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中学生の英語の問題でこの様なコメントが見られます。
(http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5826276.html)

これを日常生活の内容とするなら○ですが、学校の試験ということなら×です。
......いわゆる受験になるとこのような問題がたくさん出てきます。英語であっても、日本語の(または設問者の)都合により、一般に受け入れられる解答でも正答とはならないことがたくさん出てきます。

悲しいことに、日本では、あなたは2通りの英語を学ぶ必要があるのです。つまり現実の英語と、日本の古い英語と、です。

ストレートなコメントだと思いましたので、引用させてもらいました。
共感するところがあります。


そこで、このような例をどんどん挙げて日本の英語教育を嘆きましょうという趣旨の質問です。加えてどうしてこの様な状態で延々と今まで続いて来たのでしょうか?

英語の先生は気がついていなかったなんて思えないのですが、、、その点についてもご意見を聞かせてください。

A 回答 (11件中1~10件)

気づいていたと思います。

でもどうしようもなかったと言うことなのでしょう。
リンク先の質問の回答でも書きましたが、採点者の能力不足が根本にあると思います。
日本人英語教師のレベル低さですね。

採点する英語教師自体が正解と不正解を見分ける能力を持っていないのだと思います。
だから、あらかじめ用意された答えしか正解にできない実状があるのだと思います。

国語の授業では、ちょっとした書き方の違いなどがあっても、根本となる問題の主旨、文法、意味があっていれば正解としますよね。
国語のテストでの答えは複数存在し、実際そのように採点してます。
英語だって日本語と同じ言語の一つなんですから、本当は同じような採点基準で採点すべきなんだと思います。でもそれができる英語教師がいないのが現実なのでしょうね。

英語の教育レベルを上げるには、やはり英語教師にはそれなりの採用条件を付けるべきなんだと思いますよ。
TOEICで900点以上だとか、英語圏に3年以上の滞在経験があるとか、それくらいの能力がないと、ちゃんとした英語を教えられませんし、テストの採点もできないと思います。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

みなさん日本人教師はレベルが低いといわれてます。どうします?

お礼日時:2010/04/15 12:55

これは呆れるほど問題作成者のレベルの低さを感じますね。


最初の問題では暗黙の前提条件として、thanを使うこと、2番目の問題では「湖」は特定も湖というのがあるからでしょう。中学の英語の問題は簡単なようでも、そのような「暗黙の前提条件」を読まなければならないので、このカテに出没される英語の達人も間違うでしょう。

>そこで、このような例をどんどん挙げて日本の英語教育を嘆きましょうという趣旨の質問です。加えてどうしてこの様な状態で延々と今まで続いて来たのでしょうか?
英語は一つ一つ文型や語法などのパターンを覚えて、その都度習ったことを忠実に覚えているかを確認するために問題を作ります。ですから、 ご引用の問題では比較の文をキチンと作れるか、冠詞を使い分けられるかが問われているんでしょう。

しかし、疑問に思ったんですが、その問題の正解では“I like Sanma better than Tamori.”となっていますが、“I like Tamori better than Sanma.”ではまちがいなんでしょうかね。 “I don't like either.”という人もいるでしょうし。

あ、そうだ。中学英語の問題作成者の不適切を発見しました。
“The plane is flyng (over) the sky.”
飛行機はどのように飛んでいると思いますか? 決して「上空」ではありません。大陸間弾道ミサイルか はたまた UFOのような飛び方をしているんだろうか?

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2361148.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
>最初の問題では暗黙の前提条件として、thanを使うこと....

たしかにそういう意図があるのでしょうね。
こういうのって、もし中学に交換留学せいがきたら、ネイティブの答えは
全部×になっちゃうんでしょうかね。中学に留学せいがくるか分からないけど高校だったら来る可能せいありますよね。彼らがどういう目で見ているか、感じているかは聞いてみたかったりしますね。

前提というれいで、理科なら理想的な状態という前提があるという話
がありましたが、そういう分野では前提をしっかり明記している問題
を見かけますし、じゃあ前提をしっかりさせるために前後に文をおいて
シチュエーションをつくるとか、設問で明記するとかすれば良いのにって。何で英語だけはそういうのが出来ないの先生!

“The plane is flyng (over) the sky.”
コンピューターによる自動翻訳でしょうか、、、ならよくできているほう
じゃないかなぁ。
きっと英語に不馴れな生の英語に接したこともないヒトの英語のようです。

お礼日時:2010/04/15 12:52

私の印象では、中学や高校の英語の先生の大部分は、英語があまり出来ないのではないかと思います。

英語が本当に得意な人は、政治や経済の国際舞台で活躍したり、英文学を研究したり、通訳や翻訳をやったりするのではないでしょうか。おそらく中学や高校の先生は目指さないと思います。
また、質問の趣旨からはそれると思いますが、問題に暗黙の前提条件があるのは英語だけではないと思いますよ。試験の得意な子供の中にはその暗黙の前提条件に気付くのがとても上手い子がいますよね。
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この回答へのお礼

>問題に暗黙の前提条件があるのは英語だけではないと思いますよ。試験の得意な子供の中にはその暗黙の前提条件に気付くのがとても上手い子がいますよね。

ありがとうございました。これは確かにテストという性質上さけられ
無いところはあるかもしれません。同時に試験対策の一つになってますよね。同時に日本人のいわいるコンセンサス-オリエンティッドな性質による弊害なのかもしれません。

最近思うのですけど、日本人がだめなら、外国人でいいじゃないか
と思い始めてます。人手不足で介護、看護分野では海外から人を
というふうになり始めてます。東南アジアには英語教育に力を
いれている国もありますし、そういうところからだと人がくる
とも思えますし。確かに英米の人と比べて発音や表現にクセ
違いはあるでしょうけど、日本訛の英語もできない日本人より
数段はうえではないかと、、、、

お礼日時:2010/04/16 00:56

 Chicago243さん、以前からいい回答をなさるなと感心しておりました。



 ですから少しは実のある回答を、と思ったのですが、如何せん、海外に居ますので、独自に日本の子どもさんが使っている問題から例を出すことができません。

 例は挙げられませんが、日本の英語学習をしている生徒さんたちは、言葉には広い受容の幅と、情報を何度も重ねて詰め込むという重複性みたいなものがあって、算数のように1+1=2、それ以外は皆間違い、とは言えないことを教えられていないようだ、ということには気づいています。

 「そこで、このような例をどんどん挙げて日本の英語教育を嘆きましょうという趣旨の質問です。加えてどうしてこの様な状態で延々と今まで続いて来たのでしょうか?」

 これには「試験」という制度が幼稚園のときからあり、おそらく世界で日本ほど外国語文法と、それを試験に組み込み、最新の技術で採点し、それに対応する塾、試験のために使う問題集、などが、その外国語と無関係に一人歩きをしている国は少ないのではないかと思います。延々とつづいてきたのは、こういう奇妙な「文化」で多くの人のキャリアが作られ、一つの産業として発達したからではないかと思います。

 で、そういう意味で、ご質問にあるサイトに登場する、素晴らしい回答者さんたちが、果たしていらっしゃる役割は、大きいと思います。案外風穴って、近い所にあるのかも知れませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>これには「試験」という制度が幼稚園のときからあり、おそらく世界で日本ほど外国語文法と、それを試験に組み込み、最新の技術で採点し、

確かにこれに関して弊害をかんじますね。
英語に関していうと、まずコミュニケーションに主眼を移すべきかと
思ったりもします。私は大学をでて数年後に英語を習得しました。
それまで習得したとはいえないような状況でした。
英会話を始めた時に最初は一言も口から出ないわけですが、
相手のことが多少聞き取れるようになってきますと、
次にレスポンスができないもどかしさにぶつかります。
さらに続けていくと、ブロークンながら適切な単語を
選んで発することができるようになりました。

これって英語がすごくできるかたからみると、なんだまだまだ
だなぁだけど、私にとっては評価に値する進歩でした。

なので中学生の英語は文法は教えるにして、コミュニケーション
(紙のうえでも良いと思います)という視点で評価できないかなあ
って思い始めています。文法が間違っていても言っている(書いている)
趣旨が分かるようだったら丸をあげて、よくできましたといいながら
文法をなおしてあげるという繰り返しでもいいのかなぁっていうきがしてます。

教育という産業というのは確かにありますね。例えば教科書とかみんな新品買うのかって驚いていた欧米人(英語が母国語)の人がいました。
ゆとり教育、土曜日休みといって、授業のコマ数を減らせば塾がもうかるという仕組み、、、、

なにかモヤモヤとした政治がうごめいているような想像をしてしまいます。

お礼日時:2010/04/16 01:21

>そこで、このような例をどんどん挙げて日本の英語教育を嘆きましょうという趣旨の質問です。

加えてどうしてこの様な状態で延々と今まで続いて来たのでしょうか?

 I feel it very interesting to know that you are worried about the English education in Japan. It is certain that there are lots of problems which cannot easily be solved.

 For example, it is often said that Japanese students usually have difficulties in comunicating with foreign people even after they have learned English for more than 10 yeras.

 Some people say that it is because of the poor abilities of Japanese teachers who teach English in Japanese high schools. I suppose that you are almost of the same opinion, but I'm not ceratin that I can totally agree to those ideas.

 It may be true that there are some teachers who cannot use English well enough, but I believe most of them are not only earnest but also skillful at least in teaching the basic usages of English to their students. The two examples that you showed in your question may be, I guess, exceptional cases.

 Of course, we cannot completely deny that their abilities of using English are limited compared to those who work in the international companies or the professional interpreters, but such a high-level English is not always needed in teaching at junior high schools or senior high schools in Japan.

 There are some people who say that the education system itself has problems. The Japanese government seems to have thought the subject "English" as a culture, a means to be familiar witrh foreign countries, foreign people, their way of thinking, and so on, not as a tool for communication.

 Though they have just begun to change their ways, it will take a long time to get desired results. So I don't think it's any use only complaining about the situation of Japansese Englsih education system.

 A language is something which we improve only by using in our daily lives. All we have to do is to change our ways of thinking. School is a place where students should learn the basics of English.

 In order to be able to speak English fluently in our daily lives you must use it every day, but you have only four or five English classes a week at school. It's obvious that's not enough.

 If you want to learn suffucient English conversation skills, you should learn more at other educational facilities than usual schools or universities after graduation.

 I hope all the Japanese teachers of English have enough knowledge or abilities and they try to improve their skills.

 However, human beings sometimes make mistakes, and so do the Japanese teachers of English. If they are too afraid of making mistakes, they will hesitate to use Englsih just like other ordinary Japanese peole.

 I think it is imporatant for not only students but also the teachers to use English as often as possible without being afarid of making mistakes, even if some of of their English are wrong. That's the secret to improving their English skills. That's the way they should be.

Hope this helps.

PS: With the questions you quoted, it's not appropriate to think that you have only one correct answer. What to use or how to use it depends on the situsation.

 With the question No.1, you can put "than Tamori" after "I like Sanma better." The teacher should have answered both aswers are correct.

 With the question No.2, you can put either "the" or "a" before "lake". In this sentence "a lake" means "any lake", and it makes sense in a particular situation.



 
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この回答へのお礼

Hello googoo1956,

I appreciate your reply, because you mention everything we need to think concerning this issue.

As you mentioned, I can imagine what kind of person wants to be an English teacher, so that this might be an exception. However, I do not know the real situation.

Talking about the abilities of Japanese teachers, there are two types of abilities: English itself and leading students in the right direction. Thus, it is true that they do not need such high skills to deal with business negotiations.

I am just wondering why this is happening. Can they avoid such a mistake by teaching skills or techniques to create tests?

In terms of learning the western culture, it is controversial. Why do students need such details of English for the purpose. There must be more direct way.

....well, I can not continue my comment for ever, here.

Thank you

お礼日時:2010/04/17 09:42

 #4です。



>>みなさん日本人教師はレベルが低いといわれてます。どうします?

日本人教師については、次のような質問がありました、

 http://okwave.jp/qa/q5822381.html

 ここの#5さんも、日本人教師の擁護をしておいでです。

 僕は、中1から大学の学部まで日本人の先生に習いました。第二外国語も手ほどきを日本人の先生にしていただきました。その「先学」の知識は、初学者には欠かせない物だと思います。我々が「外国語」として、言葉を身につけるには、赤ん坊の時からヒアリングをやってるネイティブとは違って、同じ道を歩いて、同じ苦労をした先輩の知識を避けて通る、一部の学習者は、問題を直視していないように思います。

 ご質問の題の「現実の英語と学校教育での英語」は、日本人教師のいちばん苦労している点を、直撃した物と思います。幼稚園児が英語圏に修学旅行に行く現在「現実の英語」は昔のように遠い物ではありません。しかし「学校」では、何だかわけの分からない化け物を教えさせられている、これにはお困りだろうと、同情します。

 これについて、明確な意見を持ち、それを公にする勇気のある学校教育の責任者が、いま、必要ですね。
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この回答へのお礼

英語教育の節目を迎えていて、今までのようにはいかないとか、
今まで必要とされなかったスキルを持つ人が望まれるように
なったとかんがえてもいいかもしれませんね。
そうするといままでの教育で教わっていた人は教えられて
ないのだからできないか、試行錯誤をしてでもやり遂げるか
ということになりますが、試行錯誤しても今度はシステムというか
体制上の壁にぶつかってしまうというのも現実なのかもしれません。

お礼日時:2010/04/17 09:51

> このような例をどんどん挙げて日本の英語教育を嘆きましょうという趣旨の質問です。


> 加えてどうしてこの様な状態で延々と今まで続いて来たのでしょうか?

私は、瑣末な問題をネタに、日本の教育の全体論にするというわけにはいきません。
前回の質問(#5826276)に対して、教師側が認めないとすれば、それは、単なる権威主義でしかないと思います。海外からみれば、日本の教育の保護主義です。私の高校生の頃は、気に入らない教師に対して、試験で「白紙解答」をした人もいました。しかし、それで、卒業できなかったわけではありません。盲目的な権威主義に対する反抗で、それを理解できる教師もいました。

日本の教育は、本来、社会主義教育を持ち込んでいるわけですから、統制化と、当然、そこには権威主義が生まれます。まして、お上思想が加われば、親方日の丸の下に、すべてが位置づけられるわけです。その国を管理する側が良い思いをして、そうでないものが虐げられるという仕組みが出来るわけです。教育の世界でもミニ政府のあり方が反映されているのだろうと思います。個々の教育者が才能があるとかないとか、そんなことはお構いなく、統制が取れていればよいわけです。

東京都のように、それが国のあり方と直結していれば、日の丸がどうとか、君が代がどうとか、それを嫌う人たちがいれば、それを強権を持って処罰しようとする体制ができるわけです。マスコミでは、どうしても、そういう仮の被害者を取り上げて、エピソードを作りたいわけですが、ほとんどは、それで体制は安定し人々は安心するわけです。教育委員会という指令があり、学校長があり、それに従う個々の教師の教育行政があるわけです。それで、管理されているわけです。だから、彼らが、自分たちのミニ帝国を守るために、北海道教職員組合のように、どんなことをしても、権力側に擦り寄りたいと思うのは当たり前なのです。

私の意見を飛躍しているように思うかもしれませんが、ここで、個々の教師の瑣末な問題を槍玉に挙げ、日本の教育の現場を憂うというようなことは、返って飛躍しすぎているように思うのです。くだんの教師を、元のスレッドでつるし上げれば済む話だと思うのです。ただ、それで良いのか、と躊躇することが大人ではないかと思います。教育という一つの権威を壊すことは、崩壊だけでなく、虚無を生むことになりかねないからです。

羽仁進などの「自由教育」や、連続ドラマにもなった豊橋市の磯村懋(つとむ)氏のように、自分の子供たちを学校に行かせずに、優秀な人材を育てたり、一流大学に合格させたりすることが、現実に、自分たちができるかどうか、ということです。今のボクシングの亀田三兄弟やゴルフの宮里兄妹と同じようなものです。名もない父親が、子供たちをスポーツの世界で一流に育てるというのは、磯村氏のように、反管理教育とは違うかもしれないけれども、そんなに大きな違いはないような気がします。

(お断り:磯村氏自身がそう思っていたかは確かではありません。もう30年も前に、身を以て投げかけた管理教育のアンチテーゼは、私自身にはそう思えたということです。)

英語の能力だけなら、留学やインタナショナル・スクールに通わせ、結局は、英語だけはできる子供を育てるか、その程度にしかないように思うのです。ある意味、脱管理教育だと思います。ただ、他人に教育を依存することについては、その実態をよく知らない所に預けることもあるわけで、結果論になってしまいます。それが、帰国子女で、麻薬不法所持で逮捕された押尾学のような人であろうが、それも結果のひとつです。

ただ、私の危惧感は、教師のミスなのか無能力なのかは別として、自分たちの中だけが言っている雑談程度ならよいけれども、親が教師に教育を委託できないままに、子女を学校に通わせていたら、そういう考え方は、一体どうなるのでしょうか?もともと、学校が、社会主義国家のように、民衆が体制について批判されることを嫌うから、ますます意固地になるわけです。仲間内で子供たちが殺しあう世界を作り上げても、まだ、治外法権を作っているわけです。支配者と奴隷にわけるための教育をしてきたのだから、子供たちに自由にモノを言う教育なんていうことを許してきたわけではないわけです。

だから、日本人が好きな Colonization のTOEIC の考え方とは良くマッチしています。それに反して、それを壊そうとするか、もしくは子供たちを守るというなら良いのかもしれません。それには、愛情とお金がいるわけです。

管理教育の矛盾を子供たちに気づかせるか、どうかということではないと思うのです。仮に、そういうように方向付けたら、教育体制は崩れていくわけです。なまじ、今の親たちは、情報も豊富で、学校の教育に無責任な要求を投げかけることもあるかと思います。価値基準を単なる、TOEIC や英検という点数主義に依存するだけでよいのでしょうか。また、それも、英語の運用能力を基準にした権威主義の裏返しだけだと思います。教育というのは、単なる能力主義だというなら、結局は、子供たちにされていることを、教師たちにもさせる、という報復感情と差がありません。

江戸時代から、体制側の教育そのものは権威主義だったはずで、それは今も変わらないものだと思います。個々の問題はともかくとして、私は、そんな報復感情を持つ気にはなれません。個人主義、家族主義に徹するべきではないかと思います。「孟母三遷」のように、学習機関そのものを親が選択するか、自分たち自身が教えていくしかないかと思うのです。結果的には、日本社会のアウトサイダーとして、体制側には入れないのはやむを得ないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
実は反論も期待していました。全体を語ろうというより、まだ知ろうとしているっていうレベルです。

お礼日時:2010/04/17 09:54

例 


アルファベットの書き方の試験
Eという文字の真ん中の横線が、離れていたために減点。

もはや英語でもなんでもないような気が・・・。

まぁ過酷な共通一次を突破した秋田の先生が
秋田なまりの英語だったのを責めはしませんが。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
そういえば山形べんを話す外人がいたなぁ。

お礼日時:2010/04/17 09:56

 現職の中学の英語科の教師です。

残念ながら日本の公立の中学・高校の英語科の教員のレベルの低さは認めざるを得ないと思います。ALTが来た時に一番英語を話したがらないのは英語科の教員です。全ての教員がそうであるとは言いませんが、ほとんどの教員はそうです。例えば時間を尋ねる時に子どもが大人に対して“What time is it now?”という表現を使用することは失礼にあたるということを理解している教師がどれだけいるか?“Do you have the time?”という表現を知っている教師がどれだけいるか?“a”、“an”の付け方一つとっても“r”“w”“y”などの半母音を理解していないために生徒に不定冠詞の付け方を間違って指導する教師などあまりにもレベルの低い教師がいて、情けない話ですがこれが日本の英語教育の現状です。文法偏重になっているのも事実です。ただ私自身も正直文法を重視しています。なぜなら日本人が話す英語はたどたどしいところはありますが、あれだけ文法的にしっかりした英語を話すのは英語を母国語として話している人意外ではなかなかいないからです。ただ言葉は生き物ですから、文法書に書かれてある表現などは常に見直していかなければなりません。また私なんかは英検をまだ2級しか持っていません。英検の準1級を受験し続けてはいますが、なかなか合格できませんが合格できるまでとにかくやるしかないと考えています。英語関係の修士の学位は2年前に自分の研修の一環として取得して大学院で勉強しました。将来的には通訳案内士、英検1級取得を目指して今後も勉強はしていかなければならないと考えています。ちょっと話がそれましたが、結局のところ本当に英語を習得したいと考えるならば、英会話教室などに行って、自分でやるしかないというのが日本の英語教育の現実です。

この回答への補足

ありがとうございました。現場の意見を聞けたということでうれしく思います。いろいろなことが頭の中によぎってまして、なかなかコメントがまとまりませんので補足の欄にてお礼をひとまず書いております。

補足日時:2010/04/17 10:15
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この回答へのお礼

レベルの低い方もいらっしゃるようですね。どの程度なのか気になります。英語をしゃべリたがらない英語教師がいるとのことですが、これは
驚かないですね。そもそも高校までの教育で喋ることには重点を置いてないですし、だからALTという発想になっているのだと思います。なので、逆に俺は英語はしゃべれないと堂々といえる風潮になった方が混乱しない
とおもいます。まえにちょっと触れたとおもうのですが、英語のカリキュラムの骨格は読む英語中心にあると思ってます。暗号の読解みたいな英語です。
個人的には英文読解とか嫌なことばです。なんで言葉を解き明かさないと
行けないのでしょうか。
あ、横路にそれましたがそういう英語のカリキュラムで英語が喋れるわけ
ないしそういう英語を教えているという感覚をおもちの方がどの程度
いらっしゃるか、、、、だから、日常会話のちょっとしたきのきいた
言い回しなんか教えてないし教えないカリキュラムですから、何処まで
教師をせめていいか分からないですね。
わたしはこの質問で必ずしも教師のレベルを追及しようと思ったわけ
ではありません。問題の出し方、質は今までの英語教育の積み重ねから
反映できなかったのだろうかとか思ったりします。あとは指導要綱を
充実させていくとレベルの低い人もそれなりに指導はできるのでは
という気もしています。
いま聞取りや、ALTの導入など表面的に大きく変えようとという
動きはありますが、それ以外にもちょっとした事で大分ましに
なることもあるような気がしてます。ALTなんかより音声教材
をうまく使えば可也効果があると思うし、現在の英語がしゃべれない
教師にも負担が少ないと思うんですけどねぇ、、、、

お礼日時:2010/04/19 10:09

夜分遅くに失礼致します。

私も1週間ほど前に、質問者様同様低レベルな英語教師の存在を憂う質問をした者です。

(http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5822381.html)

リンク先の中学校の問題の解答については開いた口が塞がりませんね・・・。the lakeはともかくとして、like better than はほとんどフィクションの英語ですもんね(泣)。英語は繰り返しを避ける言語というのをこのアホ教師は知っているのでしょうかね。

おそらく本当に英語を好きな人は中高の英語教師にはならないのでしょう。低レベルな同僚達に囲まれるのは目に見えていますから。適当な英語で公務員になりたいとでも思っている人がなる仕事だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。お示しのリンクまだすべて確認
してませんが、時間のある時にじっくりと見ようかと思います。

表面上教師を叩くような質問になってしまっていますが、
必ずしもそうしたことを期待したわけでもなく、解決策の
一つでも導き出されば、ささやかな提言にもなるのかと
思ったりしてます。

ALTでしたか、教師が会話できないから力借りるわけですよね?
じゃあ喋れないことをどうして教師が恥ずかしく思っているのか
というところにぶちあたってます。

あとは繰り返しを避ける英語もたしかにそうですけど、
I like Sanma better than Tamori.とbetter thanを使わせたかった
らそういう問題の誘導の仕方はあるのではないかと思うわけです。

英語は日本語もそうですが、要らないところをどんどん省略して
簡単に済ませることは可能ですが、英会話を習っている時で
さえ、外人から直に完全なフレーズで言ってみなさいと指導された
ことがあります。実用上必要ないものでも、そういう文を作れること
は大事なんですよね。

なので問題の作り方とか多面的になにかうまくいってないところ
もあるなぁっていう気がしているわけです。

あとは本人の英語のスキル以上のものが教えられると
いうことは不可能でないのでそういった教え方の
問題もかんがえないといけないかもしれないなぁっとも
おもいます。

現状いままで喋るという教育をうけてないひとが
生徒に会話ができるように指導しないといけないわけですから、
しっかりと、じっくりと指導方法を練らないと
いけない時期なのかなぁって思います。

お礼日時:2010/04/20 04:50

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