「みんな教えて! 選手権!!」開催のお知らせ

日本の名参謀として知られる源田実ですが、最近は批判も見かけます。批判に対する批判も多いのでいまいち判然としませんが、当時としては優秀な人物だったのは間違いないと思います。源田実のように画期的な作戦を考案したり戦力を立て直したりした航空参謀は他にいますか?

A 回答 (9件)

源田実に比肩したであろうと言われる人物に樋端久利雄がいます。



樋端は日中戦争において樋端ターンと言われる爆撃法で、制空隊で知られた源田実と並ぶ航空士官のエースとして知られました。源田実も「この人に全海軍の作戦を預けて存分にその明快極まる脳味噌を働かせてもらいたかった。この人がもっと永く生き残り、もっと働ける立場にあったならば、太平洋戦争の様相はもっと変わっていたかもしれない」と言っているほどの人物です。残念なことに前線に出てこれからという時に山本五十六とともに戦死しました。なので実績では源田実には及びません。

源田実は実質的に海軍における航空政策を支えた人物なので彼以上と言える人物はいないでしょう。彼の考案した制空隊や空母艦隊は日本の優勢を勝ち取りましたし、航空艦隊の再建、戦術装備の推進、源田実がいなければ、1943年時点で海軍の航空戦力は枯渇していたでしょう。

不幸なのは彼が再建した航空艦隊は角田提督に消耗戦で損失させられ、一矢報いるはずのT部隊を福留提督に台湾沖航空戦で無駄使いされるなど、彼の政策がことごとく大艦巨砲主義者につぶされてしまったことです。

批判というのも90年代ごろからNHKなどの偏向したマスコミの影響からかネットなどで見かけますが、おそらく台湾沖航空戦を源田発案のT攻撃と勘違いしていたり、彼が戦闘機に防弾を強化した唯一の参謀ということも知らなかったり、彼が特攻を採用していないことすら知らない、戦闘機無用論を収束させたのが源田であることを知らないなど、いわゆるにわかによるものでしょう。あるいはマスコミのネット工作か。保守議員には宿命のようなものです。まともな批判は見たことがありませんね。実際に彼の上官、同僚、部下からは賛辞しか送られていない。

淵田美津雄は優れた士官ではあるが源田のように作戦レベルで何か優れた業績を残しているわけでもないし、柴田武雄も源田批判の当て馬に利用されているだけで前線では兵に無茶な命令をして批判されたり、新興宗教にはまって軍政を迷走させるなど、とても優秀な士官だったと言える人物ではありません。
    • good
    • 5

源田大佐の足を引張った旧軍上層部のように思い込みと憶測で語る人はいつの時代にもいるってことですね。


専門家や戦友で源田大佐の業績を認めない人はいない。プランゲやモリソンも認めてるくらいだし。批判を煽ってるのはマスコミくらいだね、雑誌記者が歴史家気取りで「誤報」をばらまく時代だから…。坂井氏が変な連中とつるんで源田大佐を当て馬に売名を始めたのも90年代からですね。伊沢に戦果の虚偽を指摘され、ねずみ講問題もあってなりをひそめていたのがマスコミに急にもてはやされたのも無関係ではないかと。
    • good
    • 0

補足



源田実の功績も知らないのはいくらなんでも勉強不足です。彼の考案した制空隊や空母艦隊は日本の優勢を勝ち取りましたし、航空艦隊の再建、戦術装備の推進、源田実がいなければ、1943年時点で海軍の航空戦力は枯渇していたでしょう。彼の戦術が一般化している以上、緒戦の勝利は彼に支えられていたと言っても過言じゃない。

知らない人もいるようなので、90年代ごろから流布された源田実に対する批判について発信源と事実との矛盾をいくつか挙げておきます。

台湾沖航空戦で錬度の低いT攻撃部隊が荒天・暗夜の攻撃を行い消耗。台風を利用するなんて荒唐無稽な提案だった。
→しかし事実は
源田の提案したT攻撃とは作戦計画案で荒天に乗じて「昼間」に行う攻撃と規定されており、夜間攻撃とは丹作戦のことで明夜に限定して停泊した艦隊を狙うもので台湾沖航空戦のように活動中の敵に行うものではない。また、敵艦隊が提案以降に台風でたびたび行動不能になっており、受けた損害の14隻中6隻は台風によるもので通常の攻撃で敵をけん制するよりはるかに現実的な案だったことが知られており、T攻撃部隊が健在であれば半壊した艦隊を爆撃することも可能だった。錬度も9月1日時点で戦史叢書37巻にあるが供給が遅れた戦闘機以外は計画通り高いものとなっている。しかも源田はあらかじめ夜間攻撃は不可と判断を下しており、台湾沖航空戦は福留繁中将があらかじめ提案した戦術で行われ、源田参謀の意見を軽視した結果、T攻撃部隊は本旨の前に壊滅させられている。

源田氏は柴田氏と相反する軽戦思考であり、零戦の防弾・防火強化検討会議の中で「うんと軽い機体を作れ」と訓示し、結果見送られた。
→しかし事実は
源田が最初に関係した零戦52型乙から問題とされた火災問題に対応して消火装備を取り入れている。これまで戦闘機になかった防弾装備がここに始まった。会議でうんと軽い飛行機を作れというのは、火災問題の原因を作った曽根技師の証言のみで曽根も防弾が見送られたとまでは言っていない。もし、防弾を見送ったというならどの型の何の防弾が見送られたのか具体的に挙げてもらいたいね。ついでに柴田武雄も軽戦思考で技術的な性能を腕で補うという精神論者、彼のように航続力にこだわったせいで問題の火災も起きている。

この2つは90年以降に放映されたNHKの番組が発信源になっている。この番組シリーズは他にも前線で虫を食べた人の証言を人を食べたかのように放送してクレームがありました。

軍令部に所属していた際に特攻を推進していたという証言や記録(電文)もあります。
→しかし事実は
源田実が軍令部で特攻に賛意を示したとか、採用したという記録はない。軍の命令に従って特攻兵器の開発には関わっているが、最後まで採用は見送っている。261917番電文を取り上げて源田の特攻での役割を妄想する人がいるが、発表をどうするかの海軍省の意向を伝えただけの内容で、特攻には連絡・検討しか関係してない。源田の参加した出張報告でも神風特攻隊の戦果はしだいに小さくなるだろうと悲観視している。他と比べれば特攻との関係はかなり薄い。例えば、淵田は連合艦隊参謀として特攻の命令立案をしているし、柴田は秋水の特攻利用を計画していた。343空でも志賀と同調して特攻に反対しているが、他の部隊では岡嶋や藤田といった人の反対が黙殺されてる。源田が特攻の際は自分が行くと決めていたことは部下の証言もある。それくらいの覚悟で特攻に同調しなかった。

ただの電文を強調して特攻の重要人物のように言い出したのも90年代以降、半藤一利を中心とする左派作家が始めたことです。

少なくとも96艦戦が実用化されるまでは無用論を推進していたのは事実。あとでしまったと思ってあわてて戦闘機隊強化に向かったという説もあります。
→しかし事実は
戦闘機無用論とは大型攻撃機が強力なので戦闘機は無用としてシナ事変で被害を出したというもので、その当時、源田は戦闘機も兼ねた小型の単座急降下爆撃機を提案しています。これは学資金の受賞もした提案なので当時の主張そのままです。少なくとも源田は当時戦闘機を無用とするどころか戦闘爆撃機の構想にまで至っており、戦闘機無用論とは相反していた事実を証明する。この件は柴田武雄が戦後から源田の中傷として行っていることだが、戦闘爆撃機は零戦で爆撃が実施されるようになった事実から見ても必要だった兵器であるし、戦闘機の価値が認められたのも源田が制空隊を発案してからのことです。

批判の多くは源田実が死んで死人に口なしを利用したマスコミが原因で裏付けは何もありません。一次資料を使った専門書を開くような人でなければ源田実を語るのは難しいのも事実です。343空の戦果にしても誇大とは言うが、他と比べればましで、ベテランぞろいと言われた緒戦の誤認でさえその倍近くあった。ルメイの叙勲なんて事実と反することが公文書で確認できるものでさえ90年代から現れています。このころは左派政党が躍進した時期で慰安婦とか靖国問題が言われ始めた時期とも重なります。保守のカリスマであった源田実を貶めて保守離れを狙ったと思われる。ちょうど出てきたネットを介してデマを拡散し、にわか批判が蔓延したのでしょう。

彼より功績を挙げた優秀な人物がいるなら具体的に挙げてみたらどうですか。事実を無視していいなら、これくらいの言いがかり的な批判は誰にでもいくらでもできると思いますけどね。
    • good
    • 6

いないと思います。

源田大佐が突出した人物であったことは他も認めるところです。

富岡定俊「源田は海軍航空界の中でひときわ光っていた。彼は疑いもなく他の人に10年も先んじていた」

淵田美津雄「源田の特色中の特色は決して飛行機の能力以上のことはしないこと。源田はどこから見ても最高の航空士官だったので全てのものが敬意を払った」

志賀淑雄「実に立派な戦闘機乗りの先輩でした。彼ほど飛行機を愛し、また戦闘機を自らも操縦して、あれだけの見事な戦略、戦術を考案された方は外にはいないと思っております」
    • good
    • 0

№3です。

源田氏批判が「にわか」って言われちゃったんで補足。

T攻撃部隊
 →敵艦載機の活動が不活発な荒天・暗夜に攻撃を行うという素敵な発案だが、搭乗員の練度が低下し、ロクな性能が発揮できない機載電探・空中無線といった現実を無視した部隊で、結局あっという間に消耗。

彼が戦闘機に防弾を強化した唯一の参謀
 →源田氏は柴田氏と相反する軽戦思考であり、零戦の防弾・防火強化検討会議の中で「うんと軽い機体を作れ」と訓示し、結果見送られたことは複数の証言がある。どうしようもなくなってはじめて強化。

彼が特攻を採用していないことすら知らない、
 →結果的に自分の率いた部隊では採用しなかったというのは事実ですが、特攻を打診された際に反対したのは部下の志賀少佐だったという証言があります。また軍令部に所属していた際に特攻を推進していたという証言や記録(電文)もあります。

戦闘機無用論を収束させたのが源田
 →少なくとも96艦戦が実用化されるまでは無用論を推進していたのは事実。あとでしまったと思ってあわてて戦闘機隊強化に向かったという説もあります。

 ということで氏の評価には諸説ありますが、どうも主義主張がコロコロ変わる機会主義者(よく言えば臨機応変)というのは共通したところのようです。ただし、結果を出していないのはれっきとした事実ですよね。だから優秀とはいえないでしょ。

 ちなみに源田氏批判は90年代どころか70年代にも盛んに行われていましたよ。当時は戦記ブームでマスコミ中心に源田氏はヒーロー扱いでしたが、一般書籍は批判が中心でした。
    • good
    • 2

源田実が名参謀との話は聞いたことがない。


所詮、今の時代と違って、陸海軍の添え物でしたから、余り優秀な人材は配置されていなかったようです。
    • good
    • 0

淵田美津雄や柴田武雄(航空参謀にはならなかったとは思う)等、ゴロゴロいると思います。


 源田氏が名参謀?というのは今ではかなり否定派が多いんじゃないでしょうか。結果を出したのハワイだけで、それ以前・以降は失敗ばっかりです。ちなみにハワイ作戦の立案は源田氏ではありません。
 どちらかと言えば、戦闘機無用論で戦備計画を混乱させて対中爆撃で多数の被害を生み、新艦上戦闘機開発にあたっては精神論を吐いて正常な開発を妨害、終戦間際にT作戦で優秀な機体と搭乗員を海の藻屑にし、三四三航空隊では戦果を過剰に喧伝、戦後は何の責任もとらず、あろうことかカーチス・ルメイの叙勲に協力(ウワサ)したとか…。
 
 ということで、目に見える結果がゼロに近く、失敗は枚挙にいとまがない、というのが実態じゃないかな、というところでは。
    • good
    • 1

そりゃいますよ。



他の航空参謀のほとんど。彼は最低!!

話変わって、参議院全国区のポスター見たことあった。
    • good
    • 2

いやいや彼は若い兵隊を虫けら同然に扱って特攻させながら、自分は一切責任を取らなかった厚顔無恥を絵に描いた様な人間です。


 陸軍の牟田口参謀と肩を並べるくらいの卑怯者です。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報