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アスペルガー症候群やADHD等、精神遅滞を伴わない発達障害の話題が2000年以降、クローズアップされてきているが、その中の一つに
「障害は個性である」という主張がある。

主に患者やその疾患の専門家に多い意見だが(自分が専門としている疾患や、その患者にシンパシーを感じるのは解らなくはないが)本当にそうなのだろうか?

例えば、アスペルガーやADHDと同じ意味に於いて、ダウン症や小児麻痺や血友病も個性と言えるのだろうか?

発達障害が、遺伝性の脳の中枢神経系の機能障害とするならば、それらの疾患は歴とした障害であり、個性等とは到底言えないのではないか?

それらの疾患の症状が個性ならば、治療など必要ないし、そもそも病院や医師とは無縁のものだろう。

最近、芸術家や科学者等のエキセントリックな人達を、誰でも彼でも、アスペルガーやADHD呼ばわりする風潮があるが、それは違うのではないか?(無論、どう考えても、アスペルガーとしか考えられない人たちも何人も存在している。)

それらの人たちを自閉症スペクトラムの中に位置づけるのなら、あくまでも、彼らの中に三つ組の障害が存在するのか、或いは、していたのかを厳密に確かめる必要があるだろう。

脳機能に何の異常も持っていない健常者の中にもエキセントリックな人などゴロゴロいるのであって、むしろ、そういう人たちこそ個性的と呼ぶべきではないのか?(彼らは、三つ組の障害等とは無縁であるばかりか、むしろ非常に社会性に長けていたり、興味の対象が驚くほど広範囲に及ぶ場合があり、自閉性とは正反対である。)

つまり、どう考えても発達障害は、個性などと呼ばれるものではなく、血友病や小児麻痺やダウン症とまったく同じ障害の一つであり、一見して誰にでも目に見えてわかる障害ではないという事だけなのではないのか?

皆さんは、「発達障害は一つの個性」だと思いますか?

当方の意見が誤っているとお考えの方、どうかズバズバと批判して下さい。
反論、批判、異なった意見、どうかご遠慮なさらずに、なんでもお気軽にお書き込み下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

debussywebさんのような意見の方がいると嬉しくなってしまいます。



発達障害は個性などではありません。
一緒に生活すれば分かりますが「障害」です。
私の息子がアスペルガー症候群&ADHDなんですが、個性だと言う人がいると正直むかつきます。
同じアスペルガーの子供を持った親御さん達は、障害による同じ症状で日々悩んでます。

アスペルガーだと世間で言われている有名人や犯人を見ていると、本当??と思ってしまう事が多々あります。
もちろん知能指数の違いもあると思いますが、大半が違うと思います。
ちょっと人と変わってるからとか、性格がアスペルガーの特徴と似ているからというだけで、安易に結びつけてるような気がします。
それはやはり「個性」だという人がいるから、曖昧な感じで見られてしまうんじゃないでしょうか。
もっと「障害」だと認知されて、色んな制度が整っていく事を切に願ってます。
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個性とか性格と言ったほうが一般に通りがいい場合があるからです。


その他に特に意味を成さないと思います。
身体障害や明らかに障害がある場合は、一般の方も障害で納得できますが、アスペルガー症候群の場合などは「目に見えない障害」と言われ、知能は高いがどこかが抜けている場合、一般の方にはそれが発達障害からであるとは考えにくいからですね。

※芸術家=アスペルガー症候群はまったく当てはまりません。
なぜかといえば、「オリジナル」が出来ないからです。
見たものをそのまま絵にすることはできますが、少し変えて描くことは無理ですね。音楽にしても譜面通りでしたらパーフェクトに演奏しますが、JAZZみたいに自分の思い入れや感情表現を即興で奏でますが、感情の表現方法がわからないアスペルガー症候群では無理ですね。

※適した職業では、コンピュータのプログラマーなどが適しています。
人とのかかわりも無く、記憶と数字の世界は最高に適していると言ってもいいでしょうね。
アスペルガー症候群の方たちがいなかったら、今のコンピューターは無かったと言えると思います。(感謝)
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こんばんは。


障害や病気が「個性」かどうかということは、
個人の考えやモラルが「常識か非常識か」ということに似ていると思います。
あなたが正しいと思っていることにも、反論・批判・異なった意見があるように、万人が同じ考えを持つことなんて不可能なのです。人にはそれぞれ価値観がありますから。
2000年以降、障害を個性と捉える考え方が広まってきているのなら、いずれそれが常識になる可能性が高いでしょう。(勿論全ての人に受け入れられるわけではありませんが)
よく「言葉は生き物」と言われるように、昔の非常識は今の常識になるものです。同じように、昔は一般的だった考えも、いずれ常識的ではなくなる可能性があるのです。
その変化についていけない「頑固」も個性ですね。
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個性と表現するわけは、差別を差別として表さないためだけですが、現実は「個性」とは捉えていません。


一部の専門家の中には表面上は「個性」としていますが。
さて、アスペルガー症候群やADHDの方の芸術家思考は間違っています。なぜ?それはオリジナルが想像できないからです。
見たままを表現することはパーフェクトにしますが、そこにオリジナルは生まれていません。これは特徴ですね。しかし、知的障害者には他の人たちには見えない色や形があるので、絵画などには向いているので、一部は芸術家として認められています。(音楽はダメです)
アスペルガー症候群の場合の音に対する絶対音感的なこともありますが、譜面の通りの奏でることはパーフェクトですが、その譜面からオリジナルの感情表現音はありません。

個性の意味合いは、ある意味「素晴らしい」人たちに使われる言葉であり、ぐうたらな人たちには使われない言葉です。
何かも「個性」で片付ける風潮こそ間違っているのではと思います。
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個性の範疇にある人と、そうでない人がいると思います。


社会に適応できている人
成功されている人はそう呼べると思います。
しかし実際、診断の付いている方は
日常生活にも困って医師の所へいくわけですし。。。
大人になると症状がなくなる(もしくはほとんど症状が残らない)
人は個性と呼べると思います。

しかし症状が重く残り社会生活、就労が
難しい方も多いのも事実だと思います。
私自身ADHD,LDがあり就労が大変です。
大学卒業後、個性の範疇ではなくなりました。
周りの反応も「どうして?こんな簡単なことが。。。」
ばかりで、実社会で働くことの大変さ痛感しました。
どれだけ失敗したでしょう。。
転職も数々。
人並以上の収入はまず見込めません
日常生活も自立はできていません。
結婚は何とかできましたが
夫に金銭の管理、各種手続きなど全てしてもらっている状態です。
しかしながら平均値のIQが高いということで手帳も無し。
作業記憶のIQは酷いですが、、、
今40代です。
私の子供の頃は頃は診断名もなく、、、親からはボケ老人扱い。
個性の範疇と自分に対して思える日が来るとよいのですが。。。。
毎日がいっぱいいっぱいです。
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発達障害が個性というか、当人の個性を尊重するために


発達障害を個性とすることで、本人そのものを理解しようと
努力する人も増えるのではないかと思ったんですけどね。
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「個性ならば、治療など必要なし」ってところに落とし穴がありそうですね。

論理的にも医学的にも。治療は個性とは別次元で必要に駆られるものとも思えますがどうでしょう?
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おはようございます。


アスペルガーやADHDは、個性と呼べるかも知れません。
それは、この発達障害はいろいろと出来る事が多く、或いは普通以上に出来てしまう分野があると言う事に代表されると思うのですが、やはりトータルとして個性と言うのが妥当だと考えるからではないでしょうか。

その他の障害は、個性と呼ぶ範囲を超えていると思います。
ですから障害者と言う認識でいかれた方が、それそれが生活しやすいと思いますし、一般の認識もその通りであると思います。
ですが、障害も一つの個性と言われて久しいですが、それは障害者の社会進出の一環であると思います。
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疾病の定義が、日常生活に支障をきたす身体状態ですので、


不治の病気は当人の日常であり、障害者でくくろうと病人でくくろうと個性でくくろうと、当人の勝手ではないのか?
そもそも、健常者というジャンルに「障害がない」以外の定義が存在せず、決して「常に健康である」なんてものではない、身体能力の個性に依存した定義である。

質問に一番違和感を感じるのは、
障害者を障害者と呼びたい人がいて、その意見を発表したい人がいる。
障害者というジャンルを拡大し、本人の被差別意識を植え付ける事に、障害者が社会貢献できることが増える事がなにかあるのか、考えたことあるのかなぁ?ということ。
障害者というくくりは、社会にとって「自分は普通」って自己満足にもならない優越感しかもたず、弱者保護の無駄な社会負担を背負うだけだと思うのですが。
言いたい奴には言わせておいて、社会保護からできるだけ遠ざける方が合理的で、優秀な社会性を持つと思います。
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>「障害は個性である」という主張


このセリフは当初、”健常者側から発せられた言葉”なんですよね。なぜかというと、健常者で第三者の立場がこのセリフを発すると、対応に困っていた周囲の健常者たち(他人)に「ならショウガナイ」という、諦めを生ませる為のセリフなんだと思います。

>例えば、アスペルガーやADHDと同じ意味に於いて、ダウン症や小児麻痺や血友病も個性と言えるのだろうか?
おっしゃるとおりだと思います。近年、ADHDの症状は成人者にも発症履歴があるので、一まとめで「子供の病気」とも言えなくなってきました。

ただ、り患者を介護、介抱する側の立場になると、精神的にも肉体的にもとてつもない圧力が加わると思います。その中で、介護者が介護者自身を「納得させる」セリフとしてこの”個性”という言葉は楽にしてくれる、納得させてくれる言葉にも成りえます。ある種の諦めを当事者に求める事で、救われているのも事実でしょう。

日本語は一つの単語に複数の意味を持たせることが出来、また、自分の都合のいいように意味解釈も出来てしまいます。
介護者側の立場で又、り患者本人が社会生活に参加する上で、「自分の都合のいいように意味解釈する」これで、共倒れを防ぐことが出来るのなら、それも善しとしてもいいのではないでしょうか。
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