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タイトルのままです。
読書をしない人は読書をする人に比べて愚かなのでしょうか?
読書をしない人の考えは浅はかなのでしょうか?
読書をしない人の意見は薄っぺらなのでしょうか?

私は読書が嫌いです。
「読書は良い事だ、読書はするべきだ」と、その時々に出会った人達に言われ続け、正直相当まいっています。
読書はしたくないですが、しないと人に認められないのでしょうか?

A 回答 (17件中1~10件)

相当まいっているというのは読書をしないでもよいというあなたの考えを相手に伝えることが難しいからではないでしょうか。

少なくとも読書というものがどういうものかがわからなければできないことだと思います。またその人にとって読書というものがどういうものかも知らないとできないことだと思います。要するにあなたはほかの人がどんなことを大切にしているかにあまり関心がないのだろうと思います。あるいは相手を単なる道具としてみているということはないでしょうか。このことは自分のことも道具としてしか見ていないということになるようにも思います。他の人(相手)に認められた方が良いと考えておられるのだったら、読書に限らず、それがどういうものかを自分で確認する必要があるように思います。
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この回答へのお礼

「相手にとって読書がどういうものか」「自分にとって読書がどういうものか」を知ってから初めて議論できるという事ですか?
kaitara1さんのご回答は少し気になります。
実は私は「貴方は他人に全く興味がないよね」と友人に言われた事があります。kaitara1さんの「あなたはほかの人がどんなことを大切にしているかにあまり関心がないのだろうと思います」という言葉がそれととても似ている気がして。
ですが、kaitara1さんがなぜ「あなたは~関心がないのだろう」と思ったのか、この文章だけだと私の頭ではよく分かりませんでした。残念です。

ご回答、有難うございます。

お礼日時:2009/06/29 00:17

別に性格に合わないのであれば、読む必要はありません。


佐藤優という方がいらっしゃいます。その方は「文学はインテリと話す為の方便」とバッサリ斬ってまして、知識層の人と会話したい場合のツールとしての認識を持っているが、それ以上の意味は無いと言うような事を言っています。
本来であれば、政治の話しなんかは「どこそこの政党はこうした政策を掲げている」とか「消費税が何%になる」という情報や、それの基礎となる情報は新聞や本で得られるのですが、それはテレビ・ラジオ・インターネットで代用が効く時代になっているのです。
この為、無理に読む必要はありません。

但し、我々が生きていく為の必要な知識として、本当の基礎の基礎となるような人の経験、情報、知識というのは本の中にしか無い場合もあったりするので、これを読まざるを得ないケースが出てくるのですね。
普通に現代の生活で困難に直面した時に、
(1)真正面から当たっていって、トライ&エラーを繰り返して多大な労力を費やして「こういう方法で回避すればいいんだ」という自己の経験とするのか、
(2)本などに書いてあった過去の事例を元に、あっさり困難を回避したりあるいは解決したりするのか
という面で見たらあからさまに(2)の方がお得なワケです。
時にはちょっとしたロジックを使って、魔法のような解決を示す事もできるのですね。

ドラゴンクエストはプレイした事はありますか? 
私がこれに則して例えるなら、
(1)が、愚直に剣を振るう、魔法が使えない戦士
(2)が、戦士ほどじゃないがそこそこ戦えて、回復魔法とか補助魔法が使える賢者
になります。
戦闘力が200で魔法が使えない戦士と戦闘力が150だけれども回復魔法とか補助魔法が使える賢者のどちらを選びますか? 

もし自分の人生がスライムをバンバン倒して満足するだけであれば、本を読まなくてもいいです。本人の基本的資質、人間性には全く関係ありません。
ただ、物語の中盤まで足を運びたかかったり、自分の人生で大魔王を倒しに行ったり、石化してしまった自分の奥さんを助けに行ったりするにはそれなりの魔法を覚えなければならないでしょう。

かく言う私も読書嫌いだったのですが、ちょっと人生で冒険する必要が出てきたので、本を読んで(魔法を覚えて)いる最中なのです。
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 こんばんは。


読書が嫌いなら無理に読書をする必要は無いと思います。その気持ちにうそをついて読書をすると、確実に心が辛くなるでしょう。読書をしなくても生きていけます。
 実は読書には悪い点があります。それは『知りすぎるワナ』です。たとえば医学の本。ある本では水分はとるなと書いてあるのにある本には水分をたくさんとれと書いてある場合もあります。他にも本を読むことによって逆に混乱することが多々あります。
 ついでにもう一つ例をあげます。たとえば医学の本を丸ごと暗記するとします。するとどうなるか。おなかが痛い→盲腸? 腸炎? 腹部動脈瘤? 腹膜炎? ガン? などと余計な心配をしてしまってストレスがたまる場合すらあります。
 ですから読書万能主義には私は反対です。ある名言で『書を捨て町へ出ろ』とあるくらいですから。読書が嫌いというその気持ちを大事になさってください。陰ながらあなたの幸せを祈っています。
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読書しても、考えや意見が浅はかで薄っぺらな人はいくらでもいます。


本当は深くて複雑な意見を持っていても、浅くて薄っぺらな日本語にしか変換できない人もたくさんいます。
自分の考えや意見を、もっと深くて厚みのある言語表現へと肉づけしてくれるツールが、読書だと思います。
そのツールを活かす力は、読書以外の他の経験によって養われると思います。
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読書の価値はあらゆるところで述べられていますから、ここでは簡単に申し上げるに留めます。



 読書がお嫌いなのは、ある程度は読書をした上でのことでしょうか?また、読書をしないことの賢さと、読書することの愚かさを示さなければ、この比較は意味がないと考えます。

 必ずしも、読書をすることが賢いとは思いませんが、本は一つの物語やテーマを掘り下げていますので、書き手も読み手も、それだけ考察を深めることができます。読書をしないなら、それに優る価値を何で得られるか、加えて読書のデメリットを掲げるべきでしょうね。

 私の経験上では、読書しない人は、卑近な話題でしか盛り上がれない人が多いと感じます。読解力や文章力はもちろん、問題を整理する能力も、読書をすることにより身につきます。読書のしすぎで、本の内容がすべてのように思い込む、理屈っぽい人がいるのも事実ですけどね。

 というわけで、読書しないほうが賢いと聞いたこともないので、読書の効果が認められるならば、読書するほうが賢いと考えます。もし、相関しないと主張されるなら、読書について探究せねばなりませんね。
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読書をするということは二つの大きな意味があると私は思っています。



ひとつは、本に含まれる豊かな情報を自分のものにすることです。

もうひとつはそのひとの言語能力を高めるということです。
つまり、情報を吸収したり、考えたり、その考えを他人に伝えたり(思いを表現するということです)することが上手になるということです。前記の情報吸収のための読書力を高めるということで、読むたびに本の内容を早く、より深く、完璧に近く吸収できるようになることで効率がより高くなるということでしょう。沢山読むほど更に読書が楽しくなり、更に沢山読むようになるという普通の現象はこれで説明できます。

言語能力というのは他人と一緒に暮らしたり働いたりしなくてはならない普通の人間にとっては非常に重要なことです。更に、これは多くの高度な知的な職業(人の上に立つ仕事)の基本的能力に関係していますので、これがが高いほど一般に仕事が出来る人間になるとも考えられます。でも、今の総理大臣は(あそこまで行ったという意味では)非常に稀なへたれケースだといえますからお考えにならない方がいいです(哂)。

それらを前提にして質問者様の問いに答えてみます。

>読書をしない人は読書をする人に比べて愚かなのでしょうか?
それは一般的に言えると思います。「愚か」という言葉の意味もいろいろですが、読書量が多いひとはしないひとより知識が豊かです。また考える能力もより高く、発言する時もわかりやすい言葉で話すことが多く、いわゆるコミュニケーション能力が高いということがいえます。
>読書をしない人の考えは浅はかなのでしょうか?
それは一般的に言えると思います。「浅はか」という言葉の意味を「考えを(知識が少ないために、読書をよくするひとに比べて)深めることが出来ないということだと思います。
>読書をしない人の意見は薄っぺらなのでしょうか?
それは上記のことと殆ど同じですが、一般的にそういえると思います。

たしかに、上の読書の機能は、読書しなくてもある程度は身につきます。仲間や家族と話し合ったり、TVを見たりすることで、普通の社会生活が不便でない程度には出来るようになるものです。
フツーの生活が出来てフツーに人生を送り、一応幸せに一生を送るには読書など不要だということは一般的にいえます。
日本が世界の一流国として世界をリードしている国になっているのは、国民全員が字を読める、つまり読書が出来る、多数の国民が本が好きで活字に親しんでいるという他の国にとっては驚くべきことがひとつの原因なのだという説があります。すぐ自爆して町をめちゃくちゃにしたり、政治が混乱したり、内戦になったりということがない、非常に治安が良いということなどもこれらが関係しているというひともいます。
ただ、これから若いひとが本を読まなくなり、考えが浅はかになっていくと、日本の未来は暗くなるのではないか、そんな気もします。

>読書はしたくないですが、しないと人に認められないのでしょうか?
貴方がどういうふうに認められたいのかということがわかりませんので答えられませんが、一般的にいってそういうことはないと思います。でも未来の日本をこれまでのように高止まりで維持していくためには、やはり若い人の読書は必要だと私は思います。
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私なりに、ニュースで読書が取り上げられる理由を考えました。



まず、本というものは絵が入ったものも、活字だけのものもある。それを読んだり、眺めたりすることで見識が増える→人生における道具とヒントが増える。

本は他人の意見の塊である。他人の意見というものは時に受け入れ難いものであるが、私たちは社会の中にいて、日々他人と関わりながら生きている。他人の意見を自分なりに解釈し、咀嚼する事で、他人に対する理解、自分への理解が深まる。

つまり子供にとって、空気を読むことの勉強であったり、自分の世界を膨らませる手段である読書量が少なくなる→KYが増える(社会的モラルの欠如)、自己中心的になる、等の問題があるからではないでしょうか?

私は前の回答で、人間性と読書に関係はないとお答えしましたが、それには語弊がありました。うまく言えないのですが、読書をする、しないが人間性を決定するのではなく、あくまで読書は自分を鍛える為の手段の1つに過ぎない、ということを言いたかったのです。

ちょっと説明が難しい問題ですね。
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関係ないでしょう。


読書をする、しないで愚かかどうかが決まるのなら、こんなに楽なことはないですよ。
そんなもの関係なしに、愚かである人もそうでない人もいます。
ただ、本を読むことは他人の意見を聞き入れることでもあるので、意見の幅が広がる人もいます。でも所詮は自分が気づいて変わることだから、読書云々はきっかけにすぎません。
もっと他のことで、きっかけを得られる可能性の方が大きいですから。

人に認められるかどうかは、あなたの出す結果次第です。読書ををしているかどうかなんて、大した意味はないですよ。
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この回答へのお礼

はい、その通りな気がします。
「読書をしているかどうかなんて、大した意味はないですよ。」という言葉にとても考えさせられました。
きっと、相手は私に読書をすすめているんじゃないんですね。
「今のままだと貴方を認められないから、手段として読書でもしたら?」と言っているんです…そんな気がします。
「読書をしない貴方を認めない」のではなくて「変わる手段として読書でもしたら?」と言っているのかもしれない。そうだとしたら、ただ単に相手の言い方がキツイだけなんですけど…。

ご回答、有難うございます。

お礼日時:2009/07/06 00:26

そんなの、個人の勝手だ。


私はわりと読書する方ですが、愚かです。
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この回答へのお礼

確かに、何をするのも個人の勝手ですね(人を困らせるような事はしてはいけないですけど)。
読書をしない事で、私は相手を困らせているのかな…なんて考えたりもするんです。心配をさせている…とは少し感じたりします。

ご回答、有難うございます。

お礼日時:2009/07/06 00:17

「知識」という点ではもちろん本を読まない人と読む人では歴然と差が出ます。


 たとえば、本をたくさん読んでいる人はTVでのクイズ番組の問題の答えがほとんど分かります。もちろん年齢にもよりますが。
 質問さんはどうでしょう?ほとんど分かりますか?
で、間違いなく差が出るのは「知識量」くらいなものだと思いますね。

 知識を増やしたいのなら本を読むべきです。
そんなこと人生に何も役に立たないと思うのなら読まなくてもいいですよ。

 
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この回答へのお礼

とてもすっきりとしたご回答でした。
はい。きっと私と出会った人達は「もっと知識を得た方が良いよ」という事を言いたくて、「本を読め」と言っている様な気がしてきました。
持っているべき知識が私にはきっとあるんですね。
何だか、大変です。

ご回答、有難うございます。

お礼日時:2009/07/06 00:13

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