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メジャーの松井秀喜選手が高校生のとき、5打席連続敬遠という
ことになってしまったのをご存知の方は多いと思う。



明徳は松井に対して、すべて敬遠したわけですが、これ自体は
べつにルール違反ではない。
しかし、何か後味の悪いものを残したようです。

はたして、ルール内なら何をしても良いのでしょうか?
それともルール内でもしてはいけない事があるのでしょうか?
ちなみに僕は明徳のピッチャーに同情的です。

A 回答 (12件中1~10件)

ルール内なら、どう思われようが何をしても良いのです。


例えば、プロレスは五秒未満なら何をしても
反則のペナルティは、ありません、
しかし、だからといって、非道なことすると
「ルール無用の悪党に正義のパンチをぶちかませ」
と反撃を食らい、無様に一敗地にまみれることになるのです。

それは一定の限度はありますが、
王シフトだの、五打席連続敬遠とかは、ある意味
勲章であると思います。
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ルールに反してなければOKです。


当時の松井の実力と他の星陵の選手の実力からすると、それが一番勝つ確率が高くなる方法だったんでしょう。
だから明徳も敬遠をしたんだし…

ただ、スポーツマンシップからすると、スマートではないのでそこが問題にされたんでしょう
その後の試合で、県立広島工業が明徳に圧勝したときは、拍手喝さいでしたもんね
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ルールは【法則】【規則】【秩序】【通則】【約束】ですから、これがいけないなら変更すれば良いだけのお話です。

『絶対である』『変更不可』と言うルールは無いからです。

明徳のピッチャーに落ち度はありません。非難するならそのときの監督でしょう。彼は監督の命令に従っただけなんですから、非難の矛先が違います。
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この回答へのお礼

はい。あの明徳のピッチャーならび選手は、弱虫とか帰れとか
ヤジを飛ばされてかわいそうでしたね。
名将といわれた明徳の馬渕監督は甲子園に問題を残しましたね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/17 16:33

私はrin00077さんと同じく、その件は明徳側に同情致します。


野球に限らず、社会全体では、ルールさえ守っていれば、他人が他人を強制する権利を持ちません。

しかし、言論の自由が保障されているので「非難」をする権利は与えられます。
「ルール内なら何をしても良い」けど「軽蔑されるような事をすると、非難は受けます」

この場合は「敬遠という恥ずべき行為を繰り返し、勝利に執着した明徳」に対して、世間が非難をする権利を施行しました。

日本人は体裁を気にする傾向にありますので、「あんな真似をするぐらいなら」等々、不快に思う方が多かったという事ですね。
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たとえば、野球のルールに「相手を殺してはいけない」という


条項はないにしても、試合の最中に相手を殺しては罰せられます。
野球のルールのもとに運用されている場合にでも、刑法や民法、
県条例、モラル、社会通念など、無数の「行動の制限」が
はたらいているのです。

たとえば、もっと条件の明確な、個別の契約書においても、
通常、最後の方に「信義則(条項にうたっていない場合も
互いの信義に基づいて処理する)」がついている場合が多く、
また、それがなくとも、法的にはあるものとして扱われる場合が
多いです(それを排除する条項や社会通念に反する場合は別)。

「ルール内では何もしても良い」というのは、その「ルール」が
モラルや社会通念まで拡張される事を前提としています。
世界には、明文化された「ルール(成文法)」のない、常識
(慣習法)で裁く国は、いくらでもあります(イギリスなど)。
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はたして、ルール内なら何をしても良いのでしょうか?



スポーツのルールであればいいと思いますよ。不都合があれば変えればいいだけですからね。
水泳の背泳ぎで金メダルをとった選手はバサロでしたか、もぐって勝ちましたね。ルール内のことでしたが後で変更になりましたね。
野球も同じですね。敬遠も戦術のうちですから問題ないですね。もしそれが不都合であるなら同じ選手への敬遠は2回までとかというルールにすればよいだけですね。未だにそのようなルール変更はないのでしょう。力のない選手が勝つにはルールも味方にするのが世界の常識ですよね。
スポーツではないですが、武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘では武蔵が遅れてきたと佐々木小次郎が怒ったのですね。結果小次郎は負けてしまいましたが、決闘にルールがあったかどうかですね。小次郎は時間厳守をルールと考え武蔵は戦術として潮の満ちひきの時間を考えた。どちらがまともであったかは結果を見れば明らかですね。
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この回答へのお礼

はい。
この敬遠のルールはもしかすれば変えることが不可能なのでは
ないでしょうか。
例えば敬遠は2回までと決めてしまえば、3回目からはバッターに
玉をぶっつける悪質なピッチャーもでてきても困るし。みたいな。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/17 18:55

>はたして、ルール内なら何をしても良いのでしょうか?


それともルール内でもしてはいけない事があるのでしょうか?

多少ひねくれた回答になるかもしれませんが、「良い悪い」の基準といいますか状況が双方では異なると考えるほうがしっくりきます。
「ルール」はあくまで現状対処的(=長い目で見れば即応的)なものという根本的了解の元に成立しているような気がします。
無論、即応的にせよ必要性があるわけで、それを否定するものではありません。
それに対し、「いけない事」というのはある意味で「普遍性」という意図を含まざるを得ないように思われます。
 
即応的に捉えれば良い。
しかし、普遍的に考えればいけない可能性もある。
ということでしょう。

また、この即応性がどのような態様で普遍性へと移行していくのか、というようなことが、それぞれの地域なり、民族なりの文化文明の尺度にもなっていくのだろうと思われます。

こういった即応性と普遍性の狭間に必然的に挟まれざるを得なかったという意味で、
>ちなみに僕は明徳のピッチャーに同情的です。
:というご見解に同感です。
  
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そもそも 良い 悪い というものの見方が 作為的に 社会の支配被支配構造の中に組み込まれた 作為的な虚構なので この質問に答えはな

いと思いますよ
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おはようございます、rin00077さん。



ちょいと、この質問ズルくないですか?

前にメジャーとことばをおくのは…

[メジャー]の≪松井秀喜選手≫が[高校生のとき]

高校生ー甲子園とくれば…

開会にさいし選手宣誓してますよね?

「宣誓、我々選手一同は、

スポーツマンシップに則り(のっとり)、

正々堂々と戦うことを誓います。 

○年○月○日 選手代表 ○○ ○○」


「正々堂々と戦うことを誓います。」って、宣言してるよね。

ルールに違反するもしないもなにも

敬遠は正々堂々真っ向勝負ではない

宣言に違反してやしない?

大人の世界はしらないけれど、高校生のときってゆうならば

正々堂々とした試合をすることが本分なんじゃないのかな?
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この回答へのお礼

おはようございます。

はい。そうですね。
宣誓をしていますね。
ただ敬遠がそれに反しているというのは
見る人の見方かな~という気も。
まあでも高校生だからさわやかにいきたいですよね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/18 09:00

追伸まで



「スポーツマンシップにのっとり正々堂々と戦う・・」が出ましたので哲学的に一言追加させていただきます。
「正々堂々」という心情的にあいまいな表現を使うことが日本人は好きですね。同時にスポーツマンシップとは何ぞやということですね。これも非常にあいまいですね。人によって捉え方が違うからあいまいなのですね。多数が参加する競技では価値観のあいまいさを除くためにルールが定められているのですね。
ルールの存在を加味すると「スポーツマンシップにのっとり」の「則」はルールの意味であり「競技ルールを守って正々堂々と戦う」という意味になりますね。
だからルールに認められた敬遠も正々堂々と行えばいいんですね。
これがまざりっけない哲学的解釈ですね。
高校生の諸君もルールを守って正々堂々とやりなさい。ルール内であれば卑屈になることは一切ないんですよ。と付け加えておきますね。
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この回答へのお礼

はい。
なるほど。理論的ですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/04/18 09:05

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