芸術家のなかには覚醒剤を使う人がいるのは暗黙の了解だと思います。

 そこで、質問なのですが、覚醒剤を使用することでできたあなたにとって素晴らしい作品をどう思われますか?

否定派、肯定派、造り手、鑑賞者、それぞれのご意見をお聞きしたいと思います。

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A 回答 (10件)

作り手です。



覚醒剤はミュージシャンでは好む人もいますが芸術家で使う人は殆どいないですよ(日本ではなぜミュージシャンのことをアーティストというのでしょうか?)。単純に制作しているときはアドレナリンが出まくっているので必要ないからです。更に薬物で警察に捕まったらキャリアを棒に振りかねないので余計にです(社会に属していない芸術家であっても)。大麻などヘビーでないものは海外の合憲のところで摂取します。とは言えいちいちしにいくわけではなく且つ息抜き程度にです。ちなみにそれらが創造に結びつくことは自分を含め周りの人でもまずないです。酩酊から覚めると大抵全然意味がわからないつまらないものができます。

鑑賞者のスタンスで言えば、覚醒剤を使用してようが人殺しだろうが素晴らしい作品の素晴らしさは変わりません(ただ自分には具体例が思いつきませんが)。それは作った芸術家の力量によるもので、覚醒剤など薬物の力ではないと思います。例えばビートルズには薬物摂取の経験を経て作られた素晴らしい曲がありますが、たんにビートルズの力量でもって素晴らしい作品が出来ただけだと思います。
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ふと思ったのですが、始めから薬を使って何かを創造し、それによって”芸術家”いわゆるプロになった人は、いないのではないですか?


つまり、職業芸術家になって、コンスタントに新たな何かを創造しなければならない、という状況に陥った時に、そういったものに手を出すのでは?

だとすれば、そういうものを経て創造された何かは、その芸術家の芸術家たる特異性を含んではいるが、それ以外の、たとえば偶然性だとか、普通の状態では思いつかない突飛な発想だとかを添加されたものと考えることが出来るような気がします。

完全にトランス状態で作ったものは芸術作品とは言えない(サルに絵筆を持たせて描かせた絵のように)と思うのですが、考えることが少しでもできるなら、それはその芸術家のイマジネーションの一部が含まれていると言えるので、芸術と言っていいかもしれません。
言い方を変えれば、薬はきっかけに過ぎないのではないでしょうか。
薬は芸術を創造しません。人間の創造力が芸術を作るわけですから。
手段は誉められたものではありませんが、作品は別個と考えていいと私は思います。

薬とは違いますが、多くの芸術家が、生活無能者だったりするではないですか。借金王だった啄木や、ロリコンだったナボコフなど。
それを肯定するのではなく、社会的にはそんな落伍者みたいな者でも、何かを生み出すことができるのだという風に考えます。

ただ、そういった薬が違法である現代の日本で、あえて法を犯してまでそうする人は、すでに芸術家ではないのでは?苦しみ足掻いているだけですもの。
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この回答へのお礼

>始めから薬を使って何かを創造し、それによって”芸術家”いわゆるプロになった人は、いないのではないですか? つまり、職業芸術家になって、コンスタントに新たな何かを創造しなければならない、という状況に陥った時に、そういったものに手を出すのでは?

 そうですね。そういうケースが大半かもしれませんね。受験生のなかで厳しい芸大受験を乗り越えるためにそういうものに手を出す者がいるとは聞きますが。


>ただ、そういった薬が違法である現代の日本で、あえて法を犯してまでそうする人は、すでに芸術家ではないのでは?

 芸術家かどうかを判断するのは、法律がネックではないような気がします。話は飛びますが、ルネサンスの時代、解剖はご法度だったそうです。ミケランジェロやダ・ビンチらは法を犯してまでも作品の高みのために危険を冒した、という意味で、真の芸術家である、という見方もあります。倫理観は常に揺れ動いていて難しいものですね。

 アドバイス大変ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/15 08:23

全然関係ない話なんですけどいいですかね?



なだいなださんの文章だったと思うのですが、薬物中毒とアルコール中毒についてこういう↓趣旨の事を書いてました。

『アルコール中毒は文化とアルコールを切り離すために起こる。
本来酒を飲むには文化があり、それで飲み方も決まっている。何を食べながら、どんなペースで飲むか。日本酒ならチョコで、さしつさされつ飲むのが食文化の中に決まっている。
どういう時に飲むかも決まっている。
仕事の後の晩酌だったり、正月だったり。
こういう文化に従って飲んでいる限り中毒は起きない。
それが自動販売機で昼間でもコップ酒が買えるようになると、ツマミもなしで際限なくあおることが抵抗なくなる。
薬物についても同じことが言える。
南米ではそもそもケシなど薬物の原料そのものを栽培しているのに、薬物中毒の歴史は無かった。
それはどれだけ製造して、どういう時にどれだけ使うかということも文化の中に定められていたからだ。
神との対話儀式でこれだけ使う、高山病の治療にこれだけ使う、と言ったルールが当たり前に徹底していた。
それが、利益を目的に薬物の文化などない国で売りさばかれる事で、薬物中毒が生まれた。
何の文化もナシにいきなり薬物を手にした人々は、闇雲にそれを乱用したのである』

記憶で書いてるんで細かいところは違うかもだけど。

薬物と芸術には古くから関わりがあるらしい、みたいな事を書かれてますけど、南米以外の地域の人間(芸術家も含めて)が薬物と関わりを持ったのは、アヘン戦争とか、そのあたりの時代以降だと思いますよ。
私も歴史の事はよく分かりませんが。
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この回答へのお礼

大変興味深いお話をありがとうございました。

>南米以外の地域の人間(芸術家も含めて)が薬物と関わりを持ったのは、アヘン戦争とか、そのあたりの時代以降だと思いますよ。

ご指摘ありがとうございます。

お礼日時:2003/07/15 08:17

芸術家と薬物の関係に興味があるならジャン・コクトーの『阿片』を読んでみるのをお薦めします。


『恐るべき子供達』もセットで読めば尚良いかと。

追記しますと『阿片』はコクトー自身が阿片中毒の治療のために入院している時に書いた日記です。
そして『恐るべき子供達』は、この日記と並行しておよそ2週間で書き上げられた小説です。
阿片によるトランス状態の時はイマジネーションが湧くけど体が言う事をきかないから作品が作れない、のでトランスの余韻が残っていてどうにか体が動く時期に作品を作ろうという試みで書かれたのが『恐るべき子供達』だそうです。
尤も、コクトーは『阿片と覚醒剤を一緒にするのは、酢とワインを一緒にするようなもの。覚醒剤と阿片は別物』と言ってますが。
現在の日本の法律ではどちらも違法ですし、体を蝕むものである事については変わりませんね・・・・

私は『恐るべき子供達』が好きなんですが、だからと言って薬物がどうという事にはコメントできません。
自分が試したことないので(ちなみに作り手兼鑑賞者です)作品に薬物の存在がどこまで関わっているのか分かりませんから。

中島らもさん、捕まりましたね・・・・
法廷で薬物擁護論(?)みたいな主張をして弁護士に止められたとか聞きましたけど(^^;
ただ薬物について考えるなら、それは人を殺す引き金にさえなるものだということから目を逸らさないで欲しいとも思います。
ちょっと前にテレビで、薬物のトランス状態で人を殺した人のインタビューやってましたけどね。
殺すつもりなんか全然なかったし(ちなみに被害者は加害者の恋人)、殺した記憶なんかカケラも残ってないそうです。でも気付いたら彼女が死体になってて、部屋には鍵かかってて、自分以外の人間が殺したとは思えない状況で呆然としたそうで・・・・・

薬物には、一種のかっこよさというか、社会からの勇気ある(?)逸脱のシンボルというか・・・幻想みたいなもんがあると思います。
で、芸術にも似た幻想があると思う。芸術やるのは特別な才能がいるって大概の人は思ってますもんね。
(実際やってる私に言わせれば、才能でやってる人は稀で、ほとんどの人は適性と努力でやってると思う)

そんで、芸術やってて薬物やってる人の中には、芸術家というスタイル欲しさ兼ストレス発散にやり始めて止められなくなる人もいると思うのです。
だから薬物やってて芸術やってて…という人の作品が、薬物抜きには成り立たなかったかというと、そうではない場合も少なからずあると思う。

演劇は勿論芸術だし、芸能人には舞台演劇やってる人も多いからね…芸能人の薬物スキャンダルは時々あるけど、薬物が作品に関わってるとも思えないのだなぁ…私には。
いしだ壱成が薬物抜きに舞台に立てなかったとは思えないです、ハイ。
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この回答へのお礼

>だから薬物やってて芸術やってて…という人の作品が、薬物抜きには成り立たなかったかというと、そうではない場合も少なからずあると思う。

それはありますね。

ご回答ありがとうございました。
ジャン・コクトー、一度読んでみたいと思います。

お礼日時:2003/07/15 08:16

ん~否定派、肯定派、造り手、鑑賞者どれにもなりませんが...


芸術家っていうのは、基本的に、一種病的なところがあって、
それを表現することが、芸術活動になっていると考えています。
それができなくなって、人工的にそういった状態を作るために
覚醒剤やLSDを使う人がいると思っています。

それが、良いのか悪いのかはよくわかりません。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
そうですね。私も芸術にとって覚醒剤などの助けが良いのか悪いのか正直解りません。
イカサマのような気もしますが、至高の表現を追及する者にとっては切り離せないものかもしれません。

今回回答をいただいて、案外作家と作品を結びつけて考えない観方は新鮮に感じました。

お礼日時:2003/07/13 06:46

作り手プラス鑑賞者ですが、、



>芸術家のなかには覚醒剤を使う人がいるのは暗黙の了解だと思います。

えええっ、どういう分野をさして言っていますか?私はそれはだいび限られた分野?の場合においてのみだと思っているんですが。

芸大に属している人間ですので、卵はたくさんいますし、先生は現役のアーティストですが‥そんな人いるのかなぁ。
芸術って、二次元の芸術とか、3次元のものとか、時間性の有無ですとか、いろいろジャンルわけがあるんですけど無いタイプの芸術とあってもおかしくないタイプの芸術があるかもしれませんね。

この回答への補足

訂正
>どういう分野をさして言っていますか?
(お礼の一行目は引用です。)

補足日時:2003/07/13 06:46
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この回答へのお礼

どういう分野をさして言っていますか?
芸術と呼ばれる分野を総合して言っています。
そうですね、色んな分野がありますので全てのものに当てはまらないのは承知しています。
ですので、”芸術家のなかには”とさせていただいています。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/13 06:45

覚せい剤は芸術性を高めるモノではないと思いますよ、


気分を高揚させる覚せい剤を使わなければモチベーションを維持できない時点で芸術家失格ではないでしょうか、
懊悩や湧き出でるイマジネーションを自らの表現で独自の世界を作り出すのが本当の芸術では、

なので芸能人や自称芸術家なんかが自分の音楽や芸術のためと言って覚せい剤に手を出すのは単なる薬物中毒者の言い訳でしかないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/13 06:45

鑑賞者になるのかなぁ。



覚醒剤を使おうと使うまいと、良い作品なら評価して良いと思います。

>暗黙の了解だと思います。
何故でしょう?出来上がったプロセスに興味はありません。ですが、日本では覚醒剤は犯罪です。ですから、作品の評価と作者本人の評価は別物でしょう。混ぜちゃうと訳わかんなくなると思うのですが。
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この回答へのお礼

>何故でしょう?
まだきちんと調べていないのですが、古くから麻薬、覚醒剤と芸術作品には深い結びつきがあるようです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/13 06:44

覚せい剤とは限らず、ドラッグ一般ということで。



優れた芸術は、作者の手を離れて一人歩きをするものです。
作者の生活と、芸術作品は別物だと考えます。
作品が生み出された背景には興味がありません、
と思うようにしています。

(実際には、やっぱり人間ですから、ちょっとは気になりますけどね)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/13 06:43

こんにちは。

否定派?です。
どのような作品でも作品は作品だと思います。
覚醒剤を使わなければ作品が作れないのであれば、その方はその程度のレベルなのでしょう。
製作者としてはまったく評価に値しませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/07/13 06:43

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Q薬物と芸術性の関係について

大麻などの薬物を使用すると芸術性が向上するなんてよく聞きますが、ちゃんとした根拠はあるんですか?
単に大物アーティスト(各分野の)等に薬物使用者が多いからそんなことを言っているのでしょうか?そうだとすれば私の勝手な意見としては、薬物を使用したから成功できたのではなく、その業界で薬物が蔓延していて手を出してしまう人が多いだけと思うのですが・・・

Aベストアンサー

そう感じる訳です。薬物でラリってトランス状態になっているので、自分の作品を見てそう感じるという事。加えてその手の事を言う人間は、売れっ子か摸倣ファンかのどちらかです。前者の場合は売れているから売れたという事である場合が大多数であり、後者はある種のマニュアル人間であり単なる思いこみです。あるいは作品を見る目のない人、違いの分からない人がドラッグカルチャー系の偉人たちを見てそう称しているのでしょう。

音楽関係で話すなら、キリスト教圏では悪魔の音楽と呼ばれるぐらいになっているとミュージシャンには実はそれが精神的に相当のプレッシャーになっていたりします。そういう抑圧の中での開拓者というのは異端児であることが多いのです。また音楽に限らず芸術作品の評価には時代背景や作者の立場というものが非常に重要なものであったりします。ドラッグカルチャー系の偉人たちを見てドラッグの力でその作品が造られたと話す人は基本的に知ったかぶりの類の人でしょうね。

ジミヘンドリックスがドラッグに手を染めていなかったらあのような音楽は生まれていなかったでしょう。かといってドラッグを使ったからといってジミヘンのような音楽が作れる訳でもないのです。
結局、作者の生きた時代や生活などを作品と共に並べてみた場合、確実にドラッグが影響している訳で"歴史にもしはなし"という事で語られる訳です。
つまり、その人はそう生きたのだという事です。

そう感じる訳です。薬物でラリってトランス状態になっているので、自分の作品を見てそう感じるという事。加えてその手の事を言う人間は、売れっ子か摸倣ファンかのどちらかです。前者の場合は売れているから売れたという事である場合が大多数であり、後者はある種のマニュアル人間であり単なる思いこみです。あるいは作品を見る目のない人、違いの分からない人がドラッグカルチャー系の偉人たちを見てそう称しているのでしょう。

音楽関係で話すなら、キリスト教圏では悪魔の音楽と呼ばれるぐらいになっている...続きを読む


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