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将棋初心者です。
質問です。

将棋はよく戦国時代の合戦にたとえられます。
駒の特徴も実際の歩兵だったり、騎馬だったり、大将や側近にたとえられます。
いったん捕獲した敵の駒を自分の兵として再利用できることも実際の戦国時代の捕虜となった兵の扱いに似ている、といわれます。

ここまではいいのですが、いったん敵の駒を取り上げて、手元に置いたあと、再び盤面に指すとき、一部の禁じ手を除いて、基本的には盤面のどこに指してもいいことになっています。たとえばいきなり敵陣奥深く、敵の王将の行く手をふさぐようなところに指すことも可能です。

これ、ちょっとおかしくありませんか? いったん捕虜にして自分の軍の兵として使うならば、自陣の最後方からスタートさせるべきでは?
だって実際の合戦において、大将が陣幕の中で待機しているとき、突然敵兵がすぐそばに現れたりしないでしょ? そんなことがおきるのは映画の「戦国自衛隊」だけですよね。(笑)

それともこのルールだけは
「遊戯としての面白さを追求するためのルールだから」
と割り切ればいいのでしょうか?

A 回答 (9件)

わずか一手で駒が取られる(勢力が全滅する)世界ですから


一手を現実世界の5分や10分とする考え方は
そもそも無理があるでしょうね。
試しに一手を一週間程度としてはどうでしょうか。

兵力が拮抗した大国(1戦場に17軍の投入ですからね!)が
本丸落城までガチンコで戦うわけですから、
100手=100週間(1年以上)かかっても
それほど不思議ということはないかと。

また、金銀は勿論、歩にいたるまで全てが領主クラスであれば、
大将の判断を待たなくても撃破した領主の裁量で
寝返りを持ちかけることは可能かと。
(行って帰ってくる手間とか時間は、多少緩和できますね)

最後に、わずか一手で突如どこにでも出現するように見える点ですが、
実際には倒された場所から間道(黒い線ですね!)を
練り歩いていると考えてはいかがでしょうか。
7日もあれば相当遠くまで行けますよね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

 マジな合戦シミュレーションとして考えてしまうと、いきなり敵陣に駒を打つ行為は
「なぜ突然こんなところに駒が出現するのだ?
 パラシュート部隊か? 舞台は戦国の世だぞ。パラシュートは20世紀まで開発されないぞ!
 それともテレポーテーションか? 戦国武将は超能力者か? それともこの駒は南方先生か?(By TBSドラマ)
 将棋の駒で唯一ジャンプ移動が可能な桂馬ですら入ることのできない囲いの中に、桂馬より格が低い歩が堂々と一発で入って来れるなんて、あまりにも将棋っておかしいぞ!」
ってなことになってしまいますね。やっぱり高度に単純化された戦国合戦風テーブルゲームと割り切ったほうがいいのかも。

シミュレーションゲームとして考えた場合、戦術級と見るか、作戦級と見るかで変わってくるでしょうね。

>最後に、わずか一手で突如どこにでも出現するように見える点ですが、
実際には倒された場所から間道(黒い線ですね!)を
練り歩いていると考えてはいかがでしょうか。
7日もあれば相当遠くまで行けますよね。

そうすると間道の扱いはこんな感じになるでしょうか?

間道を通る敵軍を発見したとしても、そこは林間藪間なので槍も刀も使えず、攻撃を仕掛けられない。反対に間道を通る軍は途中で敵軍を発見してもいきなり攻撃を仕掛けるのは武士道に反する行為として、これはしない。必ず開けた土地(マス目の部分)に出て自軍の布陣を展開してから戦いを挑む、とね。
 
 実際には生死を賭けた戦いにおいて、卑怯もクソもなかったと思いますが、まあこのあたりは今はやりの歴女が詳しいのでしょうが。

作戦級とした場合、この考え方はアリですね。

お礼日時:2009/12/11 11:27

特にまだ誰も書かれていないようなので。


将棋の駒の再利用は諸説あり、現在3つほど有力視されています。

(1)戦国時代においては敵を殺すのではなく、捕虜にして自軍の戦力として
 再利用したことが将棋に転用されたとする説
(2)取った駒を自分の駒として使うことを発明できたとする説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E3%81%A1% …

確かに駒の再利用は寝返りというイメージが大きく、世界各地で大きなアレルギーとなっています。
これは世界各地で共通で見られる現象なので、封建制度の発達した日本では尚更でしょう。

世界の将棋の駒の多くは軍隊に見立てられますが、将棋の駒の玉金銀桂香は宝物に見立てられています。
これが上記のアレルギーを克服して再利用に繋がった原動力と考えます。

>自陣の最後方からスタートさせるべきでは

そういう意見もあったかもしれません。
最初は現行の将棋から飛車角を除いたものに持駒の再利用なしが原形でした。
この条件で勝負をしてみれば分かりますが、一局に時間がかかります。
それでスピーディさを求めて飛車、角が配置されました。

将棋は博打の道具として日本の農村部に広まっていったと考えられています。
そのため文献もほとんど残っていません。
博打の道具なのでギャンブル性を高めるために再利用に至ったことは容易に想像できます。

その中でも二歩など、勝負に時間がかかる行為には制限が課せられていきました。
持駒の利用も仰る通り、自陣からしか打てないという主張もあったでしょう。
しかし、どこでも自由に打てるという論と対立すれば、投機性を求めているのですから、
自陣からしか打てないと主張するグループに勝ち目はありません。

この辺に関しては木村義徳プロの著作が詳しいので紹介しておきます。
以前、将棋世界史に投稿されたものをまとめたものだと思いますが、
私自身は目を通していないので悪しからず。
http://www.bk1.jp/product/02013596?partnerid=p-m …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

武将ではなく宝物である、という説は初めてです・・・・いや、以前聞いたことあるかな・・・
いずれにしても「テーブルゲームとしてのゲーム性を向上させるため」という説で理解することにしました。
とった駒が使えず、最後に王将玉将だけが残って、互いに逃げ回っていたら終わりませんからね。

お礼日時:2009/12/13 09:25

お礼の言葉を頂きまして、ありがとうございます。


このように長くてシッカリした論説付きのお礼文を返していただいたのは初めてです。
ご迷惑かも知れませんが、まだ質問を締め切られていないようですので、敬意を表して再度お礼文の内容を踏まえての回答をさせて頂きます。

>手駒はすべて自軍の忠実な家臣、ということでスタートします。
>いったん手元に置いた駒を好きなところに指せる、というのはちょっと無理な気がします。
>前略・・・・・とでもなるのでしょうか?(すみませんが長いので)
>だけど、敵に捕まる、ということは要は駄目家臣ってことだから、

私の始めの回答でも多少は、将棋に対する質問者様の疑問点やルールに対して納得できない部分を「緩和できたかな」とも思っていますが、ご指摘の部分の疑問やご不満は「なるほど、ごもっともです」ので、再度私の猿知恵を働かせて考えてみました。

では、考え方を変えて戦闘中(プレイ中)に取った駒は「捕虜から味方にした武将(部隊)」とか「調略で味方にした武将(部隊)」という考えだけでなく、戦闘で相手の武将(部隊)を撃破した事によって手に入れることが出来たゲームに有利なアイテムやカードとして使える物も有ると考えてはいかがでしょうか。

>たとえばいきなり敵陣奥深く、敵の王将の行く手をふさぐようなところに指すことも可能です。

源義経が一の谷で地元民の話を聞いて逆落としの攻撃が可能で有ると判断して、敵総大将の平宗盛の陣を一気に奇襲して勝利を収めた。
織田軍が美濃攻めの際に木下藤吉朗らの働きにより、稲葉山城への抜け道情報を掴み難攻不落といわれた山城を早期に落とす事が出来た。

などの様に歴史のお話の中では、突然敵の意表を突いて敵本陣に攻め入ったり、裏道や抜け道を通って敵の城に奇襲を掛けるなどの作戦が成功したという事になっています。(何処まで本当かは疑問)

何が言いたいかと言うと、王将が敵の総大将という見方をする場合と、王将がいる場所が敵の本陣で有ると考える場合があると想定してゲームを行う。
駒の1つ1つが1人の武将又は1つの陣地(部隊や出城)と考えるケースの両方が有る、その方が実際の戦国時代の戦のシミュレーションゲームとしてリアリティーがあるとも思います。

つまり、戦闘で取った駒には色々な意味や効果が有ると考える。

陣地と考えれば攻撃に有利な拠点を確保した。
(敵本陣を直接火縄で狙い撃ちできる場所、火矢を射掛けられる高台、岩を落として谷を塞ぎ退路を遮断できる場所など)

部隊と考えれば、敵の陣形を崩して突破口を開いた。
(突破口が開いた事で騎馬隊が一気に敵陣深く突入できるようになった、陣形が崩れた混乱に乗じて敵の背後や本陣に奇襲を掛ける事が出来たなど)

武将を捕らえたり調略に成功した場合。
(敵の城の弱点を聞きだす事が出来た、城の見取り図が手に入った、背後に回り込める獣道を知っていた、敵場内に通じる抜け道があったなど)

駒を取った事で様々な効果が得られる場合が有る、地図や抜け道などのアイテムや有力情報などのカードを手に入れたと考える。

例えば、角を取って味方にしたら敵の王将と飛車の両方を狙える好位置への抜け道を知っていたので、奇襲を掛けて「王手飛車取り」作戦を実行できた。
又は、同じく角を取ったら敵の背後に回る敵陣の見取り図が手に入り、飛車の斜めは以後から奇襲をかけて「飛車、金の両取り」作戦が成功したなど。

まあ、ゲームはゲームですからと言ってしまうと、始めから質問も回答も無意味になってしまうかも知れませんが、納得できない部分に付いては大きな包容力を持って解釈して頂いて、あとは将棋というゲームを楽しんで下さい。

質問者様は戦国時代なら知将タイプでしょうか、お礼文などを読ませていただいた感想として、将棋を勉強されたら強くなりそうな方だなと言う印象を受けました。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

時代劇などで戦場の大将、側近が地図の上に敵味方の布陣の駒を置いて戦況をシミュレートしているシーンなどを見ることがあります。
当然、地形や地勢、両軍の戦力、武器、武将の采配の優劣、得意戦法などのデータも持っているでしょうから、
「いつもいつも同じパターンで勝てるわけがない。同じ武将に同じ武器、兵力を与えても前回の結果と同じになるとは限らない」
ということは知っていたと思います。
 それに対して将棋は、地形地勢の変化はなく、敵の駒に自軍の駒を重ねれば、どんな駒でも必ず敵駒を取り上げることができる、というルールでやっていますね。

武将たちが将棋を愛好していたとしても、戦場シミュレーションとの色は薄く、あくまで遊戯として理論立った思考のトレーニングとしての意味だったのかも知れませんね。

>質問者様は戦国時代なら知将タイプでしょうか、お礼文などを読ませていただいた感想として、将棋を勉強されたら強くなりそうな方だなと言う印象を受けました。

棋士の伝記などは読むのは好きですが、子供のころからやっても一向にうまくなりません。昨夜、久しぶりにヤフー将棋をやったら、あまりのひどさに、相手が形勢有利にもかかわらず試合放棄してきました。

お礼日時:2009/12/11 10:58

忍者に草というのがあり、味方面して敵陣でどうどうと


しているのはあります。
強盗も、狙いの店に手引き用の一味を従業員として潜り
込ませることも。
まあ、捕虜は敵陣への道案内役に利用するので、いきなり
敵陣奥深くというのはおかしくないでしょう。

それより、例えを持ち出し、例えに合わない、という発
想が私には面白く思いました。
将棋を何に例えてもいいですが、その例えの細部に将棋が
合わないというのは、本末転倒ではないでしょうか?

それから、細かいですが、将棋は「指す」でいいのですが、
持ち駒を盤上に置くときだけは「打つ」と言います。
例えば、59に金があり、58に金を打つ場合は「58金打」と
表記します。59の金が58に移動する場合は「58金直」です。
58に来ることが出来る金が1枚しか無い場合は、移動でも
打つ場合でも「58金」です。

細かくて失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>それから、細かいですが、将棋は「指す」でいいのですが、
持ち駒を盤上に置くときだけは「打つ」と言います。

初心者なんで御容赦を。

お礼日時:2009/12/11 10:43

私の個人的な考えです。



テーブルゲームですから、盤面上に駒を残して置くわけには行きません、自分の駒置き台(正式名は知りませんが)に一旦駒を引き上げるので、持ち駒を使う時には確かに、突然敵陣に殴り込みを掛けた様に見えますね。

「駒を取った事がイコール捕虜にした」と考えるのではなくて、様々な戦略を用いて相手の武将を追い詰めて「自分の味方に引き入れた」と考えれば良いのではないかと思います。

相手の弱みをついたり、人質を捕ったり、敵の大将の悪い噂などの嘘の情報を流したり、戦勝後の報奨で釣ったり、謀略とか調略で密かに見方として引き入れて敵陣内で行動を起こすチャンス待たせていて、機会を見て合図を送って突然反旗を翻させたと解釈したらいかがでしょうか。
(戦国時代の重要な戦略の一つですし、関が原ではこの作戦が上手くいって東軍が勝利しましたよね)

ゲームの特性上盤面からは引き上げてあるが、実は戦略によって密かに味方に引き入れた武将を敵陣で待機させていたという想定です。

駄目でしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
おっしゃるとおり、考え方の一つとしてあっていますね。

 もし、実際の戦国の合戦場で、これを実行するとなると、説得、降伏、寝返り、敵君に忠誠を誓って再出陣、という手順を成功させる必要があるでしょう。

 あらかじめスパイを送り込んで、敵陣からの出陣まえからこちらの味方に引き入れてしまう、という手もあるでしょうが、将棋というゲームに置き換えて考えたとき、
「手駒がすでに寝返っているかもしれない」
という状況があるわけですが、実際にはそういうことはないわけで、手駒はすべて自軍の忠実な家臣、ということでスタートします。
 ということは、「説得、降伏、寝返り」はすべて、一回のターン(自軍が敵駒のひとつを取った瞬間)に発生しなくてはなりません。
 ま、これは
「ゲームだから、ひとつ、まあそういうルールで・・・」
でよいとしても、いったん手元に置いた駒を好きなところに指せる、というのはちょっと無理な気がします。 少なくとも
「ルール1 敵の駒を取ったら敵の駒は隣接したあいている任意のマスに移動させ、そこから自軍の駒として即座に使ってもよい」
「ルール2 ルール1を適用しない場合、即座に盤面から退去させる。自軍の駒として再登場させる場合は自軍の任意のマス(自分に近いほう三段分)にしか指せない。(いきなり敵陣に刺したりできない)」
ぐらいの縛りをかけないと・・・

もし、このルールでだめな場合、手元に置いた捕虜駒がいきなり敵陣に指せる能力を納得いくように説明するとなると
「捕虜の駒は特殊能力を身につけている。忍者のように、索敵にかからず、自軍の兵、敵軍の兵の位置関係にかかわらず、敵の王将の目の前であろうがどこであろうが縦横自在に戦場を潜伏移動できる。
 そして、いつでも潜伏状態から、戦場のどこでも(二歩などの禁じ手を除いて)戦闘に参加することができる。
 ただし、この潜伏能力は捕虜にすることによって一回のみ使えるとする」
とでもなるのでしょうか?

だけど、敵に捕まる、ということは要は駄目家臣ってことだから、そんなやつがいきなりこんなスーパー潜伏能力が使えるようになる、ってのもなあ・・・・


ま、ゲームとして割り切りますか.....

お礼日時:2009/12/10 12:44

いや、いきなり登場ではなく、他の駒が盤上で戦っている間、持ち駒は駒台の上でいつ出番がきても良いようにウオーミングアップをしていると考えるべきでしょう。



野球では、昨日トレードが成立し登録されベンチ入りしている選手がブルペンでずっと投球練習をしていて、九回に救援投手として突如マウンドに立つような、また素振りを繰り返している選手が満塁の場面で代打に起用されるようなものです。

一死満塁の絶体絶命の場面に登板し、わずか一球を投げて併殺打にしとめ、その裏の味方の反撃で勝利投手になる投手もいますし、同じくその場面に代打として打席に立ち一球目をフルスイングして満塁ホームランを放ちお立ち台に上がる選手もいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

野球は守備位置が決まっているわけですから、それはちょっと違うたとえのような・・・

お礼日時:2009/12/10 12:04

>だって実際の合戦において、大将が陣幕の中で待機しているとき、突然敵兵がすぐそばに現れたりしないでしょ?


「寝返り」という行為により、実際の合戦で「突然敵兵がすぐそばに現れる」と言う事が起きています。

コマを差すと言うより、コマの向きがいきなり180度変わるような物で、ちょっと違いますが…
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>コマを差すと言うより、コマの向きがいきなり180度変わるような物で、ちょっと違いますが…

寝返りは実際の戦場でもあったのでしょうね。
ただし、その場合はおっしゃるとおり、その場所でいきなり敵陣に寝返るわけですから駒が180度向きを変えるようなものですね。
将棋の場合は、いったん捕虜として手元に持ってきます。そのあとで(捕らえられたマスの位置とは無関係に)いきなりどこでも指せるわけですから、他の方のおっしゃるとおり、これはゲームとして割り切って考えるのがいいのでしょう。

お礼日時:2009/12/10 12:02

> 「遊戯としての面白さを追求するためのルールだから」



当然そう考えます。

将棋の原型は戦争のシミュレーションゲームとして生まれたのだと思いますが、時代とともに純粋にゲームとして面白くなるように発達してきたのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/12/10 11:58

ルールを単純化するため、と理解した方が良いんでしょうね。



撮った駒を使う、と考えた場合、盤面上で使える範囲が決まっていると
その範囲を明示する必要があります。問題は将棋の場合「入玉」という
行動が可能なことで、盤面上の固定的な部分に決めてしまうと、やはり
質問者さんの解釈と同じ事象が出てきます。

これを回避するため、例えば「玉」の何マス以内とかすると、自陣の
中にも打てない場所も出てきますし・・・。結局の所「いーや、どーせ
ゲームなんだから、どこに打てても」と言うコトになったんじゃないか
と思います。

将棋は今の形態になるのに、かなりの変遷を経験しています。シミュ
レートという発想は、多分変遷のかなり早期に排除され、純粋にゲーム
としてルールが決められて来ている面も大きいと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2009/12/10 11:58

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