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束縛されるのが嫌なのになぜわざわざ”付き合う”のですか?
付き合うと言うこと自体、ある意味束縛なのに
私には良く理解できません。

A 回答 (4件)

お金がなくなるのは嫌だけど、携帯電話など必要なもののためには払いますよね?


それと同じで、束縛されてるように見える部分は、自分が提供してもらいたいものを提供してもらうための経費のように考えていて、束縛されているという感覚がないんです。

受けたいサービスのための必要経費。
もちろん払わなくて良いならそれに越したことはないけど、そうもいかない。
この程度でこのサービスが受けられるなら安い安い。余は満足じゃ。

と、こういう感じです。
このバランスが崩れた時、「別の店に行くよ」、まあ付き合いでいうなら分かれて別の人へってことになりますね。
マナーのない客のように、金払いは渋るくせにサービスの質の向上は求めてくるというようなことが人付き合いであれば、束縛を感じてしまうわけです。

「仕方ないな~」と苦笑いしながらでも、苦労に付き合うのが嫌ではないと思える相手と付き合えばいいんですよ。
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全くの自由ってやっぱり寂しいですよね。



携帯全部チェックされて、外出も制限されて監視されてというような特別な感じの束縛は嫌ですけど、
自分を気にかけてくれる人がいるっていいもんです。

「帰りが遅くなると彼氏(旦那)に怒られちゃう」なんて言いながら、割と嬉しそうにしてるもんです。

ある程度不自由があるほうが自由を満喫出来ることってあると思いますよ。
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「より自由になれる」相手が見つかったから、或はそう思えたから私はお付き合いしました。


まあ、しばらく一緒に居たらそうぢゃなかった、って相手の場合もありましたが。。。

そのひとと一緒に居る事が、より自分を自由にするって事があります。
結婚七年目。
こどもだ親戚だ、家計のやり繰りだ、って、束縛条件は膨大に膨れ上がっている筈なのに、
やっぱり「こんな自由に生きた事無いな」って思います。

自分が自由である為の条件、をご自分でしっかり把握為さる事が先決です。
そうで無いと、不自由の理由も分かりませんから。
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どこから束縛かが


人それぞれ違うのだと思います。

人によって違う為、私もどこから束縛かのかは定まってはいませんが
付き合う事、結婚する事もある意味束縛?と私も考えています。

けれど一般的に
束縛→嫌
付き合う→良い
結婚→良い

という人が多い。


つまりそれは
“相手を縛る”という全ての行為の中から
嫌だと感じるモノだけを“束縛”と捉える人が多いという事ではないでしょうか。

つまりは嫌だったら束縛。嫌じゃなかったら束縛じゃない。

はたまた
それが束縛であったとしても嫌だと感じなければ良い。といった感じ。

つまり
自分が良いと思うか嫌と思うかが大事なだけで
それを束縛という名で呼ぶかどうかは
意外とどうでもいいのかもしれませんね。

・束縛が嫌→自分が嫌だと感じる束縛をしないで欲しい

・付き合うのは良い→付き合うが束縛だというなら、『これくらいの束縛は良い』または『こんなの束縛のうちに入らない』


思う人が多いのでは?

*束縛が嫌だけと付き合う理由*


窮屈で負担なくらい
誰かに縛られるのは嫌。
けれど一人じゃないんだって感じるくらいの繋がり(縛ではなく繋)は嬉しい。

“繋ぐ”がどこから“縛る”に変わるかどうかですよね(多分)

そこがきっと
人それぞれなんだと思います
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