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沖縄古流の空手型(現在、全空連指定型バッサイ大の一種)にバッサイという型がありますが、もともと原型があって、遠い過去の複数の沖縄の唐手家により、その原型を自分流に改変し各個人の特色を持ったバッサイを作り上げては伝承されてきたと聞きます。その中に、泊のバッサイ(又は泊バッサイ)という型もありますが、泊手主力の使い手には「松茂良興作」と「親泊興寛」なる人物がいたらしく、それぞれが古伝のバッサイを「松茂良のバッサイ」と「親泊のバッサイ」にそれぞれ改変したようです!?一般に泊のバッサイとは「松茂良のバッサイ」を示すのか?「親泊のバッサイ」を示すのか?又、まったく別のものを示すのか?古伝唐手の型にお詳しい方、よろしくご回答お願いいたします。
押忍

A 回答 (3件)

ちょっとわかりにくい書き方をしてしまいましたが、泊手においても「泊のバッサイ」「松茂良のバッサイ」「親泊のバッサイ」を区別し、それぞれ別伝として伝わっています。

つまり泊手では「泊、松茂良、親泊、喜屋武、本部」のバッサイがあります。

「泊のバッサイ」を「泊の地、泊派のバッサイ」としましたが、ただ「松茂良のバッサイ」や「親泊のバッサイ」と同一視されていたことがあったか、または他の伝承者の型であったか、その可能性も含めて書いてみました。

たとえば「松村のバッサイ」の松村は先に人名と書きましたが、これは松村宗棍の伝えたそのままの型かというと明確にはわからないところがあります。たとえば「多和田から喜屋武に伝えられた」という口伝があったり、松村の孫、松村ナビから首里手を習った祖堅方範の武歴書によるとバッサイの大小だけでなく平安初段、二段も習ったとあり、これは松村の弟子の糸洲の影響があるのかもしれません。(大小と分けたり、平安の型を作ったのは糸洲) つまり、これも大きく「松村派のバッサイ」と考えた方がいいのかもしれません。

ですから互いに影響し合っているため、人名、地名、派名と明確に分けられないところがあると言えます。いずれにせよ後代になるにしたがって伝える人により少しずつ改変されていると思います。

バッサイは泊の型という説をよく耳にしますが、そうだとすると、ナイハンチなどと共に研究されると沖縄空手の新たな歴史がわかる糸口になるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お詳しい情報、まことに感謝申し上げます。これほどお詳しい内容には驚きました。昨今、空手イコール、ふるこんタクトのイメージがある中、古来の型は軽視されてますよね。本題の泊バッサイですが、沖縄、古くは琉球から伝わる、一説では中国から琉球と聞きます型のことですから、どれが正しいと断言できるものはないのでしょうね。書として残したものか、口伝だけですものね。理解できました。一説として泊地方に伝わったバッサイとそれを身につけた人物、あるいはその人物達がそれぞれ改変したバッサイが複数あると考えればよいわけですね!ただ、ひとつ疑問が残るのですが、今、よく全空連の形試合に「泊バッサイ」で出場している選手がいますが、この「泊バッサイ」は誰のバッサイを主体としているのでしょうね。
とにかく、本当に貴重な情報ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/24 21:39

全空連指定型のバッサイ大は糸東流の型であり、糸東流ではバッサイ大は「糸洲のバッサイ」と伝えられています。



糸東流の摩文仁賢和先生の子息、摩文仁賢栄先生の「武道空手への招待」によると、バッサイ(パッサイ)の型には「糸洲、松村、松茂良、泊、石嶺」などがある、泊は地名、松村、石嶺は人名とあります。つまり「松茂良のバッサイ」と「泊のバッサイ」を区別しており、そして泊とは地名としています。

バッサイは首里手を源流とする説がありますが、一方でバッサイを泊手の型とし、最も原型に近いのは「松茂良のバッサイ」とする人もいます。他にバッサイの型には、親泊、喜屋武、本部(泊手)、多和田(首里手)などがあります。

泊村は琉球王朝の貿易港で中国との交易も盛んでした。言い伝えによると中国からの漂着者から宇久嘉隆と照屋規筬が武術を習い、その後継者であった松茂良興作(1829~1898年)が修行に励み武として名を高めました。泊手の歴史、技の系列、実状はよくわかっておらず、わずかに口伝で知られているのは松茂良興作の代からです。

泊手には松茂良興作以外にも、同時代に親泊興寛、山田義恵が知られていて「泊の三傑」と呼ばれたそうです。しかし泊手というとイコール松茂良興作といわれるほどの存在なので、「泊のバッサイ」とは「松茂良のバッサイ」と考える人もいるかもしれませんが、繰り返しますが、糸東流では本来、泊とは地名であり、「泊のバッサイ」を「松茂良のバッサイ」とは区別しています。また一方で泊手には「親泊のバッサイ」も伝えられているので、「泊のバッサイ」とはやはり大きく「泊の地のバッサイ、泊派のバッサイ」と考えるほうがいいのかもしれません。ただ後世になって誰かの伝えた型と混同して呼ばれた可能性もあります。

ちなみに首里手の糸州安恒は、泊手の松茂良興作に師事して教えを受けています。松茂良興作も30代の頃に屋良親雲上から首里手と示現流剣術を学んでいます。バッサイやナイハンチ、クーシャンクー、ワンカン、ジッテ、ワンシュウなど、首里手、泊手に共通する型があるのはこの辺の事情からかもしれません。

参考意見として述べておきます。
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ttp://www.wonder-okinawa.jp/023/index2.html


沖縄の伝統空手・古武術

で名前はでてきますね。

空手と聞いて「猫流」を探してみましたがなかなかネットでは出てきませんね。
60以上の流・会派があると大変ですね。
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