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Tシャツにジーンズにサンダル履きか、スニーカーといったラフな服装で、オペラやバレエ、クラシックのコンサートに来る客に、同じ客として、または、音楽を聴かせる演奏者として、不快感を感じる方はいますか?

そのような格好の人が、客としていると、具体的にどのように不快なのか? なぜ、不快感を催すのか? 詳しく、教えて下さい!

当方、別のコーナーで、一流のフランス料理を、自由気ままに、Tシャツにジーンズで、マックかスタバのようにセルフサービスで楽しみたい!ということ書いて、このような格好の人をかなり不快に感じている人もかなりいるということを知ったからです。

これとは、逆に、オペラやシンフォニーも、もっと気軽にロックかジャズのように、カジュアルな格好で演奏されてもいい! 聴衆もスーツにネクタイで聴くなんて、時代錯誤も甚だしくて、堅苦しくてしょうがない!音楽を聴くのに、服装なんか関係ない!Tシャツにジーンズで全然OK!って方のご意見も伺いたいです!

A 回答 (19件中11~19件)

補足においてuldis2010さんのおっしゃっている事にとても共感します。

いえ、具体的で的を射た見解に諭されたという訳では決してなく、元々音楽(あるいは表現物)に対する嗜み方が似ているというのはあるでしょう。


率直に言って、クラシック演奏会というものはビジネスであり、量産品であり、または質という意味でもピンキリで、そういう意味では他の音楽ライブと何も変わりません。「先人によって敷かれたレールの上をなぞっていれば、ある程度仕事として成り立つ」という意味ではむしろ他ジャンルの音楽活動に比べると生温い部類なのかもしれません。
さらに言うなら、散々過去に偉大と言われてきた作曲家も、今の時代となってはピンキリ。
「血が滲むような訓練と究極の表現力への努力を重ねている」かどうかも人によるし、さらに言うならその「高いプロ意識」が結果に反映しているかどうかは別(芸術であるならばむしろ結果の方が重要でしょうね)。しかも努力や試行錯誤なんてものは別にクラシックに限ったものでもなんでもないです。

はっきり言って、クラシックを「芸術」「他の音楽とは格が違う」とひとまとめに語り特別視するのは、あまりに乱暴で怠慢。音楽的評価や楽しみ方を放棄したも同じだと思いますね。
学術面で音楽を語り尽くす趣向は特にクラシックにおいて顕著ですが(逆に他の音楽には殆ど見られない)、お偉い専門家が音楽理論面から取り上げてアカデミックに語りあげれば、どんなつまらない音楽でも「偉大な作品」に見えてくるんじゃないの・・・なんて言い過ぎでしょうか。いえ、下手な古典派やロマン派、伊オペラなんかよりは、よほど英国のエレクトリカとかポストロックなんかのミュージシャンの方がアーティスティックだったり難解だったり自己主張が強いと感じているタチなので。


西洋音楽の近代化に貢献した偉大な作曲家・・・例えばサティやドビュッシーなんかが「クラシックは芸術だから。他の表現物なんかとはモノが違うから。もっと敬意を。演奏会には礼儀をもって。」等という主張を口にしたとは到底思えないでしょう。彼等の作品あるいは残された言葉から、「真の芸術(表現活動)というものが存在するのだとしたら、それは形式やちっぽけな儀礼・慣習等とは反する要素を多分に有するものなのだ」という事は少なからず感じてしかるべきですね。もっと言うなら、本気で「芸術鑑賞」「芸術的活動」云々を追求するならば、演奏会の他人の服装なんてチクチク駄目出ししている場合じゃないよ、という事です。

歴史の一部になりたい・・・そういう人もいるでしょうが、自分は一現代人として純粋に、その作品の背景や世間的評価を超えて、音楽は音楽として聴きたいタチです。
「総合芸術だから」「伝統だから」「さすがにクラシックは他と違って気合も格も違う」等という言葉を使うのはとても簡単ですが、時としてそれは単なる‘盲目信仰’でしかあらず音楽としての純粋な評価を捻じ曲げかねないです。


まぁそんな自分ですが、演奏会には最もリラックスして聴ける服装・・部屋着にしているヨレヨレのジャージが理想ですが、そういう訳にもいかないので一応フォーマルな格好しています。形式にそんなにこだわりたいタチでもないのになんでかな~と考えたのですが、多分なかなか普段フォーマルを着る機会が無いからでしょうね。花火大会に浴衣着ていくノリですね。
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これから出かけるので、補足欄質問への回答だけ。



>お訊きしたいんですけど、ミュージカルの『West Side Story』とか、
>オペラでも『Jonny spielt auf』だったら、Tシャツにジーンズの客が隣にいても、OKですか?

OKではありませんね。Tシャツは下着の延長、ジーンズは労働着に過ぎません。オペラハウスだろうが、ジャズコンサートだろうが、ミュージカルシアターだろうが、隣にそんな人がいたら不愉快ですよ。しかしTシャツとジーンズを否定しているわけではありませんよ。ロックのコンサートにいてもOK. ただし私はロックには無関心なので会場には行きませんがね。

>あと、あまりにも有名なChereau/BoulezのRingとか、Le Grand Macabreとかって、
>心からオペラという芸術を愛し、理解していると自認しているあなたから見られて、どう思います?

ご質問の演目は聴いたことがないのでお答えできません。オペラは大好きですが、私の好きな範囲はあなたに比べるべくもなく極めて狭いのですよ。あなたにとって有名でも、私には無関心な、あるいは未経験のオペラが沢山あるものです。これまでに生で体験したオペラは20回程度に過ぎません。

>それに、時代を現代のNYやLAに設定した演出のDon Giovanniだとか、La traviataだとかは?

その演目は知っていますが、NYやLAに舞台を移した演出のオペラは全く経験がありませんから、これもお答えできません。

>それだったら、あなたにとって、Guldaとか、高橋悠治とかの演奏スタイルやステージ衣装はどうなんですか?

これも彼らの演奏を聴いたことがありませんから、お答えのしようがありません。

>彼らは、自分が演奏する作品を書いた、あなたが言うところの主たる、
>Bachとか、Mozartの家に土足で入り込んで、(ある作品を演奏する事を、
>それを書いた主たる作曲家の家に入る事に喩えるなら) 好き勝手やってる許し難い芸術の冒涜者ですか?

とんでもないです! そんなこと、思ったこともないですねえ。もっとも私が前の回答で書いた「主(あるじ)」とは作曲家のことではなく、演奏者のことなんですがね。あまり拡大しないでくださいよ(苦笑)。

>勿論、オペラって、「薔薇の騎士」や「トスカ」、「アイーダ」だけじゃないですよね?
>「薔薇の騎士」の作曲家にだって、Erektraもあれば、Salomeもある。Wozzeckとか、
>Luluとか、Die Soldatenとか、Le Grand Macabreだって、立派なオペラですよね?

立派なオペラかどうか、私はあなたが挙げたそのオペラすべてを聴いたこともないので、判断できません。ところで、「立派なオペラ」って何ですか?

>あなたにとって、オペラやバレエという芸術スタイルって、そんなに
>固定的で、硬直したものじゃないといけないものなんですか?

私の回答のどこが、オペラやバレーの演奏形式が固定的で硬直したものであるべきだ、とあなたに思わせたのでしょうか? そんな表現をした覚えなどないですよ。

>それなら、オペラという芸術スタイルは、今後、22世紀、23世紀になっても、
>18世紀後半から20世紀初頭という、言わば19世紀ロマン派のオペラを中心とした作品群に、
>古典派と近代をプラスした作品群を、つまり、Mozart, Weber, Wagner, Verdi, Puccini, R.Strauss 
>といった、現在世界中のオペラハウスで上演されている巨匠達のスタンダードナンバーを、
>相も変わらず窮屈で暑苦しい燕尾服姿で、飽きもせずに延々と演奏し続けるんでしょうか?

このご質問とその一つ前の質問(硬直したものと・・・)が繋がっていますが、前提となる「硬直したものと・・・」が理解できませんし、それを前提としたようなこの質問には答えられません。ただし、燕尾服が窮屈で暑苦しいなんてことはないでしょう。もしそれが本当に窮屈で暑苦しいなら、とっくにオケのメンバーが「これはいやだ」と声を上げるはずではありませんか? Tシャツスタイルを守るあなたが「おれが窮屈と感じているんだから、他人も、まして演奏者もそのはずだ」と勝手に想像しているだけですよ。

>21世紀の、この現代という時代を生きている私達が、自分達も、ヨーロッパから
>やってきたオペラやバレエという芸術の、その輝かしい、長い伝統と歴史の一部になるってことは、
>19世紀から20世紀初頭にかけての、ヨーロッパ的伝統を唯々諾々と、何の批評も加えずに、
>そっくりそのまま模倣する事なんでしょうか?

だれが模倣している、そしてそれがよいことだ、なんて言いましたか 

>それとも、全く逆に、自分たちこそ伝統を守っていると思い込んで、その実、
>芸術文化の発展を停滞させ、窒息させている頭の固い、自称伝統主義者達が目を剥いて
>怒り狂うくらいに斬新な事を敢えてやるくらいの人が、50年後、100年後に振り返れば、
>結果的に見て、伝統に貢献して歴史の一部になるんじゃないのかな?

あなたがそう思うなら、特に反論はしません。

>フランス料理に話は飛びますが、京都の町屋で流行ってる和食とフレンチの
>コラボレーションってどう思います?

まったく興味のない分野なので、お答えできません。誰がどんな料理を作り、誰に提供しようが勝手です。その料理がいい、雰囲気がいい、また来たい、と思うのは金を払う客ですからね。

>パリのフランス料理のシェフ達の中には、使う材料から調理方法まで、
>フランス料理には伝統的に超えてはいけない一線があるから、その材料や調理法を使ったら
>もっと美味しくなるのに敢えて使わない人がいるって話を聞いた事があるんですけど、
>料理が美味しけりゃ、客が満足すれば、そんなの関係無いって思いません?

これはあなたの仰るとおりですよ。まったく同意します! 料理評論などするつもりはありませんが、20年近く前にフランスのロアンヌにあるレストラン、Trois Grosに行ってオーナーのピエールから勧められた料理を食べたときに、まったく新しいものを感じて至福の時を過ごしました。彼のやり方は「ソース重視ではなく、素材のおいしさを」でしたからね。

>カリフォルニアロール だって、立派な寿司ですよね?
>下手な、江戸前寿司なんかより、よっぽど美味い!笑

ま、あれは寿司に似て非なるもの、です。嫌いではありませんが、江戸前と比較する意味はないですな。

>あの、伝統を守る事にかけては世界一の、Wiener Philharmonikerでさえ、
>女性団員を迎え入れて久しいじゃないですか?笑

意地悪ですが、この質問はどこに繋がっているんですか? ここまでのあなたの論調からして、唐突ですが。

>また話が飛んじゃいますけど、伝統と格式を重んじるあなたから見て、NHKのアナウンサーが茶髪の女性がいる事に、抵抗感はないですか?

別に抵抗感はないです。頑迷なほどの保守主義者でもありませんし、仮に保守だからと言って、タレント傾向のある女子アナの髪の毛の色に目くじらなど立てませんよ。

>だって、茶髪が不良だとか、不真面目だとかいったイメージで見られてたのって、
>ついこの間の事じゃないですか?

確かに渋谷など若者の集まる街では不良少女や学校にも行かない女の子たちはケバケバしい茶髪、金髪と毒々しい化粧でしたね。そういうイメージは世間様にあったでしょう。今でも変わらないですよ。で、なにを言いたいのですか?

>でも、茶髪どころか、金髪にピアス(『蛇にピアス』じゃないですよ!爆)とか、
>真っ赤な鶏冠頭のパンクファッションとか、スキンヘッドで、ニュースを読むアナウンサーがいた方が、
>ほんの表面的にだけど、ニュース番組はもっと面白くなるって思いませんか?笑

思いません。ニュース番組に先端的な(苦笑)ファッションは不要です。

>それとも、私の言ってる事、可笑くて、嗤っちゃいますか?笑

はい。(段々、面倒になってきたので)

この回答への補足

今読み返してみて、我ながら駄々っ子のように子供じみた反論をしていて、自分で自分を嗤ってしまった。

服装など、どうでもいいものについてここまで反論したなんて余程の暇人にしかできないと我ながら思う。

ただ、あなたが音楽を理解していないことだけは確かと思う。良い作品と悪い作品、良い演奏と悪い演奏を聴き分ける音楽的聴力もないし、楽譜も読めない人だと思う。

あなたは社会的成功者のステイタスシンボルとして、オペラやクラシックコンサートに着飾って出かけて行って悦に入っている政治家や経営者と同じ人だと思う。

つまり名曲や名演奏家というブランドを楽しんでいるのあって、本当に音楽を理解はしてはいない。

でも、音楽はまったく別のところにあって、楽譜を読んで分析して、演奏に耳を澄ます以外に、理解する方法はないのではないか?

補足日時:2010/07/31 14:54
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補足に対して、直接書けないみたいなので。



そこまで判ってるんだったら、なぜ質問をするの?
自分の信念に従えばいいじゃないですか。
#それが、ロックンロール魂だろうが。
「マナー」「エチケット」を知った上で、行動しているのでしたらよろしくて。
自分の格に合って、場の雰囲気を壊さなければよいのじゃないですか?

ただ、サンダル履きは、不快です。

#演奏家も、ドレスアップすることによって、本番への集中を高めるというのもあるかもしれないしなぁ。

それに、ポップ、ロックだって、ステージ衣装と言うものがあるでしょう。Tシャツだって、ステージ用スペシャル。聴きに行く方だって、気合入れた衣装で行くでしょう。

コンサートは、イベント。
i-Podでリラックスして、お楽しみください。
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>Tシャツにジーンズにサンダル履きか、スニーカーといったラフな服


>装で、オペラやバレエ、クラシックのコンサートに来る客に、同じ客
>として、または、音楽を聴かせる演奏者として、不快感を感じる方は
>いますか?
サンダル履きには、不快感を感じます。
ラフと言うか、チープな服装な方は、チープな席へどうぞ。

オペラやバレエ、クラシックは、量産ものではなく、一品ものです。
一期一会。
奏者が気合入れている以上、こちらもそれなりの応対が必要でしょう。

#ポップにやりますから、お気軽にと言うコンサートは置いといて。
#演奏会場の格にも寄ります。八王子市民会館と、ウィーン学友協会大ホールで、同じ服装で行きますか?

歌+舞台=オペラの演出・衣装などには、場合により客席からブーイングが飛ぶことは、ご存知ですよね?
特に、ワーグナーは、楽劇と称し、総合統合芸術の高みにも達しています。劇場まで造りましたから。
#オペラは、見るもの。CDじゃなくて、DVDを買いましょう

>詳しく、教えて下さい!
あいえて言う。「マナー」だ。

この回答への補足

『オペラやバレエ、クラシックは、量産ものではなく、一品ものです。
一期一会。』
 
 心の底から、本当にそう思ってるんですか? 
 ロックやジャズや民族音楽にだって、コマーシャルソングにだって!!!(テレビCM自体は再現可能でも、その再現を受け取る側の状況というのは一回性のものという意味において)一期一会のかけがえのない一品ものもあれば、オペラやバレエ、クラシックにも、コカコーラやマクドナルド並みの量産ものって、山ほどあるんじゃないですか?
 ウィーンのシュターツオーパーにだって、ベルリンのフィルハーモニーにだって、商売道具としてルーティン化された、量産ものの演奏って、山ほどあると思うんですけど。。。
 
 これって、音楽のジャンルの問題ではなく、作品とか演奏、または受け取る人がおかれたコンテキストの問題だと思うんですけど、こんな事言う私の方が間違ってますか?

 一部の(全員じゃなくって、一部ですよ!)クラシック音楽好きの人って、ジャンルとか、会場とか、作曲家名、演奏者名といった、音楽や演奏の内容じゃなくって、枠組みや名前で価値判断をしてるように思うんですけど。。。

『奏者が気合入れている以上、こちらもそれなりの応対が必要でしょう。』

 『それなりの対応』の内容って何ですか?
 
 事前に、世界初演の新作やどうしても楽譜が手に入らない曲は除いて、一般的なルーティンのレパートリーなら、原語のリブレットと、スコアを読み込んで、作品のアナリーゼを十分にして、演奏者と真剣に対決するような批評精神と意気込みで行くのが、『それなりの対応』なのか?

 それとも、音楽やバレエについてはちんぷんかんぷんで演奏の良し悪しは全く分からないけど、一流レストランに観劇後の食事の予約を入れて、高価なスーツや、煌びやかなドレスとヘアメイクでばっちり身を飾って行って、フォワイエでワイングラス片手に、優雅に談笑するのが、『それなりの対応』なのか?

 純粋な芸術作品としてのオペラやバレエやシンフォニーが持っている精神性ということを考えると、前者だと思うけど、オペラ劇場って、それだけじゃなく、歴史的に見て、社交場や娯楽施設や高級娼婦の斡旋場所といった側面も十分に持ってたらしいから(私が間違ってなければ。。。)、後者の人たちだって、オペラやバレエの発達にパトロンとして金銭面の寄与だけではなく、作品の精神性にも何らかの影響を与えていたわけで。。。

 あなたにとっては、どっちの人たちが、『それなりの応対』をしていると思います???

 素人の私には、よくわかりません!笑

『八王子市民会館と、ウィーン学友協会大ホールで、同じ服装で行きますか?』

 全然行きますよ!
 というより、行ってましたよ!笑 
 ウィーンには、何回か滞在した事あるけど、ムシークフェラインも、シュターツオーパーも、Tシャツに短パンにサンダル履き(冬場はジーンズにスニーカー)で何の問題もなかったですよ!
 ウィーンの人たちにだって、アメリカ人の観光客にだって、同じ格好の人が何人もいましたよ。
 ちなみに、シュテーエプラッツのチケットを買って、客が来なくて空いてるパルテーレに案内係の目を盗んでうまく忍び込むとか(結構、みんなやってますよ。)、仲良くなったオケのメンバーと一緒にバックステージから入ってタダで聴くいう方法も身につけちゃいました。笑

 例えば、『八王子市民会館』で、ワーグナーのパルジファルとかリングをやったとしたら、どうです?
 逆に、『バイロイト』や『ムジークフェライン』でや吉本新喜劇やストリップをやったとしたら?笑
 戦後、アメリカ軍占領下のバイロイトでは実際にあったらしいですよね。

 ちなみに、ワーグナーの音楽って、そんなに祭りあげて拝み倒さないと、味わえないものなんでしょうか?
 純粋な音楽として、あるいは、オペラとしては、結構好きですけど。。。
 人間としてのワーグナーと、彼を神の如く崇拝している一部のワグネリアンって人たちって、ホントに鼻持ちならない!笑

 ワーグナーを神聖化する人の話を聞くと、『でも、ドビュッシーには、はるかに自由と、自然の空気がある!!! この音楽の中だったら、呼吸ができる!!! ドビュッシー大好き!!!』って叫びたくなりますよ!(これは冗談。。。)

 私に対する反論、お叱り、ご批判、何でも大歓迎です!

 お叱りの言葉、お待ちしてまーす!!!笑

補足日時:2009/08/11 23:35
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おお、今度はこのカテゴリーにお出でになったんですか! 大歓迎です。

(私は質問者さんに歓迎されていないかも:苦笑)

>Tシャツにジーンズにサンダル履きか、スニーカーといったラフな服装で、オペラやバレエ、クラシックのコンサートに来る客に、同じ客として、または、音楽を聴かせる演奏者として、不快感を感じる方はいますか?

演奏者からは聴衆の服装は暗くてほとんど見えません。だから余り気にならないでしょう。しかし聴衆の一人としての私は演奏が始まるまでは気になりますし、不愉快です。スニーカーはまだ許せますが、サンダル履きなんざ、これ、言語道断ですね。

ロックには興味がないのですが、ジャズコンサートにはよく出かけます。このような場でも、聴衆として演奏者の服装が一つのスタンダードになるのではないかと思います。いくら金を払っている客であっても、演奏する彼らが公演の主でしょう? フランス料理の件でも触れましたが、客が主の家に土足で入るべきではないのです。主に敬意を払うのは当然のこと。演奏中は静かに聴くことだけでなく、その場での服装もまた客の分別を表すものだと思うのですよ。

スーツにネクタイだと堅苦しい、なんて思いません。逆にTシャツ、ジーンズだから気楽に楽しめるなどとも思いません。服装が音楽の鑑賞の良否に関係するとは思えませんしね。ジャズやロックならTシャツ、クラシックだったらスーツにタイ、なんてのはそれこそ音楽を二の次にした硬直化した考え方です。

だからと言って、何でもいいじゃないか、と思えませんよ。音楽やバレーなど舞台芸術にはそれなりの長い歴史があるんです。ご自分もその歴史の一部になりたい、と思いませんか?

余談ですが昨年から話題になっている小説「蟹工船」。このいわゆるプロレタリア文学(注:私はこの言葉が嫌いです)が発表された時に、さる大物評論家が「花園を荒らすのは誰だ!」と当時の評論誌『新潮』で息巻いたそうです。今なら時代錯誤もいいところですが、当時はこれも既成派には受け入れられていたんですね。

揚げ足を取るようですが、オペラがカジュアルな格好で演奏されてもいいじゃないか、という。質問さんが示唆するようなご意見が出るとすれば、それはオペラを全く理解していない反証になります。オペラこそ総合舞台芸術だからです。「薔薇の騎士」や「トスカ」、「アイーダ」の出演者が全員カジュアルな服装だったら、世の多くのファンは足を運ばないでしょう。ホップと泡のないビールなど誰も飲みたくありませんからね。

極めて刺激的な(挑発的な、かな?)質問なので、私も楽しんでお答えしました。uldis2010さん、ありがとう!!

この回答への補足

『オペラがカジュアルな格好で演奏されてもいいじゃないか、という。質問さんが示唆するようなご意見が出るとすれば、それはオペラを全く理解していない反証になります。オペラこそ総合舞台芸術だからです。』

お訊きしたいんですけど、ミュージカルの『West Side Story』とか、オペラでも『Jonny spielt auf』だったら、Tシャツにジーンズの客が隣にいても、OKですか?

あと、あまりにも有名なChereau/BoulezのRingとか、Le Grand Macabreとかって、心からオペラという芸術を愛し、理解していると自認しているあなたから見られて、どう思います?
それに、時代を現代のNYやLAに設定した演出のDon Giovanniだとか、La traviataだとかは?
TシャツにジーンズのCherbinoだとか、Octavianも、面白いと思うけどなぁ?笑

『フランス料理の件でも触れましたが、客が主の家に土足で入るべきではないのです。主に敬意を払うのは当然のこと。』

それだったら、あなたにとって、Guldaとか、高橋悠治とかの演奏スタイルやステージ衣装はどうなんですか?
彼らは、自分が演奏する作品を書いた、あなたが言うところの主たる、Bachとか、Mozartの家に土足で入り込んで、(ある作品を演奏する事を、それを書いた主たる作曲家の家に入る事に喩えるなら) 好き勝手やってる許し難い芸術の冒涜者ですか?

勿論、オペラって、「薔薇の騎士」や「トスカ」、「アイーダ」だけじゃないですよね?
「薔薇の騎士」の作曲家にだって、Erektraもあれば、Salomeもある。Wozzeckとか、Luluとか、Die Soldatenとか、Le Grand Macabreだって、立派なオペラですよね?

あなたにとって、オペラやバレエという芸術スタイルって、そんなに固定的で、硬直したものじゃないといけないものなんですか?
それなら、オペラという芸術スタイルは、今後、22世紀、23世紀になっても、18世紀後半から20世紀初頭という、言わば19世紀ロマン派のオペラを中心とした作品群に、古典派と近代をプラスした作品群を、つまり、Mozart, Weber, Wagner, Verdi, Puccini, R.Strauss といった、現在世界中のオペラハウスで上演されている巨匠達のスタンダードナンバーを、相も変わらず窮屈で暑苦しい燕尾服姿で、飽きもせずに延々と演奏し続けるんでしょうか?

『音楽やバレーなど舞台芸術にはそれなりの長い歴史があるんです。ご自分もその歴史の一部になりたい、と思いませんか?』

21世紀の、この現代という時代を生きている私達が、自分達も、ヨーロッパからやってきたオペラやバレエという芸術の、その輝かしい、長い伝統と歴史の一部になるってことは、19世紀から20世紀初頭にかけての、ヨーロッパ的伝統を唯々諾々と、何の批評も加えずに、そっくりそのまま模倣する事なんでしょうか?

それとも、全く逆に、自分たちこそ伝統を守っていると思い込んで、その実、芸術文化の発展を停滞させ、窒息させている頭の固い、自称伝統主義者達が目を剥いて怒り狂うくらいに斬新な事を敢えてやるくらいの人が、50年後、100年後に振り返れば、結果的に見て、伝統に貢献して歴史の一部になるんじゃないのかな?
Tristan 然り、Pierrot Lunaire 然り、Le Sacre du printemps 然り、Le marteau sans maitre 然り。。。

フランス料理に話は飛びますが、京都の町屋で流行ってる和食とフレンチのコラボレーションってどう思います?

パリのフランス料理のシェフ達の中には、使う材料から調理方法まで、フランス料理には伝統的に超えてはいけない一線があるから、その材料や調理法を使ったらもっと美味しくなるのに敢えて使わない人がいるって話を聞いた事があるんですけど、料理が美味しけりゃ、客が満足すれば、そんなの関係無いって思いません?
料理を美味しくする為だったら、どんなことでも、やればいいんですよ!

カリフォルニアロール だって、立派な寿司ですよね?
下手な、江戸前寿司なんかより、よっぽど美味い!笑

あの、伝統を守る事にかけては世界一の、Wiener Philharmonikerでさえ、女性団員を迎え入れて久しいじゃないですか?笑

また話が飛んじゃいますけど、伝統と格式を重んじるあなたから見て、NHKのアナウンサーが茶髪の女性がいる事に、抵抗感はないですか?
だって、茶髪が不良だとか、不真面目だとかいったイメージで見られてたのって、ついこの間の事じゃないですか?
でも、茶髪どころか、金髪にピアス(『蛇にピアス』じゃないですよ!爆)とか、真っ赤な鶏冠頭のパンクファッションとか、スキンヘッドで、ニュースを読むアナウンサーがいた方が、ほんの表面的にだけど、ニュース番組はもっと面白くなるって思いませんか?笑

それとも、私の言ってる事、可笑くて、嗤っちゃいますか?笑

だったら、私の感覚が狂ってるんでしょうね!爆

 

補足日時:2009/08/12 04:38
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 質問者様は「服装のお尋ね」と言う手法に名を借りた、其々の芸術が時を積み重ねて育んできた文化的土壌に対し、俄か先駆的文化論にて「理解努力怠慢隠しの自己中的リベラル万能主張の屁理屈」を押し付けておられるように感じます。

「自分の主張の理解出来ない者は、シーラカンス!」だと・・・・・
 多くの芸術にとって、易きに流れる事が進歩ではありません。だからと言って早合点しないで欲しいのですが、斜陽伝統芸能の様な井戸の中の蛙的・既得権死守主張とも全く違います。

 芸能鑑賞と芸術鑑賞を混同していませんか?
 個々の聴衆を見た時、同じ催しに行くとしても、芸能鑑賞に近い感覚で出向く人も有りましょうが、作曲家と作品に対し、或いは、奏者・演者に対し、普段の努力に対する尊敬と成果を分けて頂くと言う精神的礼儀を胸に収めつつ行く人も多くいるのです。
 だからこそ、成果に対する評は厳しいのです。
 一方で、トレンドやファッションの一部とかステータスとしてなど、底の浅い似非ファーンも居るでしょうが・・・・

 芸能の側面を否定しませんが、少なくとも、この質問で扱っている文化(オペラ・バレエ・クラシック音楽)は、どれも「チョッと上手だから遣ってみる」程度の心構えで維持し続けられる世界ではありません。どれも、其々のアーティストの血が滲むような訓練と究極の表現力への努力を重ねている中での人生に於ける途中経過を披露して貰うのです。

 演者と客席が一体になる充実感を体現したいのは、どのイベントでも同じですが、他のジャンルで通用した条件を、違う土壌に押し付けられても、押し付けられた方は大いに困ります。
 
 催しに因って、出演者の取組み姿勢の差は大きいのも事実です。
 より大きな研究努力や鍛錬をしている人や団体へ趣く時の聴く側の心構えと、仕事の合間に趣味で遣っている人たちの催しを同列には置けません。又、セミプロやプロの中でも差が有ります。
 その違いでも有る程度の服装選びの影響はありましょう。
 又、クラシックの催しの中にも、リベラルを趣旨とした企画のものや、演者の姿勢そのものがリベラルを前面に出しているものが、偶には有ります。どうぞ、そちらにお出で下さい。
 私は、御免蒙りますが・・・・

 長くなりましたが、上記に書きました様な、其々の芸術分野への心遣いが有れば、例え、万が一Tシャツにデニムであったとしても、立ち振る舞いや周りへの心遣いに現れるでしょうね!しかしサンダルを持ち出す辺りは心遣いが無い方と感じましたが・・・・

この回答への補足

 回答番号:No.4さんに訊きたいんですが 下記の (1)の人たちと (2)の人たちだったら どっちの人たちが あなたの言う『作曲家と作品に対し、或いは、奏者・演者に対し、普段の努力に対する尊敬と成果を分けて頂くと言う精神的礼儀を胸に収めつつ行く人』だと 思いますか?

 (1) Tシャツ、短パンに、下駄履という日常生活そのままの服装で、事前に上演作品の原語リブレットを歌詞を諳んじる位に読み込んで、スコアを徹底的にアナリーゼした上で、作品と演奏についての批評用ノート持参で、全身を目と耳のようにして作曲家と演奏家に対して真剣勝負を挑むがごとく聴きにくる人たち。

 (2) タキシードか、高価なドレスを着て、オペラやバレエは、この後に予約してある一流ホテルでのディナーの文化的な雰囲気づくりの役割を果たす前菜くらいに考えて、事前にスコアにもリブレットにも目を通さず、酷い時は登場人物や筋さえあいまいなままで、上演中も頭の中では別の事を考えたりして、オペラやバレエをあくまで社交場として利用している人たち。
<注意:私のこの文章に、否定的ニュアンスは全くなく、個人的には、オペラやバレエをこのように利用する人たちがいても、ぜんぜんOKだと思う! 本来、華やかで煌びやかなオペラ劇場は、真剣な芸術鑑賞という要素以外にも、社交場としての文化的側面も持つのだし、オペラやバレエの作品自体も、そのような側面を内包しつつ発達してきたのだから。たとえ、Die Soldaten とか Lulu とか Wozzeck とか Le Grand Macabre とかいったファッションショー的な、お祭り騒ぎとは無縁で、聴衆に純粋に芸術としての真剣勝負を強要するようなオペラであっても(フェリーニ的どんちゃん騒ぎを持っている Le Grand Macabre はちょっと違うかな?)、その作品が上演される空間がオペラ劇場であるなら、必然的にそのような要素を含んでいると思う。>

補足日時:2009/08/11 13:02
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いつもこういう類のギモンには


根本的な錯誤があるように思われます。

「~な服装で行きたい」(←ご当人の判断や裁量、その自由)
「~な服装を許容、or不快、or無視」(←周りの人々の反応や判断、その自由)

法律や社会的相当性を逸脱しなければ、
望むのもするのもまあ自由ですよね。。。
しかし周りの各人がどう感じるかもまた各人の自由なんですよ。

だから、相手の反応の自由は完全に尊重し、そのいかなる結果も受け入れる覚悟もある、一種の哲学めいたものがご自分の中にあるならば
Tシャツ&ジーンズで挑んだことがむしろカッコいいものになる可能性もゼロではない、かもですが。

でも個人的には(申し訳ないですけど)単にTPOを知らないだけ、
そしてそれはそういう教育を受けていない証明になっちゃったりなんかするので大変恥ずかしいことだと思う。(特に西欧文明では)
(もしも深い考えもなく外国でそういう「自由」を発揮してしまうと
ご当人だけでなく同国人全体の評価にもかかわることになりますんで、そういう時はそのヘンの責任もお願いですから忘れないでください~)

賛同する意見でなくてゴメン><
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あくまで個人的な感想ですが。

。。

一流フランス料理はわかりませんが、
バレエやクラシックコンサートなら、私は特に、不快に思いません...

学生時代、外国でバレエや演劇の鑑賞をしました。
かなーり昔のことで恐縮ですが、私が記憶していた限りでは、
劇場の席の値段に相応のランクがあり、
正装で行く人たちというのは、当然、それなりの席を買っているのです。
一方、安い席は、学生などが気軽な格好で足しげく通う、
というような風景がありましたよ。。(伝統的な劇場です)

それが正統な風潮なのかどうか、自信をもって言えませんけど、
むしろ、好感をもちましたよ。
バレエやオペラ、クラシックの公演は、芸術鑑賞という趣旨以外にも
それを学ぶ人たちにも開かれているという印象があり、
そのように浸透していなければ、優れた芸術家は育たないのではないかと思います。
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私もオペラを見に行きますが、Gパンが不快かって聞かれると、


「違和感がある」ですね。

音大の学生さんらしき方達は結構ラフな格好で来てます。
私もドレスを着たりはしませんね。ちょっと良い服くらいなので偉そうな事は言えないですが

元は貴族の見る物だったから伝統としてっていう部分もあるし
Gパンは同じ見方だと労働者だからかなー?

エチケットって何だ!?って聞かれると困りますが
エチケットと皆が言ってるもんにはちゃんと何らかの理由があるんじゃない
ですかね?
深く理由は知らないけど、常識だからみたいな・・・

ただ、私が思うに冬場にロングブーツで来てる(履き替え用の靴無)
お客さんは滑稽にみえますね。。。痛々しいような・・

所で、質問者さんはそういう場にGパンで来たいんですか?
何時間も同じ姿勢でGパンて逆に辛くないですか?
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