No.11ベストアンサー
- 回答日時:
追伸まで
>>仏は何もしなくても見破れるのか、見破るために何かをするのか
ということです。
仏といわずに誰しも知らなければ見破ることはできません。
智恵なくばだめですね。悟りとは智恵の積み重ねですから。
仏は智恵の塊だから出来るのであって、私も含めて誰しも勉強して智恵を蓄えなければだめですね。写真ぐらいの錯覚は知っていれば見破れる程度の話ということです。
ありのままに観ても智恵なくば理解は出来ないですね。むしろ混乱するばかりということもあるのですね。
なるほど。スッキリしました。
だんだん、仏は超能力者のようなイメージになってしまったので・・・。
次のステップに進めます。
何回も回答して頂き、本当にありがとうございます。
No.12
- 回答日時:
「直線が曲がって見える」。
一件、矛盾を含むように見えるこの文を、よ~く見ると
「直線」である
かつ
「曲がって見える」
であり、一件対立するような(二者択一的に見えるような)内容が並列し「かつ」正しいことが判ります。
ブッダが「全体」を把握可能だとするならば、まさに、「直線」と「曲がって見える」とを同時に把握可能だということに等しいでしょう。
「主観・客観」概念で言い換えるならば、「主観」と「客観」とを切り分けるのではなく、「主観」(曲がって見える)と「客観」(直線)とを「全体」として捉えるところ、すなわち「そのまま」に見るということになろうかと思います。
>>> スッタニパータ から引用
882 諸々の愚者が相互に他人に対していうことばを聞いて、わたくしは「これは真実である」とは説かない。かれらは各自の見解を真実であるとみなしたのだ。それ故にかれらは他人を「愚者」であると決めつけるのである。
883 或る人々が「真理である、真実である」と言うところのその(見解)をば、他の人々が「虚偽である、虚妄である」と言う。このようにかれらは異なった執見をいだいて論争する。何故に諸々の<道の人>は同一の事をを語らないのであろうか?
884 真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異なった真理をほめたたえあっている。それ故にもろもろの<道の人>は同一の事を語らないのである。
885 みずから真理に達した人であると自称して語る論者たちは、何故に種々異なった真理を説くのであろうか? かれは多くの種々異なった真理を(他人から)聞いたのであるか? あるいはまたかれらは自分の思索に従っているのであろうか?
<<<
No.10
- 回答日時:
>>錯視は心理状態に関係なく、また誰が見てもそう見えるもの。
蛇縄麻は心理状態や人によって見え方が変わるもの。
全然違くないですか?
● 国語辞書では、錯覚は以下のような定義ですね。
さっかく【錯覚】
1 〔知覚の間違い〕、〔幻覚,妄想〕
目の錯覚で丸く見えたのです。
一瞬外国にいるような錯覚を起こした。
2 〔思い違い〕
彼を弟さんだと錯覚した。
錯覚は誰が見ても同じでないから錯覚なのですね。このカテの画像は研究しやすい単なる例の一つですからね。科学定義脳に汚染されてません?
この辺の理解に問題ありで「ありのままに」に引っかかるのかと。
もっと言えば、各人が見ている色も何もかもみんな同じと思うことも錯覚ですよ。同じだとみな思い込みたい信じたいと思って信じてるだけですね。「思い込み」そのものですね。
私もこの「思い込み」を直すのは簡単では無かったですね。
私が指定した色をデザイナーが違うというのですね。私にはどう違うかさっぱりでしたが、その色に赤が微妙に入ってるというのです。どうみてもそのようには見えなかったんですけど。つまり色さえ人により違ってるんですね。まったく違う人もいますね。少ししかいないから病気といわれますが、逆であれば今正常な人が病気と言われるだけですね。
参考に
少し誤解があると思います。
元々僕の質問は「錯視」の話で「錯覚」全部の話ではありません。
それは「思い込み」の部分を排除したかったからです。
でも、このことはもういいです。
僕が知りたいのは
>2.曲がって見えるが本当は真っ直ぐであると見破れる。
これは、見ただけで見破れるのですか?
それとも何かをして真っ直ぐであることを理解するのですか?
(このケースだと真っ直ぐなものを当ててみるとか)
仏は何もしなくても見破れるのか、見破るために何かをするのか
ということです。
よろしくお願いします。
No.9
- 回答日時:
関連する質問を見ました。
「主観と客観とを分けて考える」とか「主観をゼロにできない」とか、そういった観点から見ると誤ってしまうように思われます。
繋がり(全体)としての「自他」を「どこか」で切り取った切り口にて眺めようとするのではなく、全体・総体を(主観・客観・自身・往き来の人を含めて)「そのまま」受け入れてみようとすることだと思います。
関連する質問に呼応するような歌があります。
「ともし火に我もむかはず燈(ともしび)もわれにむかはず己がまにまに」(光厳院)
参考になれば、幸いです。
No.8
- 回答日時:
>そのままに見て
体験の話の方が面白いと思いますので、二つほど・・・
ヒントになればと思います。
昔ですが、職業訓練校で仕事の講習があり行ったのですが
休み時間になって、窓から外を眺めていた時の事です。
確か二月か三月だったと思います。
晴天の日で風も無く、窓の外も良く見えました。
少し離れたところに別の建物があり、その影がくっきりと芝生に落ちていました。
日の当たるところと影のコントラストが対照的で、なんとなく引きつけられたような感じがして、じっと見ていました。
そのうちに、影の部分が段々と重く感じてきたのです。
そして少しづつ建物の方に目を向けていったのですが
建物から出ている排気口のパイプや壁の凹凸の影も妙に重く感じてきたのです。
自然と見る速さが遅くなっていき、しまいには手で触っていくような感じで、ほんの少しずつズラして見ていくようになってしまいました。
そうして見ていくと、建物のわずかな形や影の変化が凄く感じられるのです。
直線も曲線も明るさも暗さも感じます。
存在感というのか、無機的な物なのに無機的とは思えない感じでした。
大げさな言い方かもしれませんが、建物全てに圧倒的な存在感を感じたものです。
見ていた時間は五分か十分くらいだったと思います。
講習が再び始まるまでの僅かな時間でしたが、時間を忘れて見ていた印象に残るものでした。
心象風景というのでしょうか
始めて見る景色だったので、そんな状態になったのかもしれません。
重く感じるのが錯視だったのか、正視だったのかは分かりません。
もう一つは植物を相手にした時の事です。
仕事でお得意さんのお家へ行った時の事です。
11月の雨上がりの日でした。
車を止めたのが、林の中で、そこから出てきた時の事です。
林の縁を歩いていったのですが
草が沢山生えていて、雨に濡れていました。
秋草というのでしょう、色々な草が黄色や赤や茶色になって混じって見えました。
あ~ちょっときれいだ、ぐらいに見ていたのですが
そのうちに何となく引きつけられて、じっと見ていました。
すると、様々な色づいた草が濡れて重なりあっていたのですが
その色あいといい、重なりといい、露に濡れた様子が重く感じてきたのです。
一言でいえば、凄艶、です。
茶色の、つる草の巻いた様子や、ススキの葉や、名前の知らない草が黄色や赤になって入り混じっています。
きれいと言えばきれいなのですが
凄い、というのが本音の印象でした。
濡れた草の重みと相まって、凄艶、と感じたものです。
草の凄みなんて・・・こんな事は誰に言っても分からないだろう、ぐらいに思っていました。
誰でも印象に残っている眺めはあると思います。
普段は気付かないものでも、ふとしたきっかけで全く違って見える事があります。
どちらが、そのままに見て、なのかは分かりません。
見方の違いによるのでしょうか。
見ている心理状態もあると思います。
見ている対象に引きずりこまれてしまうような、そんな体験も面白いですね。
No.7
- 回答日時:
ferpeausさん、先のご質問からここまできてしまわれたのですね。
もともとあまり綿密ではないし、もうエネルギーも希薄になっていますので。少しいい加減です。(大分かな)
私たちは私たちを作っているものがいるので、作られたとおりにものを見る。
そうみなさいと、いわれているなら、そう見る。敢えて実物とおりでなくても見る。
そしてそう見ているのだな、と思っている。経験している。
そしてその自分を離れて、あぁに見ているのか、と自分に距離をおいて、意識している。。
本当はどうだのこうだのは、別にどうでもいい。
自分自体がその通りではない。宇宙も何もかもがその通りではない。
そういうことを離れて、見ている。
錯視ですか、敢えてだまされようか。
騙されているのだ、と思っている。
あぁこれだけ、
血と汗と涙を出る、といったら、ferpeausさんは、それでは、・・・とお書きになられた。
そうですか?血と汗と涙がなければ困るのですか。
実はぜんぜん困らない。失う事は何もない。
できるかどうかは、別ですがね。まぁ訓練ですから。
自己精進ですからね。人情も何も同じ。
でもそのままと為りますよ。
敢えて騙され、喜怒哀楽。でも翻弄されない。
そういう静謐な自己、孤独に為りきる。
そうしてみて御覧なさい。
No.6
- 回答日時:
追伸:
>>#2の「曲がったように見えて本当は真っ直ぐな」線はどのように認識するんですか?
回答:
2.曲がって見えるが本当は真っ直ぐであると見破れる。
そうですね。 有名な「蛇縄麻(だじょうま)」の例え話があります。調べて参考にすると良いと思います。
簡単に言うと、夜道を旅人が歩いていて、足元に蛇がいて驚く話です。
ところが蛇と見えしものは縄の切れ端だったのですね。更によく観察すると麻縄であったという話ですが。
つまり怖い怖いと思ってる人には蛇に見え、こころが落ち着いている人には縄に見え、さらにこころが落ち着いてる人にはそれが麻縄であることさえわかるという話です。
錯視は心理状態に関係なく、また誰が見てもそう見えるもの。
蛇縄麻は心理状態や人によって見え方が変わるもの。
全然違くないですか?
>2.曲がって見えるが本当は真っ直ぐであると見破れる。
これは、見ただけで見破れるのですか?
それとも何かをして真っ直ぐであることを理解するのですか?
(このケースだと真っ直ぐなものを当ててみるとか)
ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
「そのままに見て」是は心のままに見ると言う意味です。
自我意識が関与していないという意味です。例えばゴルフの優勝が掛った一打を打つ時に、或いは剣豪が命のやり取りをしている時の心を想像して見て下さい。その時に如何に自我意識が「引っ込んだままに」しておけるかがカギになります。分かり難いなら、歩く事を想像してください。野原を一人で歩いています、これが心のままに歩いていると言う事になります。自我意識が歩く事を命じていないはずです。心のままにと言うよりも、体が勝手に動いているという言い方が適当かも知れません。
「錯視」とは見たものを自我意識が一旦受け取って、自我意識の「分別」と言うフィルターを通して見たという意味になります。その時の分別、或いは好き嫌いというフィルターが掛かっています。そのままには見れてはいないはずです。
この事を分かりやすく説明するなら、分離脳の研究成果を語ってからの方が話が早いと思いますので、書いてみます、とは言ってもコピーですが。
ロジャー・スペリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
ノーベル賞受賞者
受賞年: 1981年
受賞部門: ノーベル生理学・医学賞
受賞理由: 大脳半球の機能分化に関する研究
ロジャー・スペリー(Roger Wolcott Sperry、1913年8月20日 -
1994年4月17日)はアメリカ合衆国の神経心理学者。デイヴィッド・
ヒューベル、トルステン・ウィーセルとともに、1981年にノーベル
生理学・医学賞を受賞した。1989年にはアメリカ国家科学賞(行動
・社会科学部門)を受賞している。
ハートフォードにて生まれ、西ハートフォードにて育つ。11歳のと、
父親が死去。オベリン大学に通い、1935年に英語の学士号を取得、
1937年に心理学の修士号を取得した。1941年にシカゴ大学より動物学
のPh.D.を取得。その後ハーバード大学の心理学者カール・ラシュレー
のもとで研究を行った。
発達期を 過ぎると脳の神経回路がほぼ固定化することを示した。
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん 治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片 方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの 脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。左右の大脳半球の機能分化の理解に大きくに寄与した。
この二つの意識が、貴方の疑問となっている事のカギを握っています。左脳の意識が自我意識です。機能は分別する事です、好きと嫌いに分ける能力と言う事になります。その他には、論理的に計算をする能力と言う事になります。但し一つ付け加える事が在るとするならば、計算すると言う事は割り切れる問題にしか適用できないという意味が在ります。従って有限の問題しか解く能力がないと言う事になります。自我意識には永遠という概念は理解出来ないと言う事です。
右脳にも意識が在ります、自我意識にはたいへんわかりにくくなっていますが、この意識は言葉を持っていません、この意識が書かせた言葉が「禅問答」と言う事になります。自我意識には理解できません。
東洋思想の「無」と言う由来は此処から来ています。言葉にはならないからです。従って分かりやすく言うならば、禅等における悟りとは、自我意識が右脳の意識である仏性と出会うと言う事です。
その為には「一切皆苦」と言う処を通過してきます。是は自我意識が「仏性」の存在が分からなくて、苦しんでいる事です。仏教や禅等では「生死の問題を明らかにせよ」と言う事が言われています。是が「一切皆苦」とい言葉に繋がっています。
人間の苦しみは苦しい現在を肯定できない処から生まれています。人生最大の危機と言っても良いのは「自分の死」と言えます。現実に自分の死を肯定するのは難しい問題と思います。その苦しさ、辛さを生み出しているものは「心の矛盾」と言えます。
それは有限の自我意識が永遠を求めて七転八倒している姿の事です。自我意識は自分の肉体の死で全てが終わってしまう事を嘆いている事になります、処が人間には苦しみが付きまとっています。それは有限を越えられない苦しみとなっています。処がその心の圧迫は右脳からの圧迫です、永遠が有限を掬い上げようとして、その救いを遮っている事が苦しさや、辛さの正体と分かります。つまり心の矛盾の正体と言う事です。
その事が分かる事が「生死の問題の解決」と言う事になります。つまり苦しむ者と、苦しませる者とが出会うと言う事です、言い方を替えたなら、問う者と問われる者が出会うと言う事です。それが自分の性を見たと言う事です。自分自身がもう既に永遠そのもので出来ていた事を知ることになります。
そこで心の矛盾が解消します。不安の解決と言う事です。不安の元を知ったことで不安や、恐怖と言うものが根本から解消します。それが絶対の安心、涅槃と言う事です。
子供の時は脳の機能が分化していません。心は一つしか有りません。この心が天国と言う事になります。
大人になってきて脳の機能が分化してゆきます。心が二つになってゆきます。是が失楽園と言う事になります。つまり分別が付くと言う事です。その時に自我意識が「心の使い方を」忘れてしまう場合が在ります。自我意識と本来持っている命そのものの意識にずれが生じる場合が在ります。それが心の病の正体ですが、是は自我意識が単独で生きてゆこうとしている姿です。
もう一つの意識が自我意識を助けたいと手を差し伸べています、それが精神疾患の症状となっています。その事の解決が、本当は、そのままに見てと言う事なのですが、今の世は誰もその事には触れません。
薬を出して置きます、合わなかったら薬を替えてみます、心の問題は複雑で治ったとしても、寛快が限度かも知れません。
本当は心の矛盾が心の病の元になっています。その元をただすならば完治はあります。それはお釈迦の教えの中に在ります。お釈迦の教えは宗教ではありません。究極の心を癒す心理学です。
自我意識に対して我を捨てよと言う事になります。そうして自分のもう一つの意識仏性に身を任せなさい、と言う事になります。
禅に生きると言う事はもう一つの意識が主となって自我意識がそれに従うと言う事になります。それは子供の心を取り戻したことになります。何故ならば「心は一つ」になっているからです。人間の苦しみは、一つのものを、天国と地獄という風にものを二つにして見る、その見方から始まっているからです。
分別を捨てよ、と言う事は今言った事によります。
No.4
- 回答日時:
>「そのままに見て」と「錯視」はどのように捉えたらいいですか?
まず、「そのままに見て」と「錯視」とは対立概念たりえないですよね。
そもそも「そのままに見て」ということが全能の神ならぬ、女の股から生まれた人間に可能かと問われると、不可能だと答えざるをえないからです。
と言うか、実は「そのままに見て」が客観的にどういう見え方なのか、まだだれもきちんと説明されていないはずです。
もちろん、「錯視」にしたところで、あくまでも相対的に規定された、ある視覚現象についての視覚心理学的な観点からの規定にすぎないはずです。
たとえば、人間の眼球はキョロキョロ上下・左右に動かしたからといって、われわれが知覚する外界の風景はどうして動揺しないのか、カメラのレンズを上下・左右に動かすと、ファインダー内の風景は大きく動揺するのにとかと考えると、いったい人間の目とカメラ・アイのいずれの方が「そのままに見て」いると言えるのだろうか、というとんでもない難問に逢着せざるをえないはずです。
ということで、ご質問の動機、質問者さんの興味・関心の在処については私にも分からなくはないですが、視覚心理学で一応きちんと定義されている「錯視」についてはともかく、「そのままに見て」ということを客観的に定義しようとすると哲学的なアポリアとなってきますし、この議論をはじめようものなら百家争鳴になるのは避けられないでしょうね。
そんなにきちんと定義されなくてもいいんです。
なんとなく分かれば・・・。
ただ、納得いかない部分が多過ぎるので少し減らしたいだけです。
ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
>>錯視だからと修正したら「そのまま」ではないような・・・。
● その通りです。そのままに見て、は見たとおりのことですね。
前に書いたように、「正見」の次は「正思」があったでしょう。
「正見」と「正思」で物事は判断されるわけですが、普通は見たものを錯覚と判断する思いが一対ですね。錯覚であるかどうかはものの見方によるわけですね。
>>「見たまま」だと間違えて認識したことになる。
これが正しい見方であったかどうかは、正信→正見→正思 のサイクルで見直す必要があるわけですね。
例えば、見えないものを見た。幽霊とかカッパとか竜神とか、顔の裏側とか、見えないものだから錯覚といっても見たことは事実ですから、それをどう解釈するかは別の話ということですね。
まずは見えないものは見えないと信じる人は錯覚と考えるでしょうし、見えたものは存在すると信じる人は錯覚だと思わないでしょう。
「信」によって見て思う世界が変わるのですね。
因みに仏(または悟りを開いた人)は
#2の「曲がったように見えて本当は真っ直ぐな」線はどのように認識するんですか?
1.ただ単に曲がって見えるだけで、本当は真っ直ぐなことは分からない。
2.曲がって見えるが本当は真っ直ぐであると見破れる。
3.最初から真っ直ぐに見える。
4.その他
ありがとうございました。
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