中世の欧州の貴族の人たちは、召使たちに自分たちの話を盗み聞きされないよう仏語で話していた、という話を人から聞きました。たしかにチャイコフスキーのオペラには、貴族の娘に仏語の家庭教師をつけて仏語の勉強をさせるような場面があります。日本の皇室でも英語とともに、仏語教育もしていると聞いたことがあります。そこで質問です。

ドイツやイギリスやロシアの宮殿内での公用語を仏語にするのは、上記のような理由ならば理にかなっていると思います。ですがフランスの貴族の人たちは何語で話していたのですか?

これに付随するようなエピソードをご存知の方も、よろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

>中世の欧州の貴族の人たちは、召使たちに自分たちの話を盗み聞きされないよう仏語で話していた



俗説と断定してもいいです。

理由を簡単に説明しますと

1:フランス語(=フランシア語)が統合・完成するのが13世紀で、それ以前は、フランス語はラテン語の諸種方言に過ぎないからです。
 従って、中世においてフランス語が外国貴族で用いられる可能性は極めて低く、フランス諸侯ですら、地方のフランス語は通じないという不便さが確認されています。

2:貴族たちが盗み聞きされないようにするために、近世にはサロンが発展したように、貴族たちの内緒話は寝室・教会などの閉鎖的な空間が行われるもので、華やかな場所での密談などは基本的にありえないからです。
 欧州の中世社会においては、貴族の権力は強いものですが、個人レベルでは大きな権力はありませんし、機密情報もありません。
 もっといえば、開けっぴろげで『人の目』を気にしない社会性があるようですから、内緒話という局面があまり想像できません。
 
3:フランス語は欧州において主要言語ではありません。
 ラテン語という中世最大の欧州共通言語がある以上は、フランス語である必要性が見当たりません

 ただし、近世以後、フランス文化が欧州を席捲してから、欧州全体が、フランス文化一色になりそうな時期があったのは事実でしょう。
 芸術における”印象派最盛期”のことですが、それでも貴族たちが意図的にフランス語を使ったというのは、極めて稀だと思います。
 
 さて、我々日本人のイメージにはありえませんが、国際結婚は王侯貴族ならば当然という時代は長く続きます。
 
 ”イギリス国王なのに英語ができない国王(ジョージ1世)も歴史的には居ます。
 ゴチゴチのゴーリスト(ド・ゴール主義=フランス至上主義)の貴族が、無理に宮廷ではフランス語に統一させた可能性はあります。
 これが地方貴族となれば尚更可能性は高いでしょう。

 粗忽なドイツ貴族がフランスの片田舎の貴族の嫁さんを貰ったのはいいが、尻に敷かれて家庭内ではドイツ語が使えない・・・・

なんてバカらしい逸話もあります。

 フランス人の愛国・文化愛は病的とも言われますから、変な逸話ができても不思議ではありません。
 
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この回答へのお礼

みなさまへ
回答ありがとうございました。
召使うんぬんの話は俗説と信じます。

お礼日時:2009/09/17 10:01

ヨーロッパアフリカでの共通語はフランス語です


フランスがヨーロッパを接見したことからフランス語が広がったのです
ヨーロッパの人たちは外国人に対してまず一言「フランス語は分かるか?」と訊くのです
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貴族の人達が、召使に気をかけることはありません。


貴族の女性は、男性の召使の前でも平気で裸になっていました。
ロココ美術で、裸の貴族女性の絵がああ異のも、そのためです。
近世において、ヨーロッパの宮廷での言語は、フランス語が標準語でした。
これは、当時のフランスが、圧倒的国力を誇り、フランス宮廷が、各国の宮廷文化の標準だったからです。
そのため、貴族たちは、一般常識としてフランス語を話せる必要性があったのです。
現在の国連での標準語が英語であるのと同じです。
(国連の公用語は、ほかにもありますが、一般的に英語です)
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召使たちに自分たちの話を盗み聞きされないよう仏語で話していた



それは、俗説だと思います。
圧倒的なフランスの存在と、「外交」というものが始まった頃の超大国がフランスだったことによります。
1648年にウェストファリア条約が結ばれて、国家間の外交というのが始まりますが、その時のフランス王がルイ14世。
その後の外交はフランスを軸に進むので、フランス語が出来ないと外交が出来ないという仕組みになります。
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Qかつてのロシア貴族は、何故フランス語を公用語としていたのか

 先日、図書館から借りてきた小悦の中に、

『さすがはロシア貴族だけあって、貴族の中で公用語となっているフランス語の発音は完璧だった』

 という記述を見つけました。

 ロシア貴族がフランス語を半ば公用語としていたのは前から知っていましたから、普通に読み飛ばしかけたのですが、ふと何故フランス語名のだろう、という疑問が湧いてきました。
 自分の稚拙な知識の中では、ロシアとフランスの関係など、ナポレオンが攻め入ったぐらいしかなく、その理由がまったくわかりません。
 きちんと自国の言葉もあり、負けてその国の属国となったわけでもないのに、攻め入ってきた国の言葉など使いたがるものなのでしょうか(もっとも、その前からなのかもしれませんが)。

 一応調べてみましたが、そのことについて書いてある本でも、ただフランス語を使用していたという事実のみの記述で、どういった経緯で、いつ頃から、ということについて書いた資料はありませんでした。

 そこで質問です。なぜ、ロシア貴族はいつ頃から、いかなる理由でフランス語を使うようになったのか?
 素朴な疑問なので急いではいませんが、詳しい人がいたら教えてください。
 

 先日、図書館から借りてきた小悦の中に、

『さすがはロシア貴族だけあって、貴族の中で公用語となっているフランス語の発音は完璧だった』

 という記述を見つけました。

 ロシア貴族がフランス語を半ば公用語としていたのは前から知っていましたから、普通に読み飛ばしかけたのですが、ふと何故フランス語名のだろう、という疑問が湧いてきました。
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 きちんと...続きを読む

Aベストアンサー

帝政ロシアでフランス語が宮廷語とされたのは、ピュートル大帝(1689即位)の西欧化政策以来のことです。
当時のロシアは「文明から外れた野蛮な国」であり、たかだか「新興国」に過ぎません。それに対しフランスは「ヨーロッパ文明の中心」であり、「ヨーロッパ最強国」だったのです。
いわば、日本の文明開化に相当する行為として、「ヨーロッパ」の文物を取り入れていたのです。

ところで、18世紀はちょうどターニングポイントです。
18世紀までのフランスは先述のようにヨーロッパ最強国であり、ヨーロッパ外交の公用語はフランス語でしたし、ロシアに限らずヨーロッパ各国の貴族にとってフランス語はひとつの教養でした。それがこの世紀の、第二次英仏百年戦争の敗北、フランス革命による疲弊と、19世紀にはイギリスにその地位を奪われていくのです。
一方のロシアは、18世紀初頭の北方戦争で当時の大国スウェーデンに勝利し、ようやく北方の覇者として名乗りをあげたばかりです。そして18世紀のヨーロッパの勢力均衡をめぐる戦争に介入することにより、この世紀にようやく列強としての地位を固めるのです。

なお、19世紀初頭のナポレオン戦争もこの関連で重要です。
というのも「国民国家」「国語」といったナショナリズムを定着させたのがナポレオン戦争だからです。それまでの伝統的なヨーロッパ貴族にとっては「フランス」とか「ロシア」という国家より「ハプスブルク」とか「ホーエンツォレルン」とかの一族のほうが重要だったのです。したがって、他国の言語を受け入れることにはそれほど抵抗はなかったのです。
トルストイの「戦争と平和」でも、ナポレオン戦争の中、実際よくフランス語で話しているロシア貴族たちが、国家というものを意識するようになるさまが描かれています。

帝政ロシアでフランス語が宮廷語とされたのは、ピュートル大帝(1689即位)の西欧化政策以来のことです。
当時のロシアは「文明から外れた野蛮な国」であり、たかだか「新興国」に過ぎません。それに対しフランスは「ヨーロッパ文明の中心」であり、「ヨーロッパ最強国」だったのです。
いわば、日本の文明開化に相当する行為として、「ヨーロッパ」の文物を取り入れていたのです。

ところで、18世紀はちょうどターニングポイントです。
18世紀までのフランスは先述のようにヨーロッパ最強国であり、ヨーロッ...続きを読む

Qフランスの貴族たちはどのような生活をして、下の人たちからどのようにみられていたのですか? また、逆に

フランスの貴族たちはどのような生活をして、下の人たちからどのようにみられていたのですか?
また、逆にどのような迷惑をかけていたのですか?

Aベストアンサー

今の話ですか。昔の話ですか。


今の話なら、フランスの貴族の多くは不動産管理業で暮らしています。働かないで優雅に生きています。

(ヨーロッパの貴族は、元をたどればどこも親戚同士なのでどの国も似ている。)



フランスは城が多いので有名ですが、貴族の大半はそこに住んでいます。余った部屋をホテルとして一般公開しています。




>下の人たちからどのようにみられていたのですか?

鼻持ちなら無い存在と思われています。実際に彼ら貴族は、鼻持ちなら無い人たちです。




>逆にどのような迷惑をかけていたのですか?

彼らは、庶民と接する事がほとんどありません。
フランスの格式高い店では、金がある庶民の成金でも入れない、貴族しかは入店を許されない店があります。彼ら貴族は、庶民(成金も含む)が立ち入らないそういう店に行くのが普通で、庶民と絡んで揉め事を起こす事すらありません。
直接的に、貴族が庶民に迷惑をかけるという事はあまり無いでしょう。


間接的な迷惑は、ヨーロッパで深刻な問題です。現在では、欧州委員会が貴族政治に似た事をしています。
欧州委員会の面々の多くがドイツ系の貴族です。やっているのは内政干渉です。イギリスはそれに嫌気が指して脱退しました。彼らは善意のつもりで内政干渉をしているのでしょうが、庶民にとっては国民の代表が議会で決めた国の決め事の上に、欧州委員会の内政干渉が入るので、迷惑な存在でしょう。

グランすも含めてヨーロッパは、ナポレオン戦争以降、国民の政治が行われていると思っている人がいますが、未だに貴族社会の影響が強い地域です。

今の話ですか。昔の話ですか。


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(ヨーロッパの貴族は、元をたどればどこも親戚同士なのでどの国も似ている。)



フランスは城が多いので有名ですが、貴族の大半はそこに住んでいます。余った部屋をホテルとして一般公開しています。




>下の人たちからどのようにみられていたのですか?

鼻持ちなら無い存在と思われています。実際に彼ら貴族は、鼻持ちなら無い人たちです。




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Q中世封建時代の貴族について

中世のヨーロッパでは基本的に諸侯が独立した存在で、国王はそのまとめ役に過ぎなかったということです。
だとすれば、王家の譜代の家臣でもない限り貴族が国王の宮廷に出仕したりする事は
全然無かったのでしょうか?
それとも盆暮れ(ヨーロッパにそんなのないですけど)の挨拶にくらいは出向いていたのでしょうか?

Aベストアンサー

中世ヨーロッパの社会においても社会的な階層の変化はありえました。もちろんそれぞれの階層内部だけではなく、身分を越えた上昇もありえたということです。社会的上昇への基は、勤務は常に自由に導く。というものです。日本の中世武士のようにヨーロッパ中世の生活においても勤務を果たすのと引き換えに、上からの仁慈や恩顧、が下から求める権利や支配、権力と結びついていたのです。もっと詳しくは「ヨーロッパ社会の成立」というカール・ボーズルの本のVI章に詳しくあります。
ま、要するにしっかりした封建制が確立していた地域では諸侯であっても勤務する義務があったということです。

Q英国貴族と日本の貴族の相違

英国の貴族は広大な領地、邸宅、美術品の収集など莫大な財産を所有している人が多く、肖像画を見ても一軍の将となっている事が伺えます。

これに比し日本の貴族は財産も規模が小さく、肖像画も少なく、武将としては南北朝時代に名を見る位です。
国力の差以外に歴史的な履歴の差を感じます。
このような差はなぜ起こったのでしょう。

Aベストアンサー

日本の貴族とは明治の華族のことでしょうか。
明治に家族になったのは旧公家、旧大名で家柄でなっただけでその人たちが業績を上げたわけではなく、特に公家華族はもともとが最高の近衛家でさえ3000石足らずだったので美術品等はともかく領地とかはありませんでした。
旧大名の場合は領地は版籍奉還で朝廷に返しましたからなくなりましたが、それでも大大名であった家ではかなりの土地などをもっていました。また美術品等も持っていました。
しかし、これらの土地も戦後の農地改革で取り上げられ、また相続税対策もあって財団法人等を作ってそこに寄贈してしまったところが多くて個人的には財産はあまりなくなりました。

これに対してイギリス貴族は、古くは功績で広い領地をもらったり、広い土地をもっているからと貴族に叙任されたりしたのでむかしは多くの所領をもっていました。しかし近年になると貴族になっても広い所領はもらえず、相続税等で没落してしまった家もあります。ただ、そういうことをうまくやってきた家は、一律土地を取り上げられたりしたことはなかったのでまだ広い所領を持っている貴族もあります。

また一軍の将になっている貴族が多いのは、イギリスの場合は貴族の義務として「国のために尽くす」ことが当然であり、戦争でもあれば貴族は率先して軍人となって戦争に出て行きました。そのため一軍の将となった人も多いわけです。(というか、貴族でなければ将校になるのも難しい。)
それに対して日本は軍人は、士官学校・兵学校にはいらなければなれませんでしたし、特に華族に優遇があったわけではなく甘やかされて育った華族では軍人にもなりたがらなかったという点もあってなかなか一軍の将になるのは難しかったのかもしれません。
ただ、戦争で功績を挙げた軍人も華族に叙任されることが多く(例:東郷平八郎が侯爵に)華族に将になった人が少ないとはいえないかもしれません。

日本の貴族とは明治の華族のことでしょうか。
明治に家族になったのは旧公家、旧大名で家柄でなっただけでその人たちが業績を上げたわけではなく、特に公家華族はもともとが最高の近衛家でさえ3000石足らずだったので美術品等はともかく領地とかはありませんでした。
旧大名の場合は領地は版籍奉還で朝廷に返しましたからなくなりましたが、それでも大大名であった家ではかなりの土地などをもっていました。また美術品等も持っていました。
しかし、これらの土地も戦後の農地改革で取り上げられ、また相続...続きを読む

Q絵巻など貴族の面は庶民と違うようで、人脈の流れ

絵巻など見ると貴族の面が庶民と違うように見えます
人脈の流れ(農耕技術、農耕Toolなど特殊な頭脳集団)は解明されてますか
上下関係のでき始めを知りたいです
卑弥呼あたりが最初でよろしかったですか?

Aベストアンサー

 絵巻物の顔は置いておいて。

二つの点で意見を言います。

1.上下関係の始まり

2.上流階級の人と庶民との風貌の違い


 まず、1について

 数十人が集団生活をすると上下関係が

できますね。旧石器時代はわかりませんが

縄文時代には長老(リーダー)が指導して

他者はそれに従う関係があったようです。

ただし、その長老はしっかりしなければ

失脚しただろうし、また受け継ぐべき、

財産もあまりないので世襲化はしなかった。

ところが縄文の末期から農耕がはじまり、

弥生時代へと移行すると財産(収穫物・土地

その他)を集団のリーダーが蓄えるように

なり、その財産を守るためと世襲する為に

支配層(上流階級)ができあがる。彼らが

互いに争い、一定の決着をつけたのが、

卑弥呼が「治める」邪馬台国といえる。


2.について

 江戸時代後半の徳川将軍家の顔立ちは

明らかに庶民の風貌とは違い、現代で言う

イケメンでした。

 また、現代人の風貌は戦前日本人の

風貌と明らかに違う。

 間違いなく同じ日本人なのにこれは

どうしたわけか?

 答えは明らかに、食事と労働にある。

昔、イギリス人ウェルズが描いた小説

「タイムマシン」で上流階級のなれの果て

が大人しい美男美女で、労働者階級の

なれの果てが地下生活をする化け物と

したことは荒唐無稽ではない。現実に

人間は過酷な労働と粗末な食事で、やせ

衰えて凶暴なサルのような面相になる。

反対に軽作業と十分な食事をすると、

面相は美男美女になる。

 江戸時代、上流階級である大名や将軍

の息子・娘どうしの交配が続いたのだか

ら彼らがおっとり顔の美男美女になるのは

当然だろう。僕の手元に明治初期の屯田兵

に志願して地元を出発する下級士族たちの

写真があるのだけど目は落ち窪み眼光鋭く

頬はこけて着物はボロボロ。華族となった

旧大名や明治維新功労者と同じ日本人とは

とうてい思えない面相に驚く。

 絵巻物の顔は置いておいて。

二つの点で意見を言います。

1.上下関係の始まり

2.上流階級の人と庶民との風貌の違い


 まず、1について

 数十人が集団生活をすると上下関係が

できますね。旧石器時代はわかりませんが

縄文時代には長老(リーダー)が指導して

他者はそれに従う関係があったようです。

ただし、その長老はしっかりしなければ

失脚しただろうし、また受け継ぐべき、

財産もあまりないので世襲化はしなかった。

ところが縄文の末期から農耕がはじまり、

弥生時代へと移行すると財...続きを読む


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