牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

0. 理論として反駁されてもいなんですよね。

1. まづ《神》とは 人知を超えていて超自然ないし超経験なる場またはチカラとして想定されるものです。概念としては 絶対性または無限として説明されます。

2. 《普遍神》とは その神のことです。それぞれの言語で神としていくつかの名で呼ばれる何ものかのすべてに共通する要素を捉えたときの言葉です。


3. 神は――絶対性として《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ》ですから―― 人間が認識したり認識させたりまたそれを操って受け容れさせたりするいわゆる宗教とは 無縁です。

3-1. 宗教やその説く神は 《考えて知る》対象です。思想です。オシへは 普遍神なる正解へとみちびく補助線であり得ますが それは 普遍神のゆえにであって 宗教ゆえにではありません。




4. 神とわれとの関係は 信仰と呼ばれます。宗教は 神についてのオシへを扱いますから 神との関係は 一たん明らかに切れています。

5. 《神〔または その具体的な名〕を無条件で無根拠にてわが心に受け容れること》が 信じるです。色をつけて説明調になるならば 真理・道・生命といった内容を心に受け容れます。

6. 信仰を蝉にたとえると 宗教は〔信仰から得られる主観的な神観(そのイメージ)を体系化した〕オシへとして 蝉の抜け殻です。つまり 信仰とは 言い方がわるいですが 親子の縁を絶ち切ったようにして無関係です。




7. ぶっちゃけた話としましては 普遍神は ふつう一般にそして昔から自然に生活の中で日本人の心に根づいたその神です。閉ざされておらずいろんな呼び名がありますが すべて普遍神の分身ですから。

8. 日本人はこの神によって いわゆる排他性をおびる一神教なるシュウキョウには感染しないという免疫があります。

9. その神によって日本人は しかもひじょうに寛容であり おとなしい有神論に対してもそして同じく同等にしかるべき無神論に対しても 差別なく接します。中核となる普遍神をいづれの神ないし信仰の中にも捉えているからです。


☆ と考えますが いかがでしょう?

A 回答 (12件中1~10件)

お礼ありがとうございます



素晴らしい返事をいただけたので、もう少し書かせて下さい

私は、神と私達の関係性は信仰ではなくて、生きる事自体(人生?)だと考えます

神は私達の生きる行為から、さまざまな情報を得ている存在だと思います

つまり、私達がバラエティ番組の出演者で神は司会者か視聴者みたいな存在だと思います

私達は神にとっての携帯端末みたいなもので、ある端末はただ電話をかけるだけ、ある端末は宇宙に関する情報を主に検索している、ある端末はショップ検索を沢山している・・・などと、それぞれの興味に関するものをより多く検索しているそれぞれの端末が私達です

そして神は、その端末の大元であるネットワークや携帯の管理会社そのものです

物理的にいえば、神とは宇宙空間のすべての場所に充満している、思考を持ったエネルギーだと思います

そして宇宙のすべての物質は、その神であるエネルギーが凝縮して出来上がったものです

だから、宇宙のすべては神でできていると考えています
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この回答へのお礼

★ 私は、神と私達の関係性は信仰ではなくて、生きる事自体(人生?)だと考えます
☆ もちろん そうだと思います。

ただ 神と〔人間すなわち一人ひとりの〕われ との関係は 信仰とは呼ばれています。



★ 神は私達の生きる行為から、さまざまな情報を得ている存在だと思います
☆ まぁ そうも言えるかと思いますが 見方によっては どんな情報を得たか・あるいはどんな情報を必要としているかをも神は――前もって―― 分かっているかも知れません。


★ つまり、私達がバラエティ番組の出演者で神は司会者か視聴者みたいな存在だと思います
☆ なるほど。司会者でもありただの視聴者であるに過ぎない場合もあると。



★ 私達は神にとっての携帯端末みたいなもので、ある端末はただ電話をかけるだけ、ある端末は宇宙に関する情報を主に検索している、ある端末はショップ検索を沢山している・・・などと、それぞれの興味に関するものをより多く検索しているそれぞれの端末が私達です
☆ まぁ そうでしょうね。ただし あやつり人形ではないですね 人間は。



★ そして神は、その端末の大元であるネットワークや携帯の管理会社そのものです
☆ 同意しますが 語弊があるかも知れない。つまり 神は そもそもとして 管理人ではないですね。



★ 物理的にいえば、神とは宇宙空間のすべての場所に充満している、思考を持ったエネルギーだと思います
☆ あるいは 生命(生命性)。


★ ~~~
そして宇宙のすべての物質は、その神であるエネルギーが凝縮して出来上がったものです

だから、宇宙のすべては神でできていると考えています
~~~
☆ 《創造主》説ですね。


あるいは もし《大いなる生命》であるなら いちいち・わざわざわれわれ人間は 神のことを思っていたり気にかけていなくてのよい・・・かも。もっと ゆったりした世界なのではかいかとも。

お礼日時:2023/03/08 19:18

君の感想をいくら説明されようがそれはあくまで感想に過ぎない


つまり君は未だ普遍神を立証してはいない。
よって君がいくら普遍神が存在していると主張しようがそれはあくまで君の論理製の無い思い込みに過ぎない
オマケ
エネルギーはエネルギーであってそれ以上でもそれ以下でもない
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オマケ


質問者君君はエネルギーを神に置き換えているようだがそれはつまり詭弁似過ぎない
エネルギーはエネルギーであってそれ以上でもそれ以下でもない
更に言えば無の状態とはエネルギーですら無である状態。つまりエネルギーがこの宇宙を作ったのではなくこの宇宙は無と有のゆらぎの対称性が自発的に破れて単純した    
つまりこの宇宙を誕生させたのはエネルギーでなくて自発的対称性の破れという物理現象です
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質問者君君は同じコメントを連発する悪いがでてるね 


同じコメントをしているということは私のコメントにまともに反論出来ない証拠
まともに反論できないないなら無駄なので返答不要。
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初めまして



神という存在は、私達が想像するすべての解釈を含み、さらに無限で幅広い実態を有する存在だと思います

つまりどの様に神を理解する事も可能で、すべての理解があてはまり、そのすべての形態を有して、さらに無限の理解を有しているのが〝神〝だと思います

神は解釈の仕方によれば〝究極の正義〝で、また別の解釈の仕方では〝究極の悪〝にもなれる存在です
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この回答へのお礼

★ 初めまして
☆ ようこそ。ご回答をありがとうございます。


★ 神という存在は、私達が想像するすべての解釈を含み、さらに無限で幅広い実態を有する存在だと思います
☆ そういった含みを持ち得る存在だということでしょうね。全知全能というところまで その含みは伸び得ます。


★ つまりどの様に神を理解する事も可能で、すべての理解があてはまり、そのすべての形態を有して、さらに無限の理解を有しているのが〝神〝だと思います
☆ ですから その無限の含みの中から そのつどわたしたちに必要な情報が得られるなら万々歳でしょうね。

そのためのメールを 神はつねに・誰に向けても おくっているかも知れない。・・・ただ それに気づくのがむつかしい。しかも 受け取ったならた易く解読できるとは限らない。・・・



★ 神は解釈の仕方によれば〝究極の正義〝で、また別の解釈の仕方では〝究極の悪〝にもなれる存在です
☆ つまり・おそらく《悪》をも善用するのでしょうね。

お礼日時:2023/03/08 18:06

そもそも論として 


君は「普遍神」が何故理解を得られないのか?
と言う質問をしているから
その理由を述べたまで
それを否定するなら質問した意味すらない。
君は否定されたら頑なに拒絶するがそうしている限り普遍神を理解していない人達を理解させる事は出来ないですね
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この回答へのお礼

① 仮説演繹法という科学的立論にもとづくものです。見誤ることは 科学に志す者なら あり得ないでしょう。

①a 立証方法が――絶対性をあつかう神論であるからには―― 特殊なのです。

② 仮説法ないし想定が 不都合であったという反証可能性があります。

③ 日本人が生活現実の中で 神と呼んでいる何ものかが 実際にも対応していると言っている([7]~[9])。しかるに:
★ 想像の産物に過ぎない
☆ とは ケアレスミスでも済まされないでしょう。




① 立証可能性がある。
② 想定という方法を前提として 反証可能性がある。
③ 生活現実なるものを 《想像の産物》だとは どこまで精神錯乱なのか。

お礼日時:2023/03/08 13:16

神は絶対性として「知り得るか知り得ないかかが知り得ないナゾ」と主張しているが「知り得ないナゾ」であることを立証しない限り君のその主

張は論理的に正しいとはいえない
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普遍神に反証可能性も立証可能性も無いその理由


普遍神がヒトの知性を超えた存在としているからです
反証も立証もヒトの知性がなすもの。故にヒトの知性を超えたるものがヒトの知性によってなされる反証も立証も出来ないのは至極当然の事 
そのうえで
ヒトの知性を超えたる存在をヒトの知性で説明できないのでそれはつまり説明不可能な存在となり
つまり説明不可能な存在を説明しようとしている時点で矛盾が生じているのです
それも普遍神が理解されない理由です
わかりましたか?
仮説演繹法に基づこうともそれはあくまでみせかけに過ぎない。
何故なら普遍神が人の知性が及ばない存在としているからです
そう規定している限りどのような手法それが仮説演繹法であってもそれにヒトの知性に基づく客観的かつ論理的な根拠を持ち得る事は絶対にありえないのでそう規定している限り普遍神は質問者君の想像上の存在でしかありません。
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ヒトが日常神と呼んでいるその存在が客観的かつ論理的に立証されてはいない想像の域の産物ですね

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どのような形式を取ろうとも質問者君のその主張に反証可能性も立証可能性も無いことに変わりが無い


よって質問者君のその主張はどのような形式を取ろうとも科学ではない
かつ君のその主張は客観的かつ論理的な根拠のない想像=物語なので質問者君以外の者たちに客観的かつ論理的に理解される事は決してありません

当然の事です
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