
靖国神社参拝問題でいろいろと揉めてますが、靖国神社に参拝する小泉首相は死後の霊の存在を認めているのでしょうか?一国の総理がこんな非科学的なものを信じてるという非難はあまりされてないのが不思議です。21世紀にもなるのに。
靖国神社に参拝するというのは、以下の世界観を信じることとしていいのでしょうか?
詳しい方の解説を願います。
・人間は肉体と霊魂からなる(二元論)
・死後も霊魂は存在する(靖国の英霊)
・死後も霊魂は個別性を保つ(アートマンとブラフマンの問題)
・死後も日本人/非日本人の区別がある
・死後も霊魂は贖罪されない(A級戦犯分祀問題)
・人間だけではなく、動物にも霊魂があり、死後も霊魂は存続する
また、中国共産党が靖国参拝を批判してますが、マルクス主義は唯物論・無神論なので、霊魂の存在を認めないのだから、A級戦犯やBC級戦犯の霊の取り扱いについて、いろいろいうのはおかしいと思いますが、これについて中国共産党の見解があったら教えてください。
No.10ベストアンサー
- 回答日時:
>どうして中国はA級戦犯の霊とBC級戦犯の霊をわけろといって日本の宗教の土俵にのるのかがわかりません。
それについて中国共産党の見解を知りたいのです。本当は中国共産党も霊魂の存在を信じてる、そんな気がするのです。#9再登場です
哲学カテゴリーなので、あくまでも哲学的に回答します。
人間の信仰心でさえも、脳髄の働きと考えれば客観的に存在する実存であり、唯物論的な立場で思考すれば、「他人の信仰心」でさえも「認識でき」「働きかけることのできる」対象として客観的に存在します。
戦争責任者を崇め奉る立場をとっている靖国神社の存在も客観的な実存であり、首相の参拝行為もしかりです。靖国神社への信仰心が特攻などの無謀な行為を背後で支えていたことを思えば、変革をすべき対象として働きかけるのは、唯物論者から見てなんら不思議ではありません。
もし仮にA級戦犯の分祀がなされれば、首相が参拝行為を行ったとしても戦争責任者を讃える認識を有していないことが客観的に証明されるわけですから、霊魂の存在を信じない中国共産党にとっても意味のあることなわけです。
したがって中国共産党が、A級戦犯の分祀を働きかけることと、霊魂を信じていないことは、なんら矛盾しません。それどころか、徹底した唯物論者だからこそ批判をするのだと思います。(別の宗教を信仰する立場なら、あれほど分祀にこだわらないかもしれません)
#私は、徹底した無神論者・唯物論者ですが、盆や正月の墓参りや知人の葬儀への出席は一般的な日本人の平均よりも熱心に行っています。
故人を偲ぶ・故人の生前の行動を思い出すことで、心の中に決意や意欲が湧き上がってきますよね。この「決意や意欲」は自分の脳髄の働きとして客観的に実存しているわけだから、宗教的な行為がもたらす物理的な効果として、意味のある行為だと思います。
真の唯物論はロボットのような機械的な思考ではなく、きわめて人間味のある、ものの見方・考え方です。質問者様も、他人の信仰心を「非科学的」等と決め付けて非難する機械的なものの見方ではなく、「他人の信仰心」でさえも客観的に存在し、認識でき、働きかけられる対象としてとらえることのできる、『懐の深さをもった科学的な思考』を身につけてみてはどうでしょうか?
なるほど「「霊魂を信じる」行動を取る小泉首相」とカッコにくくって、ブレイクダウンするわけですね。日本人は靖国問題をどこか人間の力が及ばない超人間的なカミの世界の問題としてとらえがちなのに対して、中国人は変革可能な人間の世界の問題ととらえていて、ここに認識の断層があるのでしょうね。人間中心に世界を見る中国的な発想と唯物論から靖国問題を見ると確かにこうなりそうです。ありがとうございます。
No.16
- 回答日時:
基本的にアニミズム的で精霊信仰に近似する古来からの日本神道とその祭祀長である天皇家の概念は、
明治維新以降の国家神道と王權および、戦没者施設として設立された靖国はイコールでは有りません。
後者は極めて人工的な物であり、宗教理論・哲学的論理で説明可能な存在と言うより、
国民国家存続に関わる極めて政治的で曖昧な存在であると言う基底の現実が有ります。
また、軍人として祭祀するのでは無く、御霊として祭祀するのであり、
御霊に形而的な形状は有りません。
もともと神道では巌・草木・鏡・剣など、神道の概念上、
「清浄」と規定される物に御霊が宿るのであり
御霊をこの世の形とあえて定義するなら巌・草木・鏡・剣。
であり、軍人と言う人間の世俗社会の極めて具象的な形として
祭祀するわけでは有りません。
また、基本的に軍人の「功績」を祭祀する事は
神道の概念とは相容れないものです。
また、御質問なので敢えて宗教的でも哲学的にも関係の薄い「A級戦犯」について言及しますが、
A級戦犯の総数は27名であり獄死・病死・自殺を除いて死刑になったのは極わずかの人間です。
残りはほぼ全員が赦免され「岸信介」の様に戦後首相にまでなった者も居ます。
また死刑になった人員の中には「広田広軌」の様に「近衛文麿」の代理として死刑になった
人物もおり、極めて裁判としては不備不完全で国際法的には全く整合性の無い者です。
東京裁判とは、戦勝国が復讐のため「裁判」の形をとって「制裁」したのであり
戦犯となった者には冤罪・身替わりも多く、あくまで裁判の形を借りた報復行為です。
「平和を侵犯した」のが罪であり、「民間人を虐殺した」のが罪であるなら
アメリカによる原爆投下や中国の通州・上海事件も同様に罪である事は明白ですが、
もちろん「裁判」であるに関わらず、「罪」として戦勝国で訴追された者は居ません。
ですからA級戦犯は国民を代表してスケープゴートになった犠牲者という見方も出来ます。
論理的に「罪」の概念が崩壊している東京裁判に基づいた「A級戦犯」に
なんら分祀の必要が有るとも思えませんが、これは神道的解釈と言うより論理的解釈です。
また、英国王族及び英国首相はアヘン戦争戦没者が眠る「とされる」施設を毎年献花していますが
中国がこれにクレームをつけない理由も分かりません。
霊魂を信じていればこちらも批判するのが物の論理では無いのでしょうか。
No.15
- 回答日時:
靖国の神道は国家神道ですから、従来のアニミズム的霊魂理解の神道信仰とは異なります。
吉田神道に近い形態でも無く、国体と霊魂を切り離し得ません。
国体・霊魂・神は共に神柱であり神だと定義するわけです。
同時に神道の基本解釈として「みたま」は神でありますから、
神である「みたま」は絶対清浄な存在でありこの世の罪とは相入れません。
ここに、矛盾が生じるのですが、国体は清浄であるのはずは無いという問題です。
ただ、明治以降の天皇家は戦争終結時まで「立場上」絶対王権にして、
清浄なる生き神ですから、その神が統帥する日本国体も絶対清浄なる存在であり、
あらゆる穢れを払拭する基幹的機能をもち合わせていたわけです。
しかし、戦後国家を統治するのは国民になったことで、
国体は完全に清浄であるという解釈は論理的に不可能になりました。
明治政府は列強の植民地化に抵抗する為、共和制を取らず王政を選択し、
王権を神道の祭祀長であった天皇家を国家機関として利用しました。
その運動の信仰的精神的支柱が極めて人工的な国家神道であるわけですが、
このことで日本神道は本来持っていた「非論理的で未整理な許容」と言う自由度を失い、
国民国家と言う鋳型に無理矢理はめ込まれる事で
国民精神の支柱を一本化し極めて単純に世俗化する事に成功したわけです。
靖国は基本的に国家に殉じた御霊を神(唯一神では在りません)として祭祀する場所であり、
例え明治以降の日本の近代国家システムや国家神道に矛盾が在ろうとも
「日本的精神土壌の一部」を確実に内包した信仰施設です。
(私は信仰しませんが神道家として許容します)
>靖国参拝=神の国発言+軍人崇拝
についてですが、
軍隊は近代国家防御のシステムでありそれ以上でもそれ以下でも在りませんが、
所属する集団意識に対して命(自我)をとして殉じる事を崇高だとする意識は不変に存在し
どのような宗教や国家であろうとも「殉教」的心理作用が働くものです。
消防士や警察官は許容され、軍人のみを否定されるように見え論理的矛盾を感じますが?
又、日本の戦没者信仰形態のみが異常であり美化されていると思われてるようですが、
戦没者崇拝はキリスト教国やそれ以外の国家でも普遍的に見られるもので、質問者さんにとって
「日本だけが神道と言う形態」を持つ為に特異に見えるに過ぎないのではないのでしょうか。
世界中を見回して国民国家誕生後も完全にあらゆる矛盾を払拭した慰霊施設の存在は
確認出来ませんがこの点もいかがでしょうか?
また、御霊は清浄化して神になるのであり、神柱はよりしろである巌・木草・社に宿ります。
清浄そのものが存在であり神でありますから、昇天するわけでは在りません。
回答ありがとうございます。
死後も霊魂は清浄とのことですが、浄化されて罪が消えたらなら、A級戦犯もBC級戦犯も区別がつかないから原理的に分祀できないし、また同時に軍人としての功績(敵軍撃破etc)も消えてしまうような気がしますが、その点どうなんでしょうか。逆に軍人として崇拝すると罪は消えないことになるし、おかしくないですか?
また靖国に祀られたら霊魂は死後も軍人としてあり続けるんでしょうか。本人が「退役したら山形あたりで百姓やりたいなぁ」とか思ってても、未来永劫軍人のままなんでしょうか?
No.14
- 回答日時:
#12です。
>森前首相が「日本は神の国だ」と発言したら猛烈なバッシングにあったのに、小泉首相の靖国参拝はいいんですか?
これは、元質問とあわせ考えると--
双方とも質問者さんのいう「非科学的」な意味内容を持っているのに、世間の反応が違うのは変だ……
という意味でしょうか?
先の回答の繰り返しになりますが、こういう場合、文字通りの意味内容が問題になるわけではなく、そこで社会的に表明される意味(#13さんの例だと「悪意」)が問題になるわけですから、神信仰・霊魂信仰の科学性云々とはまったく離れた次元で反応が起きていると考えるのが妥当でしょう。
そこで生じる社会的意味と、それに対する社会(世間)の反応の関係は、それこそ通常の意味の哲学の対象範囲を外れた問題になってしまうと思いますが…
もとの質問の力点としては靖国神社がどのような世界観・霊魂観を持ってるかに興味があります。意味論的な回答もありがたいのですが、どうも質問が脱臼された感じがします。もっと真正面からの回答を希望します。
靖国神社の話は個々の情景が映像的に(同期の桜を歌って、死んだら靖国で会おう、と特攻隊で敵艦に突っ込んで、うらわかき未亡人が凛々しい幼子をつれて靖国参拝、みたいな)は浮かぶのですが、教義がはっきりしないため、じゃあ死んだら未来永劫ずっと身分は軍人のままなのか?とか疑問があるわけです。
論理的に考えると
日本は神の国だ→そのなかで軍人を祀るのが靖国神社
ということで、靖国神社参拝は日本が神の国であることが大前提になっている、靖国参拝=神の国発言+軍人崇拝だと思うのですが、間違ってたら訂正をお願いします。
No.13
- 回答日時:
靖国参拝で問題になっているのは、それによって示される行為者の意思がだと思います。
例えば、誰かを呪って、わら人形に釘を打ったとします。その行為自体は科学的(唯物論的)に見れば普遍的な意味を持ちませんが、それが「呪う」という行為だとわかれば、呪っている人が相手に悪意を持っているのはわかります。つまり、意思が示されます。
この場合と同じで、唯物論的に見て、靖国参拝に効果や意味が無かったとしても、中国側からみれば「戦犯を敬っている」と見える小泉首相の意思が問題になっているのだと思います。
No.12
- 回答日時:
こんばんは
>靖国神社に参拝するというのは、以下の世界観を信じることとしていいのでしょうか
この部分にまず回答するべきでしょうか、「イコールではない」というのが答えになると思います。
言葉の場合で考えたほうが分かりやすいかもしれません。ある人が亡くなった人について「ご冥福をお祈りします」と言った時に、発話者が本当に霊魂の存在を信じているかどうかは、この言葉から判断することはできません。
言葉には意味論的(semantic)な意味と語用論的(pragmatic)な意味があり、後者の意味は文脈、状況、さらには受け手によって、どのようにも変化しうるのですが、こういう儀礼的な言葉の場合、意味論的意味の効用はごく小さく、社会的意味としての語用論的意味に殆ど焦点が絞られるからです。
同様に儀礼行動についても、それが霊魂の存在を前提としているかどうかという(むしろ単純なレベルの)意味は殆ど無効化してしまいますので、プラグマティックな、社会的意味(それは受け手によっても変化します)がもっぱら問題にされるようになるわけしょう。
No.11
- 回答日時:
こんばんわ、タビタビお邪魔致します。
答えというより、参考にしていただければ、という立場です。
>>中国は無神論でいいのですが、じゃあどうして議論するときにA級分祀などといって日本の土俵にのるのか。中国は「宗教を認めない。けしからん」と主張しないのかがわかりません。それについて中国共産党の見解を知りたいのです。
これは知人から聞いた話ですが、中国人の中にもたくさんの信者はいるのだそうです。やはりいろんな宗教が混々とあるにはあるが表立って活動はできないそうです。
中国は宗教を弾圧していますよね。ダライラマも逃げましたし、宗教を認めない国ですよね。やはりこれは、マルクス主義の特徴ですね。いろんな理屈をつけても事実は事実ですね。
実は日本でも、同じですね、日本も結構水面下ではこの考え方を無意識のうちに刷り込まれていますから、結構多かったんですね。今、だいぶ減ってきたようですが、日本国内でも言いませんよ、「宗教はけしからん、認めん」とは公には言いません。が実際はこの、サイトのカテゴリーにもないように、学校でも宗教教育が全くないように、報道機関も宗教のよい面は全く報道せず、悪いところだけを報道する偏り方であるように。
日本人の宗教観がこれほど、世界から見て、偏っている理由は、過去の宗教の教えが形骸化し、影響力をかなり失ったこと、敗戦により国家神道が事実上消滅した事、左翼思想が猛威を振るった事、多数の邪教がこれでもか、とばかりに、活動した事、これらの相互作用で、宗教アレルギー国家となってしまったと考察します。
このような環境が常識として育った国民は、それはそれで仕方がない面もあると思いますが、決して科学の進歩が、目に見えない価値観を否定する方向に進むのは、好ましくはないと思います。
中国共産党としては、今、無神論の立場であるでしょう。昔、日本神道を押し付けられた事がかなり、しゃくにさわっている事と思います。これは、韓国も同じですね。悔しいというか、なんともいえない釈然としない腹だたしさみたいなものを感じているのではないでしょうか。その一つの象徴が靖国だと、いうことではないでしょうか。
補足
*神道では死ぬ事とは天に帰る事でめでたい事だ。という解釈をします。
*これだけ、宗教に逆風の中、正当派宗教がこれだけ残っているのは、過去に各宗教で中興の祖とでも言うべき優れた宗教家が数多く輩出されたという経緯があります。
*私個人としては神秘体験をとうして、回心いたしました。ばりばりの唯物論者でした。
とりとめも無く思うがままに書いてしまいました。
いろいろ枝葉の事ばかりでスミマセンでした。
少しでも参考になれば程度でお願いします。
No.9
- 回答日時:
唯物論の正しい理解を深めていただくために、一点だけ。
>中国共産党が靖国参拝を批判してますが、マルクス主義は唯物論・無神論なので、霊魂の存在を認めないのだから、A級戦犯やBC級戦犯の霊の取り扱いについて、いろいろいうのはおかしいと思いますが
唯物論とは、人間の認識とは独立した客観的な実在が存在することを認めたうえで、客観的実在を人間は認識することが出来るとする立場です。錯覚や誤認もあるが、最終的には客観的実在と人間の認識とを一致させることはでき、そのことを真理に到達するという。
ごくごく簡単に言えばこういうことです。
霊魂の存在を信じる小泉首相は唯物論者ではないかもしれませんが、唯物論者から見た小泉首相は客観的実在として確かに存在しますし、日本の戦争責任を否定する行動をとっている事実も、客観的な事実として実在する事象ですから、唯物論者であることと小泉首相の行動を非難することとはまったく矛盾しません。
唯物論は宗教の「考え方」を否定しますが、宗教の「存在」は否定しません、宗教を信じる人々や、宗教が影響力を持つ社会そのものは、客観的に存在するわけですから、唯物論的には正しく認識すべき対象です。
むしろ、宗教を信じないという立場だから、小泉首相の政治的な行動の意味について認識しない・できないとすれば、それこそまさに、唯物論とは無縁の唯心論におちいってることになります。(唯心論:認識に反映するものだけが存在し、認識できないことは存在しないとする立場。マッハ主義なんて言葉を思い出しました、なつかしーなー)
回答ありがとうございます
No.6 さんのほうでも書いたのですが、どうして中国はA級戦犯の霊とBC級戦犯の霊をわけろといって日本の宗教の土俵にのるのかがわかりません。それについて中国共産党の見解を知りたいのです。本当は中国共産党も霊魂の存在を信じてる、そんな気がするのです。
No.8
- 回答日時:
なんか特定の立場からの否定論が多いんですが、質問に答えずに自分の立場を対置して質問者を非難するだけなのは規約違反じゃないかなと思うんですが・・・・・・
まず
一国の首相である、ということ自体が政治的立場であって哲学的立場ではありませんから、その評価も政治的になるわけです。
憲法などで信教の自由は認められていますから、学問的にどうであれそれを信じることで「首相として」の立場が批判されるには当たらないわけで
。批判する以上それを改めろ、ってことになると思いますが小泉氏個人がどうだっていうならともかく、首相としてなら何を信じていても問題ありません。ただ、それに基づく行為が問題になります。
中国が問題にしているのも小泉氏が信じていることの内容ではなく、政治的行為としての靖国参拝なのですね。霊の取り扱いについてではありません。
旬のトピックであり、政治と宗教が微妙にからみあっているため、このような回答になってるのだと思います。靖国参拝も首相から日本国民にもあまり納得のいく説明がないので、今回のような混乱になっているのではないでしょうか。わたしも宗教・哲学のほうからこの問題を考察してみて、ちょっとわからなかったので、質問してみました。
No.7
- 回答日時:
一言補足を、
>>靖国神社参拝問題でいろいろと揉めてますが、靖国神社に参拝する小泉首相は死後の霊の存在を認めているのでしょうか?一国の総理がこんな非科学的なものを信じてるという非難はあまりされてないのが不思議です。21世紀にもなるのに。
質問者様が言っていることは、(魂はないと信じている)唯物論を信仰しているって事です。
目に見えるものだけを信仰しているって事です。
全くの信仰の世界です。唯物信仰と言います。
目に見えるものだけではなく、目に見えないものの価値も信じて頂きたいと思います。
回答ありがとうございます。
私が唯物論を主張してるのではなく、そのような意見が日本に薄いこと、メディアなどで議論にのらないことを指摘しています。
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