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思い込みから、逃れることはできないか?

通常、人間は思いこみに縛られています。
政府や警察が国民や正義の為に動くというのも思い込みです。
自らの組織の利益のために動く場合もあります。
「人に迷惑をかけてはいけない」という、価値観が善というのも、思いこみかもしれません。

思い込みから、解放されるのは、エネルギーが必要ですが・・・
事実を、正面からみつめると、それが、思いこみであったことが分かりす。
(911テロの周辺で起こった事実を丹念に、検証すると、米政府発表に疑問を持ちます。)
しかし、事実をみつめる作業をしないと、思いこみから解放されないわけです。
また、正面から見つめるという作業を、面倒だからやらないという動きも心にはある感じもします。

とすると、思いこみから逃れることはできない気がします。

可能な限り、思い込みから逃れるにはどうすればいいでしょうか?
唯一、強力な武器は、哲学なのでしょうか?
 

A 回答 (50件中41~50件)

>「我思う、ゆえに我あり」これには、”意味”はないのでしょうか?



はい、意味がないと思います。この言葉は、モンテーニュによって極限まで押し進められた懐疑論的方法論を凝縮した言葉、すなわち「我、何おか知る」の問いへの解答のつもりで、デカルトが述べた言葉ですね。しかし、デカルトのその解答は、その後の人類の巨大な知的活動、すなわち、科学と芸術に対して、モンテーニュと比べて桁違いに生産的な役割を演じなかったですね。デカルトの解は、どう考えても屁理屈の域を出ず、従って、本当に無から有を創りだす生産的な営みに対して何の役にも立っておりません。それが屁理屈と言うのが気に食わなかったら、その解答は、誰にでも思い付きそうな陳腐な解答であるといっても良いかも知れません。

デカルトの引き出した結論は、この宇宙や世界が本質的に決定論的に出来ており、従って、永遠にそこに在る、すなわち「在る」世界であると言うことでした。しかし、創造的営みや進化の過程は、「在る」ではなくて「成る」、すなわち、「永遠」ではなくて「変化」がその本質です。「成る」世界は、「今」の中にまだ「未来」が与えられていない、従って本質的に非決定論的世界です。そのような非決定論的な世界でのみ、我々は我々の未来を構築する創造的営みに参加出来るのです。

それに反して、デカルトは「我思う、ゆえに我あり」という言葉によって決定論的な世界観を導き出し、従って「創造的営み」を否定するという、自らの創造的営みとは自己撞着してしまう世界観を導き出してしまいました。そのことが、デカルトの世界観が哲学者にはいざ知らず、科学者達には何故受け入れられなかったかの、本当の理由だと思います。

その点、「我、何をか知る」の問いを問い続け、安易に思い付きの答えもどきに飛びつかなかったモンテーニュの態度は、創造の世界で日々生産的な活動を続けれいる科学者や芸術家に営々と引き継がれており、デカルトの決めつけでは決して生み出せなかったような新しい世界を次々と創り出して来たと言うのが、近代の科学史と芸術史の歴史的事実のようです。
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僕にはとても興味深い質問です。



何か別の疑問か悩みを置き換えた問いなのか?哲学的な問いなのか?
つまり動機が自己改善みたいなものか、好奇心なのかと思いました

文面から推測し感じたのは
・思い込みへの問い
・思い込みへの嫌悪感
・最後にある言葉通りの事なのか

回答の内容的に長文になるので意図をもう少し把握したいと

もし現状の思い込みを変えるというのであれば、自分の経験を踏まえた
持論を伝えたらどう捉えるとか興味あります

しかしよく見えない段階では憶測なので気持ちが入らない

どうでしょうか?
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この回答へのお礼

 
人の心は、色々な思いが、渾然一体とまざっていて、それが常に変化している。
そういうものだと思っています。
ですから、分類に対しては、答えることは誤解を招くと思います。
そこで、誤解を抑えるために、この問いを立てるに到った経過を書きます。


僕が、この問いを立てた原因となった出来事が二つあります。
一つには、過去に自分が立てた幾つかの質問スレッドで、回答者様とやり取りする上で、相手の思い込みが凄い障害になったことです。
質問スレッドだから、答えに到るための推敲する意見を聞きたいのに、それ以前に、相手の思い込みがあり、それが思い込みであると、順序立てて説明しなければいけなかったからです。
それが、相手が変わっても繰り返され、途方にくれてしまいました。
最悪だと感じたのは、思いこみだと認めざる得ないと思ったら、相手が書き込みを止めてしまうのです。
これでは、とても、質問スレッドの答えを見つけることは出来ません。
そこで、これは何だろう・・・と感じたことです。

もう一つは、自分の考えが思い込みであったと後から確認された事です。(確認と思うのも思い込みかも知れないのですが・・)
冒頭の質問でも挙げた、911テロの件もそうです。僕は、かすかな疑問を感じながら、米政府の発表を信じていました。
その後、それを覆す情報がネットで流れ、それを検証するうちに、自分の考えを変えました。
その他にも、自分の思い込みであったと思われることがいくつかありました。
それなりにショックで・・・
これは、どうしたことなんだろう。
こんな事が繰り返されるようなら、自分はまともに考えることができないじゃないか、という危機感を感じました。
それで、思いこみとは何か?
それから、逃れる方法はあるのか?
無いとしても、思いこみを減らす方法はないのか?と思ったわけです。

簡単ですが、答えになったでしょうか?
 

お礼日時:2010/09/24 05:01

哲学そのものではないかもしれんが、哲学する者たちが大切にしてきた、対話編、弁証法、ダイアレクティクってものが個人の勝手な思い込みに対する反(=アンチテーゼ)を提示してくれることはあるでしょう。



結局、一個の脳みそで演算(ブール演算)するよりも、多数の脳みそを結合して演算した方が誤謬が少なく、また結果の検証を容易だと言う事です。

その為の必要条件として、複数の脳みそ間でプロトコールが統一されていることが重要です。
例えば、普通に育った日本人と普通に育ったドイツ人はプロトコールが異なるのでなかなか脳味噌同士の連携が困難なんです。
それぞれの文化におけるコンテクストの問題と定義されるのですが、御免なさい、今日は飲み過ぎで変な片仮名が沢山出てきて、まともな日本語が出てきません。

あ、そうだ、今日は、珍しく日本酒じゃなくて、バランタイン17年というウィスキーを飲んだからかな。
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この回答へのお礼

 
述べている内容には、賛同します。

それから、僕はお酒が飲めないので、日本酒はは当然として、バランタイン・・・
(すみません。お酒もそうですが、カタカナも苦手です。)
バランタイン17ですか・・を味わえるMokuzo100nennさんを羨ましく思いました。
 

お礼日時:2010/09/24 04:17

「人に迷惑をかけないことは善である」



 迷惑を殺ということでいえば、戦争、自殺、安楽死、死刑などでしょうか。

 人を殺さないことは善である。の限界を超えて 人を殺すことは善である。へ転換します。

 敵国人は人ではない、自殺願望のある自分は人ではない、不治の病で本人も家族も希望を見いだせない者は人ではない、死刑囚は人ではない 

 どの立場に立つかに寄りますがこのあたりが限界です。

 殺生は悪である。 家畜は例外である。
 ニュートン力学は正しい。 速度は、光速を超えることはできない。

この程度なら、目から鱗ということもあるでしょう。
しかし、人間は、完全に内部にいるある思いこみから逃れられません。

空間認識、時間認識、重力感覚、物質の存在なども人間の思いこみから成っています。
その外側からみれば、空間も時間もありはしません。ことごとく何もありはしません。
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>何故、そのようなスレッドを立てたのでしょうか?



日本人の自殺者数が多い理由が分からないのです。
理由を調べると病気、経済的問題等々出てくるとは思いますが、
それは他国も同じこと。
だから日本人特有の何かがあるはずだと思います。
それを知ることによって自殺への道を歩まずに済む方法を考えたいと思います。

>何故、哲学しようとするのか?

自分を救うためです。
結果的に他人を救うことにもなりますから一石68億鳥です。

この回答への補足

 
自殺者の件も触れないといけないですね。
回答者様の立てた別スレッドに書き込まないといけないと思うのですが、流れから、こちらに書かせて頂きます。

自殺の原因。推移、これは、ネットで調べると色々調査しているサイトがあります。
代表的な例は、wikiの自殺ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA

そこでは、自殺の増加の原因を「雇用・経済環境の悪化による生活問題」としています。
当然、統計結果をそのまま信じるのは、「思い込み」の可能性もあるのですが、そう言う意識を持ちながらその原因理由を採用するならば、自殺を減らすには、雇用・経済環境の改善が良いと考えることが出来ると思います。

日本特有の問題については、http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.htmlを参照してみて下さい。

何が言いたいかと言うと、自分なら、このように淡々と調べます。
ところが、shift-2007さんの場合、このような動きが弱いのではないかと思います。
何故か・・・・そこにも、思いこみが関係してるのではないでしょうか?

内戦状態という言葉が気になります。僕なら、こういう言葉は使いません。
色のついた言葉は、それだけで、思考を誘導し、思い込みに至らせる危険があると思います。

長くなるので、詳細には説明できませんが、思いこみは、真実を探るのに障害になると思うのです。
 

補足日時:2010/09/24 01:23
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この回答へのお礼

 
回答ありがとうございます。

僕は、哲学するとは、思いこみを排除しようとする作業である。・・と、感じています。
(他者様の回答へのコメントのデカルトへの言及の部分を参照ください。)

shift-2007さんお回答から、次のように言えると思います。

哲学することが、自分を救うことなら、そのためには思い込みを排除しないといけない。


納得いかないでしょうか?疑問もあると思います。

僕も、付き詰めたいと思っています。

またの、書き込みをお待ちしています。
 
 

お礼日時:2010/09/24 00:42

質問してもいいですか。



どうして思い込みから逃れたいのですか。
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この回答へのお礼

 
興味深い質問だと思います。
前提を問う・・・

これは、突き詰めたいと思います。
可能であれば、お付き合いください。

まず、以下の質問の回答を考えてください。

shift-2007さんは、別に「日本は、内戦状態ではないか?」と質問スレッドを立てていますが、
何故、そのようなスレッドを立てたのでしょうか?

何故、哲学しようとするのか?

二つの回答お待ちしています。
 

お礼日時:2010/09/23 23:47

 正しく考える ≒ 客観的に考える ≒ 思い込みをなくす



 想像してください。もしも、物事を真に「あるがままに見る」ことができたら、僕はそこには“意味”が無くなると思います。視点を持たず、切り口も定めずに見るのですから、ポカ~ンと口をあけて漫然と眺めているのと何ら変わりありません。ある種の視点から眺めるからこそ、そこに意味が発生するのです。
 われわれの思考というのは、この体、この実世界を無視しては成り立ちません。善悪の判断の核となるものは、好き嫌いといった動物的な感情です。傷付けられるのは嫌い、殺されるのはもっと嫌い、こういった感情を無視して善悪は判断できません。また、善と悪、正しいと正しくない、こういった二元論の発想も実世界がそうだからだと僕は考えます。物価が高いなどと言いますが、物理的な概念を援用したメタファーです。近いほうからA地点、B地点、C地点とあれば、A、B、Cの順に到達します。もしもこの世の時空が歪んでいて、A⇒D⇒Sなどと無規則に到達してしまうならば、物事を二元論的に考え、論じることもないでしょう。われわれはいろんなことをこのメタファーで発想しています。高い低い(地位)、うらおもて(態度)、遠い近い(関係)、などなど。
 こういう実世界に即したものの見方を僕は批判しているのではありません。正しく考えるとは、あるがままに見ることではなく、物事に対処するのに“効果的かどうか”で判断されるべきでなないでしょうか。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/gatagoto/1BanHome/Sc/ …
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この回答へのお礼

 
回答ありがとうございます。

鈍い頭を、使いながら考えました。

>想像してください。もしも、物事を真に「あるがままに見る」ことができたら、
>僕はそこには“意味”が無くなると思います。

デカルトは、疑わしきものは排除し、何が信じられるかを探りました。
見えるもの、これだって疑わしい。何故なら、見えるものは脳が作った映像であり、存在するものとは別物だからです。そうやって、突き詰めていきました。

(※これは、思い込みを排除する作業と、捉える事が出来ると思います。)

そうして行き着いた結論は、有名な「我思う、ゆえに我あり」です。
考える自分は存在する。これは疑いようがない。・・・・・と

ここで、回答者様の先の文を考えます。
「我思う、ゆえに我あり」これには、”意味”はないのでしょうか?

gadgetdesuさん、この疑問についてどう思いますか?

可能なら、ある程度のやり取りをして、結論を探りたいと思います。

宜しくお願いします。
 

お礼日時:2010/09/24 00:29

>可能な限り、思い込みから逃れるにはどうすればいいでしょうか?


唯一、強力な武器は、哲学なのでしょうか?

確かに。

「われ思う、ゆえにわれあり(デカルト)」からの出発がベースでしょう。

言いかえとして、”科学的精神に徹する” ともいえると思います。


ご参考まで。
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この回答へのお礼

 
回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。
 

お礼日時:2010/09/26 04:17

思いこみから逃れることはできません。


その限界の中でしか、真実を知ることはできないのです。

常にその物事はその限界外では真実ではないとすることが唯一の武器となります。

信念、信条、座右の名、なんてものは、その外側から見ると稚拙なものに映ります。
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この回答へのお礼

 
書き込みありがとうございます。
申し訳ないのですが、十分に理解できません。

(質問者のkunobouは、相当頭が悪いと理解して下さい。)

>常にその物事はその限界外では真実ではないとすることが唯一の武器となります。
を、詳しく・具体例をあげて説明していただけないでしょうか?

例えば、「人に迷惑をかけないことは善である」と言うのが思い込みだとしましょう。

その場合、限界外とはどこを指しますか?
限界外に行くにはどうしたらいいですか?
限界内にいるとの認識はどうしたら持てますか?

まとまりのない、質問ですみません。
 

お礼日時:2010/09/23 17:21

その思い込みが「先入観」という意味なら、


自己に先入化している思想を変えるしか方法がないでしょう。
例えば、お金に価値があると、大多数の人が「先入化」されて
現代を生きているのと同じです。

そこからの脱却は「何が先入化しているか?」を、
自他ともに、考察すること=哲学、だと思います。
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この回答へのお礼

 
お金に「価値がない」とする根拠は、何ですか?
「価値がない」と思うのも、先入観である可能性があると思うのですが・・・
 
先入観であるかどうかは、「何が先入化しているか?」を考察することではなく、
その考える根拠を検証する必要があると思います。
具体的には、「お金に価値がない」と考える根拠を検証することだと思います。

根拠に妥当性がなければ、思いこみ。
根拠に妥当性があれば、思いこみで無い。
と、判断できるかな・・・・と思います。
 
 
 

お礼日時:2010/09/23 14:10
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