家・車以外で、人生で一番奮発した買い物

「人間としてやるべき事」を一言で言い表す言葉は無いでしょうか? 

「道徳に従って生きる事は人間にとっての○○である」
の○○に入るものを探していて、
「職責」「職務」
が意味合いとして一番近いと思っているのですが、
イマイチしっくりきません。
「使命」「運命」「天命」ですと、神様から与えられた仕事のような気がしますので、
人間それ自体が自分の意志でそう努力するように決定づけられている、という意味合いで用いたいのです。

どなたか良い言葉をご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
宜しくお願い致します。

A 回答 (33件中1~10件)

>人間それ自体が自分の意志でそう努力するように決定づけられている



生きる為にやるべき事という意味では、「本能」が一番先に浮かびました。

その他、天成、素質、天質、資質、資性、天性、などが浮かびました。

この回答への補足

ありがとうございます。現在の所私の言いたい事に一番近いです。

もうちょっと言うと「本質」がぴったりなのかと思いました。

補足日時:2010/05/03 22:00
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「人の道」を歩むことです。



  http://www.geocities.jp/g3452sgp/hitonomiti

この回答への補足

皆様、回答ありがとうございました。
そろそろ締め切ります。
各御回答者様方の回答は、それぞれのベストアンサーを持ち寄って頂いたのだと思っています。
できれば皆様にポイントを差し上げたいのですが、現状の私の疑問に対する回答に一番近かった回答にポイントを差し上げたいと思います。

補足日時:2010/05/08 11:22
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この回答へのお礼

これは宗教でしょうか? 
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/08 11:18

 No.9&24です。



 ★(趣旨説明) 「使命」「運命」「天命」ですと、神様から与えられた仕事のような気がしますので、
 ☆ というのは たとえば次のように表現される命題を経たあとだという意味ではないのですか?

 ▲ (イザヤ書 64:5) ~~~~~~~~
 われわれはみな汚れた人のようになり、
 われわれの義(ただ)しい行ないは、ことごとく汚れた衣のようである。
 われわれはみな木の葉のように枯れ、
 われわれの不義は風のようにわれわれを吹き去〔らせ〕る。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ すなわち わたしたち人間は 能力にもその生にも限りのある経験的で相対的な存在であるというその条件を確認したあとなのではないですか?
 それなら 規範としての道徳は もう来ないはずだというのが わたしの考えなのですが どうでしょう?
 つまりそうではなく そのように道徳規範が先行するかたちで掲げられるのならば それは 上の人間の条件をまだ経ていない段階でのたとえば単なるコギト(理性的思惟)にしか過ぎないと考えるのです。
 それでは つまらないのではないでしょうか?

 わたしたちは 《むさぼるなかれ》といった規範に仕える奴隷ではありません。あるいはさらに《慈悲こそが この上なき愛である》といった命題に振る舞わされるようなへっぽこにはつくられてはいません。それらは 単なる言葉です。
 人智のきわみだと言っておかねばならないでしょうか? そうだとしても しょせん 人間の知恵の極みであるに過ぎません。
 なんで わたしたち人間が
 ★ 「人間としてやるべき事」
 ☆ というふうに規定しなければならないのでしょう? 規定し得たとして それが どうしてじっさいの生活やひととの関係に対して先行するのでしょう?
 あの人 この人 さらにあちらの人・・・わたしと人とのまじわりが先にあってこそ そういう決まり文句も得られてくるということではないのですか?
 決まり文句が得られたなら それが今度は先行するというふうに順序が逆転するのでしょうか?
 先人の知恵は 道程標のごとく道端に立てられているだけのことではないのですか?

 ただ《わたし》ひとりの主観においては 《つとめ》という表現がよいとは思っております。朝 日が昇れば起きてはたらく こういう生活史観です。
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この回答へのお礼

・・・すみません、正直言うと前半部分については私は頭が悪いのでよく分かりませんでした・・・。

>《つとめ》
これも一つの答えですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/08 11:17

「意思」だと個人的に思います。



>「放縦はしても良いが、それにより迷惑がかかったり、あるいは気を使わせたりするのであればそれは悪である」

の部分ですが、私も社会悪と考えます。放縦と自由は違います。自由は権利と義務の抱き合わせですが、放縦は義務すること、が理解できていない主体の一人歩きです。

booterさんは身障者の例を挙げていますが、私もかねてから同じことを思ってきました。身障者の方が社会福祉保障を求めるのは権利ですが、礼を言わないのは放縦です。それは人間性の問題になりますから。そこは健常者(という言い方の線引きも隙ではないのですが)と対等です。
同様、「お年寄りに席を譲れ」と私たちは躾けられてきましたが、小さい頃から違和感を感じてました。元気なお年寄りとどろどろに疲れたサラリーマンがいたら、私は後者に席を譲りたいときもあります。関連していることに、新聞の読者の投稿に載っているのが「席を譲ったら(年寄りと見るな、などの意味で)怒られた」とありますが、一般的に年寄りと見られる外見と言われた側の意識のずれですよね。譲った方はそう学習させられていることを「道徳」だと実行したまで。この年寄りこそ放縦だ、といえば言いすぎですかねぇ…。ならばそういう言われ方をされた方も感情的になるでしょうし、自分の道徳観が揺らぐかもしれない。そしてまじめな人なら葛藤もするでしょう。新聞に投稿する人はそういう方なのでしょうが。ですが一般的にはやはり性格が悪くても一応体力のない年寄りですし、席を譲りますよね(もっとも譲る場合の方が圧倒的に少ない社会ですがw)。それでも小さな好意(行為)でもひとつの社会規範になるわけで、言われた側にとってはそのとき「道徳」=「必要悪」となる場合もある。

ということを考えれば他の回答にもあるように道徳は変わるものだと思います。また小さな行為でもそれが別のことにリンクし、命を救うこともあれば「宿命」にもなります。ですが自分の中で普遍だと自信をもって実行していくのが道徳なのかもしれません。相手の反応や結果は裏切られるかもしれません。「道徳とは?」という命題とは別に、結果いかんにかかわらず、個人的、社会的な規範をもち、遂行し、そのための強い意志を持ち続けること、これが道徳する行為者のもつべきものだと思いました。行為のための基準や依拠するときの「道徳」の本質や意味は普遍的で変わらないものです。それは人間が長い時間をかけて失敗を繰り返しながら得てきた人類の英知でしょう。まぁ道徳の分野についてだけは人類は3歩進んで2歩下がるような進化の仕方をしてますが。

蛇足ですが「道徳」をの意味を知らない子供に教えるのは社会の役目なのですが、今の時代、大人たちがそういう義務を社会全体が怠っているわけですね。(学校の道徳の時間も教師のサボリの時間になってます)。というか子供のままの大人がどれほどいるか。

またbooter さんのように道徳について考える真摯な姿勢が「道徳に従って生きる事は人間にとっての【思考】である」ともいえるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>道徳について考える真摯な姿勢が「道徳に従って生きる事は人間にとっての【思考】である」ともいえるのではないでしょうか。

いや、お恥ずかしいですがそんな高尚な人間ではないです。坊さんとか知識人に比べれば本当に低俗ですよ。

道徳価値はその時代や社会によって大きく変わります。
その昔、ビートたけしさんが「悪い事を思い切りやれる奴はいい事も思い切りやれる」という振り子理論を言っていました。
振り上げた拳をどこかにぶつけるのは自分の意志ですが、その拳を振り下ろした先が善なのか悪なのかというのは世間が決める事です。
だからと言って悪に放縦して良い訳ではなく、社会なるものをよく勉強して自分なりに出した正しい答えを持って突き進む信念が必要なんだと思います。でなければ社会の発展は望むべくもありません。
件の「誰に座席を譲るべきか? 」という事に数学や科学で求められる一般的、普遍的な解というものはありません。ただ自分が決断しなければならない時に自分がどう振舞うのかという考えを持っておかねばならないと思うのです。

哲学者「1人が死ねば5人が助かる、1人が生きると5人は死ぬ。正しい行いは?」
http://newslogho.blog48.fc2.com/blog-entry-488.h …
「私たちの道徳的な根拠は、多くの場合矛盾しており、そして、何が正しくて、何が間違っているのかという問題は必ずしもはっきりと白黒つけられるものではない」
というのは、ああなるほどなと納得します。

お礼日時:2010/05/08 11:13

booterさん。

こんにちわ。
19番です。
ご返信ありがとうございます。

他の方への補足に書かれている通り、
「本質」なのだろうなあと思います。

今回もまた、
「>お題からは外れてしまう」のですが、

他に、こんな言葉たちも
○○に適切なんぢゃないかと思います。

「快・益・得・美・善」
「歓喜・安心・満足・幸福」
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「快・益・得・美・善」
「歓喜・安心・満足・幸福」
これらも答えの一つになりますね。
ただ私は真善美とかの領域がいまだよく分からないので、
社会的(?)な方面などで人間とは何ぞやという事を知りたく思っています。

お礼日時:2010/05/08 10:55

倫理

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

直球ですね。

お礼日時:2010/05/08 10:49

被っていたら申し訳ない。



「変化」だと私は思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

野性動物的な人間から文化的人間への変化、という事だと私は解釈しました。

お礼日時:2010/05/08 10:49

#19です。


一度回答しましたがその後考えていました。

booter様が「職責」「職務」が一番近い答えとしているのですから、「務め」で良いと思います。

この回答は、外に求めても正解は無いと思います。内に求めてその時点の最良の言葉でよいのではないかとそんな気がしました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

現在の所、一番近い答えが「本質」なのかな、と思っています。
>この回答は、外に求めても正解は無いと思います。内に求めてその時点の最良の言葉でよいのではないかとそんな気がしました。
そんな事は無いです。皆さんに回答して頂き知的刺激を受けている事にメリットがあります。

お礼日時:2010/05/08 10:47

「存在性」です と言う言葉をご紹介します。



人間のやるべき事は 存在し存続し存在を充実し 未来により良いものを託す

存在・存続の延長線上に、永遠が見えてきます。人間は「永遠への存在」を目指します。

これは持論です
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

人間足りうる存在理由という事でしょうか。

お礼日時:2010/05/08 10:46

「渾身の願い」である。

(長ければ単に願いだけでもよいかも)

道徳に従って生きる事ができるのなら、それにこしたことがない。
しかしながら人間はいろいろな条件により道徳をふみはずす。
そこで、そうならぬよう願う事こそ、その部分にはふさわしい。はい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
これも答えの一つですね。

お礼日時:2010/05/08 10:44
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