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神と仏の違いを教えて下さい。
専門家のご意見を期待しています。

将棋の神様とか野球の神様は省いて下さい。

よろしくお願いします。。

質問者からの補足コメント

  • さまざまなご意見とても参考になっています。
    ありがとうございます。

    仏は人間が悟りを拓くことで達成することは明快でわかりやすいと思っています。ところで、仏になるとは神域に踏み込むことでしょうか?
    詳しいかた教えて下さい。

    また神についてはいろいろな立場、(神道、キリスト教、イスラム教などなど)で考え方が異なることもわかりました。

    そこで改めて教えていただきたいのですが、

    神道の立場からみて仏とは?
    仏教者の立場から神とは?

    尚、キリスト者の方から仏とはどうお考えなのかも併せてお尋ねします。

    よろしくお願いします。。

      補足日時:2022/02/05 10:16
  • ShowMeHowさんの
    「仏は人間が悟りを開き、神格化したものです。
    キリストは、神が人間化したといわれています。
    神はもともと人間を超越した存在とされています。」
    はシンプルで気に入っています。

    ベストアンサーに出来ませんでしたが感謝します。

      補足日時:2022/02/09 18:23

A 回答 (14件中1~10件)

競馬の神様は?

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この回答へのお礼

除外ですね。ご指摘に感謝します。

お礼日時:2022/02/04 11:21

私からすればそれらは大体同じです。

困った時に「神様、仏様、キリスト様」と呼んで願いごとします。
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この回答へのお礼

貴重なご意見ありがとうございます。同じように感じている方はとても多いのではと思います。

お礼日時:2022/02/04 11:26

神様は人間ではない存在。


仏様は元が人間。
というのが大きな違いです。

参考URL
https://1kara.tulip-k.jp/buddhism/2017092061.html
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この回答へのお礼

成る程、わたし達人間は仏になれるかもしれないが、神にはなれないということでしょうか。明快ですね。ありがとうございます。

お礼日時:2022/02/04 11:45

仏は人間が悟りを開き、神格化したものです。


キリストは、神が人間化したといわれています。
神はもともと人間を超越した存在とされています。

ま、専門家でも何でもありませんが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。「悟り」が鍵みたいですね。

お礼日時:2022/02/04 11:41

一言に「神」と言っても、世界中には様々な宗教があり、その多くに「神」は登場します。



日本において一般的に「神」と言えば「神道」ですし、「仏」と言えば「仏教」です。

神道は日本古来の宗教で、仏教のルーツはインドです。

また、本来、仏教には信仰対象がなく、修行によって悟りを開き解脱する事に主な目的があります。

一方、神道の信仰対象は自然崇拝から始まり、のちに八百万の神(やおよろずのかみ)を信仰するようになりました。

その他いろいろな違いがありますが、元々のルーツが全く違いますので、信仰の内容が違っていることは当然のことです。
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この回答へのお礼

ルーツが違うのだから比べようもないということでしょうか。ありがとうございます。

お礼日時:2022/02/04 11:49

仏とは、「成る」ものです。

ある意味としては、状態のことです。仏教とは、その状態に成ることを認めることです。つまりは、ブッタの悟りを認めることですね。しかし、その真理は誰も分からない。
神とは、あってあるもの。これには、多神教と一神教があります。多神教では、神はむやみに加護を与え、時にはむやみに祟ります。一神教では、神は対峙するものです。
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この回答へのお礼

「成る」ものと「ある」ものの違いですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2022/02/04 12:13

仏とは元々「解脱した人物」のことを言い、釈迦が会得した解脱の法に従って修業し仏になることを示したものが「仏教」でした。



ただ、労働しないで解脱の修行ばかりすることはほとんどの人ができないので、のちに「解脱した仏が人々を救う」というように変化していき、だんだん時代や場所が変わるにしたがって「仏という神のような存在が、人々を救う」というように変わっていきました。

なので、本来、神と仏は全く別のものなのですが、現代日本での機能としてはあまり違いがありません。

さて「神」は複雑です。
複雑というより「時代や地域によって意味が違う」のです。

なので日本で通用する「神」という言葉の主な2種類を説明します。
・キリスト教の神
 日本人は「キリストが神様」と勘違いしている人も多いので、そもそもよくわかってないのですが、実際には「キリスト=救世主」で「神=キリストを人間界に遣わした全知全能の創造主」です。で、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の神は一人?しかおらず、他に「全知全能の創造主」とする神はいません。

 「創造主」というのはその神が自分でそう言っているのと、それを信じたユダヤ人が聖書(旧約)にそう書いたから、そうなります。信じるか信じないかはあなた次第・・

・日本の神々
 日本の神様たちは一神教の神とは全然違って「斎物(いつきもの)」が原型で、禍々しいもの・恐ろしいもの・神々しいものを忌み清めるとか祀ったものになります。
 なので日本の神々は「精霊信仰」とも呼ばれ、一神教の神を人間が発明する前は、どこの地域でも精霊信仰が見られました。世界各地の巨石文明なども精霊信仰と関係がある、とされていますし、日本の神社もお社が立つ前やお祀りする神様の名前が決まる前から「斎場所」だったところが多いのです。

また、針供養やトイレの神様のような考え方を日本人がするのは「ずっと使っていると思いが宿り、その思いが斎物を産む」と考えられているからで、捨てる時に感謝したり、供養したりするのは日本の信仰の在り方として当然だといえます。

つまり「人間の思いをたくさん受けた物」は斎物=神であるわけで、同様に人間も思いの強い人間は神になります。たとえば菅原道真や平清盛がそうで、道真公は太宰府の神ですが、清盛公は首塚が現代でも「斎物→祟りもの」として扱われていて、これも日本では「神」の一種、国を思って戦死した兵士が靖国神社で神として扱われるのも同じ理由です。

以上のことから日本人の信仰は「西洋式の一神教を《宗教・信仰》だと思っているので、自分たちは「無宗教・無信仰」だと思っているのですが、そもそも一神教の歴史を持たない日本の信仰の在り方は全く違っていて「斎物を祀る」のがその信仰の形態になります。

「仏」も本来の意味は「解脱した人」なわけですが「解脱するためにすべてを捨てて修行する人たち=偉い人→斎人々」になるので、仏教も神道と同様に日本で信仰の対象になっていったのです。

仏教の伝播とそれによる思想的変化の歴史が必要なら説明します。
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この回答へのお礼

ご丁寧な解説感謝いたします。
菅原道真や平清盛は別にすれば、仏よりも神の方がレベルが高い印象がしました。

思想的変化も聞かせて下さい。
お願いします。

お礼日時:2022/02/04 13:19

神と仏の違いを教えて下さい。


 ↑
神は人間ではありませんが、
仏は人間です。
修行して、悟りを開いた人間が
仏です。



将棋の神様とか野球の神様は省いて下さい。
 ↑
神道では、森羅万象ことごとくに
神がおります。
工場にもいるし、トイレにもおります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

仏は神にならないんですかね?

神道では確か20年で神上がりすると聞いたことあります。

お礼日時:2022/02/04 14:45

神というのは二種類あって


①キリスト教の神のような完全無欠の絶対神。
→全知全能であり人間を律し褒美や懲罰を与える存在
②土俗宗教などに見られる精霊のような存在。ギリシャ・ローマ神もこれの仲間。
→欠点はあるがその超人的能力で人間を守護する。守護霊に似ているといえばわかりやすいかも。

仏とは「成仏した人」のことで、つまり
①悟りを得
②涅槃寂静の境地に達した
人のこと。
仏教では人間が到達できる最高の境地であり、仏教徒は凡夫からこれを目指して声聞・縁覚・菩薩などの修業をする。

ただし日本では江戸時代の葬式仏教の影響が強く、仏と言えば神のような存在になってしまっているし、「ホトケ=死者」のように使われたりする。

仏教(無神教)と一神教・多神教では教義も体系も違うから一概には比較できないが、あえてまとめると
「人間は仏になる可能性はあるが神にはなれない」
となる。
その「仏になれる可能性」を仏教用語で「仏性」という。
東洋的性善説の由来であり、日本では悪人正機説に発展した。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

仏は明快だけど、神はいろいろいるから煩雑というか、簡単ではなさそうですね。

神様が好きなひと
神様は怖いと感じるひと

受け止め方もそれぞれで難しいですね。

お礼日時:2022/02/04 18:34

仏教では神は煩悩が残る存在。

でも煩悩は悪いものではありません。観音様も天部の例えば十二神将も煩悩を持っています。煩悩を持ちながら仏法を守護していたり修行しているんです。そして神も煩悩を持ちながら仏法を守護するために人を導く仮の姿となったものと考えたのです。そしてさらには地主神として仏教の修行場を守る存在となりました。これが各寺院の中にある日吉神社(比叡山の守護神)や都を守護するために関東から奈良を守護するためにやってきた春日大社などですし、宇佐八幡はわざわざ九州から奈良にやってきました。
これに対し江戸時代の国学者らは逆に神道の神々が超越的な存在であり、仏は神の教えを導くために人間界に現れた姿だと説きました。

しかし私は次のように考えています。
神という文字は古代中国で生まれました。神の「ネ」は血の滴る生け贄を高台に乗せて捧げている姿を表し、「申」は稲妻を表しています。つまり電や雷の雨冠の下の部分です。元の意味はつまり雷、天神さんは雷なんですよ。
それから中国では道教が広がり天に住まう存在を神と呼び、道教に祀られる英雄らも神となりました。有名なのは関帝廟の関羽ですね。
日本では古来より「カム」という存在がありました。神の字が日本に来て融合し神をカミと読むようになったのです。日本の神は天然自然に存在する力を意味しますが、同時にこれは先祖でもあります。
神道では人が死ねば体は分解して自然(土)に帰ります。分解した土から動植物が生まれ水が湧きます。そして犯土から生まれた動植物を食べて人は成長し子を産みます。だからすべては土から生まれ土にかえる、自然の土も水も天も星もすべては私たちの先祖なんです。神とは先祖の魂。これを「祖霊」といいます。天照大神は天皇の祖霊なんですよ。

仏は人間が到達すべき究極の姿です。人間の辛老病死の根源は心御中に発生する我欲と迷いだと仏教では説きます。この辛老病死から解き放たれるための方法論(生き方)を説いたのが仏法であり御経です。仏とは私たちが目指すべき究極の姿であり先輩の姿なんです。
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この回答へのお礼

成る程、勉強になります。
「神も煩悩を持ちながら仏法を守護する」という発想はなかったです。確かに大きなお寺には境内の隅に神様の祠がありますね。
ありがとうございます。

お礼日時:2022/02/05 22:14

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