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日中戦争の頃の中国側の武器はどのようなものでしたか?
古い映画をみて、機関銃と迫撃砲くらいしか出てこないので、貧弱だったのかなと想像しています。
戦車や飛行機、戦艦、潜水艦などなかったのでしょうか?
飛行機などあれば日本本土を空襲したはずですよね。

中国の装備が貧弱であったので、日本はやすやすと侵入できたと考えてよいでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

当時の中国軍の装備はドイツの軍事顧問の指導により改善の途中でした。


チェコより輸入した機関銃は当時の最高級で、揚子江河口地区の防御陣地はトーチカなど近代陣地の装備でした。
この為上陸した名古屋師団はこの陣地に肉弾戦を挑み大損害をうけました。

当時中国軍は蒋介石の政府正規軍と軍閥の私兵からなっており、正規軍はかなりの近代装備を有していましたが軍閥の私兵は貧弱な装備でした。
正規軍は37ミリ以下程度の対戦車砲も有しており日本軍の軽戦車は撃破されたのです。
しかしこれらの装備を有していた正規軍が初期の防衛戦で消耗すると、彼我の兵器差は大きく開きました。

中国空軍は海外の義勇軍の混成で機種も2戦級でしたが奥地の重慶に遷都しての防衛ではかなり活躍し日本の護衛のない爆撃機は大きな損害をうけました。
開発直後のゼロ戦が護衛についてからは日本軍の一方的な勝利になったのです。

中国戦線での迫撃砲の脅威は唯一の大口径砲として日本軍を悩ませました。

しかし戦争末期にはビルマ経由の援将ルートで米英の近代重火器が到着しこれを装備した中国軍に北ビルマの防衛拠点を次々に奪われ玉砕が続きました。

中共軍とはゲリラ戦で困らせられ、かなりの兵力を貼り付けざるを得なかったのですがここでも戦争末期に
中共軍の百団大戦攻勢で板垣師団は大損害を受けました。
決して中国戦線では勝利だけではなかった事実は知っておく必要があります。
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根本的な勘違いがあるようです。



 1937年当時、日本だけでなく、世界各国の軍隊が中国に駐留していました。日米英仏白蘭他…これは1901年に締結された北京条約によって認められた駐留権によって駐屯していた軍隊です。
 1911年に革命が起き、その後内戦状態に陥った中国は1935年頃には落ち着いてきます。ですが、国家予算の実に8割を軍事予算に投入し、対日・対白の軍備拡張を始めます。その後押しをしたのがヒトラーです。元々中国とドイツは仲が良く、20年代の内戦期はワイマールドイツの軍人が顧問に雇われていました。36年に日独が急接近しまして、ドイツの対中支援が弱まるとソ連や米国に接近し、軍備の強化を行います。そして、37年に北京駐留日本軍に対して対日強硬派の中国軍が攻撃、駐留軍はそれに応戦する形となります。応戦すれば更なる応戦、日本は増援と泥沼になったのが日華事変です。

 さて装備ですが、30年代後半は戦車開発黎明期でして、完成された戦車が存在しません。兵器体系も騎兵用戦車か歩兵支援戦車かと二重装備体制が常識でした。装甲は正面20mm、側面は5mm程度が普通だったのです。飛行機も複葉機から単葉機への移行時期でした。航空機の航続距離は1000キロ程度です。

 日華事変が勃発しますと、日中双方とも兵器が不足したため、日本はイタリアに兵器を発注(これがとことんスカな兵器でした)、中国はソ連、米国、チェコなどから調達します。両軍とも重兵器の投入は考えてはいませんでした。何故なら日本は居留区の保護と反日勢力の掃討が目的で、一方の中国は不満の捌け口を自分達から日本へと振り向けさせるため、ゲリラ戦で戦うという状態だったからです。
 日本は一体誰と交渉したら事変が終結するのか判らず、とりあえず国民党の解体を目指して奥へ奥へと進軍しました。実際の占領域を見ますと鉄道網の所のみ進軍し、中国全土では戦争していないのがわかります。
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支那の軍閥軍は、それぞれ各国を後ろ盾にしていましたから、各国から軍事援助を受けていたのです。



特に、日華事変初期において、ドイツは世界大戦の影響もあって、青島の権益を日本軍に奪われたこともあり、支那に装備品の支援のみならず軍事顧問も送っていたのです。しかしトラウトマンとの交渉により、三国防共協定の背景もあり、しだいに日本よりとなり、軍事支援を止めました。

ソ連もかなり肩入れしていました。事実、ソ連人パイロットも参加しています。

日本空襲はありました。マーチンB10爆撃機で北九州を中心に、伝単をまきました。爆弾を搭載すると航続距離が足りなかったからです。

さすがに戦艦は持っていませんでしたが、駆逐艦ぐらいは持っていたようです。ただ日本軍が大陸に入れたのは、むしろ装備の差というより、そもそも合法的に駐屯していたからです。

日華事変を国家対国家の戦いと見ると間違います。むしろ各国国家+軍閥対各国国家+軍閥の戦いです。
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戦車については、イギリスのビッカース戦車を国産化したものを保有していたとされています。


飛行機はアメリカから供与されたセバルスキーP-35戦闘機、リパブリックP-43戦闘機などを保有していましたが、日本軍に比べると見劣りする性能だったようです。また、アメリカの義勇軍がP-40を持ち込み中国軍のマークを付けて戦っていました。フライングタイガーズと呼ばれる部隊です。
爆撃機もドイツの旧式なユンカースJu-52を保有しています。
戦艦は無かったようですが、沿岸防衛用の軽巡洋艦や大河の警備で使う砲艦は保有していたようです。

中国は長らく蒋介石の国民党軍と毛沢東の共産党軍が内戦を続けており、抗日戦のため内戦を休戦した国共合作のあとも、蒋介石は共産党軍との再戦に備えて装備を温存したようです。
日本が中国での戦いを優位に進められた背景は、このような内戦の影響があります。
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当時の中国軍には海軍がほとんどいないので戦艦や潜水艦はありませんでしたが、少なくとも戦闘機はありました。



例えば重慶爆撃の際、当初日本軍の戦闘機が距離の関係上随伴できないため、爆撃機に相当な被害が出、随伴できるようにゼロ戦が作られたのは有名な話です(もっともゼロ戦の航続距離はこれだけが原因ではありませんが)。

> 飛行機などあれば日本本土を空襲したはずですよね。

この当時の中国の実効支配地に沿岸部は含まれていません。基本的に重慶などの中国奥地が中心になります。そんな距離を飛べる飛行機はありませんでしたし、なにより日本軍に追いまくられ逃げ続けていた中国軍にそのような作戦は不可能ですね。

> 中国の装備が貧弱であったので、日本はやすやすと侵入できたと考えてよいでしょうか?

日本軍が強すぎた、というべきかも知れませんけどね。
小競り合い程度ならともかく、太平洋戦争終盤まで日本軍はほぼ負けなしでしたから。
またこの当時、中国は内乱状態でしたので、それもあったと思います。
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