dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

極真空手の型の多くは松涛館流と剛柔流がベースとなっていますが、
安三と臥龍は極真空手のオリジナルなのでしょうか?
安三と臥龍について出来るだけ詳しく教えてください。

A 回答 (1件)

臥竜、安三は極真の創作型です。

剛柔流、大山道場時代からあったという人もいますが、少なくとも今行われているのは極真会館ができてからのものです。

臥竜には上段の回し蹴りと後ろ回し蹴りがありますが、大山道場時代からの弟子の大山茂先生によると、大山道場では後ろ回し蹴りは見たことが無かった、渡米してはじめてテコンドーの後ろ回し蹴りを見たそうです。

また、初期の極真の大会に韓武館(現錬武会)の選手が出場し回し蹴りと後ろ回し蹴りの連続技を見せた、それから黒帯に命じて五本蹴りが生まれたという証言もあり、いずれにせよ臥竜は極真会館が設立されてからの型です。

臥竜には、極真の平安の型(他流の平安とは違う)のリズム、運足の方向、技の共通性が見られ、また転掌の受けや、雲手の跳躍技の影響もあると思います。(雲手は那覇手の新垣派の型ですが、一般的には剛柔流には伝えられず、首里手、松涛館、糸東流で行われています) 
同じ動作の繰り返しからも確実に基本型であり、新しく創作されたものであることがわかります。というのは、型とは本来、突き蹴り、受け、投げ、関節技、対武器法が絡んだ護身術を集めたものだからです。

大山先生の生まれ故郷は韓国、全羅北道 金堤郡(現:金堤市) 龍池面、臥龍里です。そして生家の裏には臥龍山という小高い山がありました。講話でもたびたび臥竜の型に触れ、「竜は湖底に潜み天に昇る機会を窺っている、一旦登るや雲に乗り天に舞う。天に昇る機を逃してはならない」と語っていました。臥竜は、ご自分の生まれ故郷のことを想って、世界に羽ばたきたいと願った少年時代を回想して生まれた型なのかもしれません。大山先生は臥竜の型を好み、臥竜の中の座って受ける姿勢を写真に撮らせることもありました。

安三にも極真の平安の影響が見て取れます。それに本土の山口系剛柔流の基本、転掌の受けが入ったものです。大山先生は、安三は中国拳法の基本形だと言っていましたが、日本のものです。

大山先生は少年時代に中国拳法の十八技を修行したと自著の中で述べていますが、これは実は18歳の時に韓国の釜山で曺寧柱先生から剛柔流の十八(セーパイ)の型を習ったことを差しています。曺寧柱先生も朝鮮半島出身、ボクシング、ボディビルの経験者で、立命館大学留学中に空手部に所属し、山口剛玄先生から剛柔流を学んでいます。大山先生の本当の師です。大山先生の著書によっては曺七大師として紹介されています。(日蓮宗にも帰依し僧名は曺七)

また大山先生は借力という朝鮮古武術を修行したことが知られていますが、実際は朝鮮には借力という武術は存在せず(韓国の大山先生についての著書、公刊物には借力の文字は確認できない。実兄の証言にも借力の話は出てこない) これは中学入学前に父の農場の労働夫からボクシングを習ったこととすり替えられています。 (中学時代はソウルのYMCAで3年間ボクシングを学び活躍する)

戦前、戦後にかけてボクシングは不良の喧嘩道具と見なされたことや、朝鮮半島の出自を隠そうとしてすり替えが行われたと言われています。

大山先生は、少年時代に中国拳法、朝鮮古武術を習ったと繰り返し語っていましたが、臥竜、安三はこの逸話から誕生した型だと思います。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

ご回答いただき、ありがとうございます。
たいへん、解りやすく参考なりました。

お礼日時:2009/09/19 19:40

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!