電子書籍の厳選無料作品が豊富!

タイトルの通りです。人はなぜ生きるのでしょうか?
古くから考えられているテーマだとは思いますが、皆さんの意見をお願いします。

また、私が働いている塾の中学生に同様の質問をされたのですが、つまらない回答しか出来ませんでした。
哲学的でなくともウィットにとんだ回答がしたかったのですが、どんな回答がうけるでしょうか?

両方でも、どちらかでも色々な方のご意見お待ちしております。
どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (17件中11~17件)

赤ちゃんは生まれて暫くは手を握ってますが、ある日を境に開きます。


すると握っていた物が全て逃げていきます、それらを再び集めるために生きるのだそうです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

素敵ですね。個人的には大好きです。
機会があれば誰かに話してみたいと思います。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/08/29 20:29

人は生まれる前に自分の一生を天使に教えて貰えます。

でも,その事は誰にも言っちゃダメだよって。
天使がシーッって、生まれる前の人の唇に指を当てるんだ。だから,人の鼻の下には天使の指の痕が残ってる。
生きることは天使との約束……中学生では納得してくれないかも?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

別に納得する必要は私自身無いと考えています。
その中学生のコがそういう観点から自分自身を見つめたことを評価して、
或は少し可笑しな返答をして笑わせてあげたかっただけなので。

素敵なお話が聞けてよかったです。機会があれば話してみます。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/08/29 19:43

他の人のためです。

他人のため。
他者がいるからこそ、自己を確認できるから。



あとは、金八先生曰く、「人という字は人と人とが支えあって出来ている」…誰かを支えるために生きている、支えられながら生きているんじゃないかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>人という字は人と人とが支えあって出来ている
よく聞く言葉ですが、実はなかなか深いですね。

他者を自己の鏡としてこそ、自身を省みることが出来るということですね。
どうもありがとうございます。

お礼日時:2009/08/29 19:38

哲学には疎く、ウィットもあるかどうかですが、私なりの考えを・・・。



私は、一人一人の異なる人間が同時に存在することで、互いになんかしらの影響を与え合い続けることにこそ、生きる意味があるのだと思います。一人一人がよりよく生きようとする選択を、あらゆる場面においてすることで、それはその人本人だけでなく周りにも波及することでしょう。時には、良き動きに対して逆行するようなことも生じるのが現実ですが、それでもそれを見たまた別の人が、そうした現実を反面教師としてとらえ、自分なりの答えを模索し、追求する・・・、そうして人の世界は調和へと向かうのではないでしょうか。

だからこそ、一人の命は、その人のものであって、同時にその人だけのものでもなく、誰もの命が互いに必要なかけがえのないものだ、と言えるのではないでしょうか。

最終的に、人はより良き人間になるために努力し、進化し、ときには後戻りしながらも学びながら生きて行く・・・。それは、本人が意識しているかどうかはともかくとして、植物の種が、常に太陽に向かって伸びて行くように、人間にも、明るいよりよき方向を求める目的のようなものが、潜在的に秘められているのではないか、と思います。

うーん、こんな感じでどうでしょ? 回答になっているでしょうか?
(^^)ゞ
    • good
    • 1
この回答へのお礼

私のためにあなたがあり、あなたのために私があるとするならば、
私の命は私一人のものでなく、生きること自体に意味があるということですね。

人生に絶望している人が、このように考えられたらきっと素敵なんだと思います。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2009/08/29 19:36

空即是色、色即是空・・・。


無から有が生まれ、有はいつか無に帰る・・・。

人間、生まれたときから死という終着地点に向かって進み出しています。

”1+1=”の答えは絶対2になるか・・・?
算数であれば、答えは2になります。
クイズであれば、答えは2ではなく田んぼの”田”という文字になる。
世の中には絶対といえるものは数少なく、その数少ないものの一つが、
「命あるものは、いつかは死ぬ。」ということです。

「人はなぜ生きるのか。」・・・、ボク的な答えは「生まれたからだ。」ってことですね。
「生まれた。」=「スタートした。」と言うことです。
レースでもなく、、、いわば、旅でしょうかね・・・。

晴れの日ばかりではありません。 嵐の日もあるでしょう。
でも、「やまない雨はない。」と信じて歩きましょう。
明るい時ばかりじゃない。 真っ暗な真夜中でも進まないといけない。
でも、「明けない夜はない。」と信じて歩きましょう。

辛くて、悲しくて、寂しくて・・・、それでも途中でリタイアしては
いけません。
この険しい道の向こうには、美しい花畑があるかも知れません。
リタイアすると言うことは、今現在いる「辛さ、悲しさ、寂しさ」の
中で足を止めることになります。
ずっと、その苦痛の中にとどまり続けることになります。

抜け出したかったら、這ってでも、ずってでも、進むしかないのです。


・・・・ってところでしょうか? (^-^;;
    • good
    • 1
この回答へのお礼

丁寧なご回答どうもありがとうございます。
素敵な考え方だと思います。
算数における”1+1=”の答えのように一つに定まらない”生きる意味”を探すことに意味があるんですね。

こう考えると生きるということはとてもエネルギーを必要とすることだなと感じます。
逆に考えれば、生きることに疲れた人が辛くて、悲しくて、寂しくて…
途中でリタイアしていまうのかもしれませんね。悲しいことです。

お礼日時:2009/08/29 00:06

命のリレーをするためです。


今生きている事が歴史にきざまれて歴史の1ページになります。
今週の選挙も歴史の教科書に載る日が来るのかもしれません。
つまらない回答でした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>命のリレーをするため
そういう面がもちろんあると思います。
答えの無いテーマである以上色々な方の意見を聞かせていただけるのは有意義なことだと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/28 23:54

哲学的な回答はいろいろありそうですが、私には良く分かりませんので省略。



私的には、回答に何かしらの意味を持たせたいですね。
なので、あえてこう答えます。
・理由はない
世の中には理由が必要ないことが沢山あるよと続ければいいと思います。むしろ、行為によっては理由がないほうが格好良いことだってあると思います(お笑いの天津風に)。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
>行為によっては理由がないほうが格好良いことだってある
私自身とても感銘を受けました。参考にさせていただきたいと思います。

お礼日時:2009/08/28 23:50

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す