プロが教えるわが家の防犯対策術!

暗いタイトルですみません。

私は28歳の専業主婦で1歳の娘がいます。
何から話して良いのかわからないのですが、よく『人生とは何か』について考えてしまいます。
娘が寝ている時や、お年寄りと道ですれ違ったりした時、夜中に考え込んで眠れなかったり・・・。

人生って短いなって思ってしまいます。毎年、年末になると「今年ももう終わりだねー」とみんなで話していて、また気が付いたら年末になっていて。こんなことを何度か繰り返すうちに自分ももうこんな歳で親もかなり老け込んで。娘もいつか大人になり、嫁に行ってしまうだろう・・・。いつか人は1人で逝かなければならない時が来るのだろうけど、どうしてもやりきれないものがあります。

あと、歳をとると病気で苦しんだり(私はこの歳で既に病におかされてますが)、しわくちゃな顔になったりして、いいことなんかなくなるんじゃないか、生きてることが嫌になるのではないか、と後ろ向きな考えをしてしまいます。自分はどんな風に死ぬのだろうとか、寝たきりや苦しいのは嫌だとか考えてしまいます。

旦那にこういう話をしても「暗い話はやめて」と拒否され聞いてくれません。毎日ではありませんが、心がどうしても晴れない時があり辛いのです。娘は育てやすく、育児ノイローゼではありません(^^;
楽に考える事ってできないでしょうか。滅茶苦茶な文章ですみませんが、アドバイスをよろしくお願いします!

A 回答 (31件中1~10件)

みんな怖いですよ。



これは絶対のことなのだから、忘れるか、受け止めるかしか対処法がありません。
忘れて生活することも、あるいは可能でしょうが、
そうするべきではないと思います。

せっかく怖いのだから、受け止めて、その怖さを最後まで味わうべきです。

といっても私も受け止めているわけじゃないですけどね。
受け止められるのはよっぽどの人物だけでしょう。
ですが、折々に死を考えることは悪いことではないと考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私と同年代の人たちを見ると、私みたいに考えてるって見えないのですが、やはり誰でも考える事ですよね。私は時々あるいは何日間か考え込んでしまう時があります。涙が出てくる事もよくあります。
若くなくなり体も辛くなってきたらサッサと死んでしまいたいとさえ思ってしまいます。

お礼日時:2003/06/27 09:43

原因は



>私はこの歳で既に病におかされてますが

ですね。きっと。

体の具合が悪いと大抵の人間は、悪い方に悪い方に考えるようになり
自分の人生や生き死にを考えるものです。

28歳・・・若いですね。

アドバイスになるかどうかわかりませんが・・・・

美しい景色を見る、そしてきれいな空気を吸いに御家族で遠出が可能でしたら
いつもと違う場所に行き気分転換をして下さい。

そして療養をし病を改善していってくださいね。

世の中結婚できずに歳だけとって老いていき、食べていく為に必死に働き、
小さな部屋で食事の仕度をして1人で食べて、そして寝るだけの毎日。
そのうち親も死に、頼れる夫も無く、話をする子供もいないという、
そんな孤独感をかかえた女性が少なくないのです。

それから見ても、あなたは幸せです。
お子様の成長をみながら母として、妻としての人生を歩んでいるのですから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
旦那に一度こういう話をしたら「俺はきっと早死にだなー」と言っていました。旦那は健康で私より1つ下です。健康で若くて『死』が遠いからこんなことが言えるのだと思います。私はいつ死ぬかわからない体です。うまくいっても、寿命をまっとうすることはできないでしょう。
こんな体だけど、私は今人生で一番幸せなときを過ごしていると思っています。どこか気分転換に遠出したくなってきました。少しは気分は晴れるでしょうか。

お礼日時:2003/06/27 09:52

こんにちは。



たしかに、人生ってみじかいです。

自分も旅先の道ですれ違った人の生活のことを
考えたりして、深い気持ちになることがあります。

死ぬことは、無になることだとおもうけど、
死ぬまでに、なにをどれだけできたか、
どれくらい人とかかわれたか、自分をみつめれたか
そこが大事だとおもいます。

暗い話というよりも、死について考えることで
生にたいして、真剣にとらえられるようになると
おもいます。

自分は、いろんな人と会ったときに
自分を伝えたいと思って、なるべく真剣に
人と向き合うように、しています。
一期一会のようなきもちで、普段生きています。

はっきり言うと、明日死んでもいいとおもって
日々、ひとときひとときを、大事にしてるのです。

それが、生まれてきた人の出来る、世界への
参加の仕方かなとおもっています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
人生って本当に短いです。中でも、「若くて楽しい時」はとても短いように思います。それが過ぎたら後は辛い事ばかりで・・・。必ず来るであろうその時が怖くてたまりません。そんなことを思いながらも、時間ばかりがどんどん過ぎていって、今まで何してきたんだろうとか色々考えてしまいます。うまく伝えられないのですが・・・。
私ももっとひとときひとときを大事に生きられるようになりたいです。

お礼日時:2003/06/27 09:59

楽しいことだけで、生きて行けたらいいですけど、やっぱり物事には裏側があって、暗い面があるので。

死について考えることは悪いことではないと思います。

あなたはご結婚されていて、お子さんもいらっしゃるようですが。私は、何か窮地に立たされた時に、考えてしまうことがあります。このまま、独りで生きていくんだろうか?とか、将来のことを悲観的に考えてしまったり。

ただ、いまのところ自分自身をこのままでいいんだなって、受け止めることができるので、生きているんだと思います。あまり悲観的になってしまうと、ダメになっちゃうと思うんです。

きっと、いまの生活が幸せで単調に思えたりして、そんな風に考えてしまうんじゃないかなと。お子さんが大きくなってきて、その成長が日に日に見えてくると、そのことに充実感を覚えてきて、そんな考えはどこかに飛んでいくと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私はネガティブ思考みたいです。結婚までは無我夢中とまではいかないけど、こんなこと考えずにやりたいことやってきたって思います。辛い事もたくさん経験したけど・・。今の生活が幸せで単調なのは確かです。ゴールについてしまい、ぼんやりしてしまっているような感じなのかもしれません。

お礼日時:2003/06/27 10:04

趣味と言う大げさなものでなくても良いのですが、


何か、浮世を忘れて、心身を打ち込めることを
探せませんか。 熱中出来ることなら何でも良いのです。

何か見つけて下さい。 見つからなければ、取り敢えず、
何も考えず心を空っぽにして、歩く,散歩とかはどう
ですか。 ゆっくり考えて自分のしたいことを見つけて
没頭すれば、生き甲斐を感じます。 そうなれば、
趣味の合う同好の友達との談笑も出来るでしょう。

死ぬのは誰でも怖いと思います。 しかし、そればかり
考えていてはこの世の中少しも面白くありません。
時には、頭を180度切り替える発想の転換も必要かも
わかりません。

的外れだったらご免なさい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
趣味はありません。旦那にも「何かしたら」と言われたり私自身も「何かしたい」と思うのですが、毎日ただただ時間だけが過ぎていってしまいます。子育てが一段落したら、働いたり教室へ通ったりしたいとは思っています。
確かにこんなことばかり考えていては世の中少しも面白くありませんね。明るい方へ考えられるようになりたいです。

お礼日時:2003/06/27 10:09

私は毎日、目の前で生と死を見つめる仕事をしています。

今日もつい火曜まで病気と戦っていた家族から電話を頂き、水曜の朝に命が無くなった連絡を頂きました。寿命と判断すればしょうがないし、何か他の治療ができたのではないかといつも自問自答する仕事です。

救いは、どうもありがとうございましたと言われることで、生命を救うことはできないまでも出来る事、家族がしてあげられること、苦しみを与えない配慮、どうすればいいか等の助言をしてあげるのが、限界と感じることが多いです。特に末期癌や腎不全、心不全などの状態の家族に対する配慮はつらいものがあります。家族の苦しみは死により開放され、よく看病した、できることはしたという満足感に変わることもあります。

いつかは必ず死にます。これがいつかは誰も知りません。医者はその予測はできますが、家族の支えと本人の努力で残された生活を充実したものに変えられます。ぼんやり50年生きるのも人生、毎日真剣に楽しむ時も苦しい時も生きるのも人生です。死と向き合えば、生きる本当の喜びも実感できるし、子供の成長を喜ぶ事も、自分が死ぬ時に子供に残す生き方のすべも教えることができると思います。死ぬ時は誰でも1人です。その後、1人で充実した人生を子供が自分の力で生きていけるように教育してあげましょう。また、いつ死を迎えても後悔の無いように毎日を大事に生きれば、その人の人生は充実していると思います。

私は何回も死にそうになり、助かったので、また毎日死と向き合う仕事なので余計にこんなことばかり考えます。だから、毎日を大事にするのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>家族の苦しみは死により開放され、よく看病した、できることはしたという満足感に変わることもあります。
こういう考え方もできるのですね。
毎日を大事に生きる・・・。充実した人生を送りたいです。

お礼日時:2003/06/27 14:06

私は、特に怖いとは思っていないのです。

無意識の強がりかも知れません。未練はあります。でも下の子が大人になったらその未練も無くなりそうで、そのほうがこわいですね。 
 ところが妻の方です。(最近は殆どなくなりましたが)死ぬのが怖くなると錯乱状態になるんです。「怖いよー」子供みたいなんです。小さい時からだそうです。
 自分は、仏教系の幼稚園で仏の教えが当たり前みたいな感じでした。家の隣は天理教。そのせいか、いろんな宗教に興味があり首を突っ込んできました。信者がいるって事は、信じる何かがあるだろう。そこに興味があったんです。でも、無宗教者です。何も信仰していません。
 でも、死を達観し死に対する恐怖が無い(?)のは前述の経験からではないかと思います。死が怖いものだとの教えはないですからね。
回答になりそうもなくて申し訳ないです。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
結婚前まではそれなりに目標があり、それに向かって必死でした。ところが、目標に行き着いた今、何かに一生懸命になることもなく(育児は大変ですが)子供が起きている以外はボーっと過ごす毎日です。
若い時代は過ぎ、後は衰えるだけだと思うと心が晴れません。一生懸命になれる何かが欲しいです。

お礼日時:2003/06/27 14:14

生き物にとって生存の欲求はもっとも強い欲求ですから怖いのはあたりまえです。



しかし人間は現在のところ誰でも死にます。

ならば自分以外の何かの為に生きれば、死んでも満足できるでしょう。自分だけが生きる目的の人間にとっては、死はすべてを失うことだから、それは破滅に他なりません。

彼方は何の為に、行きますか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
何て言ったら良いのか・・・。SCNKさんのように考えられたらいいですね。子供が生きがいでも、自立して私の元を離れたら寂しいですし。だから子供だけを生きがいにするのが怖いんです。でも、子供以外に生きがいが今のところありません。

お礼日時:2003/06/27 14:28

36歳 2人の娘の母です



若いですね うらやましいです

きっと死が遠いから怖いのだと思います

昨年友達が小学校3年生の男の子と2歳の女の子を残して

癌で亡くなりました 35歳でした

もう・・少ししか生きられないとわかると凛と死を受け止める

ものなのだな・・とその友人を見て思いました

3年生のお兄ちゃんに通帳の場所 いろいろ家の中の事

教えていました

最後の思い出にディズニーランド(アメリカの・・)
へ行き思い出も作っていました

死は必ずいつかくるでしょう・・

大切な家族に看取られて逝かれるのは幸せですね

そして次の世に娘を残せた事は幸せですね(お互いね)

毎日を大切に生きていきましょう
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
若くてうらやましい・・・何歳まで言われる言葉なのでしょうか。私もあと2年で30歳です。死はいつも身近に感じています。病気の為に長生きできません。
35歳で亡くなられた方のお話は、胸につまるものがありました。私は何歳まで生きられるのかわかりませんが、娘を残せた事だけは本当に幸せです。

お礼日時:2003/06/27 14:36

  pon-poko-ponさんこんばんは。

40代の貧乏サラリーマンです。
 私のような者でも、まだ生きています。死にたいと思ったことも何度もありますが、でも死なずに生きています。自分のしていることが多少でも、社会のため、人様のために生きている、いや、生かされていると思っています。
 人間や生き物には寿命というものがあり、自分ではどうすることもてきず、その最後もいつだか分からないという、未知の世界の中で生きています。

 自分ではどうすることもできない、目に見えない大きな力で「お前はまだ世の中のために役に立つために働くのだ」と言われて、毎日仕事をさせてもらっています。現在、出向社員として、大手上場企業で働かせてもらっています。
 何か、いいことがあるから生きている、生かされているのだと思っています。つまり、自分の存在証明が何かしらあるのかと思います。

 暗い話しというよりは、生き物は命があり寿命というものがある、花や虫や犬や猫にもです。猫好きな家族ですが、家で飼っていた猫は、昔から最後まで面倒を見て、命をまっとうさせてあげるものだと教えられました。寿命や病気で亡くなった猫の数匹は、家の庭に埋めて、供養して上げました。飼っている者の当然のおこないだと思います。

 絵本で「100万回生きた猫」というのを読んでみましたが、いい歳して涙が出ました。
 命の大切さを教えてくれる良い本だと思います。一度疲れたときに、まずは読んでみて下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
色々な方のご意見が聞けてとても参考になります。自分だけじゃないんだと思うと少し気が晴れてきました。
「100万回生きた猫」、読んでみます。

お礼日時:2003/06/27 14:41
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