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映画「東京オリンピック」はなぜヒットしたのでしょうか

市川崑監督の「東京オリンピック」という映画は、東京オリンピックが開催された翌年(1965年)に公開されて、なぜ大ヒットしたのでしょうか。

A 回答 (6件)

不評でした。

わたしはその映画を高校三年生のとき見ましたが、オリンピックを見たかったのになんだか芸術作品っぽくなっていて不満でした。
東京オリンピックは大成功でしたからその後に出た東京オリンピックの記録映画はどんなものだってヒットして当たり前でした。市川監督は普通に作ればいいのにそれでは嫌だったのでしょう。彼好みの芸術性を加味し、記録映画と芸術作品の中間程度の映画になりました。不満でした。
素晴らしい歌の伴奏者が妙に頑張って歌とは別な伴奏をやっているような場合がありますが、まあそれに似たような映画です。日本酒を飲んでいるのにフォアグラを使ったフランス料理を肴に出したみたいなもんですね。失敗作です。
ぼくは東京オリンピックの普通の記録映画が見たかったです。普通の記録映画があって、こういうタッチのものはどうですかと市川監督が作ったのならそれなりに評価したでしょうが・・・
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単なるオリンピックを記録した映画ではなく、オリンピックを通して


「挑む」人々を映し出した人間ドラマを市川監督が撮ったからではないでしょうか。

アングルのとらえ方、息遣いや様々な音、そして音楽、編集どれもが、人々の心を
捉えてしまいます。

市川監督が、関係者の反対を押し切って製作したこの作品は話題になり、日本人の
ほとんどが熱狂したオリンピックを、映画で観ることができるということで
大ヒットにつながったのではないかと思います。

映画館だけではなく、学校や公共施設などでも上映されたので、観客動員も凄い数に
なったのではないでしょうか。

今、観ても斬新で緊張感も迫力も悲哀も感じられ、挑戦する選手たちや応援する人々の
悲喜こもごもの表情をたくさん観ることができます。

「東京オリンピック」は名作として今に伝えられています。
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この映画、観客動員は多かったのですが、公開当時はオリンピック担当大臣だった河野一郎に酷評されていますし、概して映画評は中立的だったと思います。

再評価されたのは後年のことです。市川崑監督が記録映画ではなく、芸術映画としてzhZqkw@< 時間が経っても色あせない映画となりました。まあ、だから、記録映画を期待していた河野には不満だったのですが

既にあるように、オリンピックの余韻が残っているうちに、全国津々浦々の公会堂や公民館で上映され、児童・生徒は学校単位で見ています(まあ、動員だから組織票だな)し、町会単位、職場単位で鑑賞するケース(母は町会の鑑賞会に参加)も多かったようです。通常の劇映画ではこういう動員はありませんから、基礎動員だけでそれだけの差が付いちゃうのです。

当時、私も小学校で当時の文京公会堂に見に行きましたが、小学生にはけっこうきつい映画でしたよ、三歳児だったらあの映像見せられたら泣くと思います。少なくとも、文京区では小中学生がほぼ全員見たわけで、これが全国ですから、そりゃ大量の観客動員にもなりますわ
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観客動員数が多かったのは,


映画館のみならず,
全国の学校や公民館などで上映会が行なわれたことが
大きな要因となっていることは確かでしょう。
ただ,それ以外にも人々を引きつけた理由があると思います。

私の記憶の中の東京オリンピックでは
真っ赤なブレザーを着た日本選手団が
大歓声に迎えられて国立競技場を行進していました。
ところがよく考えると,
小学生の私がオリンピックの放映を観ていたとき,
家のテレビはまだ白黒でした。
真っ赤なブレザーの記憶がリアルタイムのものではなく,
映画『東京オリンピック』に由来するものであると
気づいたのは大人になってからのことです。

1964年当時,
テレビの世帯普及率は90%近くにまで達しており,
国民は自宅の茶の間で手に汗握って観戦したのですが,
その大半は白黒テレビだったのです。
カラー放送は行なわれましたが,
カラーテレビの世帯普及率は1%未満で,
リアルタイムでそれを楽しむことができたのは
ひと握りの人たちでした。

そんな背景の下,
まだ大衆娯楽の殿堂だった映画館で,
あるいは近所の学校や公民館の講堂で,
天然色(!)のワイドスクリーンを前にして
前年の熱狂を思い起こしながら観客は手に汗握ったのです。

超望遠レンズやハイスピードカメラを駆使し,
説明を極力排した演出は記録映画の概念を超越していました。
その後のスポーツドキュメンタリーに
大きな影響を与えたとも言われています。
ただ,当時の観客がその芸術的価値を認めたから
ヒットしたというのは事実ではないと思います。
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非常に美しい映画ですが当時、記録映画を期待したひとびとからは批判もあったようですね。



ヒットした理由は
まず、東京オリンピックは日本にとって最大の国際的イベントだったから、でしょう。
第二次世界大戦で疲弊した国が世界に通用する大会を開催できたこと、さらに体操、レスリング、女子バレーボールなどで好成績をあげたことで日本人はだいぶ自信をとりもどしました。人々は映画でそれを再確認したかったんじゃないでしょうか。
そのころは家庭用の録画機器(および再生機も)なんてものはありませんから、見逃した競技は映画ででもなければ見直すこはできない、と言う事もヒットの理由の一つでしょう。

観客動員が大きかった理由の一つに、公立学校の行事としてこの映画の観賞が行われたこともあると思います。
私は当時小学校2年で凝った映像表現はちんぷんかんぷんでしたが、それなりに感動はしました。
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国威発揚ではなく芸術性を重視した作品だったからです


試写会ではJOCがお冠だったそうですが国民には好評だったのですね
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