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 時代劇を見ていて思ったのですが、昔の武士は甲冑で身を固めていましたが(足軽は別として)、刀で間

単に切れるはずもないでしょうから、切るというより突いて相手を殺傷したのでしょうか?

例えば、兜と胴の間の咽喉や脇とか・・・。

時代劇ではただ切っているだけでしたが、そんな手段では甲冑に阻まれて殺傷できないと思います。

鉄砲が伝わる前の戦いでは、槍が主体だったのでしょうか?

歴史に詳しい方、是非ご教授願います。   質問者拝

A 回答 (5件)

そのとおりです。


戦国時代以前のメインウェポンは長巻という刀に槍の柄をつけた道具です。
薙刀は、武術用に長巻をなぎはらい切りつけ用に改良したもの。
戦国時代以降の合戦は、武将は騎馬戦なので槍が中心です。
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日本刀って切先で突くのが一番殺傷能力が高い刀らしいです。


もちろん流派によっては甲冑ごとぶった切るなんてのもありますね
二の太刀いらずっていわれた示現流とか あとは刀によっては
甲冑を着てなくても頭蓋骨を切るってことすら出来ない場合もありますからね

ただ甲冑って刃先をそらす程度の役割でしかないですからね
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昔の戦いを描いた版画には鎧武者の組み討ちシーンが多くあります


刀剣で渡り合ってから相手が疲れた見るや組み付いて鎧の隙間から鎧通しで心臓を狙う
家に戦国刀の鞘がありましたが鯉口のところにペーパーナイフのような細長い直刀が付属していました
鎧の隙間に刺し込める構造の鎧通しです
ヨーロッパでも鎖帷子に刺し込める千枚通しのような武器があったようです
以上、ナショジオテレビからの抜粋でした
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ご推察のとおり、甲冑は簡単に切れません。


鉄砲が伝わる前では、遠距離は弓、通常は槍、最後に刀となります。
白兵戦において基本は槍で叩く、突くということになりますが、乱戦になった場合は距離的に使えませんよね。
その際に刀が出てくるわけですが、隙間を狙って突くというのは非常に難しいです。
なので組打、相手を押し倒したりしてから、刀で止めを刺すという事が多かったようです。
今は無くなっていますが、昔の剣道では組打があったのは、こういう理由でしょう。
柔道が国技となるまで発展した理由は、ここにもあると思います。
騎馬武者の場合ですと、槍は取り扱いが馬上では難しいので刀が主になりますが、その際相手の顔を撫で斬りにしていたそうです。

私が剣道と槍術を教えていただいている先生からお聞きした内容から、お答えしましたので史実ともしかしたら異なるかもしれません。
ただ、ここらへんの話は、非常に面白い(思っていた事実と異なるという意味で)ですよね。
疑問点があればお気軽に^^
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この回答へのお礼

疑問点が解けてすっきりしました。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/06 12:03

確かに簡単には鎧、兜は切れませんし、鎧の下には鎖帷子を着込んだりしていましたので容易ではありませんが、全く切れないかというとそうでもないようです。


鎧はすべてが鉄で出来ている訳ではありませんし、防御のうすい首まわりや手足、脇などは切られ易い場所です。
日本刀の試し切りでは実際に鉄板を切った記録が、その鉄板の厚みや切れ方などを明記して残されていますし、実際に戦で鎧の鉄板部分が切られたものも残っています。
2年ほど前にテレビで日本刀に向けて鉄砲の弾を撃ったらどうなるかというのをアメリカに行って実験していました。
当初はいかに日本刀といえども折れるだろうと思っていたら、なんと鉄砲の弾が真っ二つになり日本刀はびくともしていませんでした。
こうしたことからも実戦では武将同士の実力差があれば鎧ごと切ることも可能だったのでしょう。
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この回答へのお礼

疑問点が解けてすっきりしました。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/06 12:02

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