人生最悪の忘れ物

私は以前体のことで陰口等のいじめを受けました。 当時はとても辛かったのですが、その代わり ますます相手の気持ちを考えながら行動できるようになったり、他人をいじめないようにしっかり育ててくれた両親への感謝の気持ちを持てるようになったり、ストレス耐性が強くなったりしたような気がします。逆に得るものもあった・・・
いじめは絶対に許されるべきではありませんが、過去・現在いじめを受けたかた、ぜひあなたの考えをお聞かせ下さい。

A 回答 (9件)

みなさん答えられているように、人それぞれだと思います。


私はいじめに遭い、あなたのように思ったこともありますが、結局は克服し切れておらず、自信のなさや人からの評価の恐怖、人の心の裏表がなにかの拍子に表れて影を落とします。

困難を乗り越えるのと同じで、その人にとって超えられる程度のいじめであり、乗り越えられたのであれば、強くなるのは当然ではないでしょうか。
命に関わるいじめに発展しなくて良かったですね。
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私自身いじめられたことはありませんが、


比較的いじめられっ子にいつも好かれそのおかげで、
まともな友達が離れて行ってしまい困った時期はありました。

いじめられっこの共通点は自分が何か人に対して深いな事をしている
事に気づいていない点にあるのかもしれません。

たとえば:
不潔
根暗
話題性に乏しい
身勝手

このどれか一つに必ず当てはまるのですが、
そこを改善せずに無視して行ってしまうところ。

こういう人はずっとこの事を真摯に受け止められないため、
いじめとしてとらえます。

だからきっと心の底では相手が間違えており、
自分が絶対的に正しいという考え方になってしまうのでしょうね。

このことがずっと大人になってまで続くと、
今度強情に変わってしまいます。

こうなると手もつけられず、他人から見るとただの強い人!!に
なってしまうのでは。

いじめを克服した人というのは、
結局自分の事を悔い改めた人ではないでしょうか?
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相手を一個人として認め、その上で適切な訓練をする


自分が受けてきた苦行をただ自分より弱い立場のものに繰り返す

仮にやってることが同じでもプロセスが別物です。
結果だけ見てもわかりませんよ。
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強い人は元から強いんじゃないですか?


そういった状況に立たされた時の対応の仕方に全てが反映されているような気がします。
質問者さんは人を思いやる事が出来るようですが、単に気の強い人だったら必ず倍返しをしますからね。
まぁ~それはいじめではなく、喧嘩という表現に変わるのかもしれませんが・・

いじめのやり方や程度にもよるでしょうが、自分がそのような立場に立たされた時にはじめていじめの本質や本当の人の心なんかが見えてくる部分もあると思うので、良い意味でも悪い意味でも得るものはありますよね。
人がいじめられているのを眺めているだけの傍観者であったら、気付かない事はたくさんあると思います。
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恐らくは「人はいじめを受けると強くなる人もいる」のだと思います。


反面、いじめられて、そのレッテルが強くなってしまって弱くなってしまう人もいると思います。

いじめを受けていた訳ではありませんが、相手を傷つける行動をするまえにはそうする方も考えなければならないし、傷つけられる方もまたどうすればそれを乗り越えていけるか(楽しくしていけるか)を考えていく必要があるかと思います。

いじめる側の視点として必要になってくるのは「相手を受け止めてあげる力」が関係してくるかもしれません。
いじめられる側の視点として必要になってくるのは「相手に受け止めてもらう力」が必要になってくるのかもしれません。

いじめる側にしても、いじめられる側にしても
「そのままではいけないということに気づいて、お互いに良い影響を与え合えるようになる行動を行っていくことが大切(成長できる道を作ることが大切)」なのだと思います。
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いじめに負けた人間は弱くなり


いじめを克服した人間は強くなる
 ・・・という事だと思います

なんかこれって企業の将来性を見抜く「スリッパの法則」に似てますよねw
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いじめを受けた身ですが断言します。


いじめられるほうが悪いです。いじめなんて無いとお花畑でいたから、碌な対処を出来ませんでしたから。

暴力ではなく陰口系のいじめは、基本される側を悪役にするものです。
悪役ならまだいい方で、いじめを受ける側の精神がおかしいように第3者に思わせるそぶりで笑いものにされました。(視界の端でフェイントを混ぜながら殴られる、ガードをしたら自意識過剰だと周囲に聞こえるよう嘲笑う。
傘や靴を折られる、盗まれる。心当たりが多すぎで犯人の特定は無理。頭にきて喧嘩になったら最終的には自分が必ず悪者に)
自分は同情なんて一度たりともされませんでした。
むしろいじめに関わりの無い人間にまで邪魔者扱いされました。
席替えで隣になった名前も知らない女子に泣かれた時の記憶は今も忘れられません。

もうその人物とはあっていませんが、時間を費やして
わかったことが幾つか。

人は案外自分以外のことはどうでもいいのだと身に染みました。
もうひとつ、あのいじめに悪意なんて無かったんだと。単なる遊び道具にされただけです。はなから人間扱いなんてされてなかったんですよ。
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いじめを受けたから強くなるものではないと思います。


苦難を乗り越えたことで結果的に強くなったかなというものではないでしょうか。ですから何も強くなるのにいじめである必要はないですし人によっては乗り越えられずそのまま終わってしまう人もいるわけですから。
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「いじめ」に限らず逆境にたたされた時どう対処するか、乗り越えるかという経験がのちのち生きてくるのではないかと思います。

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