天使と悪魔選手権

鈴木大拙さんはどうして禅についての著書を書いたのか?
確か鈴木大拙さんて禅の思想を言語化した著書を書きましたよね。
でもそれって禅の思想である不立文字、教外別伝という考え方からしてみると
何か矛盾しているように感じるのです。

どうして鈴木さんは禅の思想に関する本をかいたのかお教えできないでしょうか?
そのあたりの事情について書かれた本などもご紹介していただけるとうれしいです。
回答よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

鈴木大拙さんのことは一旦おいて、禅と言語の関係について回答させてもらいます。



「不立文字」というのは、言語化できない真実を重視する立場を指しているわけですが、それは言語を用いない、というわけでは全くありません。仏教というもの自体がそもそも、お釈迦さんが自分の悟りの内容を語るべきかどうか悩まれた挙句、やはり言葉をもって伝えていく決心をされた歴史に始まるのですから、言葉が必要だし重要であるということは、仏教である限りは決して否定をしないはずです。

八宗の祖と呼ばれるナーガールジュナという人は、真理には言葉によるもの(俗諦)と言葉によらないもの(真諦)の二種類があることを述べていますが、その真諦は俗諦によってのみ実現されるのだ、とも書いています。つまり、言葉を超える真理は、言葉による真理の探究の果てにしか実現されないのだ、ということです。禅宗もこの立場に立っていますから、安易に入り口で言葉を放棄してしまうことは、実は真理そのものの放棄であって、本来の禅の姿勢と相反するのです。

僧堂では昔も今も、住職による訓示がありまた問答も盛んになされます。「正法眼蔵」など禅の書物は大量に書かれてきました。誤解されやすい点ですが、禅が否定するのは言葉そのもの、ではありません。禅の本当の敵は、言葉ではなくて、難しくいえば、言葉によって「聖なるもの」「絶対的なもの」が措定されること、です。

言語がものごとを限定することによって成り立つものである以上、言語で表現されたものは、本質的に限定されたものでしかありえません。どんな真理も、一旦言葉で表現されてしまえば、それは言葉による限定を受けざるをえませんし、したがって本来の絶対性というものは失われて、相対的な価値に堕してしまいます。それは言語のもつ宿命ですし、その点までは既に自明のことなのです。

問題は、そんな言語による表現がなぜか絶対視されてしまい、いわば模範解答のようにまつりあげてしまうことです。自分の境地であれ何であれ、一旦言葉となったものが、干からびようが賞味期限が切れようが、実体的なテーゼとなってそれにとらわれたりしがみつくような人間を生み出してしまう。そのこと自体が、禅者にとっては唾棄すべきことでした。繰り返しますが、禅は言葉でなく、言葉にとらわれて融通無碍な態度が失われることを嫌ったのです。中国禅の最重要人物のひとり、馬祖という人は門弟に常々、「私の言葉を覚えてはいけない」と訓していますし、船子和尚という人は、「ドンピシャリと真理を言いあてた言葉でも、いつまでも後生大事に持っていると、杭につながれたロバみたいになるぞ」と言っています。

「不立文字」という言葉も、一度こういうことを踏まえて考えてみる必要があります。この言葉は真理にせまる言葉ではなくて、禅の相対的な特質を現象的に表現したものですが、それにこだわる人、それにしばられて闊達さを失う人がいる現状を見れば、恐らく中国の禅者の多くは、「放下著」(捨ててしまえ)と言うのではないでしょうか。
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不立文字、教外別伝という考えは、禅の奥義は文字にすることができない。

という考えなのですが、それを何とか文字で表して多くの人に禅を理解してもらおうと考えたのではないでしょうか。
鈴木大拙自身が著書の中で書いているのですが自身が「少し語りすぎた」部分もあるかと思います。
禅は実際の行を重んじるところがありますから。
いくら書いても真理に到達できない。その心がまた文章を書かせる。そういったジレンマに陥っていたのかもしれません。
鈴木大拙といえば哲学者の西田喜多郎との交流が有名ですが、自身のことを宗教家とは言っていないようですね。信仰よりも知恵で真理に近付こうとしたのかもしれません。そんな 鈴木大拙の絶筆は浄土真宗の親鸞の著書の「教行信証」の英訳だったと思います。禅の枠にとらわれない考えを持っていたのでしょうか。
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「不立文字、教外別伝」と言って、誰も何も説かなかったら、禅はなくなってしまうと思います。



今の禅宗の坊さんの多くは、そこんところを勘違いしていて、昔の人の語録を粗末に扱っているような気がします。
昔の禅僧は、過去の禅録に学び、中国古典に学び、多くの「文字」を読んで己の禅を確立していきました。今の禅宗の坊さんに中国古典のことを聞いたって、誰も答えられやしません。「不立文字ですから、本は読まぬのです」と鼻高々に言うでしょう。

と、話が少し逸れました。
鈴木大拙さんがどのような意図で禅の思想を説かれたかは存じませんが、禅を分かりやすく説くことが「不立文字、教外別伝」に反するとは思いません。
「文字、言句にこだわるな、そこから先に禅がある」ということですから。
大拙さんの本を読んで、そこからどう自分の禅を打ち立てるかは、その人自身です。そのきっかけを多くの人に与えようとしたんじゃないでしょうか。

また、大拙さん自身、「禅はすばらしいもの」という認識を持っていたと思います。その「すばらしさ」を多くの人に伝えたかったんじゃないでしょうか。
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この人は25歳で見性体験をしたはずです、そうして96歳で亡くなったと思います。

そうして悩む事で人間が得る事が出来る『もの』を余す事無く仏教や禅を通して語りました。大変な数の経典を学んで、英語にして、アメリカやヨーヨッパに禅や、東洋の思想を紹介したようです。

アメリカに住んでいた事もあって、分りやすい文章で仏教や、禅を解説したようです。日本人で日本文化を紹介したりした人で、過去では鈴木大拙博士が一番と言う評価を向こうの人はしていたようです。

私もこの人の著作したものの影響で見性したのかも知れません。もう30年も前の話です。

著書に付いてはインターネットで調べられた方が良いと思いますが、沢山の著作を残されましたが、どれを取ったとしても、総てが良いと思います。未だ全部は読んではいませんが、悪い印象を受けたものは在りませんでした。今でも毎日少しずつ読みかえしています。全集を持っています。
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