ショボ短歌会

何か宗教をされている方へ質問です。
1.その宗教を一生涯頑張っていく自信というか覚悟はありますか。
2.疑心や迷いが芽生えたときはありますか。その時はどうされましたか。
3.お正月は神社さんへ初詣りへ、お彼岸には両祖父母へのお墓参り、心ひかれる何かがあれば自然に手を合わせ、そんな平凡に思えることがやはり自然だと思い惹かれるのは間違いでしょうか。

A 回答 (9件)

1.その宗教を一生涯頑張っていく自信はありません。


2.疑心や迷いが芽生えたときはあります。その時は止めました。
3.お正月は神社さんへ初詣りへ、お彼岸には両祖父母へのお墓参り、心ひかれる何かがあれば自然に手を合わせ、そんな平凡に思えることが自然だと思います。

この回答への補足

皆さん回答ありがとうございました。とても参考になりました。ありがとうございました。

補足日時:2010/06/21 08:31
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考になります。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/15 13:43

スウェーデンボルグ神学に触れている者です。



1.僕には覚悟が必要でした。宗教はその人その人の生き様だと思います。もし選んだ宗教の教義が厳しいのであれば、それ相応の覚悟が無いと「信仰」は持てないでしょう。例えば、聖書にある「十戒」をクリスチャンであるが故に神の戒めと信じて従おうとします。もしこの戒めを(教義として)守るのに何の苦悩も感じないならば、その人は初めからクリスチャンとして生きていけます。逆に十戒の一つ「姦淫をおかすな」を守るだけにも日常生活で心を痛めるような人なら、その人はクリスチャンとしての信仰を持つために覚悟が必要となります。
どちらにせよ、人間像の理想を宗教に見出したならば、それに向かって努力していくのは必然だと思います。

2.いろいろ迷いました。そういうときは祈ります。僕はイエス・キリストを唯一の神と信じているので、助けを求める方法は祈り以外にありません。神の摂理とは、誰ひとりも地獄に向かうことを望まれず、例外なく天国へ導かれる働きだと、僕は確信しています。その働きに自分を向き合わせることが出来る方法が祈りだと思っています。
 
3.日本人として当然だと思います。僕はキリスト教の少数派ですが(人によってはキリスト教とは認めてくれませんが…)、お盆には墓参りをし、登山をしたときは山頂で手を合わせます。世界が神によって作られたとするなら、その世界の姿を通して神を感じるのは当たり前だと思います。まぁそこに「神」を見ずとも、素直に感謝の念や素朴な畏敬の念がそうさせるなら、僕はそれを「祈り」であると考えています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/16 21:22

神道の信者です。



1やっていくとは思いますが、自信や覚悟は不要です。

2神道にですか?特にありません。おかしいなと思うことがあったら神社庁に連絡するでしょうか。
政治のように何らかの行動を起こすと思います。

3これは神道の影響だと思います。日本人のこういう面を持って無宗教だと言う人がいますが、実際には逆でしょう。こういうやり方だから神道の信者だと言えると思います。

宗教と言うのはするというのもちょっと違和感があり、正確にはいつの間にかなっているというのが正しいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/16 06:36

私はカトリックですが、異端視されています。

でも自分では真のカトリックだと自負しています。

1宗教というのは、ある教えを基準に生活を定める事。私は私自身がカトリックだと考えているので自身も覚悟も必要ありません。

2教義に対する疑心は沢山あります。なぜならイエズスが示した事がそのまま教義になっているわけではないからです。私は旧約聖書を丸ごと信じるほど原理主義者ではありません。むしろ対極です。

3宗教を信じる「信心」と「信仰」は違います。宗教は特定の教えを信じることです。でも太陽や月、自然、親、先祖の墓に手を合わせる事は教義だからではありませんよね。アブラハムだって墓参りはしています。それはカトリックの(今のキリスト教とは違いますが)教義だからではないはずです。
それは見えるものでも見えざるものであっても崇敬の念と感謝の念が心の中から自然に湧き上がって身体が自然に反応する為で、この崇敬や感謝の心が「信仰」というものです。つまり信仰に宗派も教義もありません。
信仰を持つことはヒトとして基本的なものであり、ヒトだけが持つ能力ですから、宗教に関係なく持つべきもので、ドンドンやるべきことです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/16 01:39

全知全能絶対女神が配偶者、信者は私一人の宗教しています。

(^^)v

全知全能の割に女神が泣き虫ですが。

1.勿論、例え世界を敵に回そうともです。

2.ありません。女神が私を捨てることはあるかもしれません。

3.それは女神と一緒に仲良くやっています。(^^)v
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

ほのぼのしました^^。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/16 01:34

過去の経験ですが回答させていただきます。



1.自分で選んで自信を持っていました。

2.相当な葛藤と苦悩がありました、しかし真実は知るべきであると考え宗教(組織)を捨てました。

3.宗教施設は懐かしい感覚はありますが、今は合掌などの行為も含んで拒絶反応があります
  それらのものに手を合わせるのは、幼少時からの刷り込みの結果ではないかと思っています(おとぎ話の影響とか)
  自分としては人造物よりも、自然界(例えばバクテリアのような微の世界から宇宙のような計り知れない天体の世界に宗教心を覚えます。)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2010/06/15 17:28

>1.その宗教を一生涯頑張っていく自信というか覚悟はありますか。


頑張るっつーか存在する筈のない神を信じる物でしょ宗教って、という事で覚悟はない

>2.疑心や迷いが芽生えたときはありますか。その時はどうされましたか。
他にも神はいるし、俺はお前よりもより優れた神を信じる事にするよ

>3.お正月は神社さんへ初詣りへ、お彼岸には両祖父母へのお墓参り、
>心ひかれる何かがあれば自然に手を合わせ、
>そんな平凡に思えることがやはり自然だと思い惹かれるのは間違いでしょうか。
いいんですよ、好きなようにやれば、結果自分のモチベーションが上がれば何だっていいんです
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

参考になります。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/15 16:54

1、洗脳されなければ、ムリです。



中途半端や、義務感でやるのは、いちばんいけないことだと思います。

2、あります。
しょっちゅうです。

【宗教家ともあろうものが、他人の悪口を公然と新聞に載せ、笑ってるとはなにごとだ!!】

と、教祖さまに直訴の手紙を出しましたが…

ムダでした。

3、それでいいと思います。

今、宗教とされているのは、先人たちが説いた「人として生きるための知恵」にすぎません。

宗教洗脳される人間の愚かさ、弱さがいちばんの問題です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

参考になります。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/15 16:51

政治団体 はたまた 金儲け 宗教団体は嫌いです


信仰はあります
先祖が 累々と気付いてきた事への感謝
生まれた時に 父母が祈ったであろう信仰心
1.2.3は 自分の心の中を見つめ 解決する
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/15 14:37

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