造主はいませんよね。確か全て縁起で説明していたような。

考えれば考えるほと興味深い世界です。

いろいろご教示いただきありがとうございます。

お礼日時:2022/02/06 18:53

#7です。

お礼ありがとうございます。
いくつか補足します。

>仏は明快だけど、神はいろいろいるから煩雑というか、簡単ではなさそうですね。

複雑というか「西洋思想の神」と「日本古来、又は精霊思想のカミ」は全く別物なのです。

これを同じ「神」という訳語を当てたこと自体が本来は間違いで、実際に「西洋のGODに神という訳語を当てたのは間違い。戦国時代のようにデウス=大日とするほうが(誤解は生じるのは避けられないが)はるかにわかりやすい」という思想家もいるぐらいです。

また日本古来の思想からいえば「天皇はアラヒトカミである」というのは、なにも問題ありません。#7に書いたように菅原道真公のように、または現代でも超人的な能力を持つ人をネ申と表記するように、日本人は「人をカミと称しても問題ない」と思っているからです。

ただ、西洋人の認識で「Emperor is the GOD」と認識されると、これはただならぬことでえ「日本人は天皇という唯一絶対神を信じていて、(西洋思想では)神の命令は絶対なので、日本人は死を恐れないわけだ。だから天皇は神じゃない、という人間宣言をさせて洗脳を解く必要がある」ということになるわけです。

これは完全に文明の衝突なのですが、今の日本人も「神=一神教の神」だと思っていて、なので日本的な「カミ」との違いがややこしいわけです。

はっきり言って、私たち日本人が知っている、無意識で認識している「カミ」は日本古来のカミであって、西洋的な神ではないのです。

もし私たちが認識している「カミ」が西洋的なものなら「神社や仏閣に行くこと自体が罰当たりな行為」になるからです。でもそんなことを「罰当たり」だと思う日本人は皆無で、要するに「思想的に《神》というと西洋的な神の情報ばかり書いてある」からなんとなく「神=一神教の神」だと思い込んでしまうのです。

>神は仏にならないんですかね。
ならないというか「同じもの」だとされています。この場合の神は日本的な「カミ」のほうなので、以後「カミ」と書きます。

古来の日本でも「カミと仏は何が違うのか?」という問題はかなり議論されていて、平安末期の9世紀には「本地垂迹説」というものがでてきます。

本地垂迹説を簡単に説明すると
「カミや仏は世界中どこでも同じものなのだが、その民族や文化によって表現方法が異なる。だから日本でカミとされたものは天竺(インド)では仏(仏陀)とされた」
というもので、たとえば
天照大御神=大日如来、十一面観世音菩薩
八幡神=阿弥陀如来
というように、分類されていました。

なので西洋思想が入る前の日本人は「カミも仏も基本的には同じもので、人間を救ってくださるもの」という認識でいたのです。

これを壊したのは西洋思想、特に戦後の天皇の人間宣言以降のアメリカ式のキリスト教文化であるといえます。


>思想的変化も聞かせて下さい。

さて、デウス=大日、という認識が「誤解は招くが、カミ=神よりはよい」点を書きました。天照大御神=大日如来とも書きました。

ということは天照大御神=大日如来=デウスということになります。戦国時代の人々はわりとこの方式で理解をしていたのですが、その理由が仏教の思想的変化にあります。

仏教というのは、#7も書いたようにもともとは「人間の苦しみから解脱する方法」であり「苦しみから解放された人が仏」でした。だから最初に解脱した釈迦は仏陀なのです。

釈迦は解脱した後、サロンを開き人々に解脱の方法を教えましたが80歳で入滅(死亡)します。このころには釈迦が教えた仏教教団は数千人から万を超える集団だったといわれています。

釈迦の死後、残された説法がまとめられ、高僧とされる人たちの手によって教えが広められたのですが、初期の頃は「仏陀は釈迦ただ一人」という考え方で教えられていて、同時に「解脱するにはどうしたらいいのか、解脱できなくてもよりよい生き方をするにはどうしたらいいのか」という説話が主なものでした。

これの教えが広がったのは、主に現代のインド北部からチベットなどにかけてのヒマラヤ山脈付近で、思想が広がり、また時代が経るにつれて「解脱のための思想とよりよい生き方」が整理されていきました。
 このような仏教を上座部仏教とよび、今でもチベットやベトナムを除く東南アジアに広がっています。

しかし上座部仏教の考え方である「解脱する」というやり方では救われるのは個人でしかなく、社会全体を救う考え方にはならない、という批判が生まれました。大体紀元前後から1世紀の天竺(インド北部地方)でのことだとされています。

そしてこれにより「仏に祈ればみんなが救われる」という大乗仏教に発展していくわけで、西遊記で三蔵法師が求めた仏教経典が「みなを救うための経典」だったのはそのため、のちに中国の長安に大量に伝播した経典は日本にも伝えらえ、平安時代から鎌倉時代にかけて発展した日本の各宗派もほぼすべて大乗仏教に分類されます。

大乗仏教は「仏は人間とは違う存在で、人々を救済してくれる存在」としています。その市場能力が高い仏が大日如来で、だから日本のカミとしてもっとも位の高い天照大御神と同じとされたわけです。そして「神の最高頂点」ということでデウス=大日如来と認識されたのです。
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この回答へのお礼

大変ご丁寧な解説、しかも二度にわたり恐縮です。

大日=カミ

はとてもスッキリしました。

ただ残るハテナ?です。

大日=天照です。

アマテラスは太陽のことだと聞いたことがあります。

つまりアマテラスは太陽系の主の神と思っていました。

宇宙にはアマテラス規模の神は沢山おられるのでは、つまり太陽系担当の神さまかアマテラスかなと考えていました。

大日=カミはさらに大きい大宇宙をイメージしています。(宇宙の根源)

♯7さんはどうお考えでしょうか?

因みに仏陀は大日=カミを体感したと考えてよろしいですよね。

お礼日時:2022/02/06 16:06

キリスト教の方に言わせば、仏は人間。

人間は神の創造物です(創世記)。
一方、仏教徒に言わせば、神は人間の想像物です。

人間の想像ですから、人間が100人おれば100とおりの神が考えられます。地域、民族により色々な神が祭られております。
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この回答へのお礼

「人間は神の創造物」は聞いたことあります。
創世記に書いてあるんですね。

おっしゃる様に100人いたら100通りの世界観ですね。

ありがとうございます。

お礼日時:2022/02/05 22:59

仏様はすでに死んでる人、生き返ることがないこの世と何の関係も持たない死人、神様はイエスキリスト人で有り神様を詳しく教えてくれた神のもとから来た神の子、ユダヤ人は神の国に住んだこともない勝手に律法を作って民衆に押し付けていたこれはひどいことになると父なる神は我が子を地上に送り父なる神の教えを説いた、ユダヤ人に殺され3日目によみがえった神を知っているのはイエスキリストだけ2000年前に現れたイエスキリストが神となる、教理、父と子と聖霊、三位一体、3っつは等しい。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。キリスト教信者の立場からのご意見ですね。神道側からのご意見もお待ちしています。

お礼日時:2022/02/05 22:07

仏教では神は煩悩が残る存在。

でも煩悩は悪いものではありません。観音様も天部の例えば十二神将も煩悩を持っています。煩悩を持ちながら仏法を守護していたり修行しているんです。そして神も煩悩を持ちながら仏法を守護するために人を導く仮の姿となったものと考えたのです。そしてさらには地主神として仏教の修行場を守る存在となりました。これが各寺院の中にある日吉神社(比叡山の守護神)や都を守護するために関東から奈良を守護するためにやってきた春日大社などですし、宇佐八幡はわざわざ九州から奈良にやってきました。
これに対し江戸時代の国学者らは逆に神道の神々が超越的な存在であり、仏は神の教えを導くために人間界に現れた姿だと説きました。

しかし私は次のように考えています。
神という文字は古代中国で生まれました。神の「ネ」は血の滴る生け贄を高台に乗せて捧げている姿を表し、「申」は稲妻を表しています。つまり電や雷の雨冠の下の部分です。元の意味はつまり雷、天神さんは雷なんですよ。
それから中国では道教が広がり天に住まう存在を神と呼び、道教に祀られる英雄らも神となりました。有名なのは関帝廟の関羽ですね。
日本では古来より「カム」という存在がありました。神の字が日本に来て融合し神をカミと読むようになったのです。日本の神は天然自然に存在する力を意味しますが、同時にこれは先祖でもあります。
神道では人が死ねば体は分解して自然(土)に帰ります。分解した土から動植物が生まれ水が湧きます。そして犯土から生まれた動植物を食べて人は成長し子を産みます。だからすべては土から生まれ土にかえる、自然の土も水も天も星もすべては私たちの先祖なんです。神とは先祖の魂。これを「祖霊」といいます。天照大神は天皇の祖霊なんですよ。

仏は人間が到達すべき究極の姿です。人間の辛老病死の根源は心御中に発生する我欲と迷いだと仏教では説きます。この辛老病死から解き放たれるための方法論(生き方)を説いたのが仏法であり御経です。仏とは私たちが目指すべき究極の姿であり先輩の姿なんです。
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この回答へのお礼

成る程、勉強になります。
「神も煩悩を持ちながら仏法を守護する」という発想はなかったです。確かに大きなお寺には境内の隅に神様の祠がありますね。
ありがとうございます。

お礼日時:2022/02/05 22:14

神というのは二種類あって


①キリスト教の神のような完全無欠の絶対神。
→全知全能であり人間を律し褒美や懲罰を与える存在
②土俗宗教などに見られる精霊のような存在。ギリシャ・ローマ神もこれの仲間。
→欠点はあるがその超人的能力で人間を守護する。守護霊に似ているといえばわかりやすいかも。

仏とは「成仏した人」のことで、つまり
①悟りを得
②涅槃寂静の境地に達した
人のこと。
仏教では人間が到達できる最高の境地であり、仏教徒は凡夫からこれを目指して声聞・縁覚・菩薩などの修業をする。

ただし日本では江戸時代の葬式仏教の影響が強く、仏と言えば神のような存在になってしまっているし、「ホトケ=死者」のように使われたりする。

仏教(無神教)と一神教・多神教では教義も体系も違うから一概には比較できないが、あえてまとめると
「人間は仏になる可能性はあるが神にはなれない」
となる。
その「仏になれる可能性」を仏教用語で「仏性」という。
東洋的性善説の由来であり、日本では悪人正機説に発展した。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

仏は明快だけど、神はいろいろいるから煩雑というか、簡単ではなさそうですね。

神様が好きなひと
神様は怖いと感じるひと

受け止め方もそれぞれで難しいですね。

お礼日時:2022/02/04 18:34

神と仏の違いを教えて下さい。


 ↑
神は人間ではありませんが、
仏は人間です。
修行して、悟りを開いた人間が
仏です。



将棋の神様とか野球の神様は省いて下さい。
 ↑
神道では、森羅万象ことごとくに
神がおります。
工場にもいるし、トイレにもおります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

仏は神にならないんですかね?

神道では確か20年で神上がりすると聞いたことあります。

お礼日時:2022/02/04 14:45

仏とは元々「解脱した人物」のことを言い、釈迦が会得した解脱の法に従って修業し仏になることを示したものが「仏教」でした。



ただ、労働しないで解脱の修行ばかりすることはほとんどの人ができないので、のちに「解脱した仏が人々を救う」というように変化していき、だんだん時代や場所が変わるにしたがって「仏という神のような存在が、人々を救う」というように変わっていきました。

なので、本来、神と仏は全く別のものなのですが、現代日本での機能としてはあまり違いがありません。

さて「神」は複雑です。
複雑というより「時代や地域によって意味が違う」のです。

なので日本で通用する「神」という言葉の主な2種類を説明します。
・キリスト教の神
 日本人は「キリストが神様」と勘違いしている人も多いので、そもそもよくわかってないのですが、実際には「キリスト=救世主」で「神=キリストを人間界に遣わした全知全能の創造主」です。で、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の神は一人?しかおらず、他に「全知全能の創造主」とする神はいません。

 「創造主」というのはその神が自分でそう言っているのと、それを信じたユダヤ人が聖書(旧約)にそう書いたから、そうなります。信じるか信じないかはあなた次第・・

・日本の神々
 日本の神様たちは一神教の神とは全然違って「斎物(いつきもの)」が原型で、禍々しいもの・恐ろしいもの・神々しいものを忌み清めるとか祀ったものになります。
 なので日本の神々は「精霊信仰」とも呼ばれ、一神教の神を人間が発明する前は、どこの地域でも精霊信仰が見られました。世界各地の巨石文明なども精霊信仰と関係がある、とされていますし、日本の神社もお社が立つ前やお祀りする神様の名前が決まる前から「斎場所」だったところが多いのです。

また、針供養やトイレの神様のような考え方を日本人がするのは「ずっと使っていると思いが宿り、その思いが斎物を産む」と考えられているからで、捨てる時に感謝したり、供養したりするのは日本の信仰の在り方として当然だといえます。

つまり「人間の思いをたくさん受けた物」は斎物=神であるわけで、同様に人間も思いの強い人間は神になります。たとえば菅原道真や平清盛がそうで、道真公は太宰府の神ですが、清盛公は首塚が現代でも「斎物→祟りもの」として扱われていて、これも日本では「神」の一種、国を思って戦死した兵士が靖国神社で神として扱われるのも同じ理由です。

以上のことから日本人の信仰は「西洋式の一神教を《宗教・信仰》だと思っているので、自分たちは「無宗教・無信仰」だと思っているのですが、そもそも一神教の歴史を持たない日本の信仰の在り方は全く違っていて「斎物を祀る」のがその信仰の形態になります。

「仏」も本来の意味は「解脱した人」なわけですが「解脱するためにすべてを捨てて修行する人たち=偉い人→斎人々」になるので、仏教も神道と同様に日本で信仰の対象になっていったのです。

仏教の伝播とそれによる思想的変化の歴史が必要なら説明します。
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この回答へのお礼

ご丁寧な解説感謝いたします。
菅原道真や平清盛は別にすれば、仏よりも神の方がレベルが高い印象がしました。

思想的変化も聞かせて下さい。
お願いします。

お礼日時:2022/02/04 13:19

仏とは、「成る」ものです。

ある意味としては、状態のことです。仏教とは、その状態に成ることを認めることです。つまりは、ブッタの悟りを認めることですね。しかし、その真理は誰も分からない。
神とは、あってあるもの。これには、多神教と一神教があります。多神教では、神はむやみに加護を与え、時にはむやみに祟ります。一神教では、神は対峙するものです。
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この回答へのお礼

「成る」ものと「ある」ものの違いですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2022/02/04 12:13

一言に「神」と言っても、世界中には様々な宗教があり、その多くに「神」は登場します。



日本において一般的に「神」と言えば「神道」ですし、「仏」と言えば「仏教」です。

神道は日本古来の宗教で、仏教のルーツはインドです。

また、本来、仏教には信仰対象がなく、修行によって悟りを開き解脱する事に主な目的があります。

一方、神道の信仰対象は自然崇拝から始まり、のちに八百万の神(やおよろずのかみ)を信仰するようになりました。

その他いろいろな違いがありますが、元々のルーツが全く違いますので、信仰の内容が違っていることは当然のことです。
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この回答へのお礼

ルーツが違うのだから比べようもないということでしょうか。ありがとうございます。

お礼日時:2022/02/04 11:49

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