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古代世界史で

優れた戦術 奇策を教えてください

A 回答 (3件)

アレクサンドロスが死去しディアドコイ(後継者)戦争が始まった


セレウコスはアンティゴノスやプトレマイオスより一回り若く地位も
大王存命時代のインド遠征で親衛歩兵(ヒュパスピスタイ)大隊長だったのに過ぎなかった
セレウコスは摂政ペルディッカスを盟友ペイトンらと暗殺しバビロン太守の座についたが
猜疑心の強いアンティゴノスに暗殺されそうとなり妻子を連れエジプトに亡命していた
ガザの戦い後、セレウコスはプトレマイオスに1000の兵を借りてバビロンを奪回すると申し出た
プトレマイオスはこんな冬に妻子連れでたった1000でバビロン奪回は狂気の沙汰と思ったが
失敗するのを見込んで応じた

セレウコスはエジプトからメソポタミアのカライへ渡り守備兵を引き抜きにかかる
強引なアンティゴノスに反感を抱く兵が多かったからだ
やがて反アンティゴノスの兵を集めたセレウコスはバビロンを奇襲し制圧した

仰天したアンティゴノスはイラン方面の太守をまとめているニカノールにセレウコス追討を命ずる
ニカノール17000の兵に対しセレウコスは3400の兵しかなかったが
綿密な偵察によりニカノールの陣容、進路を知り事前にティグリス河の渡河地点で待ち構えた
やがてニカノールの軍が到着し、セレウコスは夜襲をかけ壊滅させた
間伐入れずにニカノールの本拠スシアナ太守領に攻め込み制圧
敗将ニカノールはメディアへ逃げた
驚いたアンティゴノスは子デメトリオスに大軍を預けバビロン奪回を命じた

セレウコスは僅かな兵を残し、デメトリオス軍に決戦を挑まず徹底したゲリラ戦で敵を遅滞することを命じ
自らはニカノールを追撃した
デメトリオスはセレウコスの残した守備隊のゲリラ戦に苦戦したが
プトレマイオスをキプロスのサラミスの海戦で壊滅させた若大将デメトリオスは強引にバビロンを占領した
しかしセレウコスの守備隊は十二分に時間を稼いでいた
その時セレウコスは既にニカノールを戦死させメディア太守領、ペルシス太守領をも制圧し
大軍を率いバビロンへ戻ってきたところだった

このセレウコスの挙兵を知り反アンティゴノス勢力は息を吹き返したため
デメトリオスは地中海方面に召還された


長文失礼致しました
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この回答へのお礼

いえいえ
参考になりました
ありがとうございました

お礼日時:2010/09/19 21:14

背水の陣。

前漢の韓信、兵法に置いて川を背負い陣を敷く事は絶対避けるのが基本とされていました、しかし絶対不利な状況で危険を犯して行なったのが韓信です。それなりの事情が有ったのです彼は10万の兵を持っていましたが劉邦に取り上げられ、よせ集めで、しかも新兵を使うより仕方ない状況に為りました、敵は自軍の戦力の十倍、韓信は新兵に必死の戦いをするように仕向けたのです。後ろは川。下がれば溺死します。兵は想像異常の戦いを始めました極限状態に追い込むことが最大限の能力を引き出す事を韓信は知っていたのです。戦っている間に別働隊を送り後ろにある敵の城を占領させました。形勢逆転です、動揺した敵は潰走を始めました、韓信はこの戦いに勝利したのです。韓信は冷静な判断をくだす能力があり、心理戦をよく理解していました。敵の城を奪うことが出来なければ勝つことは出来なかったのですが全ては計算の内でした。しかしこの天才も劉邦に粛清されてしまいます、自分の運命は読めなかったよです。
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この回答へのお礼

はぁあ
凄いですね

お礼日時:2010/09/19 21:11

奇策と言えば、



古代ギリシャの「トロイアの木馬」で有名なトロイア戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD% …

ハンニバルの象でのアルプス越え
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3% …

詳細はURLをご参照ください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2010/09/19 21:15

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