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江戸時代の男の人は頭の真ん中の髪を剃って髷を結っていましたが、どのようなきっかけでそのような髪型にするようになったのでしょうか?時代劇を見るたびに変な髪型と気になって仕方が無いので、詳しい情報をお願いいたします。

A 回答 (3件)

江戸時代よりも遥か昔…。


鎌倉時代には剃るのが当然でした。(奈良時代はどうだったか知りません)
月代(さかやき)を剃ると言います。
戦の際に兜や笠をかぶるので、頭が熱くなり戦力判断力が落ちたり、
熱中症になるのを防ぐ目的と言われています。
農民や職人も剃っている訳ですが、彼らは戦の際は
徴兵されて雑兵となるので
武家からの圧力で準じていた訳です。
天下泰平になった江戸時代、幕末までその習慣が続いたのは、
武家統治の時代ですので臨戦体制のまま習慣として残っていた訳です。
商人町人達は波風立たないよう風習に習ったのでしょう。

よく時代劇で月代を剃っていない武将が出てきますが、
ほぼあり得ません。月代を剃っていないのは元服前の非戦闘員や
戦闘拒否を示すのと同様だからです。
例えば某国営放送の天地人の主人公や主要人物は
月代を剃っていませんが、タレントが役のイメージよりも現代人である自身のイメージを優先して我が儘を言うか、
現代のドラマだから時代考証より現代チックな格好良さを作り手が優先している結果です。
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この回答へのお礼

回答をどうもありがとうございます。
戦争に行く時に兜を被る為というのは、想像できなかったことなので大変興味深いです。
月代を剃るという言葉も知らなかったので、教えて頂きありがとうございました。
個人的な予測では、頭頂部の禿げ上がった権力者が、自身のコンプレックスをなくす為に皆にも頭頂部を剃るように強要していたのだと思っていました。

お礼日時:2010/09/12 21:27

昔の人は、頭頂部が禿げ易い環境だったので、あのようなチョンマゲ頭になったと考えられます。


現代でも、壮年男性は頭頂部の髪の毛が抜け易いのです。
理由は、頭頂部の髪の毛は女性ホルモンに支配されてるからです。
側頭部と後頭部の髪の毛は甲状腺ホルモンが支配してるので、現代の男性でも禿げ難いです。
昔の整髪料は「びんつけ油」という松脂とロウを混ぜたものです。
現代でも大相撲の力士は「びんつけ油」で整髪してますが、現代のびんつけ油は菜種油等を使用してるようですし、力士は毎日洗髪してますから、毛穴が詰まる事はないのです。
しかし、江戸時代の生活環境では毎日の洗髪は難しかったと考えられます。
まず、石鹸もシャンプーもなかったので、米の磨ぎ汁等で洗ったそうですから、毛穴まで綺麗に油を洗い流す事が出来なかったと考えられ頭頂部の抜け毛を抑える事が出来ず禿げ頭になる率が高かったと考えられます。
僅かしか頭頂部の髪の毛が残らないなら、剃ってしまおうという発想で、あのようなチョンマゲ頭が流行ったと考えられます。

時代劇のチョンマゲ頭はカツラなので頭頂部と側頭部の生え際が明確ですが、実際のチョンマゲ頭は頭頂部の抜け上がった人と頭頂部の髪の毛が薄くなった人によって生え際の状態も違っていたと考えるのが自然です。
現代でも、チョンマゲが似合いそうな禿げ頭は多いですが、バーコード頭にしても頭頂部を剃る人はいません。
むしろ、一思いにスキンヘッドにしちゃう人が多いです。
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この回答へのお礼

生物学的な詳しい回答をどうもありがとうございました。
頭頂部の髪が薄い人々にとっては、昔の日本の方が気楽で過ごしやすかったでしょうね。

お礼日時:2010/09/12 21:30

私の聞き及ぶ理由は、合戦の際にかぶる兜で頭が蒸れるのを防ぐ為とのことでした。



金属や革などを頭にのせる際に、髪の毛のある部分がクッションとして、剃った部分を通気部分として機能すると。
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