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芥川龍之介と谷崎潤一郎が好きだという人
がいます。どういう人だと想像できますか…?
なにを表していると思いますか…?
20歳女性の人で。

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A 回答 (3件)

芥川龍之介好きというところは、素直で、また洞察力もある、という印象をもちますね。


芥川龍之介は、本当に素直に、芸術表現、文学表現の行き着くべきところを探求した人と思いますから。
僕は芥川龍之介大好きなので、それだけで、その人に好印象を持ちます。
中途半端な好奇心や、刺激を求めて本を読む人には受け入れられない作家だとも思うのです。

それに反して、谷崎潤一郎はまず「女」「性」「官能」なんて言葉がすぐに浮かんでくる小説家ですね。川端康成と並べてよく評価されますよね。
なので、谷崎潤一郎好きな女性というと、それなりに好奇心もあり、またいろいろな物を許容する、人物の深み、なんてのも、想像してしまいます。

二十歳で、芥川龍之介と谷崎潤一郎が好きな女の子というのは、ちょっと気になる存在ですね。
話がしてみたい。
そんな印象です。
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 美に関して独自の価値基準のある人。

一般に芥川は芸術至上主義、谷崎は耽美派、美について強い意識のある人ですから。
 それよりも、芥川の晩年「話らしい話のない小説」論争を谷崎と行っています。自死の遠因にもなっているかと思われますが、それも含めて二人が好きだとすると……。面白いですね
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ただ単に、芥川龍之介と谷崎潤一郎を好んで読む20歳女性と言うだけで、他には何も想像できません。

逆にそれだけで何かを表そうとしているのですか?
読書を趣味としない女性より、どちらかと言えば文学を好む人。作家の傾向からして純文学というには偏りがありますし。
文学少女というにはトウが立っていますし。
強いて言えば文学少女風な人。
何かを表すのなら、単なる読書が趣味程度ではなく、他の人とは違う高尚な本??を読むのだと主張したかった??
個人的には近づきたくないけど・・・。
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Q余りにも芸術的な芥川に対する谷崎の反論内容。

具体的に谷崎側の主張内容を教えてください。転載して頂けると助かります。
その谷崎の主張が読める書名やサイト名がありましたら紹介も宜しくお願いします。
そもそも芥川はなぜ批判めいた事を口走ったのでしょう(発端は芥川側ですよね)。精神力の低下により谷崎生意気だと発狂し始めたのでしょうか(それこそ中身のない感じの浅い批判文をさらしてまで)。
しかし方や芥川だけに文学史上極めて貴重な論争ではないかと思うのですが、単なる出来事として周知され肝腎の議論の行方についてどうなったか私は全く知りません(芥川賞は知名度があるのに。矛盾を感じます)。
ちなみに当方は読書家ではありません。でもこの二人の文学論争は近代文学(作家)の本性を伝える重要な資料になると思うのです。
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

何をもって「発端」とするか、どこまでさかのぼったら「発端」と言えるのかは解釈によって変わってくるとは思うのですが、芥川龍之介と谷崎潤一郎との論争は、昭和二年、雑誌『改造』に発表された谷崎潤一郎の「饒舌録」から見ていくのが妥当かと思います(参考:平野謙・小田切秀雄・山本健吉編『現代日本文学論争史(上巻)』)。

簡単に『饒舌録』が書かれた背景を説明します。

大正末期から昭和初頭にかけての文学の状況は、一方で急激に台頭してきたプロレタリア文学があり、他方にはそれに対抗しようとする新感覚派の提唱があって、それを明治以来の自然主義の系統とそれにつづく白樺派といった「主流」が迎え撃つ、といったものでした。

大正十四年、その「主流派」である久米正雄が『私小説と心境小説』として、自らの小説観を発表します。久米はここで「私はかの私小説なるものを以て、文學の、――と云って余り広汎過ぎるならば、散文藝術の、真の意味での根本であり、本道であり、真髄であると思う」(引用は『現代日本文学論争史』からの孫引き)という主張をおこないます。

久米は、芸術が真の意味で別の人生の「創造」だとはどうしても信じられない、そういうのは一時代前の文学青年の誇張的至上感にすぎない、自分にとっての芸術は、たかがその人びとの踏んできた、一人生の「再現」としか考えられない、というのです。

「私」を「コンデンスし、――融和し、濾過し、集中し、攪拌し、そして渾然と再生せしめて、しかも誤りなき心境を要する」、そうした意味で、真の意味での私小説=心境小説こそが芸術の本道であり、真髄である、と主張したのです。

この発言を受けて、中村武羅夫や徳田秋声や田山花袋、佐藤春夫や宇野浩二などがこの「私小説論争」に加わって、心境小説とは、本格小説とは……と活発に議論されるようになります。ただ、本格小説(あるいは客観小説)、心境小説といっても、それらの意味するところはきわめて曖昧で、曖昧な概念用語を用いての議論でしたから、どうしてもとりとめのないかたちになっていかざるをえませんでした。

そのさなかに(論争に加わるかたちではなく)自然主義の陣営の外から出されたのが、谷崎の『饒舌録』でした。

「いったい私は近頃悪い癖がついて、自分が創作するにしても他人のものを読むにしても、うそのことでないと面白くない。事実をそのまま材料にしたものや、そうでなくても写実的なものは、書く気にもならないし読む気にもならない」(『改造』1927年2月号:以下引用はすべて『現代日本文学論争史』からの孫引き)

谷崎にとっては、当時論争の焦点であった心境小説と本格小説の優劣など眼中になく、

「…そんな主義でも抱いているように取られそうだが、決してそういう次第ではない」
「素直なものよりもヒネクレたもの、無邪気なものよりも有邪気なもの、出来るだけ細工のかかった入り組んだものを好くようになった」
「此れは或いは良くない趣味だと思うけれども、そうなって来た以上仕方がないから、まあ当分は此の傾向で進んで行こう」

これを見てもあきらかなように、自分の考えを述べたというより、ただ小説についての自分の好悪を吐露したものでしかありませんでした。

それについて、雑誌『新潮』の合評会で芥川龍之介が言及したのです。批評しようとしたものではなく、たまたまそれにふれて、自分の気持ちを述べた、という性質の、文字通りの「言及」です。

その背景には、かつての芥川自身が誰よりも谷崎の言う「素直なものよりもヒネクレたもの、無邪気なものよりも有邪気なもの、出来るだけ細工のかかった入り組んだもの」を書く作家だった、ということがあります。

初期から中期にかけての芥川は、王朝もの、キリシタンもの、開化ものと呼ばれている、技巧を尽くした作品を発表する作家でした。そうして「技巧派」「理知派」という批判を浴びることになったのですが、それに対しては「芸術活動は意識的なものなのだ」と反駁してきたのです。

けれども後期に入ると(といっても芥川の作家活動自体が大変に短いものでしたが)、次第にそうした自分の作風に反発を感じるようになって、作風に変化が生じてくるのです。そうして、たとえば志賀直哉の『焚火』のような小説に、自分には決して書けないがゆえのあこがれを持つようになります。

谷崎の『饒舌録』の主張は、まさにその芥川の思いとは逆の主張だったからこそ、合評会でそれにふれずにはいられなかったのでしょう。それがこのような発言となりました。

「芥川:僕は谷崎氏の作品に就て言をはさみたいが、重大問題なんだが、谷崎君のを読んで何時も此頃通説に感ずるし、僕も昔書いた「藪の中」なんかに就ても感ずるのだが話の筋と云うものが藝術的なものかどうかと云う問題、純藝術的なものかどうかと云うことが、非常に疑問だと思う。」

「芥川:筋が面白いために藝術的の価値が低下すると云うことはない。それは積極的ではない。併し谷崎氏のは往々にして面白いと云う小説と云うものに、其筋の面白さで作者自身も惑わされることがありやしないか。」(「新潮」1927年2月号)

これに対して谷崎は翌月の「改造」でただちに反論します。

「筋の面白さは、云い換えれば物の組み立て方、構造の面白さ、建築的の美しさである。此れに藝術的価値がないとか云えない。(材料と組み立てとはまた自ら別問題だが、)勿論此ればかりが唯一の価値ではないけれども、凡そ文學に於いては構造的美観を最も多量に持ち得るものは小説であると私は信じる。筋の面白さを除外するのは、小説と云う形式が持つ特権を捨ててしまうのである。そうして日本の小説に最も欠けているところは、此の構成する力、いろいろ入り組んだ筋を幾何學的に組み立てる才能、に在ると思う。」(「改造」:1927年3月号)

その谷崎に答えるかたちで、芥川も同じ「改造」に『文藝的な、余りに文藝的な』の連載を始めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/26_15271.html

あれこれと弁解の続く文章ですが、谷崎に対する回答となるのは、以下の点です。

「「話」らしい話のない小説は勿論唯ただ身辺雑事を描いただけの小説ではない。それはあらゆる小説中、最も詩に近い小説である。しかも散文詩などと呼ばれるものよりも遙はるかに小説に近いものである。僕は三度繰り返せば、この「話」のない小説を最上のものとは思つてゐない。が、若し「純粋な」と云ふ点から見れば、――通俗的興味のないと云ふ点から見れば、最も純粋な小説である。」(「改造」:1927年4月号)

こうして芥川は、谷崎の「構造的美観」に対し、「詩的精神」を対置しようとするのですが、その「詩的精神」がどういったものか、芥川自身にもはっきりとつかめていたわけではなかった。ただ、「話」のある小説しか書いてこなかった自分にあきたらなくなって、なんとかして転換していこうとした先に見えていた(あるいは見ようとしていた)かすかな光、という程度のことだったのではないでしょうか。

それに対して、迷うことのない谷崎の回答は容赦ないものでした。(「改造」5月号)

「私には詩的精神云云の意味がよく分からない。」
「私は斯くの如く左顧右眄している君が、果たして己れを鞭うっているのかどうかを疑う。少なくとも私が鞭うたれることは矢張り御免蒙りたい。」

けれどもその谷崎自身

「藝術は一個の生きものである」
「実際人を動かすような立派なものが出て来れば、いいも悪いもあったものではない」
「現在の日本には自然主義時代の悪い影響がまだ残っていて、安価なる告白小説体のものを高級だとか深刻だとか考える癖が作者の側にも読者の側にもあるように思う。此れは矢張り一種の規矩準縛と見ることが出来る。私はその弊風を打破する為めに特に声を大にして「話」のある小説を主張するのである」

というように、それ以上の考えがあったわけではなかったのです。

芥川はこれに対して『再び谷崎潤一郎氏に答ふ』を書きましたが、特にこれといった主張があるわけではない、儀礼の域を出るものではありません。

この論争も、論争によって互いの思想を確固たるものにする、とか、議論を先に推し進めていく、といったものではなく、あるいは何らかの解決や一致点を見るものではありませんでした。単に、両者の作家的資質のちがいを鮮明にするにとどまるものだったのです。

> 文学史上極めて貴重な論争ではないか

と質問者氏は書かれておられますが、果たして「貴重な論争」というものが、少なくとも日本文学史上、あるものかどうか(いや、誰かに怒られるかもしれませんが)。

実際、過去の「論争」の多くは果たして「論争」と呼んで良いものかどうか迷うほどなのですが、ひとつ指摘しておきたいのは、その多くが実作者によるものであって、理論家によるものではなかった、という点です。この点に関しては批評理論とも関連してくるので、ここではふれませんが(そうしてまたその能力もわたしにはありませんが)、少なくとも作家にとって、理論を構築するのが目的ならば、小説など書く必要はありません。

けれども、多くの作家にあっては、創作を書かずエッセイを書く時期というのは、意識的である場合もそうでない場合もありますが、その作家が転換期に入ったことを示すものといえます。過去の自作の再生産に終わらず、新しい方向を模索するとき、作家というのは「文学とは」「小説とは」と考える。そうしてそれが「論争」というかたちで今日まで残っている、と考えるのが妥当ではないのでしょうか。

何をもって「発端」とするか、どこまでさかのぼったら「発端」と言えるのかは解釈によって変わってくるとは思うのですが、芥川龍之介と谷崎潤一郎との論争は、昭和二年、雑誌『改造』に発表された谷崎潤一郎の「饒舌録」から見ていくのが妥当かと思います(参考:平野謙・小田切秀雄・山本健吉編『現代日本文学論争史(上巻)』)。

簡単に『饒舌録』が書かれた背景を説明します。

大正末期から昭和初頭にかけての文学の状況は、一方で急激に台頭してきたプロレタリア文学があり、他方にはそれに対抗しようとす...続きを読む

Q太宰治が自殺した原因を教えてください

太宰治は戦争未亡人だった愛人と心中を遂げたそうです。
名声のあった人気作家が、どうして自殺なんかしたのでしょうか?
自殺するつもりなら一人でもできます。
愛人と心中するにはよほどの理由があると思います。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

太宰には自殺癖がありました。最後の山崎富栄との自殺は5度目の自殺です。2度目の自殺(心中)では自分だけ助かっています。

太宰治は芥川龍之介に多大な影響を受けており、その自殺願望は彼が芥川龍之介を好きだったからだとも言われています。芥川賞を取りたいと生涯願っていましたが「すでに新人に非ず」と最終候補から外され非常にショックだったようです。

>名声のあった人気作家が、どうして自殺なんかしたのでしょうか?
>自殺するつもりなら一人でもできます。
>愛人と心中するにはよほどの理由があると思います。


本人じゃないのであくまで推測の域を出ないのですが、彼は一人じゃ死ねなかったのではないでしょうか?

またわざと自殺する振りをして周りを困らせようとしていたという説もあります。(困らせるのが目的なので本当に死ぬ気はない。自殺癖ではなく自殺未遂癖)
↓このHPでは彼が「境界型人格障害」だったという説を挙げています。
http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/borderppl.html

たまたま相手の女性が本気で死ぬ気だったので、釣られて逝ってしまったという説もあります。いずれにせよ真相は藪の中です。

参考URL:http://www.geocities.jp/showahistory/history2/23d.html

太宰には自殺癖がありました。最後の山崎富栄との自殺は5度目の自殺です。2度目の自殺(心中)では自分だけ助かっています。

太宰治は芥川龍之介に多大な影響を受けており、その自殺願望は彼が芥川龍之介を好きだったからだとも言われています。芥川賞を取りたいと生涯願っていましたが「すでに新人に非ず」と最終候補から外され非常にショックだったようです。

>名声のあった人気作家が、どうして自殺なんかしたのでしょうか?
>自殺するつもりなら一人でもできます。
>愛人と心中するにはよほどの...続きを読む

Q夏目漱石作品の面白さ

夏目漱石が書いた小説の面白さが私にはあまり理解できません。
三部作といわれる『三四郎』『それから』『門』を読んでみてそう思いました。
100年たった今も多くの人に愛される名作の面白さを私も理解したいと思うので、どうかこれら3部作の魅力をそれぞれ教えてください!

Aベストアンサー

私は『こころ』しか読んだことがありません。
が、読みやすいとは思いましたが特になんの感想もありませんでした。
だからといって、つまらないというわけでもありません。

『吾輩は猫である』の奇抜な視点設定、『こころ』などでの主人公の深い心理描写。評価できる点は多々あります。
けれど漱石に限らず、様々な小説はそれを読んでいる読者の年齢や心理状態によって、受ける印象も違えば理解できない場合もあります。
例えば、高校の教科書に『こころ』の遺書の部分が掲載されているのは謎。高校生に漱石を読ませるなら、『夢十夜』など短編でいいと思います。
私の場合は『こころ』を大学生になってから読んだのですが、理解するには年齢も経験も足りないと感じました。
先生の心理も主人公の心理も「そういうもんなんだ」と感じただけでしたし。

ですから、今は「読んだ」という経験だけでいいと思いますよ。
数年後、改めて読んでみたら「おもしろい!」と感じることがあるかもしれませんし。

あと漱石の小説のおもしろさですが、自分の存在意義を見つめて掘り下げていくという点だと聞いたことがあります。
漱石は「望まれずに生まれた子」で、あまりいい幼少時代ではありませんでした。
故に、「自分はなぜ生まれ、なぜ生きるか」という疑問が常にあったのだと思います。

私は『こころ』しか読んだことがありません。
が、読みやすいとは思いましたが特になんの感想もありませんでした。
だからといって、つまらないというわけでもありません。

『吾輩は猫である』の奇抜な視点設定、『こころ』などでの主人公の深い心理描写。評価できる点は多々あります。
けれど漱石に限らず、様々な小説はそれを読んでいる読者の年齢や心理状態によって、受ける印象も違えば理解できない場合もあります。
例えば、高校の教科書に『こころ』の遺書の部分が掲載されているのは謎。高校生に漱...続きを読む

Q石原慎太郎さんが好きな小説を教えて下さい。

石原慎太郎さんが好きな小説をご存知でしたら教えて下さい。
石原さんと言うと他人の作品を厳しく批評するイメージが強いのですが、そんな石原さんが認めた小説があれば題名・著者を知りたいです。
どうぞ宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

No.4です。

福永武彦 『草の花』

「戦後描かれたもっとも美しい青春小説の一つ」と、
弟・裕次郎、三島由紀夫、番組で推薦しているそう。

昭和32,3年頃の『週刊朝日』の裕次郎特集で、
裕次郎が兄に勧められて読んだ『草の花』に感動。

石原慎太郎が、福永武彦の「『草の花』だけは
「戦後の日本文学の中で最も美しい青春小説」で
感動させられたと三島由紀夫にいったところ、
三島は「あんなもの肺病病みの文学だといい
捨てた。」のは心外だったと書いています。
(石原慎太郎『三島由紀夫の日蝕』)

石原慎太郎が日曜の朝の番組で「究極のラブ
ストーリー」として紹介。


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