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みなさんにお聞きしたいのですが「人間主義」とはどのような考え方のことを言うのでしょうか?

レポートで「人間主義」についてを書くのですが調べてもいまいちどういう考え方なのかが分からないのでみなさんの考える「人間主義」について教えていただきたいです。お願いします!

A 回答 (10件)

僕が最近このサイトで質問して、いただいた回答のなかに



「時間を作っているのは人間自身だ」
「人間こそが何もないところから「絶対時間」「地球時間」を存在させているのではないか」

といった考え方がありました。


これも人間主義じゃないかと思いました。

参考URL:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6442910.html
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「如是我聞」風な断章ですが、参考になれば――。



フランスの哲学者サルトルに『実存主義はヒューマニズムである』という本があります。なぜサルトルがわざわざこういう宣言をしたのかについては様々な考えがあると思います。
これについて調べてみるだけで立派なレポートに(どころかフランス哲学についての学術論文にさえ)なると思います。

このサルトルの宣言に、戦後、ハイデガーが『「ヒューマニズム」について』で猛烈に「反駁」しました。ハイデガーの主張はここで要約できません。ちくま学芸文庫に渡辺訳でありますからご自分で確かめてください。
その「さわり」を手もとにある創文社の全集9巻418頁から引いてみます(加筆あり)。
「人間の〈実体〉は……精神ではなく実存なのである」(『存在と時間』25節末尾)というハイデガーの「思想」は、
――人間を理性的動物として、「人格」として、精神的・魂的・身体的存在者として解する諸々のヒューマニズム的精神を放棄するのでなく(……)そうした最高のヒューマニズム的限定でさえも、人間の本来的な尊厳をいまだなお経験していないのだ――
という「思想」である。

ハイデガーにとっては「存在の思考」が、「ヒューマニズム」を「超える」思考です。ここでヒューマニズムにかっこがついていることに注意してください。ハイデガーにとってさえ「人間の尊厳」が大事だということです。(さいきんわたしは、ハイデガーにとって、人間以外の動物はどうなんだろうと考えるようになりました。)たんに「ヒューマニズム」を否定しているのではありません(念のため)。いまちょっと読み返してみて、やはりハイデガーは鋭いなあと思いつつ、どうしてこんなにハイデガーは「不遜」なものの言い方をするのだろうと思いました。

この本では「ヒューマニズム」そのものについての歴史的な説明もハイデガーはしていますから参考になるでしょう。

その後、フランスではハイデガーを受ける形で、フーコーが「人間の終焉」を宣言しました(『言葉と物』)。またデリダには「人間の終末=目的」(『哲学の余白』所収)という論文があり、ヘーゲル、フッサール、ハイデガーたちに認められる「ヒューマニズムの制限画定」の試みを跡づけています。

わたしは少年のころ、マルクス主義が大流行で、ひとから「おまえの言ってるのは観念論だ」とか「空想的社会主義者」とか言われてずいぶん傷ついたものです。そのご青年になって(晩期?)、ハイデガーやらデリダをかじって、こんどは逆に「それって、人間主義だね」と他者の言説にレッテル貼して「快」を味わったことが一度あります(痛恨の思い出です)。

質問者さまは、たぶん大学生だと思われます。
大学のレポートなら、たぶん上記のことを調べてみれば足りていると思います。
結局「人間とは何か」という問いなのだと思います。
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大きく5つの流れがありますね。



1)人間学的伝統哲学=人間学的人間主義 「人間学」をネットで調べてください。
2)ギリシャ合理主義(古典主義的解釈)
3)反キリスト教的人道主義(いわゆるルネサンス)
4)啓蒙的人間主義
2-4は単に「人道主義的伝統としてまとめて語られることも多いようです。「人道主義」をネットで調べてください。

5)技術工学としての人間主義=人間工学(エルゴノミー)
積極的なヒューマンファクターという意味で人間工学的には、
人間の尊厳を中心としながら、修練の容易さ、効率、記憶行為に最適化された構造、エラー 寛容性、満足を体系的に充実・改善させていこうという「エンジニアリングの総体」とも解釈できます。
参考図書「Human Factors for Informatics Usability」

エコなんて遅れてます。1970年代の話題=「省エネ」
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http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2008/radio …
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2008/radio …
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2008/radio …
「天地人」上杉の義、幕末の横井小楠の大義、いろんな考え方があるでしょう。ルネサンスのフマニスモ(ヒューマニズム)、フランス革命を準備した、啓蒙思想、人権思想、19世紀の市民革命と労働者階級の成長、民族自決権、アジア・アフリカの独立運動、アメリカ合衆国の公民権運動、ベトナム戦争反対運動、、、
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 こんにちは。



 ★ 人間主義
 ☆ これを人間が言っているのですから 当たり前と言えば当たり前です。あるいは ほかの生物に対する態度を 人間どうしに対する態度とは差別する考えかという疑問も出ます。
 さらにあるいは 人間主義と言うなら 上に触れたように人間どうしのあいだでは つねに例外なく その人間を一人ひとり とうとぶかと言えば どうも現実の一部を見るかぎり そうではないらしい。
 ほかの動物を差別するのと同じように 人間どうしのあいだでも 格差があるようです。
 さらにさらにあるいは いわゆる神が ほかの動物よりも人間を優先させてもよいと言えば そうなるのかという問題。あるいは その神を信じるか否かで 扱い方の上で差別があってよいと考えるのかどうか。
 
 現実には差別があるから この差別をどうにかして人間にふさわしい状態に戻したいというので 人間主義が出てきたのでしょうか。
 神が ひとを愛しなさいと言っているにもかかわらず ひとはころし合っている。それゆえ ひとが振りかざす神を捨てて 人間を推し出してきたのでしょうか。
 
 そこではたぶん 自分の問題にもとづきその思想を訴える場合と ひと一般のために主張する場合とを きちんと見極めて この主義の中身を吟味することが肝心となるのではないでしょうか。
 慈悲とか愛とか そのような思想や理念じたいは 大方の支持する考え方であるようです。《わたし》はどうかんがえてどう行動するか。こういう問いにもなるのではないでしょうか。

 おそらく
 ○ ひとを 自分と同じほどには 愛しなさい。
 ☆ この命題が 結論に現われてくるのではないでしょうか。そしてこの《自分と同じほどには》のさらに内容は どう捉えるべきでしょうか?
 ○ 存在じたい つまり 生きているということ したがって互いの共生
 ☆ どうもここに帰着するように考えますが いかがでしょう。
 そうすれば 互いに心おきなく自由に どれだけでも批判をし合って行けます。妥当性のある考えに就けばよいわけです。怒りっこ無し 恨みっこ無しでやっていけるのではないでしょうか。

 人間主義の行き着く先についてのみ考えました。
 レポートと言えば えらい哲学者や思想家の名前を多少とも出して 飾りつけることも 世過ぎの上では 大事でしょう。検索して適当にそのような名前と説を添えたほうがよいと思います。
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混乱しやすい言葉ですね。



人間主義とは、人間中心主義と思ってよいと思います。
人間中心主義とは、経済の発展や暮らしの豊かさを追求するため、環境を破壊したりする行為を正当化する言葉です。

それに区別する言葉で博愛主義などの言葉がありますが、それは今話題の「友愛精神」みたいなものです。


エコブームと景気回復活動は、まさに人間中心主義が生んだ矛盾です。
その辺のネタは沢山あると思うので、環境問題をベースに人間がいかに自分を中心にやってきたかを書けば、レポートが書きやすくなると思います。


ただ、人間中心主義も博愛主義も大きな意味では、「人間主義(ヒューマニズム)」と言っても良いので、レポートを出した先生がどの意味でテーマを出したかにもよるかもしれません・・・。
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 それから、サル(的な人間)が人間にその在り方を指摘、批判されたことをを不服に思い、「クレーマーだ」と居直って逆上し、人間に反抗してくるなら、人道原理主義により、排除するがよいでしょう、言葉が通じないのだから。



 人を押しのけてでも自分だけは生き残る と主張するサルには、まさにそれを見せ付けることで思い知らせるのも道理です。
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 たとえば、他者を押しのけてでも生き残るのが正しい在り方である  などと居直っている恥知らずの浅ましい文筆家 が、人間主義 と称して、真実を歪めているのは仕方のないことなのです。

ゴキブリが、「オレに殺虫剤をかけないでくれ」と主張していることと、同じです。これは、じつは「生き残りゴキブリ主義」なのですが、「人道主義」と勘違いしているモノも多いでしょう。

>しかし、神主義 であるよりはマシでしょう。

 しかし、勘違い文筆家の「サル主義」より、神主義のほうがまだマシかもしれません。
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「人間主義」というのは本来人間をあらゆる価値の最上位に据えることを前提とする考え方だったと思いますが、最近ではこの「人間」をどう解釈するか(拡大解釈?)によって様々な問題が生じていることは確かです。


人間という概念には自分というものも当然視野に入ってきますから、そこから「人間主義→自分主義=ごーまにずむ=利己主義=自己中心主義=自民族中心主義=排他民族主義=家族主義=自分の可愛いもの中心主義=金権主義=くじら、いるか中心主義=モンスタークレーマー、等々--様々な亜流支流が入り乱れ、そうとうにゆがめられてきていることは確かです。
私はやはり原点に戻って「人間原理主義」として再出発することが肝要ではないかと思うものです。
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 ヒューマニズム でしょうか、例えばヒトの命は地球よりも重い などとのたまう 人間のことでしょう。



 そういう人間に限ってしょーもない、くだらない人間であることは、興味深いものです。(重さでいえば、地球のほうが重い、つまり自分でアホだと表明している)

 しかし、神主義 であるよりはマシでしょう。「居るか居ないか解らないもの主義」では、話になりません。
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