すみません、まだかたがついていない質問があるのですが(マツゲについての・・)、質問です。
 本のことですが、ここの方が詳しい方がご覧になると思いまして、ここで質問させていただきました。

中村雄二郎 先生の著作「魔女ランダ考」「臨床の知とは何か」を、読み、
『演劇的知』について書かれた本を他にも読んでみたくなった者です。
他の著者(できれば現代の日本の方の・・・)で、同内容についての本がありましたら、教えていただけないでしょうか。哲学・心理学は素人で、タイトルだけで探してもよく出てきませんで・・・気長に待ちますのでよろしくお願いします。

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A 回答 (2件)

ご質問の内容に合っていれば良いのですが。

私は特別詳しいわけではないのですが、たまたま本を探しているときに、「そう言えば…」なんて思い一緒に探してみました。
あまりないものですね。一応参考になればと思います。
(ネット検索した結果です。下のURLです。もう一つ本がありましたが不安なので以下の2点にしました。)

「ヴィトキェヴィッチの世界―1920年代の演劇的〈知〉」
     松本小四郎、松本 明(翻訳) 出版社:Parco出版(2000円)

「教育における演劇的知―21世紀の授業像と教師の役割」
     渡部 淳(著) 出版社:柏書房(2200円)
 内容:演劇的知を追求する著者の二〇年にわたる実践を集大成。帰国生を多く迎えるICU高校でおこなわれるプレゼンテーション中心の学びのプロセスを多数の授業写真とともに紹介。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/

この回答への補足

その後:
「ヴィトキェヴィッチの世界―1920年代の演劇的〈知〉」 を注文しましたら、
入手不可能とのことで・・・残念です。
また、よろしくお願いいたします!

補足日時:2001/04/11 08:37
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この回答へのお礼

わあ、ありがとうございます!ご回答を下さったのですごく楽しみにこのページを開きました。さっそく手に入れてみます。わたしは基礎科目として以外、専門的に哲学を学んだことはないので、あまり古典だと読破の段階でまず大変なのです・・助かりました。
 余談ですが高校の「哲学・倫理」分野の先生が演劇をやってる方でした。恩師は「演劇的知」についてどういう理解をされていたのかなあ、などと思いを寄せるこの春です。

お礼日時:2001/03/16 18:23

 「昔の日本の方」のものになってしまいますが、世阿弥の『風姿花伝』は外せないところだと思います。

人生論とも、教育論とも読める名著です。もっとも安価なのは岩波文庫。ただし現代語訳がついていません。
 「現代の」方では、去年亡くなられた俳優・滝沢修さんに『俳優の創造』があります。主に若い演劇人を対象に、いかに演ずべきかを述べたものです。江戸時代の名優・坂田藤十郎などを例に挙げ、ベテラン俳優ならではのかなり実践的なアドヴァイスが書かれています。

 私、この方面には疎いもので、ご質問を少々拡大解釈することをお許しください。
 「演じる」というパフォーマンスを「変身」ととりますと、ファッション(単に服装というだけでなく、広い意味での装い)を「ある秩序に組み入れられるための手続き、ある秩序から逸脱するための手続き」として捉えた、鷲田清一さんの『水平のファッション、垂直のファッション』があります。岩波書店『現代社会学21 デザイン・モード・ファッション』に収録されています。
ここで論じられている「秩序を転倒させるファッション」は、非日常的な祝祭の時空を舞台としています。「カーニバル的時空」と申しましょうか。このような時空の説明としては、ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』(せりか書房)が極北でしょう。「フットライトがない」つまり、演じる者と見る者との区別が「笑い」の中に融即している明るさ。これは、演劇の近代的形態へのアンチテーゼとも読めます。
 さらにフェミニズムないしジェンダー論からも「演技」は語りうると考えます。「ジェンダー」という社会的性・性役割は、まさに「演じられる」ものですから。
 こちらでは、広く読まれ、大学などで女性学等の講座でテキストとして採用されることもある『ジェンダーで学ぶ社会学』があります。世界思想社から出ている論文集です。この中の一章に「演技する――役柄としての男と女」という項目があり、興味深く読みました。末尾に添えられた参考文献一覧も参考になろうかと思います。

 「押し付けられた性役割を演じさせられる」のではなくて、自覚的に「演じ」たいものですね。ジェンダーに「もてあそばれる」のではなくて、ジェンダーを「遊び」たい。私も一人の男として、そう思います。それで、「演じる=play=遊ぶ」というダジャレつながりで「遊び」論につなげます。ごめんなさい。
 こちらですと何と言っても古典はヨハン・ホイジンガ(正しいオランダ語発音では「ホイジンハ」)の『ホモ・ルーデンス』。中央公論社の中公文庫で訳があります。
 また、遊びを「変身(ミミクリー)」と捉えて論じたものに、ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』(講談社)があります。この人はG・バタイユやM・レリスのお友達なので、個人的に好きです。
 なお、「遊び」論が主題化されてきたことの背景には、近代に入ってからの「子どもの発見」があります。これについては、ここ哲学コーナーの「人間にとって物語とは何か」という質問スレッドにある拙文を御一読願えれば幸いです。

 連想ゲーム的つながりの文章で、まとまりのないものになってしまいました。ご質問の問題意識とズレがある、聞きたいのはもっと別のこと、という点がございましたら、ご指摘ください。

http://www.okweb.ne.jp/iwedding/kotaeru.php3?q_i …

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=39578,http …

この回答への補足

遅くなり申し訳ありません!
気長に待っていたのですが、1ヶ月にもなるのでしめることにしました。
質問の本は仕事関係の参考文献の参考文献(?・・・)で、
関連ものがあったらぜひ読みたいと思っていたのですが、なかなか
ないみたいですねー。
ポイントは先着順でごめんなさい、
また、よろしくお願いいたします!

補足日時:2001/04/11 08:39
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この回答へのお礼

たくさんの著作のご紹介ありがとうございます!『風姿花伝』はちょっと手ごわそうですね。ジェンダー論については、学生時代興味を持って読んだ時期がありました、ほんまもんの社会学をやっている人たちの話は難しくて今でもよくわかりませんが・・・。

 「演劇的知」はこの中村氏の言葉のようです。(検討違いだったらどなたかご指摘ください)
 〈機械論〉モデルに捕らわれすぎている近代の学問や科学、人間的生の偶発的なものや遊戯的なもの、感性的なものが排除されている〈近代の知〉が見失ったものを再び見出す知で、〈男性原理=言語的〉に対する〈女性原理=無意識的〉としても述べられますので、ジェンダーのお話も無関係ではないようです。

再び、ありがとうございました、検索すると、「演劇」そのままの本がたくさん出てくるのですが、どうもほとんど違うようなのですよ。ネット書店よりも大きい図書館が近所に欲しいところです・・・。

お礼日時:2001/03/19 23:25

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.

Aベストアンサー

遅れてすみません。


http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2%E5%87%BA%E7%8F%BE%E2%80%95%E8%81%96%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%83%BB%E8%81%96%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%AD%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%82%AE%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%B3%E4%BA%88%E8%A8%80%E9%9B%86-%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%8B%E3%82%8F-%E3%81%A1%E3%81%B2%E3%82%8D/dp/4892031771

http://books.livedoor.com/item/745438

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どうぞよろしくお願いいたいます。

Aベストアンサー

手元に全集が4冊ありましたので見てみました。
各巻末に「事項索引」があります。試みに「痛み」の項をみると、とてもたくさん上がってきます。

全集第2巻「哲学的考察」には5箇所
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ありました。他の巻にも同様にあるかも知れません。

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ご存知でしたら、お教えください。よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

400円と800円の岩波文庫というのは、以下の2冊でしょうか。

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=997055249X

http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9974364965

この二つなら、内容は同じで、本の大きさ(活字の大きさ)が違うだけのはずです。
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「オノマトペ」とは聞き慣れない言葉かもしれません。言葉(音声)で、ものやこころの状態を表した「言葉による絵」ともいわれる表現方法です。

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このような、「音を言葉に置き換える」「擬態語」と

月が「煌々(こうこう)と」輝いている

涙が「ぽろぽろと」こぼれる

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Aベストアンサー

№10です。

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合コン好きですね。書き忘れました。

♪ 春の小川は さらさら 行くよ
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♪ すがたやさしく色うつくしく
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♪ ささやきながら。



orz

Qウィトゲンシュタインの論理哲学論考の意味

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Aベストアンサー

前期の形式言語の意味論から、後期の日常言語の意味論に移行したということですよね?
「哲学探究」の冒頭でアウグスティヌスの言語論、言語の直示的定義の批判から始めているということはひじょうに示唆的で、言語というものを世界の「写像」と考え、語と事態との対応説をとっていたのが、「探究」では、全体論に移行し、「ゲーム」の中の役割という点から考えるようになりました。
つまり、言葉単独ではなく、「コンテクスト」重視に転換したということ。
批判的というより、言葉をもっと大きな文脈(コンテクスト)の中で考えるようになったということだと思います。
言語学者のソシュールとひじょうによく似ています。
ソシュールも言語というのは個々の言葉の集合体ではなく、全体としてのシステムとの差異によって語が成り立つといっていた人ですから、全体論(ホーリズム)という観点からは共通点があります。
分野が違っても、同時代というものは同じような思想を唱えるものなんですね?
20世紀の哲学は「言語論的転回」と言われますが、ウィトゲンシュタインとソシュールによってそれが成し遂げられたんですね?
言語学をやっているとソシュールがそれ以前のどのような言語の考え方を批判したのかを知っておくことが必要ですが、ウィトゲンシュタインの場合もどのようにして後期の「哲学探究」の全体論に至ったかを知るためにも、やはり「論考」の知識は必要なのではないでしょうか?

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