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居合い血振りや納刀の所作が細かく決まっているのは
なぜでしょうか?相手の血を拭い、刀をおさめる所作まで
型にするという理由はなんでしょうか?
残心ということであれば(私は今残心を表現していますよ)という表現方法?

A 回答 (12件中1~10件)

私のわがままに同意していただきありがとうございます。


また、他の回答者様もしくは読む方のことを考え質問の答えを書いていただけるということ。
本来のサイトの目的とは違う流れになってしまいましたが、お心遣いに感謝いたします。

もう一つ疑問に思うことがあるのですが、わがままついでにお付き合いくださいませ。
No.3の補足欄に
>我々もロングソードやブロードソードは既にさやから抜いている。と言う設定ですし、一試合おわったからといって、腰に戻す所作はありません。
私の常識のなさが露見するようでとても恥ずかしい限りなんですが
ご質問者様はどのような流派で、どのような経緯がありそのような
聞きなれない刀を使われるのですか?
通常ですと居合いは片手で抜き片手で斬りつける「片手打ち」です。
ご質問者様のお使いになられる剣は両手で打ち込むものですよね。
普通に考えますと、居合いの間合いの外から攻撃でき
かつ両手にて重い剣を振り下ろすことによる斬撃は、片手打ちの居合いではさばききれません。
ご質問者様の方がとても有利なのですが・・・
ご友人の居合いがそれだけすごいということなのでしょう。

ところで剣術OFFトーナメントとありますが、剣をまじえる相手にオンラインで
お聞きすることはできないのでしょうか?
オフ会で会うほどの友人。
しかも達人レベルの友人がいるのにも関わらず、
ご質問者さまに言わせればしょぼい回答者から意見を求めなくてもよさそうなのにな。
そんな疑問がよぎったもので。ま、独り言ですので。

剣豪であらせられるご質問者様ですら歯が立たないという
居合いの達人のお言葉、とても楽しみにしております。
少々ハードルを高くしてしまうような形になってしまいましたが
皆様のためにも良い答え。ドスンと腑に落ちるようなお答えを期待しております。

この回答への補足

私の過去の回答をご覧になるとお分かりでしょうが、私は1300年あたりのドイツ剣術を学んでいます。日本と異なり海外の剣術はフェンシングのようにスポーツとして勝敗を楽しむ。人たちと(恐竜研究と同じように)過去のロマンを推進力に歴史研究として学ぶ人と大きく2つに分かれます。
私は後者にちかいですが、スポーツとしても楽しんでおります。しかし、大事なのは型をトレースするだけでなく、試合をする事でなぜその型が必要なのか、がわかることです。
日本剣術は居合い、剣術、剣道に大きく分かれていますが、対人試合をするのは剣道だけで、他はあまりしません。私が負けた居合いのひとはその中でも珍しく、袋竹刀をつかって対人稽古をするひとでした。
某巨大掲示板をみますと、枠を超えた行動力のある人は叩かれます。
わたしは不思議に思うのですが、居合い人などのおおくは対人にさほど関心をもちません。これは~道になるとそのような物に必然的になるのかもしれませんが弓道にしても屋外で動標的にはさほど関心を示さないようです。私たちの行うトーナメントはスポーツチャンバラのようなものですが、安全でリアルな模擬剣や模擬刀をつかうので、流派や文化を超えた剣術が同じ条件で試合ができます。優劣を付けるのではなく、自分の技術が見知らぬ技術あおてにどこまで通じるかは、大変面白いと思うのはどうも少ないようです。

さて、居合いの方と対戦したときはこうでした。ドイツ剣術は相手の剣と刃を合わせてから様々な技があります。普通私は正眼で長く構えた構えか八双をとるのですが、居合いの人は脇下段でかまえています(鞘が無いので鞘の内ではないのですが、そういう状態です)まず、相手が狙うのは小手だと思っていましたから、八双でかまえました。たしかにこちらが遠い間合いで責める事ができますが、相手の間合いが読めません。小手も狙えないので、目標は肘もしくは頭になります。しかし、そこまで剣が伸びる間に抜きが速ければこちらは回避できず、小手を落とされます。結局間合いの読み合いになりました。私は一撃めをフェイントにして斬りおろし、相手に抜かせ、縦回転でこれをはじき、そのまま二撃目を裏刃で日本剣術ではない、軌道で切り付けたのですが、相手はこちらの一撃目をステップでかわし小手ではなく袈裟できってきました。これを首にうけました。

補足日時:2009/06/26 18:21
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この回答へのお礼

トーナメントに参加した人に聞くことが出来ました。
結論からいえば、「流派ごとに違うので統一見解がない」ということのようです。中には省略したり懐紙でぬぐうところもあり。
いくつかの理由をまとめました。

1)起承転結の区切りある形として表現されているため、 起(抜刀)承(後太刀)転(血振るい・残心)結(納刀)として動から静への 転換の呼吸として重要視する。武芸というよりも演武としての色合いが強い。
2)1とだぶる部分があるが(刃を正す)対敵動作とはそれだけで「執心」「執着」する事を意味します。剣道で言う「居付き」。
これを防ぐには、まず戦闘行為と心をリセットする必要があり、その執心を心気で払う意味合い
3)武道的な理由(体捌きや剣捌きに意味がある)
4)残心 
5)祓いの儀式 新当流には一人で行う剣術形の「呪振り」と言うものが有るらしい。呪術的というか九字護身法と言う呪法では最後に『斜めに払い』、唱えながら腰の鞘を体正面に持ってきて刀を納める

とのことです。
予想外の理由もあり大変興味深いものでした。ただ、彼らも言っていましたが、「日本の武術には型だけが残り意味のわからないものもある。
それを師匠に追求することは、師匠を信じないこととみなされ尋ねるという風潮がない。これは現代では通用しなくなってきているのではないか。教えるものは型を繰り返させるだけでなく、その理由を説明する努力も必要」とのことでした。
この場を借りてお礼を申し上げます。riddle09様、mapponew様、kentsukasa様、denbee様、merlin-様、ffucchan様、michael-m様、neetchan様、mouryou様ありがとうございました。

お礼日時:2009/06/30 01:00

 剣術や居合の発生は戦国時代末期とされています。

殺伐とした習慣は江戸時代初期には濃厚に残されており、無礼打ち、果し合いなどはよくみられたようです。

 三代将軍家光の時代になると、こうしたことは疎まれるようになり、刀の長さなど制限を受けました。5代将軍の時代には武士はかなりだ弱になったようです。赤穂浪士があれだけもてはやされたのも、当時でも稀な事からでした。

 そう考えてみると当時でも、刀の抜き方や収め方血ぶりの仕方などはわざわざ教えないとわからなかったと思われます。流儀の型は出来た当時そのままに残っているとは限らず、その時の宗家の工夫などによって変わることもままありました。そうして考えると「先生、血ぶりの仕方や納刀はどのように・・・」といった質問は当然あったのでしょう。

 居合の型にこうした作法が残されているのは、その当時の人々に作法として教えていたことがそのまま残っているんだと思いますよ。

この回答への補足

血振るいで血が抜けるとはやはり思えません。
このあとに本来懐紙などで拭くという所作がありそれが、後に省略された、というのならば理解できます。
とはいうものの、「お道具のお片づけの仕方」にまで型が必要とされるのは日本的というか道の精神なのでしょうね。
心を大切にする日本ならではの、そう、作法なんですよね。技術じゃない。

補足日時:2009/06/27 08:30
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昔のことに答などあるのでしょうか・・・。

納刀に関しては、刀が刃物である以上細かく決まっていて当然だと思いますが・・・。昔の刀は、相当デリケートなようなので。純粋な鉄だから、すぐ錆びますし。


でも、意味があるパターンと、意味がないパターンが考えられるのですから、昔の刀を持ってきて、実際に生き物を切ってみて型が実戦で使い道があるのでしたら意味があって、使い道がなければ儀礼的な、流派の格を守るための美しい動作というやつだと思います。

居合いに限らず、型って役に立つかどうか、意味があるかどうか、わかんなくなってるもの多いですよね。

この回答への補足

わたしが時折「~道」に疑問を持つのはその点です。
意味のなくなったパターンがあるとするならば、なぜそれを疑問に思わないのか?儀礼的だとか余韻であるとか美的価値を理由とするならば、それは理由の一つだからよいのです。が、疑問を持つということは「師匠を信じていない」と快く思わない感があるように思えるときがあります。

補足日時:2009/06/26 18:49
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>相手は「居合いは一度ぬいてしまえばただの剣術です。

いちいち鞘にもどしたりしません」といってました。

いろいろな流派があるのですからそれはそれで、よろしいのではないでしょうか。
あくまでも居合いにこだわるのならということです。
その旨、文中に書かせていただきました。
ですが居合いという恐ろしいまでの精密機械の如く繰り出される技。
ご質問者さまもかなわない技を捨て、剣術としてやりあうとしたら
少々もったいない気もします。
これは個人的な感想です。
もちろん剣術ですからNo6さんのおっしゃられるように、隙がなく利にかなった攻撃が
いつでも繰り出せるということは承知しております。

ここで補足し研鑽しあう仲としてお願いがあるのですが、剣術OFFトーナメントで
居合いの剣士さんにお聞きしたことをNo8さんのお礼のとこか、わかりやすいところに
書いてから締め切っていただけないでしょうか。
このまま締め切ってしまわれると、腑にドスンと落ちるものがなくフワフワした感じです。
後学のためにもぜひお願いいたします。

この回答への補足

私もそのつもりでした。他のかたがたもまだ書き込みしていただけるようにしばらく締め切りはいたしません。
また、流派ごとに解釈も違うと思いますから、多くのの回答があることを望みます

補足日時:2009/06/26 04:13
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居合の人に会う機会があるんだったら、そこで聞いたら?



結局、居合は駄目で、自分のやってる剣術?のほうがスゴイって
言いたいんでしょ?

ブログでも書いて、そこで自説を発表したら?(笑)

この回答への補足

もちろん、聞きますけど。
血振るいが無い剣術が優れているとあなたが考えるのは、どのような理由からでしょう?つまり、居合いは剣道よりも劣っているとあなたは考えているのでしょうか?
あなたは知識を求める事が、他者をおとしめると考えているようですね。願わくばあなたの流派の思想でない事を望みます。
自分の剣術と、他が技術的にどちらが勝っているかなどは、すでに何度もしておりますから。いまさら、です。
ちなみに、居合いの使い手には歯も立ちませんでした。

補足日時:2009/06/25 17:49
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そのうち判ってくると思いますが、それまでは


事故防止、次の攻撃へ流れ、攻撃に対する対応準備くらいに覚えておけばいいと思います。
もちろん、なぜそうなるのかを理解する事は大切な事だと思います。
そう思いながらやっていくと、必ず「なるほど」という機会がやってきます。
でも、流派によって異なる所作は当然あります、その差異は、その流派の考え方ということ以外に無いでしょう。と思います。

この回答への補足

と、いうことはやはり残心が形になっているということでしょうか?

補足日時:2009/06/24 21:18
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私は居合い経験者です。


まず、<血振り>ではなく、<血振るい>が正しい用語です。
血振りは料理の用語です。

私は、無双直伝英信流という流儀でやっています。
私のやっているものはいわゆる現代居合いで、血振るいの型も形式重視ではじめたときには何でこんなややこしいことをするのだろうと思っていましたが、師匠が教えてくださった土佐に伝わる古流のやり方を見ると、全ての動作が形だけの残心ではなく、切り手になっていました。
かなり念入りに動作の途中で起き上がってくるようであればいつでも刀を振り下ろす、または突きの動作に入るための準備の姿勢になっています。
ちょっと、文章では書きづらいですが、動作をお見せすることができれば納得していただけると思います。
現代居合いには、そのような切り手の意味合いが失われているようです。
質問者さんの流儀が分かりませんが、出来うるならなるべく古流をやっている先生に質問にいかれると、動作の真の意味などが分かって面白さが倍増すると思います。
参考までに、下記に参考図書を挙げておきます。
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E6%B5%81%E5%B1 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。その本を読んで見ます。
しあさって、私どもが主催する剣術OFFトーナメントがあります。
前回は居合いの方も参加し、フェンシングVS居合いなどもありました。
彼らが来てくれれば直に聞いてみましょう

お礼日時:2009/06/24 21:17

居合いは鞘の中の勝という言葉があるように、鞘に収まっている状態から


勝負が始まっています。
抜刀すると同時に相手を斬りつけるか、抜き放った初手で相手の攻撃をかわし
二の太刀で相手を斬りつける。
居合いは素早く抜くための技術なので、二の太刀以降は刀を納め仕切りなおすか
構えたまま普通にやりあうかのどちらかになります。
居合いにこだわるとなると鞘に収め相手の虚をつくためのさぐりあいが始まります。
そのためには素早くかつ安全に鞘に収める必要があるので一連の所作が必要になります。
血振りの部分が省略されることもあります。
各流派それぞれ始祖の言い分があるので所作もいろいろなもんで。
同じ動作を繰り返し鍛錬することにより、超絶な技を繰り出すことが可能になります。
そのための型であり、理があっての型です。
わけわかんなくてもひたすら鍛錬。
やっているうちにわかるまで鍛錬。
わかったのならなおさら鍛錬。
ちなみに私はわかっていません。

居合いをする人の中には大道芸のように人前で披露していたことがあるようです。
見世物小屋ならいわゆるショーでしょうか。
ふつうでは抜けない長さの刀を抜いて見せたり、素早く抜き放ち野菜を斬り
派手に刀を振り鞘に収める。
抜き放ち斬りつけ素早く刀を納めると、衆人はなんのこっちゃわからないので。
それはそれでクールなんでしょうけど。
こわがらせるより派手な方がお金になったんだと思います。

実戦では一対一とは限りませんので所作の通り・・・というのは難しいかと。
一般の人が見れるとしたら演武だけではないでしょうか。

この回答への補足

「戦いが鞘の中で始まる」というのは左脇構えからの一撃と考えればわからないでもないです。
私は居合いのかたとも対戦しましたが、相手は「居合いは一度ぬいてしまえばただの剣術です。いちいち鞘にもどしたりしません」といってました。
居合いの歴史でショーをしていたというのは聞いたことがあります。
しかし、その名残が残っているならば、まったく意味の無い所作ですね。

補足日時:2009/06/24 21:10
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居合は素人ですが、やはり残心のためではないでしょうか?


血振りや納刀の最中というのは非常に無防備になりやすいと思います。

刃物を扱った経験から言うと、刃物についた液体を振って払うというのは、
液体を落とすことに気がいって、そのほかのことには注意がいかず、結構無防備な状態になります。
私が使ったことがあるのは鉈ですが、長さが長くなれば振りにくくなりますから、
刀であれば余計その傾向は強いと思います。

納刀に関しても、武器を構えているわけでもなく、また全く武器を持っていないわけでもない、
何とも中途半端な状態ですから、考えようによってはこれ以上無防備な状態はありません。
敵に襲われるタイミングで考えれば、刀を完全に納めている状態であれば、
出来るだけ素早く抜くことだけを考えますが、今まさに納刀している最中だと、
「刀を納める」ということに意識から、「刀を抜く」ことに意識を切り替える必要があるため、
咄嗟に対処できない可能性があります。

>剣道では終わった後、腰に戻しますが槍の穂先を納める事はありません。なぎなたも同様です。
拳銃と小銃の関係で考えてみてはどうでしょうか?
拳銃は携帯武器ですから、撃った後はホルスターに戻しますが、
小銃はその長さ故、撃った後もそのまま持ち続けます。

>我々もロングソードやブロードソードは既にさやから抜いている。と言う設定ですし、
>一試合おわったからといって、腰に戻す所作はありません。
日本刀は日常生活を送っている時の携帯武器でしたから、
構えてないときに襲われたとか、相手を無力化した後は
元の日常生活に戻るわけですから、武器を片づける動作まで
発展したと考えられます。

この回答への補足

残心でしょうかね。しかし、血糊の着いた刀を振るだけでそのまま鞘に収めるというのも。懐紙などで拭くという所作があればわかりますけど。

補足日時:2009/06/23 21:27
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居合いは素人ですが思ったことを。


居合いに限らず、武術の型は大抵打った拳にしろ、斬りつけた武器にしろ、収めて終わると思います。
型を作ったわけではないので正確なことは言えませんが、繰り返し練習する場合を考えれば、打つ前、斬る前の体勢に戻らなければならないのは当然だと思います。また実戦を考えても、打った後、斬った後の体勢というのは次の動作に移りにくい体勢です。型を作る場合に、その体勢で終わってしまうというのは武術としては片手落ちではないでしょうか。

この回答への補足

剣道では終わった後、腰に戻しますが槍の穂先を納める事はありません。なぎなたも同様です。
我々もロングソードやブロードソードは既にさやから抜いている。と言う設定ですし、一試合おわったからといって、腰に戻す所作はありません。

補足日時:2009/06/23 17:39
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